花嫁シスター×美食家たち

見早

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hors d'oeuvre:秘匿

4.「リボルバー・ルーレット」

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 疑惑を向けられては、もうここにはいられない――そう、絶望していたのですが。
 翌朝、食堂にリアンの姿はありませんでした。

「天文塔組は早朝に出発したよ。いやぁー公務員って大変だねぇ」

 食卓にはギュスターヴとノット、モアが着いています。まったくいつも通りに。
 リアンは他の誰にも、昨晩の疑惑について話さなかったのでしょうか。ノットは当然として、モアは私がサリーナ嬢に成り代わっていると知っています。
 モアが秘密を守ってくれているのは彼と「人形契約」をしたためですが、リアンは違います。彼はなぜ疑惑を表に出さないのでしょう。不在の家族について尋ねたことで、あんなに怒らせてしまったというのに。

「サリーナ様、食が進んでいないようですが。どうかなさいましたか?」

 隣のノットが、小声でこちらを気にかけてくれました。そういえば、東町の宿から屋敷まで運んでもらったお礼をまだしていません。後でノットが出発する前に、こっそりしておくとしましょう。

「ちょっと、どうしても気になることがありまして」

 そう。ノットが言葉を濁し、リアンの地雷になっていたの主。秘匿されている存在が、食人鬼(グルマン)とは無関係であると思えないのです。あと尋ねるとしたら、モアかルイーズ、当主ギュスターヴ。ちなみに、マチルダにはすでに「話せない」と断られています。

「あの」

 上機嫌で岩塩サラダをつつくギュスターヴに、真っすぐ視線を向けました。

「そこ、いつも空席ですが片付けませんよね。どなたの席なのですか?」

 ひとりひとり尋ねていては時間がかかり過ぎてしまいますし、一対一よりも他に人がいる方が、まだ身の安全を守れるでしょう――と、思っていたのですが。
 食堂の空気が凍り付きました。予想していた反応ではありましたが、ここまでの温度変化は想定外です。
 窓から射しこむ朝日までもが吹雪に変わったかと錯覚するほどの威圧の中、微笑みを浮かべている当主は口を開きました。

「そこは元々空席なんだ。キミが気にすることじゃあない」

 ノットと思わしき手に腕を掴まれ、「やめなさい」と囁かれましたが、ここまで来て引き下がるわけにはいきません。

「ですが、不在のご家族がいると噂に聞いたのですが」

 すると話し声以外が消えた空間に、ナイフとフォークの擦れる音が響きました。それは当主の手元から発せられている音です。

「いいかい? 私が『いない』と言ったらいないんだ。サリーナ嬢、この家での掟を言ってごらん」

 あの癪に障る掟のことは、できるだけ忘れるようにしていたのですが――。

「……当主の言は絶対」
「うん、素晴らしい。まぁそういうことだよ」

 満足げに微笑んだギュスターヴは、何事もなかったかのように食事を再開しました。
 さすがにこれ以上踏み込むことは身の安全にかかわる――そう自身に言い聞かせ、こっそり唇を噛みしめました。
 朝食後、教会へ出発する前のノットからお叱りを受けました。「急いては事を仕損じる」、と。
「そんなこと言われなくても分かってる」、と口答えしたところ、ノットの口がさらに回転速度を上げます。そもそも、ノットが教えてくれれば済む話だというのに。
 玄関で騒ぐこちらを横目に、モアが学校へ向かう車に乗り込んでいました。



「ねぇ、本当に指輪はこの部屋で失くしたんですか?」

 ミシンの手車を回す音に負けないよう言ったつもりでしたが、被服作業に忙しい部屋の主には聞こえていないようです。

「もう半刻は探し続けているのに、まったく見つからないのですが」

 モアが18歳になってから1か月――つまり先月ギュスターヴから送られたばかりの指輪を、もう失くしたというのです。
 足の踏み場もない部屋を片付ける道理などありませんが、このまま指輪の存在を確認できないのは困ります。なにせ私が拾った指輪は、モアの右手の薬指には大きすぎたのですから。
 リアンでも、ノットでも、モアでもないとなると、この指輪は誰の物なのでしょう。もし可能性があるとすれば――。

「はぁ……今朝はちょっと質問しただけで殺気を剥き出しにされましたし、あの空席の方って本当に何者なんでしょう」

 ふと溢れた独り言に、ピタリとミシンの音が止まりました。
 待ってくださいこれはリアンと同じ逆鱗コースでしょうか――と身構えたものの、モアは床に膝をついている私の前に座り込んだだけでした。相変わらず夜通し服を作っているのか、白い肌に紫のクマがはっきりと浮き出ています。

