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46話 『第二夫人の策略』

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 バルディーア学園の女子寮にある医務室で主さまは、いつもの様にヴィーが来るのを待っていた。 事務室の応接セットのテーブルの上には、本日のお茶請けと紅茶カップが並べてある。 紅茶カップを手に取ると、不敵な笑みを浮かべる。

 「さぁ、君の順番が来たよ。 私に示してみせて、君が私に約束した事を。 約束を果たせないなら、ヴィーを君にはあげられないな」

 主さまが手に取った紅茶カップの水面には、暗い表情のネロが映し出されていた。 廊下からバタバタと走る足音がする。 主さまは、幾つになっても変わらないヴィーに苦笑を零した。 医務室の扉が音を立てて開けられる。

 「主さま、申し訳ありません。 遅れましたっ」

 もの凄い勢いで平謝りするヴィーを見た主さまは『大丈夫だよ、取り敢えずお茶にしようか』と微笑んだ。


――ヴィーは、主さまに気を付けてねと言われていたにも関わらず、油断していた。
 学園に戻り、ヴィーの生活は元に戻っていた。 いつもの様に学園で授業を受け、ソフィアやネロと昼食を摂る。 そして、放課後は主さまとお茶をしながら、主さまの仕事である書類整理をこなす。 そして、今回からは、お妃教育も始まった。 疲れた身体を引きずり、ヴィーは女子寮に戻った。

女子寮に戻ると、寮母のマルコに声を掛けられた。
 「ヴィオレッタ様、お家からお荷物が届いておりましたよ」
マルコの優し気な声に振り返ると、ヴィーはにこやかに微笑んだ。
 「すみません、マルコさん。 ありがとうございます」

 ヴィーは何の疑いもなく、マルコの寮母室へ入っていった。 扉を閉めた瞬間、寮母室の匂いに身体の力が入らずに脳がぐらつく、黒蝶も鱗粉を振りまく隙も無かったようだ。 即効性の眠り薬なのか、ヴィーは床に崩れ落ちた。 寮母室からマルコとヴィーの姿が消えた。

 ヴィーは、眠りに落ちる瞬間、マルコの妖しく光る瞳を見た気がした。 夕日に光るマルコの茶色い髪が綺麗だなと、呑気な事を思った事に自身の危機感の無さに呆れていた。


 陶器が割れる音が部屋に鳴り響いた。 ネロはカーナに赴いている間に溜まっていた執務をこなしていた。 ネロの執務室は、アルバやルカの執務室でもある。 王子たちは、学園の授業を返上して執務を行う為に、王城に戻って来ていた。 ルカはカーナに赴けなかった事を後悔しており、せめて執務の手伝いをと、ネロとアルバの補佐をしていた。 音もなく執務室の扉が開かれ、足音をさせずに1人の男が入って来た。

 執務室にいた全員が顔を上げた瞬間、香炉が床に落とされ、香りがぶわりと部屋に充満すると、ネロの執務室に居た全員が意識を失った。 一瞬の出来事で、ヴィーの黒蝶もアルバの水鳥も、危険を知らせる事は間に合わなかった。


――ルカの離宮で、ヴィーは目覚めた。
 薄暗い場所で、柔らかいマットの上でヴィーは瞼を開けた。 軽く頭痛が襲い、痛みを逃がす為、軽く頭を振った。 ベッドの側にあるカーテンが閉まっている窓から入る月明りで、もう夜だと分かった。

 (ここは? どこ?)

 ヴィーは、情報を得る為に周囲を見回した。 ゴソゴソと薄暗い中、何かが動く気配がする。 ヴィーの身体が小さく跳ねた。

 (何?! 何がいるのっ?!)

