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虎之助の鬼退治
しおりを挟む賤ケ岳を馬で駆けおりる加藤清正の前に、一人の騎馬が割り込んできた。
馬上で槍を持つその後ろ姿には見覚えがあった。見間違えるはずもない、幼少の頃から数々の戦場を共に駆けた間柄なのだから。
清正は馬を並べると、馬上の武者に声をかけた。
「正則、お主は蟄居を命じられとったがや?」
「こげなどえらい戦に乗り遅れたら、死ぬまで後悔するが!」
福島正則は、悪びれもせず豪快に笑った。
「油断せんな。相手はあの鬼柴田だがや」
「鬼か、丁度ええ。あん時の続きで鬼退治だわ!」
この戦の後、賤ケ岳の七本槍として名を馳せる加藤清正と福島正則の二人は、互いに虎之助、市松と呼ばれていた幼少の頃からの付き合いであった。
「鬼?」
「ああ、満月の夜に現れては、食い物を奪い、女をさらっていくげな」
「鬼か……」
「おそがいか、虎之助?」
「そんなことあらせん!」
「そんなら、俺達二人で鬼退治と行こうやあ」
妙延寺での手習いを終えた後、虎之助が家に帰ろうとすると、親戚の市松が来ていた。
市松のほうが年齢は一つ上だが、身体は虎之助のほうが大きかった。それが気に食わないのか、市松は何かにつけて虎之助と張り合った。
市松は虎之助を誘うと、すぐ近くの天王川の川縁で相撲を取った。二人の相撲は力任せにぶつかり合うので、いつも怪我が絶えない。
虎之助は市松を三度投げ飛ばし、三度投げられた。二人して息が上がったので、川べりに寝転んで休んでいた。川には大小の船が、ひっきりなしに積荷を運んでいる。
天王川を下ると木曾川に合流し、伊勢湾に出る。川沿いの津島湊は交易の要所であり、この地を支配する織田家にとっては経済の基盤でもあった。
「鬼退治言うても、鬼を相手に丸腰というわけにはいかんがな」
「おめぁの家には、武器になりそうなものはないんか?」
「そういや、父上が打ったとが……」
虎之助が三歳の時、父親である加藤清忠は死んだ。父は斎藤道三に仕えていたが、戦で足を怪我して斎藤家から離れた。その後、清兵衛という鍛冶屋の元で修行していた。そこの娘、伊都と結ばれ生まれたのが虎之助だ。
亡くなった後、父が打った刀のほとんどは人手に渡るか売り払うかしていたが、一つだけ母親が形見として残していたものがあった。
「それなら決まりだがやあ。今日、子の刻にここで待っとるが、怖気づいたりせんへんやろな」
「おめぁこそ」
市松と別れると、虎之助は身体についた土と草を叩いて落とし家路についた。既に陽は傾きかけていた。
家に帰ると、母親の伊都が夕餉の準備を終えていた。今は母子共に、叔父である喜左衛門のもとで世話になっており、食事の支度は伊都の役目であった。
母の姿を見て、市松が鬼が女をさらうと言っていたことが頭に浮かぶ。もし、母が狙われるような事があったら。そう考えると胸が痛んだ。
「遅かったがね。どこさ行ってた?」
「川で遊んどったが」
虎之助は言葉を濁した。市松と会っていた事は黙っていた。一緒に遊んでいたというと、母が良い顔をしないからだ。
市松は小さい頃から気性が荒く、両親も扱いに苦労していた。父親は桶屋をしていた。ある日、手伝いをしていた市松が若い職人と喧嘩になった。カッとなった市松は手に持っていた鑿で、その職人を刺し殺してしまった。外部的には、不慮の事故という事で片付けられたが、身内には真相が知られていた。
その事件の後、両親でさえ市松に対して腫物に触るように接していた。そんな中で唯一人、市松を怖がらないのが虎之助だった。
