1 / 58
階段での出会い
1_階段外の少年
しおりを挟む
「空が抜けるようにって表現あるじゃない? あんな感じだよね、うまく声が抜ける時って」
タカヤは無邪気な笑顔を俺の方へ向けてそう言った。俺は数時間前の自分に、心から感謝した。この笑顔を見ることは、もしかしたら叶わなかったのかもしれないのだ。
「じゃあ、ソレがお前はだーい好きななわけね? それがあれば生きていけるってこと?」
意味ありげに返した俺の顔を見て、タカヤは顔を赤らめた。
「そっ……そうだよ。悪い? でも、顔のせいでなかなか叶わなくてさ」
「悪かねえだろ。俺はいいと思うけどな。お前、向いてると思うよ」
俺は、錆びた手すりにもたれかかって、指の間に挟んだタバコを口元へと運ぶ。タカヤはそれを優しく奪い取ると、俺の耳元でそっと囁いた。
「ダメだよ、またうまく鳴けなくなるだろ?」
そう言って、火がついたままのタバコを手で握りつぶした。
「何やってんだ、お前!」
俺は慌てて飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルを握らせた。タカヤの肌が焼けた匂いに軽い目眩を覚え、ぐっと眉間に力を入れる。
「ちょっと待ってろよ、冷やすものもらってくるから」
その時、俺はその場を離れた。
それが、タカヤの今後を決めるとも知らずに。
◇
「おい、そんなとこから落っこちたら、下にいるやつも一緒に死んじまうぞ。こっち来い」
金曜日の夜23時、都会の喧騒の中で、一際欲に塗れた笑い声が響き渡る場所。その中の一角に、風に吹かれながら今にも消えそうな命に出会った。
古いビルの中にある、サビが目立つ非常階段。その手すりの外側に佇んでいた、白肌に誘うような唇をした、少年。抜けるような肌や輝く黒髪は、その生命力の高さを語っているのに、目の奥には光一つ感じられないほどの孤独を抱えている。
振り返りはしたものの、何も言わずにこちらをぼうっと見つめているだけで、俺はそこに映し出された精巧なホログラムにでも話しかけているのだろうかと疑ってしまったくらいだ。
「おい、こっち来いって」
ようやく終わった録音作業の後で、頭がガンガンしている俺は、それをすっきり晴らすためにタバコを吸いにきた。その場所にこんな辛気臭い生き物がいたら、イラついて声をかけずにはいられない。
「なあ、お前死ぬつもりなのか? それにしたって、そんな場所から落ちるなよ。大体そこに立ってる奴ら、その日生活する金にも困ってんだよ。死ねばマシだけど、大怪我させられたら目も当てられねえぞ。死ぬなら、別の場所に行けよ」
「……死ぬなよって言わねーの?」
「はっ?」
それは、衝撃の出会いだった。
目の前にいる少年は、驚くほどジメジメとした雰囲気に似つかわしくない、軽やかでその割には豊かに響く、ドキリと胸を打つ声をしていた。
「……言えっかよ、そんな無責任なこと。お前が何に苦しんでるかも知らねえのに」
少年とは対照的に、乾燥した室内で集中した作業を終えたばかりの俺は、ガサガサの声を咳払いとともに絞り出した。そして、最近では肩身の狭くなったスモーカーの喜びを肺に溜め込んで、ストレスとともに思い切り吐き出した。
「あー生き返る……って死にそうなやつの前で言うことじゃねえか」
少年の警戒心がやや緩んだのが、表情の軟化で見てとれた。何があったのかは知らないが、目の前で死なれちゃ夢見が悪い。とにかく、タバコを吸う間だけでも生きておいてもらおうという汚い考えを抱いて、俺は軽口を続けた。
「お前、やたらにいい声してんな。何かやってんのか?」
少年は、俺の方へと振り返ると、錆びた柵に手をかけた。いよいよ飛び降りるのかと一瞬冷や汗をかいたが、その柵を握りしめると、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「お兄さん、ギター弾くの? お願い、ちょっとだけ聴かせてくれない?」
先端の高温がつきてしまい、灰の塊だけになりつつあったタバコをジュッと揉み消して、俺は少年の目を見た。そして、再び俺は彼の持つものに驚かされることになる。
さっきまで一切何にも興味は持たないと強固な姿勢を宿していたその目に、突然妖しげな光が踊り始めたのだ。
——なんだ、あれ。
「よくわかったな。何を見て気がついたんだ?」
俺は、少年の目の中の怪しい光が、だんだんと大きく強く光るのを感じて、それがどうなるのかを見たくなった。どうやらギターの話をしているとソレは強くなるようで、思わず少年のいる方へと吸い寄せられるように近づいていった。
タカヤは無邪気な笑顔を俺の方へ向けてそう言った。俺は数時間前の自分に、心から感謝した。この笑顔を見ることは、もしかしたら叶わなかったのかもしれないのだ。
「じゃあ、ソレがお前はだーい好きななわけね? それがあれば生きていけるってこと?」
意味ありげに返した俺の顔を見て、タカヤは顔を赤らめた。
「そっ……そうだよ。悪い? でも、顔のせいでなかなか叶わなくてさ」
「悪かねえだろ。俺はいいと思うけどな。お前、向いてると思うよ」
