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4話

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 ブレイク家へ辿り着いたアンガスは、玄関のガラスの両扉を押し開けた。 玄関ホールに入ると、赤茶色の壁と黒塗りの板の装飾品、沢山の飾り灯篭が視界に入る。 直ぐに正面のアーチ型に切り抜いた廊下の入り口から、ブレイク家の眼鏡の老紳士、執事が応対に出て来た。 アンガスを見止めると、老執事は紳士の礼をする。

 アンガスの馬車がブレイク領へ入った時に、ブレイク家に先ぶれを送っていた。 執事に黙礼してから、アンガスは突然の訪問の謝罪と用件を言った。

 「突然の訪問、申し訳ありません」
 「アンガス様、ようこそ御出で下さいました。 グイベル家の若様でしたら、私共はいつでも歓迎致します」

 ローラの番だからだろうか、突然の訪問にも関わらず、執事は嫌な顔をするどころか、嬉しそうに微笑んだ。 老紳士に吊られて、アンガスも笑顔を滲ませる。

 「これはカウントリムの満月宴の饅頭です、皆さまで召し上がって下さい。 それで、ローラ嬢は御在宅でしょうか?」
 「ありがとうございます、ローラお嬢様とお館様方も喜ばれます。 ローラお嬢様でしたら、在宅しておられます。 申し訳ありませんが、準備が整うまでこちらでお待ち下さいませ」

 アンガスからの土産を快く受け取ると、執事は眉を下げて申し訳なさそうな表情をした。 執事が差し出した手は、玄関の右側のスペース、小上がりのちょっとした待ち合いの場所へ向けられていた。

 本来は迎えの馬車が玄関前まで来るのを待つ場所である。 少しだけ眉を顰めたアンガスは、執事の案内の通り、大人しくローラの準備が整うまで待つ事にした。

 小上がりに置かれているカウチに腰を下ろすと、腕を組んで憮然とした表情を浮かべた。

 (……まぁ、こちらも先ぶれを出すのが遅かったから仕方ありませんね。 本来このスペースは、呼んだ馬車を待つ場所なんですけど……安易に帰れって言われている?)

 つい、ひねくれた考えを巡らせてしまう。 余計な思考をしながら、玄関ホールを眺め回す。

 幼い頃からローラを知っているが、ブレイク家に訪れた事はなかった。 会うのはいつもアンガスの屋敷でだった。 ブレイク家の屋敷はカウントリム調で建てられている為、玄関もカウントリム風に作られている。 グイベル家の玄関はブリティニア王国の客人が多く来るので、ブリティニアで流行っているとても豪奢な飾り付けをしていて、ホールも広く取っている。

 膝下のフロックコートにブーツのアンガスの装いは、ブレイク邸では少し浮いている。

 (次にブレイク家へ来る時は、私もカウントリムの衣装を着ますかね)

 こじんまりとした玄関も良いな、とグイベル家にもカウントリム調の玄関を作ろうかと考えていた。

 玄関ホールへ速足で向かって来る足音が聞こえ、アンガスは玄関ホールを眺めるのをやめて、カウチから立ち上がった。 玄関扉の正面、丸いアーチ型に切り取られた廊下の入り口へ視線を向ける。

 直ぐにローラの姿が見えた。 ローラの姿を瞳に映し出すと、アンガスの意思を無視して、胸が高鳴った。 顔が熱くなっているので、きっと頬も赤いだろう。

 家ではカウントリム調の衣装を好んで着ているようだ。 ローラはアンガスの前まで来ると、柔らかに揺れる白い下衣のワンピースの裾を摘まみ上げ、優雅に淑女の礼をした。

 長衣の桃色の上着と同じで、ローラの頬も蒸気していて、急いで来てくれた様で、アンガスの瞳が嬉し気に揺れる。

 「アンガス様っ! いらっしゃいませ、ようこそ我が家へ」
 「ローラ、突然、訊ねて来て申し訳ない。 少し話せますか?」
 「はい、ですが……」
 「やはり、不味かったですか?」

