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3話

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 時は少し遡る。 リジィが人攫いに捕まった頃。

 夜空に満月が浮かび、合間に雲が流れていく。 頬や髪を風が心地よく撫でる。 背中で腕を組み、隣で立っている部下へ視線を送る。

 「皆、配置に着いたか?」
 「はい、団長」
 
 ピクリと狼の耳が動き、アンティークグレイの毛並みが滑らかに輝く尻尾を軽く振る。 自身の部下が配置に着いたか魔力感知で確認した。 宿場村オアシスを囲む塀の角に上り、オアシスの様子を眺める。

 団長の視界にオアシスの外周、宿場村の中、あちらこちらで僅かに放っている魔力が視える。

 部下は塀の外周をぐるりと囲み、100人以上が待機している。 団長の合図を待って、オアシスに踏み込む算段だ。 人買いの組織に潜入していた諜報隊から、人買いが今夜、オアシスを襲うとタレコミがあった。

 ならば待ち伏せして、人買いたちを捕らえようと、オアシスの宿屋狼の寝床、治療院、商会の従業員を皆、近衛騎士団第二騎士団の団員にすげ替え、人買いがオアシスへ入って行ったタイミングでオアシスを包囲した。

 「団長、人買いが攫って来た女性たちは狼の寝床、厨房にある地下へ連れて行かれました。 女性たちを買い付けに来る奴隷商人を待っている様です」
 「分かった。 では、始めようか」

 上手く、オアシスを制圧したと思っている人買いたちは、宿屋の厨房を漁り、酒盛りを始めた様だ。

 「はい、我々も早く、酒盛り(殲滅)に参加しましょう」
 「……ほどほどにな、か弱い女性が居るんだからっ……」
 
 目を見開いた団長は、何かに誘われるようにして、オアシスの中へ駆け出して行った。

 「団長っ?! どうしたんですかっ?!」
 「なっ! えぇぇ!!」
 「おいっ、団長がご乱心だっ! ラトを追えっ!」
 「は、はいっ!」
 
 背後で部下たちが何かを言っている気がしたが、ラトには聞こえていなかった。 魔力感知でもなく、気配を感じているのでもない。 甘い匂いと胸の中で、番がオアシスに居ると感じている。

 狼獣人は獣人の中でも嗅覚が優れている。 他の獣人や亜人は、出会うまで番だとは分からない。

 しかし、狼獣人は出会う前に、番が近くに居ると、匂いで分かるのだと言う。 ラトも今まさに、自身の番の存在に気づいた。 番の存在を感じるという事は、人買いに攫われて来たという事。

 ラトは本能に従い、真っ直ぐに狼の寝床へ向かい、自身の番を助けるべく、風魔法を行使した。

 金色の瞳に魔力が宿り、獣目に変わる。 アンティークグレーの髪が流れる様に輝き、ラトの魔力で髪が波打つ。 ラトの周囲で大気が渦巻き、強風を作り出す。

 後を追いかけて来た部下たちが『不味いっ、何かに捕まれっ』と叫び声がこだまする。

 ラトが生み出した強風は暴風へと変わり、オアシスを襲った。 宿場村オアシスは、ラトの風魔法によって破壊尽くされた。 ご機嫌で酒盛りしていた人買いたちも暴風で飛ばされ、地面に叩きつけられるという災害に視回れた。

 呆気に取られている部下たちを尻目に、ラトは番が閉じ込められている地下へ向かった。

 番以外の女性たちは部下に任せ、ラトは薄暗い地下へ入り、冷たい石畳みの床で気絶して倒れているリジィを発見する。 彼女がラトの番だと、本能が告げている。

 波打つ淡い赤毛が石床に広がり、縛られている手と足が投げ出されている。 獣人の特徴がなく、瞳も閉じられているので、亜人なのか分からない。

 (もしかして、亜人か? いや、魔力を感じない。 という事は……人族か)

 直ぐに駆け寄ると、ラトとリジィが出会った事を喜んでいるのか、光の粒が何もない上空から降り注いだ。 手首に痛みが走り、視線をやると、手首に番の刻印が刻まれていた。

 「……っやっと見つけた……俺の番っ」

 めったに見られない番の刻印が刻まれる瞬間を見た周囲の者は、美しい光景に暫し見惚れた。

 「惜しむらくは、番が気絶していて、瞳の色が見られない事だな……」

 ラトは愛おしそうにリジィの頬を撫でる。

 リジィの手首に刻まれた刻印を愛しそうに眺めているラトに、部下たちはもう何も口を挟めなかった。 刻印が刻まれた事で、我らの団長の番が見つかった事を理解し、暫しラトを見守る事にした。

