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16話 『主さまからの手紙』

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 王城から少し離れた場所に鬱蒼とした森がある。 少し歩くと、こじんまりとした建物が見え、壁にはツタが伸びており、所々ヒビが入っていた。 窓ガラスには蜘蛛の巣が張っていて、とてもじゃないが人が住んでいる様には見えない。

 ここは、大昔に使われていた研究施設だ。 ヴィーの黒蝶博士で、前ビオネータ侯爵だった祖父も、ここで働いていた事がある。 ネロと黒蝶博士が出会ったのも、実は研究所だった。 今では誰も立ち入らない。

 研究施設は別の場所に移しており、今は使われておらず、うち捨てられている。  森の奥の道から人影が出てくると、古びた扉の前で止まった。 

 人影は、フードをすっぽり被ったマント姿だ。 古びた扉を数回ノックした。 中から出来た家人と何やら言葉を交わすと、家人が家の奥に入り直ぐに戻って来た。 家人から何かを受け取ると、フードの人間は城への道を進んで行った。



――ネロはヴィーが作り出した結界石を眺めていた。
 執務室の自身の机に向かい、一輪の黒い薔薇の結界石を見つめていた。 一緒に羊皮紙が置いてあり、古代文字が覗いている。 羊皮紙は主さまからネロに当てた手紙だった。

 (まさか、創造主から手紙を貰うとは思わなかったな)
人が近づく気配に、ネロのこめかみがピクリと動いた。
 「殿下? 先程からどうしました? 全く、執務が進んでいないようですが?」
 「クリス、いや、何でもない」

 主さまからの手紙の内容は『やぁ、初めまして、主さまだよ』とふざけた冒頭から始まる手紙だった。

 『やぁ、初めまして、主さまだよ。 君たちの世界を管理している者なんだけどね。 君とは生まれた時に、私とのお披露目の時以来だけど、君は覚えていないだろうから、ほぼ初対面だね。 元気そうでなり寄りだ』

 (これ、ふざけてるわけではないよね?)

 『ヴィーが作り出した結界石だけど、結界石に魔力強化の魔法を付与して、ヴィーに持たせてほしいんだ。 それと君にも私から結界石をプレゼントしよう。 耳飾りにして、身につけておけば魔除けになるよ』

 (結界石? そんな物どこに?)

 軽い音を鳴らして、羊皮紙の上に小さい黒薔薇の形をした結界石が現れた。 ネロの手元まで転がって来る。 ネロは結界石をつまむと、目の前まで持ってきて、じっくりと眺めた。 結界石は純度が高く、ヴィーが作り出した結界石とそう変わらなそうに見えた。

 『それと、こんな事を言うのは、贔屓しているようでダメなんだけど。 少し、不穏な動きがあるから気を付けてね。 そして、ヴィーを守ってほしい』

 (守って欲しいか。 ファラは本当に創造主から愛されてるね。 愛し子でもないよね? 愛し子は、王家からしか生まれないし。 そう言えば、愛し子もここ数千年、生まれてない)

 もう一度、結界石を眺めると、ネロの黒蝶が飛んでくる。 そして、結界石に自分の鱗粉を掛けた。 縄張り主張かと思ったが、何やら安全を確認したらしい。 黒蝶が『安全だ』と言っている事が分かった。

 (なるほど、そうだよね。 何も出来ないのに出てくる意味がないしね。 黒蝶に何ができるか、色々と調べてみるかな)

 ネロは黒い煙幕で魔法陣を掌に描くと、結界石を魔法陣の上に置く。 一瞬だけ光ると、結界石は黒薔薇のピアスに変わった。 ピアスを付けると、魔除けの魔法が全身にかかった事が分かった。

 ネロの魔法の光に執務室にいる面々は顔を上げたが、深く追求する者はいない。 ここにいる面々も魔法を使いつつ執務をしているからだ。 もう一度、羊皮紙に目を落とすと、主さまの古代文字は消えていた。

 目を見開いて驚いていると、執務室の扉がノックされ、王の侍従が入って来た。

 「殿下方、失礼致します。 マッティア殿下、王が御呼びでございます。 王の執務室まで御出で下さいませ」
 「分かった」

 ネロは立ち上がると、ヴィーが作り出した結界石をポケットに仕舞った。 執務室へ向かう廊下で、第二夫人とすれ違い、ネロの濃紺の瞳が訝し気に光った。 ネロはお辞儀だけをすると、第二夫人は視線を合わせ、嫌な笑みを浮かべて何も言わずに居住区の方向へと歩いて行った。 ネロは第二夫人の後ろ姿を暫く見送る。

 (なぜ、こんな所にいるんだ? 第二夫人は政務に興味なかったはず。 それに、いつも無表情なのに、嫌に機嫌が良かったな)