 アンガスは、ローラの困った様な表情に高鳴っていた胸が萎んでいくのを自覚した。 ローラの態度にはっきりと傷ついている自身がいて、とても驚いた。 ローラも肩を落とすアンガスに気づき、慌てて説明をした。 両手を左右に振りながら、眉を下げている。

 「あ、違うのですっ。 アンガス様が迷惑ではなくて、来客がありまして……その、アンガス様とは、顔を合わせない方が良いと思ったものですからっ」

 ローラの言っている意味が理解できず、アンガスは疑問譜を飛ばしながら首を傾げて訊ねた。

 「来客とは?」
 「僕の事ですよ」

 ローラの背後、廊下の入り口から出て来た少年は、ローラのそばへ来て頭を下げて紳士の礼をする。

 「初めてお目にかかる。 カウントリム帝国、シュバルツ伯爵家の長男、リーバイ・シュバルツと申します。 ローラとはいとこにあたります。 以後お見知り置きを」

 出て来た若い男をアンガスはじっくりと上から下まで眺めたが、リーバイもアンガスを眺めまわして来ているので、お互い様だろう。 リーバイの衣装もカウントリム調で、長衣の緑色の上着に、柔らかそうな白い下衣を穿いている。

 「……おや、伯爵家でしたか……侯爵家と勘違いしていました。 侯爵家は別の家名でしたか……」
 「……うちは伯爵家ですが、何か?」
 「いえ、私の勝手な思い違いです」

 既に、もう雰囲気は最悪だが、アンガスも挨拶を返した。 リーバイのこめかみが小刻みに震えている。 アンガスも優雅に紳士の礼をリーバイへ返した。

 膝下のフロックコートを身に纏い、白髪の髪を後ろで1つに纏め、余裕の笑みを浮かべて胸に手をあてる優雅な仕草は様になっている。

 「初めてお目にかかる、シュバルツ伯爵子息。 私はアンガス・グイベルと申す。 家は侯爵家で、成人を機にアバディ領を受け継ぎ、伯爵位を賜りました。 こちらこそ以後、お見知り置きを」
 「……」

 アンガスは厭味で言った訳ではなく、ただ事実のみを言っただけなのだが、リーバイには厭味になってしまった様だ。

 「で、ローラ、彼との話は終わったのですか?」
 「えっ……えと……」

 チラリと横目でリーバイを盗み見るローラを見つめ、アンガスもリーバイへ視線を向けた。 憮然とした表情を浮かべたリーバイは、ローラが答えるよりも早く答えた。

 「終わってないっ、これから盛り上がる所だったっ」
 「……ふむ、そうなのですか?」

 顎に手をあててアンガスは思考する。 アンガスも忙しい身の上、いつ時間が取れるか分からない。

 今、帰ってしまっては、いけない様な不安がアンガスの胸に過ぎった。 少しでもローラと話をしなくてならないという気持ちが沸き上がって来る。 仕方がない、とアンガスは1つ頷いた。

 「分かりました。 では、私も一緒に混ぜてもらってもいいですか?」
 「えぇぇっ、あ、あの、アンガス様が良いのであれば……」
 「僕は嫌だけどっ」
 「私は構いませんので、ローラ、応接間に案内して下さい」
 「はい」
 「ちょっとっ、僕の話、聞いているっ?」

 リーバイを無視してアンガスはローラの肩をそっと押して、歩き出す。 後ろで『ローラに触れるなっ!』と騒ぐリーバイを更に無視して応接間へ向かった。

 廊下の入り口を右に曲がり、左側に応接間がある。 ガラス扉を開けて、真っ直ぐに正面の小上がりへ進み、流れるようにソファへ腰掛けた。 暖炉の前のソファを陣取り、ローラを横へ座らせる。