「アンタ、ほんとに度胸あるよね……でもお父様が言ってた通り、この家では当主に逆らえない。『いないはずの人間』について語ることは掟破りになる。どうしてそこまで気になるの?」
「だって、一度気になったことはどうしても知りたくなりませんか」

 ひとまず食人鬼のことは置いて、正直に答えたつもりでした。するとモアはため息混じりに、「ただで教えるのはつまんないよね」と囁きます。
「人形契約」の上に、さらに何か約束しろというのでしょうか。視線をシーツの端に落としているモアの言葉を待っていると、紫がかった唇からさらにため息がこぼれました。

「そんなに知りたいなら……アンタの内臓、食べさせてよ」

 アンタノナイゾウ――?
 一瞬、頭が理解を拒みましたが。今確かに、内臓を食べさせろ、と口にしたのでしょうか。

「アンタって、私? カモじゃなくて私の……ですか?」

 まさかモアには食人嗜好が――と、騒ぐ胸の前で両手を組んだところ。

「そう。アンタは目的のためなら、何だって言う事聞くんでしょ?」

 モアは煽るように言い放ちました。前回部屋を訪れた時、確かにそのような話をしましたが。「何でも言う事を聞く」と口走った覚えはありません。

「別に腹の中の臓物をちょうだいって意味じゃない。ココかココ、食べさせてってこと」

 モアの冷たい指先が唇と下腹部に触れて、ようやく意味を解することができました。確かに口腔と「聖なる場所」は内臓ですが。

「じゃあ『食べる』っていうのは、その、実際に食べるってことじゃなくて……」

 性的な比喩――そう気づいた途端。心臓がドッドッとありえない速度で駆け出しました。
 純潔さえ守れれば、どんな手を使ってでも食人鬼を見つけ出すつもりでしたが。いくら情報を得るためとはいえ、そんなことが許されるのでしょうか。

「で、どうするの? 上か下か、好きな方を選ばせてあげるけど」

 モアの問いかけは、ふだんの雑談とまったく同じ調子でした。冷静な顔をしていますが、とんでもないことを口走っている自覚がないのでしょうか。

「あ……その、じゃ、じゃあ下で!」

 毒殺、絞殺、窒息死――万が一の生存率を考えれば、上よりはマシでしょう。と、無理やり結論づけた結果。
 提案してきた側のモアが、「え……」と言ったきり絶句してしまいました。「何言ってるんだコイツは」、という目で見る権利があるのは、むしろこちらだと思うのですが。
 やがてモアはゆっくりと壁の方を向き、肩を小刻みに揺らしはじめました。

「えっ、笑ってます?」
「わ、笑って、ない。真剣なアンタの顔が面白いとか……そんなんじゃ、ないっ」

 はい、笑っていますね。
 反射で握り締めた拳を解き、グーとパーを繰り返していると。

「アンタはもっと、情緒を学んでから出直してきたら?」

 こういったことに不慣れで知識不足なことは自覚していますが、改めて指摘されると頭に熱が昇ります。

「では情緒が関係ない、他の条件でお願いします! もっとこう、体を動かすことなら得意なので」

 少々卑怯な気もしますが、得意なことであればまだ勝算はあります。モアは私をか弱いただのシスターとお考えでしょうから、きっとこの提案には乗ってくださるはず。
 期待の視線を送っていると、すっかり真顔に戻ったモアは、薄手の外套をこちらへ押し付けてきました。

「それ着て。外出るから」



 案内された先は断頭台もといフェンシング場――ではなく、お隣の射撃場でした。体を動かす勝負であればフェンシングしかないだろう、と考えていたのですが。モアに提案されたのは的当て勝負です。

「体動かすのが得意なんでしょ? 僕はコレ、まぁまぁ得意だから。いい勝負になるんじゃない?」

 モアはそう淡々と告げ、拳銃を手渡してきました。途中で声を掛けたマチルダとエルダーが明かりを確保して見守ってくれていますが、これは不味いです。
 剣術ならまだしも、射撃は――シスター・アグネスの特訓を受けてもなお、「お前はナイフだけ握ってろよ」と引きつった笑顔で宣告されたほどでした。