 王の執務室に入ると、王が難しい顔をして書類に目を通していた。 ネロは王の机まで近づくと、書類に集中している王に声を掛ける。 ネロの黒蝶は、今回も空気を読み、ネロのクラバットの留め具に大人しく止まっている。 時々、小さく黒い羽根が揺れた。

 「父上、御呼びでしょうか?」
ネロに気づくと、王は顔を上げた。
 「ああ、マッティアか」
王はじっとネロを見ると、耳のピアスに目をやった。
 「さっき、レベッカが来た」
 「第二夫人がここにですか? 珍しいというか、ここ数年なかった事ですね」
 (父上の所に寄った帰りだったのか)
 「ああ、それでな。 倒れたと聞いたが、ヴィオレッタ嬢は大丈夫か?」
 「はい、今は落ち着いています」
 「そうか。 レベッカが言うには、身体が弱いうえに魔力も低い令嬢に、お前のパートナーは務まらないんじゃないかと進言してきた」
 「はぁ? それはっ」
 「貴族の一部の者は、結界石の事を信じていない者がいる。 何千年も石が落ちなかった事もあるし、文献もそんなに残っていない。 だから、ただの伝記だと思っている者も少なからずいる。 レベッカの実家の家がその筆頭だ。 公爵家出身なのに、現実が見えていない。 だとしても、無下にも出来ん」
ネロは、ポッケトからヴィーが作り出した結界石の黒薔薇を執務机に置いた。
 「これは?」
王が結界石を手に取ると、目を瞠った。
 「ファラが作り出した結界石です。 純度も高く、これ一つでも魔物を退けるでしょう」
 「ふむ、これと同じ物を作れるか? ヴィオレッタ嬢に不安を覚えるという意見が出ている以上、何らかの形で、ヴィオレッタ嬢には不安も何もないと示してもらわなくてはならない」
 「かしこまりました。 あまり無理をさせたくはありませんが、ファラには頑張ってもらうしかありませんね」
王は一つ頷くと、決断を下した。
 「では、近々側室たちも招いて会食をしよう。 会食でヴィオレッタ嬢には、皆の前で結界石を作ってもらう。 いいな、マッティア」
ネロは、恭しくお辞儀をして返事を返したが、表情は芳しくなかった。
 「はい、父上」



――ヴィーは離宮の自身の寝室で目を覚ました。
 瞼を開けた途端にヴィーは深い溜め息を吐いた。 夕日がヴィーの頬を射し、赤く染まっている。 夕日を眺めていると、寝室の扉がノックされた。 メイドだと思い、気絶した事を思い出したが、もう今更なので、扉に向かって返事をした。 扉を開けて入って来たのは、お盆を持ったネロだった。 ヴィーは、真っ赤になって慌てて掛け布団を肩まで上げた。 ヴィーの黒蝶がネロの黒蝶のところへ飛んでいく。 

 「ネロ殿下!」
ネロはにっこり笑うと、ベッド脇まで何のためらいもなく近づいて来た。
 「ファラ、気が付いて良かった。 お腹空いてない? 食べやすいスープを持って来たんだけど、食べられる?」

 膝の上にネロが持っていたお盆がそっと置かれる。 お盆に乗せられたスープの匂いに食欲がそそられ、ヴィーのお腹の虫が盛大に鳴った。 大きなお腹の虫に、ネロが堪らず吹き出した。 ヴィーは、恥ずかしさのあまり更に真っ赤になってお腹に手を当てた。

 しかし、ヴィーの中で疑問が浮かんだ。 何故、目覚めてから誰も呼んでもいないのに、ネロはスープを持って現れたのか。

 「あの、ネロ殿下? つかぬ事をお伺いしますが、何故、私が起きた事が分かったのですか?」
ネロは何でもない事のように宣った。
 「ん? ああ、黒蝶に教えてもらったんだよ。 どうやら黒蝶たちは繋がっていて、離れていても意思疎通が出来るみたいなんだ」
 「そうなんですね。 気づきませんでした」
 「意外にも色々出来るみたいだから、ファラも自分の黒蝶と話したらいいよ」

 ネロは自身の黒蝶を呼び寄せると、指に止まらせ、愛し気に微笑み黒蝶にキスを落とした。 黒蝶は雄なのか雌なのか分からないが、ネロが黒蝶にキスをする様子は、扇情的でヴィーは頬を染めて俯いた。

 (色気がダダ洩れなんですけどっ! 何でこうっ、殿下の仕草にドキドキするのかしらっ)

 スープに口を付けないヴィーを見て、ネロが心配そうに見つめてくる。

 「ファラ? 食べるの辛い? そうだ、私が食べさせてあげようか。 それか、口移しでもいいけど」
ヴィーはネロの言葉にギョッとして顔を上げた。
 「だ、大丈夫です。 自分で食べれますっ! 頂きます」

