花嫁シスター×美食家たち

見早

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potage:器

1.「器、美味しい?」

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 世界に4つしかない指輪のうち、4人兄弟の誰のものでもない指輪が存在するのでしょうか。
 地下室でアールと初めて会ってからというものの。終わりのない迷宮で行き倒れ寸前、といった気分から抜け出せないでいます。それはもう、マナー講習を受ける気がなくなるほどに。
 そんな状態でマチルダから逃げ回っていると、玄関ホールで意外な人物からお出かけの誘いがかかりました。

「晩餐会に向けて、私は器を用意する係になっていましてね。鬼ごっこに勤しむほどお暇なようですから、手伝っていただけませんか?」

 荷物持ちではないでしょうね、と警戒しましたが、さすがのリアンもそこまで非道ではありませんでした。それどころか町へ着くなり、「好きなものを何でも買ってあげます」などと妙なことを言い始めたのです。

「あの、リアン。一体何が目的なのでしょうか。何だかとっても……」

 気味が悪い、と言いかけて思いとどまりました。別に喧嘩をしたいわけではありませんから。
 むしろ前回の言葉――「本当にブライト家のご令嬢ですか?」。あの疑惑を心のうちに留めておいてくださっているだけでも、こちらからお礼を申し上げたいくらいです。
 なぜ秘密にしてくださっているのかは分かりませんが。

「先日の夜は大変失礼いたしました」
「えっ?」

 こんな往来で、あのリアンがまさか――。

「ちょっ、えっ、頭上げてください!」

 慌ててコートを脱ぎ、直角のお辞儀をする大男を隠そうとしたのですが、余計に目立ってしまったようです。ひとまずリアンの手を引き、人ひとりがやっと通れそうな住宅の隙間に入り込みました。ここでしたら、猫かネズミくらいしか通らないでしょう。

「どうしてよりによってあんなところで謝罪するのですか? もしリアンを知っている方がいたら、余計に変な噂が立つかもしれませんよ?」

「余計に」という言葉こそ余計だったな、と後悔する間もなく、リアンは自然な笑みを浮かべました。

「いえ、そんなことはどうでも良いのです。それよりも、私の話は真面目に取られないことが多いので……人の目があるところでならば誠意を示すことができるでしょうか、と考えた結果です」

 どうやら私は、リアンへの認識を改めなければならないようです。最初の食事会とこの間の拷問で「ヤバい男性」認定をしていましたが、この方は思っていたよりも己を客観視できる真面目な方――少なくとも、「ヤバい時もある男性」であると。

「平時であれば、私の行いで誰かに謝罪をするようなことなどあり得ないのですがね」
「では、どうして謝罪しようと?」

 リアンは静かに微笑んだだけでした。よく見る胡散臭い笑みよりは幾分かマシですが、それでも何か含みがあるように思えてなりません。

「そろそろ行きましょうか。約束の時間になってしまいますし」

 腕を差し出され、組まないわけにはいかなくなりました。シスター・アグネスの授業によると、貴族の男女はこうして男性の腕を掴んで歩くらしいのです。
 骨を折らないよう気をつけねば、と気を張っていると。やがてリアンは小さな雑貨店の前で足を止めました。一等地に立っているとは思えない、レンガ壁にツタの巻き付いた古風なお店です。

「ここが目的のお店ですか?」
「もっと派手で高級そうな店を想像していました?」

 まさにその通りですが。

「こう見えて、王室との取引もなさっている貿易商のお店ですよ。さて、行きましょうか」

 前言撤回です。古風どころか中身は前衛的すぎて――なぜ食器を扱う貿易商のお店に、3人の女性が並んでいるのでしょうか。それも目隠しをされ、手足まで拘束されて。
 1階の陳列スペースは、まぁ普通の食器店でした。ですが半地下にあるこの商談スペース、そういう系のお店ではないでしょうね、とリアンを睨んだところ。「ここは間違いなく器商ですよ」、と不敵な笑みを浮かべます。
「美女」と「器」がどう結びつくのか、私には理解できません。それに意外と普通の装いをした店主と、リアンが語り合う内容も。

「あっ、私ちょっとお庭の空気を吸いに出てきますねー」

 もはや2人の世界に浸っていて、こちらの声は聞こえていないようです。音を立てないよう階段を上がり、1階の中庭へお邪魔することにしました。
 半地下の異様な雰囲気とは違い、ここは花の咲き乱れる心地よい空間でした。太陽をたっぷり浴びているあの赤い花、何というのでしょうか。後でビショップに教えてもらいましょう、と背伸びをした瞬間。
 バシャ、と耳慣れない音が響きました。はっきりと捉えることはできませんでしたが、レンガ壁の隙間が光ったようです。

「誰ですか? あなた、この間もを見ていましたよね?」

 あの時一緒にいたのはノットですが。それでも、この「気配」は同じ人物に違いありません。
 隙間からの手招きに応え、穴を覗き込むと――日の光にきらめく、緑の瞳と視線が合いました。女性、いえ、男性でしょうか。歳は同じくらいか、少し下のようですが。
 ハンチング帽からチェックのコートまで見える範囲を観察していると、彼(彼女かもしれません)はこちらの警戒心を根こそぎ取り去ってしまうかのような笑顔を見せました。