夕餉の後、陽が沈むまで庭で木剣を振るのが虎之助の日課だ。剣術を教えてくれる師がいるわけでもないので、振りかぶって力任せに振るだけだが、今日は特に熱が入った。鬼から母親を護るという使命感が、虎之助の中に湧き上がっていた。
気が付くと叔父の喜左衛門が縁側に座って虎之助の素振りを眺めていた。
「叔父上、いらしゃったとですか」
「虎之助、兄上に似てきたやあ」
「父上に?」
「その身体は兄上譲りだわ。武芸に精進すりゃあ、いずれ虎をも倒せるがね」
そう言って笑う喜左衛門の横に、虎之助は汗を拭きながら座った。
「父上は本当に強かったがや?」
「おめぁの父上は身体が大きく、扱う槍も刀もどえりゃあでかさやった」
「戦で怪我をして、鍛冶屋になしたとやろ?」
虎之助は父親の顔を覚えていない。記憶に残っているのは、自分の頭を撫でるゴツゴツした大きな手だけだ。
「戦っちゃあ、力だけでするもんじゃあらせん」
喜左衛門は立ち上がると、庭先にあった棒っ切れを手に取った。
「打ち込んできみやあ」
叔父の様子に馬鹿にされた気がした虎之助は、勢いよく立ち上がった。木剣を持ち直すと、上段に構えて力任せに打ちかかった。あんな細い棒切れなら、そのまま折ってしまえると思った。しかし受けた瞬間、喜左衛門は受け止めるのではなく、左足を引いて半身になりながら木剣の力を流した。勢い余って前のめりで横を通り抜けた虎之助の頭を、背後から喜左衛門の棒が軽く叩いた。
虎之助は狐につままれたような顔で、振り返った。
「力任せに押してもならへん。力を過信すると、命を無駄にしてまう。兄上から聞いた話だと、竹中半兵衛ちゅう人は、十数名という手勢で城を落としたげな」
「城を! そん御方は、どうやって城を落としたとやろか?」
「わしも、詳細を知っているわけではないが……」
叔父は、知っている限りの事を話した。その内容の全てが、虎之助には衝撃だった。戦は力の強いほうが勝つ。その力とは個人の武の集合であると信じていたからだ。
「虎之助は、武人になりたいんきゃ?」
力強く頷く虎之助に、喜左衛門の顔は少し寂し気だった。
夜遅く、虎之助は一人起き出すと、父の形見である刀を探した。
「確か、この辺りに……あったが」
手にした刀はずっしりと重く、大きかった。普通の刀は、二尺三寸ほどの長さだが、その刀はゆうに三尺を越えていた。しかし、それは不思議なほど虎之助の手に馴染んだ。
外へ出ようとすると、奥の部屋に灯りがついていて、話し声が聞こえた。
「虎之助を?」
母親の声だった。足音を殺して、聞き耳をたてると相手は叔父のようだった。
「よい武人になるがね」
「あの子は、まだ子どもだなも」
話の内容は詳しく聞こえなかったが、どうやら叔父は虎之助をこの家から出して、誰かに仕えさせようと考えているようだった。
音を立てないように、虎之助はそこから去ると、市松の待つ天王川へと走り出した。
叔父の提案は、虎之助を興奮させた。叔父から聞いた竹中という傑物の元で武人として馳せる自分の姿を想像すると、自然に笑みが零れた。
「虎之助、武器はあったがね?」
市松は先に来て待っていた。走ってきた虎之助が手にした刀を見せると、市松は目を輝かせた。
「俺は、これだがや」
市松の手には六尺ほどの棒が握られていた。よく見ると、棒の先端に切れ目があり、鑿が挿し込まれ、その上から縄が巻き付けてあった。市松は、それを槍のように持った。
「よし、鬼退治と行くがや」
「どこに行くとかや?」
「そりゃあ……鬼の住処だわ」
「場所は? 知っとるとかや?」
「今から探すに決まっとるわさ」
その返事に、虎之助は呆れた。市松はこういうとこがある。先を考えずに思いつきで行動するのだ。