 ゴソゴソと動いていた何かが起き上がった。 ヴィーはベッドの端まで猛スピードで、お尻で滑りながら後ずさりすると、大きな音を軋まさせベッドが悲鳴を上げた。 ヴィーの顔は恐怖で歪んでいる。 蠢いていた何かが膝立ちした様に見えた。 まさにヴィーが絶望の叫び声を上げる前に、切羽詰まった様な声が発せられた。

 「そこを動かないでっ!」
 「えっ」

 薄暗い部屋の中で、声を発した何かを目を凝らして見つめた。 肉を裂くような音が響き『うっ』と呻き声が聞こえて来た。 ヴィーの眉間に皺が寄った。

 「あ、あの」
 (さっきの物音、何処かを怪我してるんじゃ)
 「ヴィ、ヴィオレッタ様、 こちらに来ないでっ! 絶対にそこから動かないでっ!」
 「えっ、でも、貴方、怪我をしてるのでは?」
 「だ、大丈夫だっ!」
 (声からすると、男の人? それも、若いよね?)

 聞こえてきた男の声は怪我が痛むのか、息づかいが荒く、何故か色気が混じっていた。 ヴィーは首を傾げた。 そして、何故かとても嫌な予感がすると、ヴィーの背中に冷や汗が流れた。

 徐々に薄暗さに慣れてきたが、まだはっきりとは見えない。 ヴィーは声がする方向をじっと視た。 薄暗い中で、モクモクと黒い煙幕が現れ、チビ煙幕が描き出された。 チビ煙幕はヴィーの知っている人の姿を映し出した。 声の正体を知って、ヴィーは瞳を大きく開いて驚いた。 チビ煙幕は、ルカだった。

 そして、ルカのチビ煙幕は言葉に出してはいけない妄想を描き出していた。 ヴィーは出来るだけベッドの端まで急いで離れた。 ルカのチビ煙幕の瞳は、蕩けるような瞳をしていて、何かに酔っている様に見えた。

 「僕は、大丈夫ですからっ。 今、僕に近づくのは危険なのでっ。 あ、兄、マティ兄上が来るまで、動かないでっ」

 現実のルカは、頬を染めて自身の欲望に耐えている様だった。 ルカのチビ煙幕と視線が合うと、ルカの妄想が拡がったのか、描き出された妄想にヴィーは声なき叫び声を上げた。 ルカは何か薬を盛られた様だった。


――時を同じくしてネロは、自身の離宮の部屋で目覚めた。
 異様に頭痛がして、ネロは起き上がった。 周囲を見ると、自身のベッドで寝ていた事に気づいた。 一瞬、置かれた状況が理解できず、頭が混乱していた。 ネロの耳に、部屋の外から若い女性の声が聞こえて来た。

 (ここはっ? 私の部屋か。 いつの間にか、夜になってる? あの香りは睡眠薬か何かだったのかっ)

 部屋の外で聞こえてくる声に、何処かで聞いた事があると思い、耳を澄ませると、若い女性の声の正体が分かった。

 「貴方たちはもういいわ。 下がって。 暫く、部屋へ入って来ないで」
正体が分かったネロは、大きく溜息を吐いた。
 (また、あのお嬢さんかっ! 何でここに?)
 「タルテの王女様が何の用でっ。 って、薬を盛ったって事は、やる事は一つか。 そう言えば、アルバが気を付けろって言っていたな。 ファラも危ないなっ」

 タルテの王女は、まだ部屋に入って来る様子がない。 その内にシャワーの音がして来て、ネロは心の底から嫌気が注した。

 (おい、勝手に人の部屋のシャワーを使ってるのか、あの王女。 何処まで、非常識なんだ。 どうせ、第二夫人にそそのかされたんだろうけど。 何もしないが。 このまま、私と一緒に居る所を見られる訳にはいかないな)

 ネロは痺れる身体を起こし、部屋の扉まで向かった。 王女はネロが目覚めた事に、まだ、気づいていない。 ネロは足を引きずり、自身の部屋から出た。 廊下に出ると、直ぐにクロウが天井から降りて来た。

