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朝帰り

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 今すぐグミさんのところに行って、何が起きているかを確認したい。でも、風邪をひいていることが、足止めをした。正直、カッとなっているのもザワザワするのも、シンプルに体調不良によるものの気がする。
 具合は悪いけれども、こんな気持ちを抱えたまま眠れる気がしないな。と思いながら、ベッドに戻った。

「ただいまぁーっ」
 明け方、帰宅したドラゴンさんの声で目が覚めた。結局あの後ぐっすり寝てしまったらしい。
「朝帰りですね」
 玄関で出迎えたが、心に余裕がないので、妙な物言いになってしまう。まるで主人の浮気を疑う若妻のようだ。と自分でツッコむ。
「そんな嬉し恥ずかし、トキメキイベントじゃないわよ」
 苦笑いのドラゴンさんに続いて、いつも通りのアンニュイなグミさんがドアから入ってきた。
「え? い、いらっしゃい……ませ?」
「……お邪魔しまーす。あー、杏くんだ。風邪どう? 具合悪いのにごめんね」
 俺がいることを確認して、ふにゃりと笑うグミさん。相変わらず、可愛い。
「ほぼほぼ治ってきたんで、大丈夫ですよ。ゼリー美味かったです」
 部屋着や髪型が乱れていないか気になって、髪をいじりながらそわそわと答える。グミさんはそんな俺の様子など気にも留めず、いつも通りに受け答えをしてくれた。
「はは。やっぱゼリーだよね」
「ところでこんな朝から、どうしたんですか?」
 状況が飲み込めない。そんな俺の気持ちを察してか、ドラゴンさんはソファにぐったりと座ったまま、ため息と一緒に吐き出すようにつぶやいた。
「グミさんをね、当分……というか、ずっとのほうがいいかな。うちの店、出入り禁止にしたのよ」
 グミさんは曖昧に微笑んでドラゴンさんの隣に腰を下ろした。
「は? なんで?」
  思わず大きな声が出た。俺の様子に少しだけ驚いた様子でドラゴンさんが続ける。
「私も気がつかなかったんだけど、グミさんね……きっと、アル中ね」
 想定外の言葉だった。
 言われてみると、グミさんはいつもほろ酔い状態で、泥酔で訪れたこともあった。でも、彼の無害さが、自分がイメージするアルコール依存症の患者とは乖離していて、まるで現実感がなかった。
 なんだか悪い夢を見ているようだ。そう考えて、ぼんやりしている俺をそよに、ドラゴンさんも誰に話すでもない、頭の中を整理するように独り言をぼやく。
「なんかねーおかしいなっていうか、ちょっと心配な雰囲気だったんだけどね……改めて聞いてみてよかったわよ。ほんと、私は医者じゃないから診断なんかできないけど……だからね、今から医者に行くのよ」
 しかし、最後の連絡事項は俺の方を向いて告げた。
 グミさんは相変わらず、少し困ったような笑顔で黙っている。俺は予想外すぎて言葉が見つからなかった。そんな俺を前に、ドラゴンさんは続ける。
「家に奥さんとお子さんがいるのに、いつも外にふらっと出て飲んで、あまり帰らなくなってたんだって。お子さんもまだ小さいし、奥さんもものすごく疲れちゃっててさ……だから私が病院に連れて行くことにしたの。とりあえず、疲れたぁ……シャワー行ってくるわね」

 ワケがアリすぎだ。ドラゴンさんに置いてけぼりにされた俺とグミさんの間に、気まずい空気が流れた。
「結婚してたんスね」
「まぁ……うん」
 確かに行きつけの店の店員に、既婚だとか、しかも子供がいるとかを教える義理はない。だから、俺が知らなかったことは誰も悪くない。ただ、勝手に裏切られた気分になっている自分が身勝手すぎて苛立った。
「お子さん、いくつなんですか?」
「8ヶ月」
「へぇ……」
 思ったより小さい。それくらいしか感想が浮かばなかった。
「なんでまた?」
 俺の質問に、グミさんは薄く笑って応えてくれた。
「うん、あのね。奥さんが里帰り出産してる間にさ、ちょっと寂しくて、外で飯食うようになって……僕さ、家が仕事場だったから、奥さんと赤ちゃんが帰ってきたら、それはそれで仕事も進まなくなって……余計外に出るようになってさ」
 グミさんは話すうちに、うっすらとした笑顔も消えていき、無表情でぽつぽつとこぼしていた。彼は既婚者で、父親で、なのに家に帰らないで、しかも常に酔っている。碌な奴じゃない。
 でも……本当は優しくて、いい人だ。
「僕は杏くんが欲情してくれるようなナイスガイじゃないんだ」
「欲情て……ええとナイスガイってなんすか?」
「なんだろね? いい男?」
「グミさんは、いい男ですよ」
「ありがと。だけど、ごめんね」
 なぜか謝られた。それでも、俺は困っている彼のために、何かがしたい。グミさんの役に立ちたい。必要な人になりたい。
「あの、俺は何ができますか?」
 その言葉に、グミさんは顔をあげて、しっかりと目を合わせもう一度「ごめんね」と、念を押すように言った。

 それでやっと、この前の告白から、今さっき申し出たこと、諸々合わせて「ごめんね」された事にようやく気がついた。
「……はい。あ、俺ちょっと、まだ風邪治ってないっぽいんで寝ますね。じゃあ」
「うん。風邪ひいてるのにごめんね。お大事に」
 返事もしたくなかった。そのまま黙って自分の部屋に篭り、彼らが出かけるまで息を殺してじっとしていた。
 グミさんは、俺に何も悪いことをしていない。俺が勝手に好きになって、盛り上がって玉砕した。ただそれだけだ。でも、楽しかったり、嬉しかったことしか思い出せなくて、未だ好きでしかない。そんな自分が心底惨めだった。
 
 グミさんとドラゴンさんが出かける物音を確認した後、のそのそと部屋から出て、飲み物を探して冷蔵庫を開ける。
「おにーちゃん、具合どう?」
「おわ?!」
 油断していた背後から声をかけられて驚く。
「私の方がびっくりするんだけど。油断しすぎ」
 飾らない笑顔の、らいちが立っていた。それを確認した瞬間、涙が止まらなくなった。
「え? 何? どしたの」
「……わかんない……んぐぅ」
 もう涙が止まらなくてどうしようもないので、この際声を出して泣いた。嗚咽するなんて、小学生以来だ。そんな俺を、らいちはソファまで連れていき、そのまま黙って隣に腰掛けた。

 らいちは泣き続ける俺の背中を優しくさすってくれた。でも、しばらくして流石に飽きてきたのか、両手を俺の頬に添えて、顔を覗き込み「涙を止めてあげよう」そういって、左目の涙袋のあたりを舐めた。
「ちょ? 何……」
 言い終わらないうちに、右の頬をつづけて舐められる。
「塩味」
「いらない感想」
「涙の味って感情で変わるらしいよ」そう言いながら、らいちの舌先が柔らかく頬や目頭を伝う。やばい。これは、流されてしまうやつだ。ぎゅうと、思い切り目を瞑る。
「そんなに怯えなくとも何もしないよ。ほら、泣き止んだ」
 目を開くと、らいちは立ち上がっていて、キッチンの方へ向かって歩いていった。
「記憶が飛ぶくらい美味しいコーヒー、淹れてあげるから顔洗ってきなよ。おにーちゃん」
「え……うん。ありがとう」
 らいちが淹れてくれたコーヒーは、蜂蜜とミルクを足した上に、練乳をトッピングしていて、甘すぎて「惨めな自分」なんて考える余裕を吹っ飛ばしてくれた。

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