二人は其々の武器を肩にかけ、意気揚々と川べりを河口に向かって歩いた。湊を離れると闇が濃くなってきた。月明りだけを頼りに二人は進んだ。市松が歩みを止めた。
「虎之助、あそこ見やあ」
川が蛇行してできた一角に篝火が焚かれており、影が見えた。身を低くして、草に隠れて近づくと六名ほどの鬼が見えた。手に様々な武器を持ち、火を囲んでいた。その奥には、縄で縛られた女の姿があった。鬼達の下卑た笑い声が聞こえた。その声に市松は尻込みした。
虎之助が退こうとした市松の腕を掴むと、その腕は少し震えていた。
「おそがいか、市松」
「たーけっ。そんなことないがや」
そう言った市松の声は、少し震えていた。
「あれは鬼じゃないが、よく見てえ」
目を凝らしてみれば、それは鬼の半面を被った人間だった。落ち武者狩りなどを行っていくうちに、山賊まがいの行為にも手を染めるようになり、野伏と呼ばれるようになった者たちだ。元は農民だった者、戦に負け仕える主を無くした者など、様々な境遇の者達だった。
「相手が人間なら、怖くないて」
草むらから飛び出そうとする市松を虎之助が制した。
「虎之助、臆したかや?」
「こんまま飛び出しても相手は多勢、分が悪いが」
「じゃあ、どうすっとかや?」
「市松、おめぁは隠れて、向こう側へ回り込めやあ」
虎之助は市松に策を告げると、月明りの空を見上げた。風が西から東に吹いていて、西に暗い雲が見えた。
「月が雲に隠れたら、それが合図だがね」
腹を満たした野伏達は、女を慰みものにしようとした。月が雲に隠れた。バシャッと川に何かが落ちる音がした。野伏の頭領らしき男が、顎で指図する。野伏の中でも下っ端と思われる粗末な服装の男が篝火から火を取ると、背の高い男と共に川のほうへと歩いてきた。刀を抜き身を低くして草むらへ潜んでいた虎之助は、火を持って川を覗きこんでいた男の背後から飛び掛かり、足元を薙ぎ払った。
男の悲鳴があがり、持っていた火が川に落ちる。ジュッと音がして周囲は再び薄闇に包まれた。
「だ、誰じゃ!」
仲間をやられた背の高い男が、腰の得物を抜いて構える。頭領と残った三名がその声を聞いて、そちらへ向かおうとした時、逆の方向から雄叫びが聞こえた。
駆けてきた市松が、手にした槍で篝火を払い倒す。火花が散って、いくつかが草に燃え移った。市松はそのままの勢いで、槍を振り回した。
「なんじゃぁ、こいつは!」
虚を衝かれた野伏達の一人が、市松の槍に打ち倒される。突然の襲撃に男達は、半狂乱になった。
隠れていた虎之助は、その騒ぎに気を取られた背の高い男に横から襲い掛かった。突如現れた虎之助に反応できず、三尺を越える刀が振られると、男は悲鳴もあげずに斃れた。血飛沫が虎之助にかかる。男は斃れた後、数回ビクビクと痙攣すると絶命した。
虎之助は手に持った刀を見つめた。木剣とは比べ物にならないその威力と、初めて人を斬った感触で手が震えていた。しかし、それも一瞬の事だった。向こうでは、市松が野伏達を相手に奮闘していた。
「おめえら、落ち着きやあ!」
頭領の怒声で野伏達は我に返ると、市松から距離を取った。後先考えずに暴れたせいで息が切れ、市松は肩で息をしていた。
「よく見りゃあ、ガキじゃろ」
頭領はゆっくりと腰の刀を抜くと、下段に構えた。他の男達とは明らかに様相が違っていた。
「うぉぉぉおお!」
市松が槍を振り上げ、襲い掛かった。頭領は切っ先を僅かに下げると、掬い上げるように刀を滑らした。それだけで、市松の槍は二つに分かれていた。
「悪戯はここまでじゃ。どえれぁーことしてくれたな」
頭領は切っ先を市松に向けた。
「市松!」
闇の中から虎之助が駆けてくると、市松の横に身体を寄せた。
「虎之助、こいつはわけが違うが」