 応接間も赤茶色の壁と黒塗りの板、沢山の飾り灯篭が視界に飛び込んで来る。

 後ろから着いて来たリーバイが、アンガスの素早い動きに着いて来られず、仕方なく空いている右側のソファへ腰掛ける様子をアンガスは何とはなしに眺めた。

 3人がソファへ落ち着くと、扉付近で控えていた給仕係たちが紅茶を運んで来る。 1人の給仕係がローラの耳元で何か囁くと、ローラがにこやかな笑みを浮かべてアンガスを見る。

 「アンガス様、手土産をありがとうございます。 お持たせですが、どうぞ召し上がって下さいませ」

 テーブルには、紅茶とアンガスが持って来た饅頭が一緒に置いてあった。
 
 「ああ、ありがとう。 君は饅頭が好きだと聞いてね。 カウントリムから取り寄せたんです。 気に居るといいのですが」
 「まぁ、満月宴の饅頭ですね。 私、こちらの饅頭が一番好きなのです」

 嬉しそうに微笑むローラを見つめ、アンガスはもっと早くにローラと会うべきだったと思っていた。

 事前に調べていたローラの好きな物リストは、優秀なアンガスの補佐官の仕事である。 帰ったら何か礼をしなければと、小さいく頷く。 思いの外、近い位置で座っていたが、2人は気づいていなかった。

 「やはり、偶には会うべきですね」

 当たり前の事を力強く宣うアンガスをリーバイが信じられないと言う表情で見つめている事に気づいていない。

 「そうですね。 私もそう思いますわ」

 『当たり前だろう』と突っ込みを入れる事もなく、美味しそうに何個も饅頭を頬張るローラの頬は小動物の様に、膨れている。

 「では、会う日にちを決めましょう。 ……そうです、連絡をする日を決めるのもいいかもしれません」
 「いいですね、アンガス様はお忙しいですし、そちらの方がよろしいかもしれません」
 「ええ、それで……お互いの距離を少しでも縮めて行きましょう」
 「はい」

 リーバイがいる事を忘れているのか、アンガスとローラは次々と2人の事を決めていく。 ローラはリーバイがいる事を忘れてしまっているだろうが、アンガスは違った。

 存外、リーバイの事が気に入らず、本人も気づいていない所で腹を立てていた様だ。
 
 紅茶カップを手に取ると、口へ運び一口飲んだ。 鋭い視線を感じ、リーバイの方へ視線をやる。 彼は憮然とした表情で、アンガスを見つめて来た。

 「君たちはまだ、婚約していないだろう。 そ、そんなに引っ付いて座る必要があるのっ」

 リーバイに指摘されるまで気づかなかった。 アンガスは直ぐ隣を見た。 言われてみれば、もの凄く直ぐそばにローラが座っていた。 アンガスが無意識に誘導した結果なのだが。

 2人は近距離で視線がぶつかると、同時に頬を染めた。 ローラも距離感がおかしくなっていたらしく、リーバイに言われるまで近距離で座っている事に全く違和感が沸かなかったらしい。

 アンガスとローラはそっと拳1つ分、間を空けた。

 2人の様子をリーバイが面白くなさそうに見つめている。 アンガスは羞恥心が押さえられず、2人から視線を逸らして、丸い窓の外に視線を動かす。 視線の先には、中庭に建てられている東屋が見えた。

 「で、貴方は何をしにここへ来たんだ?」
 「リーバイっ」

 不機嫌な声がアンガスの耳に届き、ローラが窘める。 リーバイへ視線を移すと、真剣な眼差しがアンガスを突き刺した。

 (何をしに……? そうだ、私はローラと話をしようと思って来たんでした。 何の話を?)

