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19話

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 ラトたちが人族に化けている事は、スヴァットも知っていて、リジィにあてがわれた豪奢な部屋は、侯爵子息の番という立場上の事だった。 リジィの部屋は客室ではなく、貴賓室の様だ。

 (ラト様がシェラン国の王族の遠縁だからっ?!)

 王族の遠縁だとしても、平民から見れば、雲の上の人だ。 リジィも普段は感じないが、ラトの尊い血筋に恐れ戦いた。

 ラトも王家とは一線を引いている様に感じる。 話を終えてあてがわれた部屋に戻って来たリジィは、ベッドへ倒れ込むと、今日の事を思い出す。

 (ラト様は次男だから家を継がないけれども、スペアとして貴族籍に残るのよね……ラト様と結婚すれば、私も貴族かっ……)

 青ざめた様子で丸くなり、シーツに幾つもの皺が伸びる。

 (つぅ……胃が痛い様な気がするっ)

 ◇

 数日間の停泊の後、リジィたちは再び、商業船に乗り込んだ。 数人の乗務員を入れ替え、商業船は次の港町へ早朝に出航した。 リジィは再び、商業船の洗い場を任されていた。

 リジィをつけている全ての不審者を排除する事は出来なかった。 寧ろ、いつの間にか自分たちの諜報員が減っている事に気づき、以前よりも増えたらしい。

 「このままだと、リジィの家まで着いて来るかもなっ」
 「えっ、そうなんですか?」
 「ああ、シアーラたちの小隊はカルタシアに前乗りしてもらっているんだ。 ライオネルの方は、オアシスの運営があるしな。 バトの所の小隊だけでは足りなかったかな」

 ラトは『失敗した』と言いながら、別段、気にしている様子がない。 リジィとラトは厨房の洗い場で並んで朝食の食器類を洗っている。

 「そうですかっ、シアーラは別行動なんですね」
 「ああ、リジィには気づかれない様にしてたからなっ、あっちで待機してもらっているから、屋敷で会えるはずだ」
 「シアーラに会えるのが楽しみです」

 今回の航海も洗い場はリジィ一人だ。

 ラトがリジィに誰も付けたくないと駄々をこね、ラトが客室業務の間に手伝ってくれている。 ラトが顔を近づけて小声で話しながら、教えてくれた。

 ダレンとバト、バトの小隊の隊員が人族の商人に身分を偽り、乗船している。

 副団長のダレンにも数人の部下が着いて来ているらしいが、乗客の誰が騎士団なのか、分からない。 時折、ラトの部屋で状況報告や、作戦会議をしている。

 リジィも一人部屋だが、リジィが寝ている間、部屋の前の廊下で身を隠しながら交代で警備についているのだとか。 

 プライベートもあるだろうからと、ラトが教えてくれた。

 「本当はリジィと同じ部屋がいいんだけどなっ、一応、スヴァット氏に雇われている身だからな。 乗務員の風紀を乱す事はしないでほしいって言われたよ」
 「……同じ部屋じゃなくて良かったですっ」

 ラトの同じ部屋が良いと言い出した事に、リジィの心臓が恐ろしく跳ねた。 

 ラトの屋敷では絶対に言わなかった。
リジィの身体を気遣って、部屋にもあまり来ないし、廊下を一緒に歩くにも距離を取ってくれていた。

 (まぁ、抱きしめられた事はあるけど……)

 「おい、ラト。 船尾側の部屋の掃除に行くぞ」
 「分かった」

 ラトは少しだけ意地悪そうな笑みを向けて来ると、唇を耳元に寄せて来た。

 「夜、寝る前に少しだけ時間をくれ。 ちょっとだけ、夜の散歩をしよう。 部屋へ迎えに行く」
 
 耳元にラトの息が掛かり、リジィの顔に熱が上がる。 声を出せなくて、リジィは高速で頷いた。

 ラトとはお互いの気持ちを伝え合ってから、ラトからのスキンシップが多くなっていた。 リジィは初めて異性と交際する。 

 男慣れしていないリジィは、いつもラトにドギマギさせられていた。

 ◇

 深夜、リジィの部屋の扉が小さく数回、ノックされて部屋に響く。 扉に近づき、覗き穴から誰が訪れたのか、確認をする。

 お風呂も済ませ、防寒具を羽織り、出かける準備万端で待っていた。

 (夜の海は冷えるって言うしね、よしっ、ラト様だっ)

 覗き穴で客人がラトだと分かり、リジィの表情が自然と明るくなる。 直ぐに扉を開けると、リジィはラトににっこりと微笑んだ。 リジィの笑顔にラトも微笑んだが、破顔と言っていいだろう。