虎之助は頷くと、刀を構えた。その長い刀を見て、頭領の顔つきが変わった。
「ガキの癖に、ごがわく得物持っちょるじゃゃなあか」
男の発する言葉は、この地域のものではなく、少し北、美濃のほうの言葉だった。
草に燃え移っていた炎は広がる事なく、今にも消え去ろうとしていた。闇に包まれるかと思ったその時、雲が切れ、月明りが挿し込んだ。鬼の半面が気焔を上げた。
頭領の刀が虎之助に襲い掛かる。刀が交わり、鈍い音を立てる。いくら身体が大きいとはいえ、大人の膂力に適うはずもない。腕ごと押されると、膝がついた。頭領の蹴りが虎之助の胸を突く。吹き飛びながらも、刀だけは手放さなかった。
胸を強打され、息が詰まる。それでも顔を上げる、白刃が目の前に迫っていた。もうダメだと思ったその時、頭領の背後に走ってきた市松が体当たりを食らわせた。頭領がよろけながら払った刀で、市松の肩に鮮血が滲む。
「市松!」
虎之助は立ち上がると、刀を立てて右手側に寄せた。八相と呼ばれる構えだが、意図したというとよりも、刀の重さに対し力を抜いたせいで自然とその構えになった。
頭領は再び下段に構えると、虎之助との間合いをじりじりと詰めた。二人の間で空気が張り詰める。倒れた市松も、他の野伏達もその中で動く事ができなかった。
先に動いたのは頭領だった。大きく踏み込むと同時に、切っ先が虎之助の足元から掬い上がる。虎之助は、仰け反ってそれを間一髪で躱す。しかし、その刃は上空で向きを変えると、虎之助の頭上から襲いかかってきた。
虎之助は刀を横にして、それを受け止めた。頭領は、そのまま力押しで虎之助の頭を割るつもりだった。しかし、受け止めた刀の上を、刃が滑っていった。虎之助は受けた瞬間に右手の力を抜き、頭領の刃を自らの左に流した。それは、喜左衛門がみせた技であった。
「なっ!」
頭領が虎之助の横を前のめりに崩れていく。その刹那、二人の目が合った。虎之助の開かれた瞳に、頭領は鬼を見た。
頭領に向かって三尺の刀が振り下ろされる。背中を袈裟斬りにされ絶命する。
頭領を殺られ、残った野伏達は、悲鳴を上げながら逃げていった。
「やったがな、虎之助!」
肩を押さえた市松が、近寄ってくる。虎之助は頭領が被っていた鬼の半面を剥ぎ取ると、懐に入れた。その死に顔には恐怖が浮かんでいた。
二人は気を失っていた女の縄を解いた。目が覚めれば、自分で戻るだろうし、朝になれば津島湊を警護している織田軍の兵が見つけてくれるだろう。
問題は、返り血で濡れた着物だった。このまま家に帰れば、母親に何と云われるかわからない。虎之助の困り果てた顔を見た市松は、ニヤリと笑うと虎之助の手を取って走り出した。二人はそのまま天王川に飛び込んだ。肩の傷が痛んで、市松が悲鳴を上げた。
その様子を見て、虎之助は声を立てて笑った。その声は、月明りの中に響き渡った。
それから一ヶ月後、虎之助は市松と共に、近江の国、長浜と改名された土地に居た。築城の真っ最中であり、町には大工や職人達が溢れ活気づき、賑わっていた。
城の近くにある仮屋敷に喜左衛門に連れられて入った二人は、小柄な男に引き合わされ、以後小姓として仕えることとなった。
二人の来訪に破顔してはしゃぐ男を見て虎之助は「まるで猿のようだがや」と思ったという。
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まだ幼さなの残る二人の『初陣』、大いに楽しみました。
ありがとうございます。
昨年の津島文学賞の最終に残った作品です。
加藤清正が幼少期に鬼の面を被って盗賊を
追い払ったという伝承がモチーフです。
戦国時代は魅力的な人物が多いですよね。