 双子の弟から若い男がローラの元へ通っていると聞き、少しだけ面白くないと思ったアンガスは、ローラへ会いに来た。 と思っていたが、どんな奴がローラを口説いているのか、気になったのも本当だ。 自身の気持ちを確認して気づいた。

 「ローラを口説いている男が居ると聞いて、どんな男なのか見に来たんです」
 「えっ?!」
 「はぁっ?!」

 アンガスの答えが予想しなかったものだったので、ローラとリーバイは素っ頓狂な声を出した。 そして、2人は揃って口を開けた間抜けな顔も晒してくれた。

 「だから、ローラと会う為に来たというより、私はシュバルツ伯爵子息の顔を見に来た、と言っていいですね」
 「……まぁ」
 「……で、僕に会ってどうするつもりなの?」

 眉を顰めたリーバイが口元を歪ませる。

 「感想だけを言うと、随分と余裕もなさそうです。 ローラが落ちる事もないから、安心したって所ですね」
 「アンガス様っ?!」
 
 「……っ余裕がないってどうして分かるのっ」
 「君の態度で分かります。 君は何故、そんなに焦っているのです?」
 「……っ、貴方には関係ないっ」
 「では、これだけははっきりと言っておきます。 私はローラの番なのですから、君の行動に講義する権利があるはずです。 これ以上、ローラにつきまとわないで頂きたい。 はっきり言って、私は腹が立っています」
 「……っ」
 「アンガス様っ」

 鋭く睨みつけて来るリーバイにアンガスは負けじと、怯まない様に構えた。

 「……今日は、分が悪いみたいだ。 帰るよ、ローラ」
 「え、ええ」
 
 立ち上がったローラにリーバイは『見送りは良い』と、片手を上げて応接間を出て帰って行った。

 残されたアンガスとローラの間に何とも言えない空気が流れる。 視線が合えば、お互い真っ赤になるだろう事が容易に想像が出来、2人は視線を合わせられなかった。

 ◇

 応接間を出たリーバイは、自身に対するローラの態度の違いや、親密そうな様子に傷つき、苦い思いを噛みしめていた。 玄関ホールまで来ると、リーバイは小声で悪態をついた。

 「何なんだよっ、あいつっ! 報告書では、全くローラに興味無さそうな様子だったのに……あれでは相思相愛みたいじゃないかっ」

 「お帰りですか? リーバイ様」

 背後から声を掛けて来たのは、ブレイク家の老紳士の執事だった。 老紳士の眼鏡の端がキラリと走る。 リーバイの顔から表情が消え、鋭い眼差しが老紳士を突き刺す。

 「何だ、お前か。 何の用だ」
 「……もう、そろそろ諦められませんか?」
 
 老紳士の執事の瞳には哀れみの色が滲んでいた。 老紳士の瞳を真っ直ぐに見られず、リーバイは視線から逃れた。 廊下の入り口の先、応接間の扉があるだろう壁を見つめる。

 無意識に熱感知能力を使い、ローラの存在を確かめてしまう。 リーバイの細い瞳が赤目の獣目に変わり、眉間から額に掛けてへびの鱗が現れる。

 熱感知能力で分かった事は、ローラとアンガスの拳1つ分開けてあった距離が縮んでいた事だった。

 確認しなければ良かったと、後悔しても遅い。 獣目と眉間の鱗を治めると、老執事に覚えがある事を訊ねた。

 「……親父に頼まれたのか」

 老紳士は何も言わなかったが、気配で分かった。

 「今はまだ無理だ。 自分自身で納得できないうちは、飽きらめきれないっ」
 「……そうですか。 必ず、ローラお嬢様とアンガス様はご結婚なさいます。 それでもですか?」
 「理屈じゃないんだっ。 親父に言っておいてくれ、頼むから暫く放っておいてくれって」

 老執事の返事を聞かずに、玄関ホールの扉を開けて、リーバイはブレイク家を後にした。

 獣人にとって番とは唯一無二の存在である。 出会うと離れがたく、歳や既婚未婚、関係なく情熱的に求め合うと語られている。 しかし、アンガスとローラは情熱的とまではいかず、あっさりとした物だった。 だが、無意識に惹かれ合い、アンガスとローラの番としての関係は静かに始まっていた。
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