「ワォ! お姉さん良いカンしてるね。はい、今度は笑ってぇ~……うん、いいね!」

 バシャ、と例の音と光が起こったのは、彼が大切そうに抱えている箱型の機械からです。これは携帯型のカメラというものでしたか。

「ボク、パイル・ナッツっていいます。記者やってます」

 隙間からねじ込まれたのは、彼――パイルの名刺でした。たしかにタブロイド紙の記者のようですが。
 一度周囲を見回し、改めて穴に顔を寄せます。

「それで、記者さんが私に何のご用ですか? 『連れ』の方にご用であれば本人へどうぞ」
「ボクが話を聞かせてもらいたいのは、リアン・マダーマムじゃなくてお姉さんなんです」

 なるほど。本人ではなく関係者からのリークを狙うことが記者の定石なのでしょう。
 少し焼けた肌と白い歯のコントラストが眩しいパイルに背を向け、リアンのところへ戻ることにしました。

「あっ、待ってよ! ボク、アール・マダーマムの同級生でさ。彼の失踪と晩餐会の噂について調べてるんだけど」

 思わず、足を止めてしまいました。
 リアンが呼びに来ないことを願いながら、半身で壁の穴を振り返ります。

「パイルさん、あなたはどこの学校出身なの?」
「王立学校だよ。あ、ボクの身分じゃムリだって思ってるでしょ! こう見えて特待枠もらえてたんだからね? 結局ブロード紙への就職はダメだったけどさ……あぁそう、2つ下の学年には末っ子のモアもいたなぁ。学校一のプレイボーイで噂の絶えない彼、元気にしてる?」

 これは――信じるしかないようです。ひとまず、アールと彼が同級生ということは。

「アールはどっちかっていうと男にモテモテだったよ。あ、ラブじゃなくてライクの意味で。面倒見良いヤツだったし。時々兄弟喧嘩で学校の施設壊したりしてたけど、正門の噴水を真っ二つに割ったのが一番見もので――」
「あの、パイルさん! とりあえず用件だけお願いします!」

 焦りが伝わったのか、パイルは途端に口を結びます。そしてただ一言、「マダーマム家の秘密を知りたいなら、そこに連絡してね」と残して去っていきました。

「サリーナさん! あぁ良かった。待ちくたびれて帰ってしまったのかと」

 タイミング良く現れたリアンは、何やら箱のようなものが入った袋をいくつか提げていました。人間が入りそうな大きさの袋ではなくて安心です。

「おや、こんな壁際で何をされていたのです?」
「……別に何も」

 そう。何もしてはいません。ただ壁に挟まっていた紙切れを1枚、懐に忍ばせただけ。
 器の打ち合わせが無事済んだ、と上機嫌のリアンに連れられ向かったのは、今度こそ格式の高さが外観に表れているお店でした。こんな高級そうなレストラン、私の舌にはもったいないとお断りを入れたのですが。

「あなたの舌には、良いものをたくさん知っていただかなければなりません。なにせ、マダーマム家の花嫁になるのですから」

 誰の、とまではさすがに言いませんでした。多少の、いえ、雨粒一滴ほどの罪悪感がないわけでもありませんが――すべては嘘になるのですから、あまり潜入先の方と懇意にするのもいかがなものでしょうか。
 赤と黒と金でまとめられた、高級そうな調度品の個室に通され、着席した直後。リアンはすぐさま席を立ち、こちらに歩み寄りました。そして懐から取り出したのは凶器――と思いきや、どこかで見たことのある羽ペンです。

「これはあの時のアレ、ですね」

 私の体を好き勝手してくださった黒い羽。それをナイフの横へ置くと、リアンは席へ戻っていきました。

「もし私への怒りが消えないようでしたら、そちらで仕返しをしてくださって結構です。あぁ、できれば夜の時にお願いしますね」

「ずいぶん丁寧な謝罪方法ですが、全力で遠慮します。自分が不快だと思うことを、憂さ晴らしのために他人へ施すなんて」

 そんなシスター、間違いなく失格ですから。実行したい気持ちがまったくないといえば嘘になりますが。
「なるほど。ハンムラビ法典式では駄目ですか。ではせめて、心ゆくまでこの店の絶品料理をご堪能下さい」
「はむんらび……?」

 こじんまりとした料理が次々に運ばれてくる間、リアンは「目には目を、歯には歯を」と呪文を唱えていました。昔、ノットの授業で訊いた覚えがある気もしますが。

「害されることあれば、それ相応の報いを加害者へ。過剰な復讐をすることもなければ完全に赦すこともない――我がマダーマム家でも取り入れている教えです」

 肉を刺すフォークが、カツンと音を立てた瞬間。リアンの眼鏡の奥が鈍い光を放ちました。

「あなたもお気をつけくださいね。報いを与えられるような真似をしないよう、口にも、目にも、手足にも」

 あぁこれは――釘を刺されているのでしょうか。
 ノットと同じかそれ以上に、リアンも家を大切に想っているようです。

「ご忠告ありがとうございます。ところで、どうしてメインのお皿にカイコの繭が?」

 ここはリアンお得意のレストランのようですから、こういった趣向になる可能性は想定できたとしても。実際に自分のお皿に乗っているところを見ると、妙な気分になります。

「これあげます。リアンに食べられた方が、きっとこの繭も幸せですよ」

 試しに一口などと言ってくるかも、と身構えましたが。リアンは「では遠慮なく」、と私の皿の分を全部食べてしまいました。

「この食材の味を、一番楽しめる舌をもつ者が食べる。その方が食材も幸せ……私もそう思います。気が合いますね、私たち」

 ワインと繭の味に恍惚としているリアンを前に、こっそりため息をこぼしました。
 彼と気が合うというのは、決して喜ばしいことではありませんから。
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