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バスボム

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 さて、今日も疲れた。
 学校を終えて、店のオープンからクローズまでをこなし、家に着いたのは深夜1時を回っていた。頑張った自分のために浴槽にお湯を張り、ゆっくりと浸かる。連れて入ったバスボムが、シュワーっと泡を立てて溶けるのをぼんやり眺めていると、無意識に深いため息がこぼれた。

 らいちが必要以上に愛想を振り撒くので、接客をすると勘違いする客も少なくない。それを角が立たないようにやんわりと引き離すのが最近の一番疲れる仕事だ。愛想がいいのは別に悪いことじゃないと思うけれども、あんなに勘違いする輩が発生すると、こちらも困ってしまう。どうしたら良いんだろうか……と思案を巡らせていると、静かに風呂の扉が開いた。
「ドラゴンさん? すんません。ちょっと疲れちゃってて、お先に……ああああー!」
 らいちだった。
 彼女は着衣だったので一瞬安心したが、こっちは全裸である。全く安心じゃなかった。 
「きょーちゃん。今日は、ありがとう」
「ええ? なんのことかわかんないけど、風呂入ってるから後にして」
 入浴剤で濁った浴槽を確認し、取り急ぎ安堵する。ありがとう、バスボム。君は命の恩人だ。
「でも、今言いたくて」
 らいちが浴室に入り込む。
「いやー! 入ってこないで! プライバシー!」
「いいじゃん。お兄ちゃん」
「こんな時だけお兄ちゃんって呼ぶな」
 らいちはえへへと笑い、その場にしゃがんだ。出て行きそうにない。困った。
「いつも、守ってくれてありがと。今日のお客さん、気持ち悪くて困ってたんだ」
「うちの店、お行儀のいいお客さんが多いけど、それでも変な人はいるよね」
「うん。だから日頃の感謝を込めて髪を洗ってあげようかなって」
「へ?」
 急な申し出に理解が追いつかず、つい聞き返してしまった。らいちの方を見ると、彼女はにこやかに両手で空気を揉みしだいていた。
「いやいやいや、落ち着かないし、結構です」
「ヤらせろって」
「言葉づかいが悪いな」
「ねぇ、知ってる?」
 そう言うと、らいちは浴槽の縁に手をかけ身を乗り出した。
「湯船から出られない今のきょーちゃんは、圧倒的に弱い」
 そのまま俺の鼻先で「お兄ちゃん、大好き」と早口でつぶやく。擦るなぁ……と言おうとしたが、口を唇で塞がれてたので、「ぐも」としか音が出なかった。
 とりあえず、バスボムに本日二度目の感謝をした。
 らいちの舌先が口の中に侵入して、前歯の裏から上顎の裏側を伝う。
 話そうとしたタイミングだったので、歯を食いしばってガードすることが間に合わなかった。そして、今そうすると彼女の舌を噛んでしまうし、舌で押し返そうものなら、応えたと勘違いされる恐れもある。結果、なすがままに深いキスをされ続けている。
 これはもう、このまま成り行きでそういうことをしてしまっても誰も悪くないんじゃないか。むしろその流れなんだろな。
 と考えもしたが、理性を無理やり舐めとるような舌に違和感があった。だから、とりあえず抵抗しなければいけない。そう思った。

 風呂に潜ろうか? いや、そうすると体勢的に急所のガードが甘くなる。掴まれたら最後だ。ならば、今の俺はされるがままなので、らいちは少し調子に乗っている。その隙をついて、彼女の鼻をつまんだ。
「ぷは。なんなの?」
 らいちは唇を離し、抗議した。
「こっちこそなんなんだよ?」
「告白したじゃん? そーゆーことだよ。わかんない?」
「展開早すぎて理解が追いついてねぇよ」
 らいちははにかんだ笑顔を作り、改めて俺の顔を見つめ返す。
「きょーちゃん。大好きです。彼女にしてください」
「ごめんなさい」
「は?」
「はい。解散。詳しいお話は風呂上がりに」
「やだ」
「これ以上聞き分けないと、俺がのぼせるので風呂から上がらせてください」
「上がってもいいよ。見てる」
 らいちは笑顔だ。
「えー……」
 困る。どうしたら良いんだ。

「ちょっとぉ? あんたら何してんのよ!」
 ドラゴンさんのドスのきいた低い声が、脱衣所から聞こえてきた。
「なんでもない世間話でーす」
 しれっとらいちが嘘をつく。
「嘘おっしゃい! お兄ちゃん大好きから全部聞こえてんのよ! 裸じゃないなら出てきなさい! らいち」
「……はーい」
 ばつの悪い顔をして、らいちが退場した。脱衣所から人の気配が無くなるのを確認して、浴槽から出る。とりあえず冷たいシャワーで頭を冷やすが、風呂上がりの修羅場が憂鬱すぎてスッキリできなかった。
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