 「殿下、ご無事で」
足元で片膝をつくクロウに声を掛ける。
 「クロウ、状況の報告を」
 「はっ、執務室で撒かれたのは、媚薬入りの眠り薬でした。 殿下が連れ去られた後、割れた香炉を調べました。 どうやら、フォルナ―ラ嬢がカーナで作っていた物を、誰かがくすねていた物だと。 本日の殿下の護衛の『影』はまだ、目覚めておりません」
 「そうか。 あれが全てではなかったか。 まぁ、本人もどれだけ作ったか覚えていないようだからな。 クスリを撒いた奴は捕まえたか?」
『自分が作った物くらい、もう少し管理しろよ』とネロは内心で呟いた。
 「はい、しかし『魅惑の実』で操られていて、首謀者の事は知らない様です」
ネロから『チッ』と舌打ちが零れる。
 「分かった。 で、アルバは?」
 「ジュリオ殿下はそのまま執務室に。 ルカ殿下も自身の離宮に連れられて行きました。 ルカ殿下が離宮に到着する前に、黒蝶姫もルカ殿下の離宮に連れて行かれたようです」

 今、ここにタルテの王女が居る事を思うと、誰かの差し金で、ネロとルカの両方に既成事実を作ろうとしている事が推測された。

 「全く、馬鹿な事を考えるものだね。 アルバに使いを、手配通りに頼む。 それと、ルカのパートナーを極秘で、ルカの離宮まで連れてきてくれ。 私はファラを迎えに行く」
 「御意」
 (ルカの離宮に向かう前に、ちょっと王女にはお灸をすえないとな)

 クロウが天井に音もなく戻ると、ネロは1階のリビングに向かった。 リビングに降りたネロは、メイドを呼んでお茶の用意を頼んだ。 メイドたちは何もなかったようなご主人に、皆が一様に安堵の笑顔を浮かべた。

 「心配かけて申し訳ない。 大分、疲れていたようで、急に眠気に襲われたようだ」
メイドがお茶の用意を終えると、報告して来た。
 「あの、殿下がお休みの間に、タルテのタティアナ王女がいらして、それで、その」
メイドが言わんとしている事が分かり、ネロが片手を上げた。
 「ああ、大丈夫だよ。 何もなかったから」

 メイドがホッとしたような表情を浮かべた。 メイドたちはヴィーをとても気に入っている様で、ネロに嫁いでくるヴィーに仕える事をとても楽しみにしている。 ネロがメイドの様子に苦笑を零すと、2階で慌てた様な足音を鳴らし、荒々しく扉を開け放つ音が轟いた。 王女らしくない所作に、ネロは呆れた表情を浮かべた。

 (これが、ファラだったら、可愛らしいだけなのにな)

 紅茶をテーブルに置くと、タルテの王女が慌ててリビングに入って来た。 王女は、荒い息をしてネロを信じられない表情で見つめて来た。 ネロがソファーから立ち上がると、王女はサッと血の気を引いて青ざめさせた。

 「うそ、目覚めるには、まだ時間がかかるってっ」
ネロは王女に近づき、濃紺の瞳に怪しい光を宿し、にっこり微笑んだ。
 「私は幼い頃から、毒に慣れる為に、毒を食して耐性をつけてるからね。 媚薬の類も得意だよ。 甘やかされて育った君とは違うからね。 ねぇ、タルテの王女」

 ネロのキツイ眼差しに王女の肩が小さく跳ねた。 王女を壁際に追い込み、ネロの全身から黒い靄が噴き出す。 王女はネロの様子に、身体が勝手に小刻みに震える。 ネロの瞳は何処までも冷たかった。

 「君自身で第二夫人に言っておいてよ。 既成事実を作るのに失敗しましたって。 それと、これ以上は看過できないから、お覚悟をってね」

 ネロのどことなく怪しい雰囲気に、王女の全身に悪寒が走った様子が分かった。 王女は益々、顔を青ざめさせ、恐怖で腰が抜けたのか、床に座り込むと動かなくなった。 ネロはリビングで待機していたメイドたちを振り返り、にこやかに微笑んだ。

 「じゃ、私は、ファラを迎えに行く。 後のこと頼んだよ」

 ネロはリビングの床に黒い煙幕で、魔法陣を描くと、瞬きの間に転送されていった。 後には震えあがる王女と、あっけに取れられたメイドたちが残された。 王女は魅惑的なナイトドレスを身に纏っており、満月の光りに反射し、より一層美しく、みじめに見えた。
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