 ヴィーはそう言うと、スプーンを奪われまいと凄い勢いでスープを掻きこみ、そして思いっきり咽た。 肩を震わせて笑っているネロを睨むと、真っ赤になる頬を隠しながら、食事を続けた。 ネロがベッドの脇に腰掛け、優し気に目を細め、ヴィーがスープを口に運ぶ様子を見つめてくる視線を、どうにかやり過ごした。

 食事の後に、ネロの話を聞くとヴィーは青ざめ『これだから、王侯貴族は嫌だ』と項垂れた。



――第二夫人にも会食の事は直ぐに耳に届いた。
 第二夫人は、豪華なサロンでお茶をしていた。 一人の侍従が会食の日時を知らせる為に赴いていた。 口元を綻ぶのを扇子で隠し、侍従に指示を下す。

 「そう、あれを使おうかしら。 丁度、手に入れたばかりだしね。 面白くなりそうだわ。 会食という名の審議会」

 第二夫人専属のメイドが侍従に古びた薬瓶を渡す。 受け取った侍従の瞳は虚ろだ。 侍従はお辞儀をすると下がっていった。 窓ガラスに映った自身を見つめ、第二夫人の瞳に妖しい光が宿る。



――項垂れているヴィーの胸元に硬くて冷たい物が触れた。
 ヴィーは肩を跳ねさせて、自身の胸元を見つめる。 胸元には、黒い薔薇の結界石が、一輪咲いていた。 いつもギリギリの魔力の受け皿が、ヴィーの中で硬く重くなったように感じた。

 (あれ? 少し、揺れが治まった?)
ネロを不審げに見つめると、直ぐに何か教えてくれた。
 「ファラが気絶する前に作り出した結界石だよ。 魔力強化の魔法が掛けられているから、これで受け皿が強化されているはずだよ。 ファラが気絶した後に『主さま』から手紙を貰ってね。 私が魔法を掛けた。 外さずに身に着けておいてね。 文字は消えてしまったけど。 これ、『主さま』からの手紙」
ネロが上着の内ポッケトから羊皮紙を取り出して渡して来た。
 「ありがとうございます。 大切にします」

 ネロは目を細めると、胸元を飾っている結界石を手に取り、キスを落とした。 ヴィーと視線を合わせ、意地悪な笑みを浮かべる。

 「どういたしまして」

 真っ赤に頬を染めた後、ヴィーは居たたまれなくなり、慌てて主さまの白紙の手紙を拡げた。 羊皮紙が一際光り、古代文字が浮き上がって来た。 見慣れた主さまの古代文字が数行、並んでいた。 そして、手紙の内容を読むとヴィーの頬が引き攣った。 内容は、主さまからの久しぶりの無茶ぶりだった。

 後宮の奥の森に『わらびの実』という木の実があるらしい。 どうしても食べたいので、摂って来て欲しいということだった。 幼い頃から、たまに主さまの私的な探し物を指示される事があった。

 (いや、主さまが司祭に啓示したら、食べれきれない程、お供えしてくれるだろうに。 あ、でも、そんな私的な事、啓示できないか。 わらびの実ね。 聞いた事ないなぁ)

ネロも一緒に手紙を覗き込んでおり、一緒になって眉を顰めている。
 「私も『わらびの実』は見た事ないな。 確か、美容にいいとは聞いた事があるけど。 後、他にも何かあった様な気がっ」
 「そうなんですか。 あの、後宮の森に入ってもよろしいですか?」
 「勝手には駄目だから、母に訊いてみるよ。 母も忙しい身だから、許可が下りるのが遅くなると思うけど、探すのはそれからにしてね」
 「はい」
 「それと、主さまには悪いけど。 出来れば、さっき言った会食があるから、先ずはそれに向けて結界石の練習の方を優先して欲しい」
 「かしこまりました」

 会食の事を思うと深い溜め息しか出ないヴィーであった。 しかし、パートナーとしては、初めての試練なのだからと、ほのかに燃えるのだった。 2匹の黒蝶は、ヴィーの様子を見て『大丈夫』かなと身体全体で傾げている様だった。


 ヴィーの部屋を後にしたネロだが『わらびの実』に、一部の人間にしか知られていない事があった事を思い出した。

 「あ、『わらびの実』って、『魅惑の実』か! 主さまの手紙に不穏な動きがあるって書いてあったな? もしかしたら審議会で何かが?」

 ネロの濃紺の瞳に鋭い光りが宿ると、後宮への立ち入りの許可証をもらう為、王妃が住む離宮へと急いだ。 王妃と会った後、クリスと隠密に動く『影』に指示を出した。
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