 「うわぁ、団長、別人みたいですっ、あっ!」
 「おいおい、勝手に顔を覆ってる布を取ったぞ」
 「……あの団長がっ番の顔見て、もの凄くうっとりしてるぅ、団長がキモイっ!」
 「でも、あれは人買いに付けられたんじゃない?」
 「うわっ! 今度は膝に乗せて抱き上げたぞっ!」
 「団長があんなにデレてるの初めてみたっ」

 部下たちは逐一、ラトの行動を実況中継しながら好き勝手な事を言い、狼の耳や良い毛並みの尻尾を振り振りしていた。

 『おっほん』と咳払いが聞こえ、ラトを見て騒いでいた部下たちも、一瞬だけ皆の身体が固まった。

 「君たちは何をしているんです。 早く、他の女性たちを保護して連れて行きなさい」
 「「「「はいっ、副団長殿」」」」
 
 小さく息を吐いた近衛騎士団第二騎士団の副団長は、己の団長を見て大きく息を吐き出した。

 ◇

 人買いから助け出され目を覚ましたリジィは、知らない天井をじっと見つめた。 何度目かの目覚めに、何処に居るのか、今が何時ごろなのかも分からない。 ベッド横のカーテンは閉まっているが、既に日が沈み、夜も更けているらしい。

 豪奢な装飾がされ、柔らかい上等なベッドに寝かされていて、室温も一定の温度に保たれている。

 (……っこれ、絶対にお金持ちの屋敷だ! 確か、私を番だと言っていた人に抱きかかえられて……っ発作が起きて……それから、どうなったのかしら?)

 徐々に記憶が戻り、頭を片手で抱えて上半身を起こし、改めて部屋の中を見回した。 目の前にはガラスの両扉があり、両側の壁には高そうな絵画が飾られ、豪奢なキャビネットに水槽が置かれていた。

 左側に取り付けてあるのか、ドレッサーがあった。 そして、他の部屋に続いているのか、扉が二つある。 人が慌てて立ち上がる大きな物音が鳴り、続いて大きな男の声が聞こえて来た。

 「それは本当なのかっ?!」

 男の声はリジィを助けてくれた騎士の声に似ている。 ガラスの両扉に視線を向けて、もしかしたら助けてくれた騎士の家かと思い立ち、ベッドを抜け出した。

 (そう言えば私、助けてもらったのにお礼も言ってないっ)

 ガラス扉はカーテンが閉められていて、扉の向こうは見えないが、複数の人が話し込んでいる。

 「はい、症状からしてそうでしょうね。 肺から喘鳴がしてましたし、気管が炎症を起こして、ちゃんと息が出来てなかったですからね。 貴方がずっと抱き上げてましたし、間違いないでしょう」
 「……っじゃ、彼女は……っ」
 「はい、動物アレルギーでしょうね。 彼女の症状は重い様なので、推測ですが、団長の耳や尻尾に触れるだけで、顔や手が痒くなるでしょう」
 
 団長の様子は見えないが、もの凄くショックを受けた気配がガラス扉を挟んだリジィにもひしひしと伝わって来た。 何故か、リジィの胸に申し訳なさが押し寄せる。

 「じゃ……っもしかしなくても、キスや子作りも出来ないとっ!!」

 『ん?』と瞳を見開き、リジィの身体が固まった。 ラトの周囲にいる部下たちも、瞳を細めて呆れた様な表情で見つめていた。 副隊長が深く息を吐き出し、ラトへ進言した。

 「いいですか、団長。 番だからと言って、行き成り抱きしめたり、頬にキスしたりしてはいけませんよ。 これは、団長の番が動物アレルギーだからではないですよ。 常識ですからね」
 「そ、そうなのか?」
 「はい、番だからと言って、何でも許されると思ってはいけません。 紳士の振る舞いをなさって下さい」
 「俺は無理だけどねぇ、番とは何時でも、何処でもイチャイチャしたい」
 「ちょっ、ちょっとバトっ! 余計な事を言わないで下さいっ!」
 「俺も……番とイチャイチャしたい……」

 小さく呟いたラトの言葉で部屋が静まり返り、部屋に居た皆が黙り込む。

 「どうすればいいんだ? イアン、何かいい方法はないか?」
 「そうですね、粘膜の接触は様子を見て避けるとして、少しづつ団長と一緒に居る事で、身体を慣らしていくしかないですね。 ただ、団長と一緒に居るのなら、薬は手放せませんね。 それを嫌がる人が多いですけど、番様の身体を思うのなら、シェラン国を出る事ですね。 これが一番いい方法です、アレルゲンの元を絶つんです」
 「そうか、直ぐに騎士団を辞めてシェラン国を出る。 カウントリムへ行くか、あそこは亜人の国だしな」
 「駄目ですよ、団長が騎士団を辞めるのは、国王陛下が許可しません。 それに姫様も団長に着いて行くと騒いで、面倒な事になります」
 