 「こんばんわ、ラト様」
 「こんばんわ、リジィ。 いい夜だ、雲一つないから、きっといい眺めだよ」
 「いい眺め……ですか?」
 「行って見てのお楽しみだ」

 ラトに連れられて来たのは、甲板だった。 少しきつい階段を上がり、甲板へ上がると、深夜なので当たり前だが、誰も居ない。 雲一つない夜空に丸い満月が浮かんでいた。

 甲板は満月の明かりに照らされて、とても雰囲気があった。 リジィの口から白い息が吐き出される。 隣で一緒に歩くラトも白い息を吐き出していた。

 「……綺麗な満月、まん丸ですっ!」
 「ああ、思った通り、綺麗に見える」
 「はいっ」

 まん丸な満月を見上げ、子供の頃、読んだ絵本を思い出した。 リジィの脳裏に『狼人間』の文字が浮かぶ。 ラトには失礼だが、もしかしたら変身するのでは、とラトを凝視してしまった。

 もの凄い形相でラトを見つめていたからか、考えを察して小さく噴き出した。 

 今のラトは人族に変化しているので、金髪に青い瞳だ。 姿は違えど、番だと分かれば、もの凄くときめく。

 「リジィが考えている『狼人間』は魔物だ。 俺たち獣人とは姿形が異なる生き物だ」
 「そ、そうですかっ……」
 「ああ、狼人間は海の上には居ないよ。 森の奥深くに居る。 確か、高ランクの魔物だから、練度の高い冒険者や騎士でないと倒せないよ」
 「……そんな、強い魔物なんですね」
 「ああ、物語や絵本に描かれているのは、人族の妄想だな」

 『そうなんだ』と呟いていると、ラトの視線を感じて顔を上げる。 少しだけ寂しそうな笑みを浮かべているラトと視線がぶつかる。

 「出来れば、俺だと分かる前みたいに、気軽な口調で話して欲しい。 それで、ラトと呼んでくれ」
 「ラト様っ、でも、ラト様は貴族でっ、けじめはつけないといけません」
 「番なんだから、気にしなくていい。 それと、この間まで敬語を使わないで話していたのに、敬語で話していたら、可笑しいと思われるだろう?」
 「あっ」

 『それもそうだ』と小さく呟き、そう言えば、ラトと話していて、他の船員の人たちがチラチラと見ていた様な気がする。

 一応、船員たちは、仕事中は私語厳禁だ。 ラトと話しているから、無言で責められているんだと思っていた。

 ラトの方を見ると、にっこりといい笑顔を向けられた。 少し躊躇いがあるが、今後の為に頷いた。

 「分かりました。 あ、わかったわ、ラ、ラトっ!」
 「うん、リジィ」

 ラトはまん丸の満月を背に、とても嬉しそうに笑った。 満月の光に金髪が煌めき、とても綺麗だった。 ラトのアンティークグレイの髪だったなら、もっと満月と映えるだろうと、切なげに微笑む。

 リジィの思っている事がラトに伝わったのか、変化の術を解いて元の姿へ変えた。

 (あぁ、やっぱり、とても綺麗っ……)

 リジィの想像した通りの姿が、リジィの目の前にある。 満月に映えるアンティークグレイの髪はとても綺麗だった。

 暫し見つめ合った二人の影が近づく。

 少しだけ身体が強張ったが、優しく抱きしめて来るラトの腕に、身体の硬直も解けた。

 ラトも恐る恐るゆくっりと唇を重ねて来た。 最近は薬をちゃんと飲んでいたからか、アレルギーの発作を起こす事はなかった。 唇が触れるだけの口づけだったが、リジィにとっては大きな一歩だった。 

 直ぐに離された口づけ、ラトは物足りなそうな顔をしていたが、リジィを強く抱きしめて来た。

 「口づけ、出来たなっ」
 「……っはい」
 
 何度もなんともないかと尋ねて来るラトに頷き、リジィは真っ赤になってラトの胸に顔を埋めた。

 リジィを抱きしめながら、ラトは話を続ける。

 「リジィ、水平線の向こうに人族の大陸がある。 少しだけ陸地が見えるんだが、リジィには見えないか」
 
 ラトには見えているらしいが、リジィには見えない。 夜間という事もあるんだろう。

 「全く見えないわっ」
 「そうか」

 ラトはとても機嫌がいいのか、楽しそうに笑っていた。 暫くの間、リジィとラトは水平線の向こうを見つめた。

 リジィたちを乗せた商業船は、シェラン国の港町を経由し、順調に航海を進め、獣人の大陸、最後に寄るブリティニア王国の港町に着いた。 三日間の停泊の後、いよいよ人族の大陸へ向かう。
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