「握り方間違えたら指が飛ぶし、使い方くらいは説明してあげるから」

 あぁ神様、お父様。こういうことは勢いですよね。

「ちょっと、聞いて……」

 考え込んで照準が狂うくらいならば、考える前に――撃つ。
 ミス、ミス、ヒット、ミス、ヒット、ミス。回転式の弾倉6発分を撃ち切って、2発。これは――。

「やった、当たりました! えっ、2発もですよ!?」

 中心からは外れていますが、これまでで一番の結果ではないでしょうか。シスター・アグネスがこの場にいないことだけが悔やまれます。
 飛び跳ねる勢いで振り返ると、モアは目を見開いて唖然としていました。モアもきっと、私が的に当てることができるなどとは夢にも思わなかったのでしょう。

「さぁ、次はモアの番ですよ! どうぞ」
「……じゃあ、ハンデ付きでやる」

 そう宣言するやいなや、モアは目を閉じてしまいました。どういうつもりなのか声を掛けようとした瞬間、素早い動作で構えた銃口から硝煙が立ち込めます。
 モアが目を開けずに放った1発目は、的の中心を正確に撃ち抜いていました。

「1発目から的中? しかも、目を……」
「もう6発撃ったけど」

 訊き返す間もなく、モアは薬莢(やっきょう)を地面に落としました。確かに6発、すべて撃ち尽くされています。
 的に近づいてよく観察すると、中心に開いた穴が歪な形になっていました。これはつまり、何度も同じ場所を弾が通過した痕跡――それも、目を閉じたままやってのけたというのです。
 澄まし顔のモアに対し湧き出たのは、「ずるい!」という言葉でした。この腕前は「まぁまぁ得意」どころではありません。すぐさま再戦を申し出ましたが、モアが提案したのは別のゲームでした。
「これなら平等だよね」、とモアは空の弾倉に1発だけ銃を込め、シリンダーを回転させました。
 これは知っています。裏社会の方々が度胸試しにするという噂の――6分の1に当たれば被弾する、死のゲーム。

「本気、ですか?」
「うん、本気……家の事情に踏み込むなら、これくらいの覚悟見せてくれないと」

 橙の炎に煽られ浮かび上がる赤眼は、こちらを真っ直ぐ見据えていました。弱点を射抜かんとする、強い意志を持つ視線で。一方灯りを守るマチルダとエルダーも、止める素振りはありません。
 ノットいわく、「郷に入っては郷に従え」ということでしょう。マダーマム家がいくら浮世離れしているといっても、彼らのルールに従わなければ彼らに受け入れてもらう資格はありませんから。

「……分かりました」

 6分の1は死。こめかみに突きつけた銃口からその一が飛び出れば、死。たった一つの手がかりを得るために、これは正しい代償なのでしょうか。やはり内臓を食べさせてあげた方がマシだったのでは――そんな疑問を持つ自分を心の中で殴り、諫めなければなりません。ここで逃げたならば、私はきっと食人鬼までたどり着くことはできないでしょう。

「さすがに頭はヤバいから、腕とか足でも……」

 そう。こめかみに突きつけるは試練。そして指先に込めるは、己の覚悟――。
 カチリ、と審判の音が響いた直後。黒い影が視界を通り過ぎていきましたが、私の意識はまだ「私」の中にありました。
 勝った。
 6分の1に勝利したのだと、体中の全細胞が歓喜に沸いたその時。拳銃が手から奪われました。
 流れるような動作で銃口を自らのこめかみに突きつけたモアは、ためらいなくトリガーを引きます。1、2、3――。

「モア……!」

 全身全霊の叫びと5回目の金属音が重なります。通り過ぎたはずの黒い影を、再び目の当たりにした瞬間――ゆっくりと銃を下ろしたモアが、星の無い夜空を仰いで笑い出しました。

「最初から弾は入れてないよ、ただのフリ。アンタのことずっと変だって思ってたけど、本物だったね」

 ここまでモアが笑っているところを見るのは初めてです。まさか「狂食の館」のファミリーに変だ、などと言われるとは思ってもいませんでしたが、不思議と悪い気分にはなりませんでした。

「結局、勝負はどうなるのですか?」

 モアはいまだに肩を揺らしながら、込み上げる笑いを抑えているようでした。

「談話室にある3番目の兄貴のオルガン、アンタなら弾けるかもね。なんせシスターなんだし?」
「えっ? えーと、私楽器は弾けないのですが」

 なぜ突然オルガンの話になるのでしょう。疑問には答えてくださらないまま、モアは屋敷に向かって歩き出します。「やっぱりアンタ、潜入には向いてないよ」と言い残して。
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