 副団長の進言にラトの顔が悔しそうに歪む。

 「なら、どうにかして彼女がここで暮らしやすいようにするしかないな」
 「そうして下さい」

 リジィを置いてきぼりにして、話が進んでいる状況に、堪らずリジィはガラス扉を開けて、居間へ飛び込んだ。

 居間はテーブルと、ソファーセットが置いてあり、テーブルに副団長とバトが座っていて、ソファーセットにはラトとイアンが向かい合っていた。 ラトは直ぐにリジィのそばへ駆け寄って来た。

 「目が覚めたのかっ! 起きて大丈夫なのか?」

 ラトが近づき、心配そうな顔を覗かせ、狼の耳と尻尾が小さく揺れている。 リジィは無意識に数歩後ずさった。

 「あっ、そうか……」

 リジィの様子に気づいたラトは、狼の耳と尻尾を引っ込めた。 ラトに倣い、副団長とバトも自身の狼の耳と尻尾を引っ込めた。

 「これで大丈夫だろうか? 少し、君と話がしたい」
 「わ、私は……あっ」

 鼻から下、顔の半分を覆っていた布がない事に今更ながら気づいて、慌てて布を探す。

 (うそっ……あれが無かったら、ここでは暮らせないのにっ)

 「大丈夫ですよ。 発作を抑える薬を打ちましたから、あの布が無くても大丈夫です。 ただし、私がいいと言うまで薬は続けてもらいますけれど」

 医者なのだろう。 柔らかい笑みを浮かべる彼は、リジィと同じ人族の様だ。
 
 「えっ……あっ、あの、私、薬代が払えないんですけど、働いて返しますからっ。 少し待ってもらえませんか?」
 「大丈夫だ、薬代は俺が払うから」
 「いや、あの、そういう訳にはっ」
 「で、イアン、彼女は本当に大丈夫なのか?」
 「ええ、発作が治まれば、大丈夫です」

 ラトにさっと手を差し出され、リジィの腰に手を回される。 動物アレルギーの為、人と触れ合う事をあまりして来なかったリジィは、飛び上がって驚いた。

 「取り敢えず、話をしよう。 番殿」

 ラトの圧に負け、リジィはソファーセットへと移動する。 ラトと隣同士で座るのかと思ったら、また抱き上げられ、リジィはラトの膝の上へ座らされた。

 「ちょっと、下ろして下さいっ!」
 「まずは俺の自己紹介からだな。 前に名乗ったが、発作が起きたから覚えていないだろう?」
 「……っ」

 にっこりと微笑んだラトは、暴れるリジィを強く抱きしめて来る。 そして、ラトはリジィの話を全く聞いていなかった。

 先程、副団長から行き成り触れてはいけないと言われた事もすっかり忘れている。

 「俺の名前は、ラトウィッジ・ヴォールクだ。 この国の近衛騎士団第二騎士団の団長をしている。 俺の事はラトと呼んでくれ。 そして、君の番だ」

 ラトがリジィの手首に刻まれている刻印に触れ、刻印が熱く発熱する。 ラトの熱い眼差しがリジィの胸を高鳴らせた。

 鼓動が速くなり、今まで人族だったはずのリジィの胸の中で、ラトの存在を感じた。 ラトが優しくリジィに語り掛けて来る。

 「君の名前を教えてほしい」
 「……っフェリシティです」
 「フェリシティか、いい名前だな。 愛称はなんと? 皆に何と呼ばれている?」
 「リジィです」
 「では、俺もリジィと呼んでいいか?」
 「えと……はい」

 じっと優しい眼差しで見つめて来るラトに根負けし、リジィは頷いた。

 「これからここで一緒に暮らすんだ。 よろしくな、リジィ」
 「えっ、一緒に暮らす?! 私と貴方が?!」
 「そうだ、番なのだから、当たり前だろう。 それと、ラトと呼んでくれ、リジィ」

 (ここで、狼族の人と一緒に暮らす? 動物アレルギーがあるのにっ?!)

 「いや、無理だし……絶対、無理でしょう?!」

 ラトの腕に抱かれ、リジィは叫んだ。 ラトの部下たちはリジィに同情し、ラトには呆れた様な眼差しを向けている。 しかし、ラトは気にした様子もなく、リジィに優しい眼差しを向けていた。
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