俺は、錆びた手すりにもたれかかって、指の間に挟んだタバコを口元へと運ぶ。タカヤはそれを優しく奪い取ると、俺の耳元でそっと囁いた。
「ダメだよ、またうまく鳴けなくなるだろ?」
そう言って、火がついたままのタバコを手で握りつぶした。
「何やってんだ、お前!」
俺は慌てて飲んでいたミネラルウォーターのペットボトルを握らせた。タカヤの肌が焼けた匂いに軽い目眩を覚え、ぐっと眉間に力を入れる。
「ちょっと待ってろよ、冷やすものもらってくるから」
その時、俺はその場を離れた。
それが、タカヤの今後を決めるとも知らずに。
◇
「おい、そんなとこから落っこちたら、下にいるやつも一緒に死んじまうぞ。こっち来い」
金曜日の夜23時、都会の喧騒の中で、一際欲に塗れた笑い声が響き渡る場所。その中の一角に、風に吹かれながら今にも消えそうな命に出会った。
古いビルの中にある、サビが目立つ非常階段。その手すりの外側に佇んでいた、白肌に誘うような唇をした、少年。抜けるような肌や輝く黒髪は、その生命力の高さを語っているのに、目の奥には光一つ感じられないほどの孤独を抱えている。
振り返りはしたものの、何も言わずにこちらをぼうっと見つめているだけで、俺はそこに映し出された精巧なホログラムにでも話しかけているのだろうかと疑ってしまったくらいだ。
「おい、こっち来いって」
ようやく終わった録音作業の後で、頭がガンガンしている俺は、それをすっきり晴らすためにタバコを吸いにきた。その場所にこんな辛気臭い生き物がいたら、イラついて声をかけずにはいられない。
「なあ、お前死ぬつもりなのか? それにしたって、そんな場所から落ちるなよ。大体そこに立ってる奴ら、その日生活する金にも困ってんだよ。死ねばマシだけど、大怪我させられたら目も当てられねえぞ。死ぬなら、別の場所に行けよ」
「……死ぬなよって言わねーの?」
「はっ?」
それは、衝撃の出会いだった。
目の前にいる少年は、驚くほどジメジメとした雰囲気に似つかわしくない、軽やかでその割には豊かに響く、ドキリと胸を打つ声をしていた。
「……言えっかよ、そんな無責任なこと。お前が何に苦しんでるかも知らねえのに」
少年とは対照的に、乾燥した室内で集中した作業を終えたばかりの俺は、ガサガサの声を咳払いとともに絞り出した。そして、最近では肩身の狭くなったスモーカーの喜びを肺に溜め込んで、ストレスとともに思い切り吐き出した。
「あー生き返る……って死にそうなやつの前で言うことじゃねえか」
少年の警戒心がやや緩んだのが、表情の軟化で見てとれた。何があったのかは知らないが、目の前で死なれちゃ夢見が悪い。とにかく、タバコを吸う間だけでも生きておいてもらおうという汚い考えを抱いて、俺は軽口を続けた。
「お前、やたらにいい声してんな。何かやってんのか?」
少年は、俺の方へと振り返ると、錆びた柵に手をかけた。いよいよ飛び降りるのかと一瞬冷や汗をかいたが、その柵を握りしめると、ポロポロと涙をこぼし始めた。
「お兄さん、ギター弾くの? お願い、ちょっとだけ聴かせてくれない?」
先端の高温がつきてしまい、灰の塊だけになりつつあったタバコをジュッと揉み消して、俺は少年の目を見た。そして、再び俺は彼の持つものに驚かされることになる。
さっきまで一切何にも興味は持たないと強固な姿勢を宿していたその目に、突然妖しげな光が踊り始めたのだ。
——なんだ、あれ。
「よくわかったな。何を見て気がついたんだ?」
俺は、少年の目の中の怪しい光が、だんだんと大きく強く光るのを感じて、それがどうなるのかを見たくなった。どうやらギターの話をしているとソレは強くなるようで、思わず少年のいる方へと吸い寄せられるように近づいていった。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
彼はオタサーの姫
穂祥 舞
BL
東京の芸術大学の大学院声楽専攻科に合格した片山三喜雄は、初めて故郷の北海道から出て、東京に引っ越して来た。
高校生の頃からつき合いのある塚山天音を筆頭に、ちょっと癖のある音楽家の卵たちとの学生生活が始まる……。
魅力的な声を持つバリトン歌手と、彼の周りの音楽男子大学院生たちの、たまに距離感がおかしいあれこれを描いた連作短編(中編もあり)。音楽もてんこ盛りです。
☆表紙はtwnkiさま https://coconala.com/users/4287942 にお願いしました!
BLというよりは、ブロマンスに近いです(ラブシーン皆無です)。登場人物のほとんどが自覚としては異性愛者なので、女性との関係を匂わせる描写があります。
大学・大学院は実在します(舞台が2013年のため、一部過去の学部名を使っています)が、物語はフィクションであり、各学校と登場人物は何ら関係ございません。また、筆者は音楽系の大学・大学院卒ではありませんので、事実とかけ離れた表現もあると思います。
高校生の三喜雄の物語『あいみるのときはなかろう』もよろしければどうぞ。もちろん、お読みでなくても楽しんでいただけます。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる