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6話 『歓喜の舞』~黒薔薇と黒蝶~

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 ドナーティ家のタウンハウスは、王都の貴族街の外れにある。 王都へと引っ越す際に、家主が亡くなり、空き家になっていた屋敷を買い取ったのだ。 ドナーティ家の当主、ロレンツィオ・ドナーティは執務室で、書類と睨めっこしていた。 何枚目かの書類に目を通していると、侍従が思わぬ客人の知らせを持って来た。

 いつも冷静沈着な侍従が慌てた様子を微かに滲ませ、執務室の扉をノックをしてから入って来た。 侍従が額に汗を滲ませている様子に目を止めた。 侍従から来訪者の名を聞き、レンは目を見開いた後、眉を顰めた。

 「旦那様、マッティア・ネーロ・バルドヴィネッティ・ロンバルディ王子殿下がお見えになられました。 貴賓室にお通しします」
 「分かった、直ぐに行く。 メイドに、ヴィーを貴賓室に連れて来るように伝えろ」
 「はい、畏まりました」
侍従はお辞儀をすると、踵を返して執務室を出て行った。
 「逃げなければいいがっ」



――ネロがドナーティ家に訪れる少し前
 王城にある王子たちが使用している執務室で、ネロは自身が管轄している領地の報告書を眺めていた。 ネロの執務室は、王城の4つの塔の1つの3階にある。

 執務室は、3辺に窓が嵌めれられており、各窓の前にL字型の机が2つづ置いてあり、各自のスペースを確保していた。 部屋の中央には2人掛けのソファーセットが置かれている。 控室には王城勤めの侍従が1人常駐しており、執務室の扉の前には、常に2人の近衛騎士が警備している。 
 
 王城は森の中の丘の上に、建てられている。 執務室の窓の外には森が広がり、周囲の川向うには、王都の街並みが小さく見えていた。 ネロは執務室の正面の机を使用している。 ネロの補佐候補である宰相の嫡男、クリスティアーノ・ルッツォに指示を出す。

 グレーの髪をかっちりと固めた髪型に、縁なし眼鏡をかけたクリスは、知的でクールだと、年頃の令嬢方に人気で、ネロの幼馴染だ。 右側の窓際のスペースでは、第二王子であるアルバが同じように書類と格闘していた。

 左横の窓際のスペースでは、第三王子であるルカ・ジャッラ・モルフェオが同じように、執務をこなしていた。 ルカは、第二夫人が生んだ王子だ。 顎のラインで切り揃えた絹のような赤が混じった金髪に、淡いブルーの瞳。 色は父王と同じだが、顔立ちは第二夫人にそっくりだ。 感情をあまり表に出さないからか、キツイ印象が残る。 残念ながら、第三王子は石を開花させる事が出来なかった。

 「自分の好きな者を臣下に選べ」

 王が王子たちに向けた言葉である。 3人の王子が15歳になると、父王は3人にそれぞれに領地を与え、同じ執務室に放り込むと『仲良くやれよ』と、それだけ言い、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。

 (全く、父上が考えている事は分からないな)

 2人の弟王子の様子をチラリと見たネロは、深い溜め息を吐いた。 執務室をノックする音が響くと、控室で常駐している侍従が、応対に出る声が執務室の中に届いた。 執務室に入って来たのは、ネロ専用の侍従だった。 ネロの机へまで進むと、臣下の礼をし、ネロに届いた書状を差し出してきた。

 「今しがた届きました。 ドナーティ家からの書状です」
ネロは、ひったくり気味に書状を受け取った。
 「やっと返事がきた!」

 ネロは素早く中身を確認すると、顔から表情が無くなった。 返事は変わらず娘の体調が思わしくないとかで、お見舞いなどはお断りするという返事だった。 ドナーティ家の王家にも物怖じしない、素気無い当主の態度に、ネロは少なからず感心していた。 流石、父王の30年来の友人である。

 黒蝶の紋様が、ドナーティ家の家紋に使われている黒蝶に似ていると父王から聞いてから、ネロ自身も独自にドナーティ家を調べていた。 ネロはヴィーの絵姿を見ると、実物に会いたいという衝動にかられた。

 そして、自身に刻まれた黒蝶の紋様から熱を感じ、全身へと広がっていく。 ネロは直感で分かった。 ネロの対の石を持っているのは、ドナーティ家の令嬢だと。

 「また、断りの返事だ! これで、何度目だ!」

 ネロは立ち上がり、書状を持つ手が強く握られ、ぐしゃりと音を立てて書状が握り潰された。

 「このままでは、埒が明かない! 馬車を用意しろ、ドナーティ家へ行く!」
ギョッとしたクリスは、慌ててネロを止めた。
 「お待ちください、マッティア殿下! いけません! せめてお伺いのお触れを出されてから! それに、執務も滞ってしまいます!」
 「触れを出せば、逃げられるじゃないか!」

 アルバとルカは、いつもは冷静沈着で、黒い笑顔で非道な決裁を下すネロのご乱心に、ぽか~んと口を開けて固まった。 騒ぎを聞きつけた侍従やメイドたちが騒然とする中、全員の反対を押し切り、ネロは王城を飛び出した。 向かうは、王都の街の外れにあるドナーティ家の屋敷だ。 後ろから、クリスとネロ専用の侍従が慌てて追いかけて行った。



――ドナーティ家の貴賓室に通されたネロは、落ち着かない様子で豪華なソファーに座り、当主を待っていた。
 貴賓室に入って来たドナーティ家の当主は、臣下の礼をし、お決まりの口上を述べると、当主にしては珍しく、ギョッとした表情をして、貴賓室の庭に続くガラス戸から見える庭を凝視した。

 次の瞬間、羽根が羽ばたく音が鳴り響き、草地に何かが降り立った音が、貴賓室の庭に鳴り響いた。

 全員が大きな羽ばたきの音に庭を覗き見た。 ネロは何か大きな鳥でも、庭に降り立ったのかと思ったのだ。 ネロの視線の先には、濃紺の髪を揺らし、簡素なワンピースを着た令嬢が、庭の奥に走って行く後ろ姿が見えた。

 「ビオネータ侯爵、ご令嬢は体調が思わしくないと言ってなかった?」

 ドナーティ家の当主はピクリと身体を跳ねさせ、口元を引き攣らせていた。 ネロは立ち上がると、素早い動きでヴィーの後を追った。 貴賓室にはあっけにとられたクリスとネロ専用の侍従、深い溜め息を吐く当主、侍従とメイドたちが残された。



――バルコニーから飛び降りたヴィーは、広い庭を猛スピードで走っていた。
 庭の奥にある1本の大木に辿り着くと、背中に黒蝶の羽根を拡げ飛び上がり、丈夫そうな太い枝に降りた。 黒蝶の羽根を閉じて大木の周囲を見回し、誰も追って来ないと分かると、ヴィーは安堵の息を吐いた。

 (ここで王子が帰るまで隠れていよう。 会えなかったら諦めて帰るだろうし)

 ヴィーが降り立った太い枝よりも、少し上で伸びている枝に、気配もなく音も立てずに人影が降り立つと、ヴィーの顔に影が差した。 人影を見上げると、ギョッとして降り立った人物を凝視した。 視線の先にいたのは、どこか仄暗い微笑みを湛え、ヴィーを見下ろしている第一王子の姿だった。

 「やぁ、やっと会えたね、ドナーティ嬢。 出来れば、貴方のそばにいくことを許可して頂きたい」

 にっこり微笑むネロを、ヴィーは喉を鳴らして見つめるだけで、何も声を発せられずにいた。 誰も追って来れないだろうと思っていたヴィーは心底驚いた。 だから、油断して身体の力が抜けた瞬間、足を滑らせた。

 『落ちるっ』

 お互いが同時に脳裏に浮かべると、身体が反射で動く。 ネロは枝を蹴って飛び降り、ヴィーは背中に黒蝶の羽根を拡げた。 ネロの背中にも黒い煙幕が羽根を描いており、ヴィーは黒い煙幕の羽根を凝視していた。

 濃紺の瞳に黄金色の髪、背中に黒い煙幕の羽根を拡げたネロの姿に、綺麗で見惚れてしまっていた。

 (えっ?! 黒い煙幕の羽根っ! 初めて見た、煙幕に、こんな使い方があったなんて。 それに、綺麗な濃紺の瞳)

 ネロはヴィーの腰に手を掛けて支えると、ヴィーの姿を目を見開いて凝視してきた。 2人はゆっくりと柔らかい草地に降り立つ。 降り立つとヴィーの背中の黒蝶の羽根は閉じられ、ネロの背中の黒い煙幕の羽根も消えた。 濃紺の瞳と紫の瞳が絡み合う。 ネロが向けてくる強い眼差しに、ヴィーは腰を支えるネロの手を振りほどけないでいた。

 無言で見つめ合う2人の足元から風が吹き上がり、黒い薔薇の花びらと、大量の黒蝶が羽根を拡げて舞い上がり、2人の周囲を回った。 2匹の黒蝶が追いかけ合いながら、近づいては離れを繰り返し、頭上まで飛び上がる。

 黒蝶の羽根の紋様は、ヴィーとネロの胸に刻まれた黒蝶の紋様と同じだった。 胸の紋様が熱を持ち、全身に拡がっていく。 黒蝶と黒い花びらが治まると、胸に痛みが刺して2人は膝をついた。

 (胸が苦しいっ! 何これっ! 主さま、何も言ってなかったじゃないっ! 気がっ、遠くなるっ)

 ヴィーが草地に倒れ込む前に、ネロがヴィーを支えて抱き留めた。 ヴィーが意識を手放す直前に、恨み節が零れ出る。

 「主さま、の、うそ、つき」
 「ドナーティ嬢?」

 ヴィーはそれだけ言うと意識を手放した。 恨み節を聞き取ったネロは意味が分からず、訝し気に首を傾げた。 

 「主さま?」

 チラリと見える胸元の黒蝶の紋様に、自身の瞳の色とヴィーの瞳の色の魔法石が嵌っていた。 ネロの胸に熱い物が込み上げてくる。 2人の周囲を黒蝶が飛び回っており、黒蝶はネロの肩に止まり、もう1匹はヴィーの胸の上に止まって、何故か心配そうにしている様に見えた。

 ネロの背後から複数の草を踏みしめて駆け寄って来る足音が聞こえ、振り返るとドナーティ家の当主が血相を変えて、ヴィーを抱き上げていたネロに走り寄って来た。

 「ヴィー!! これはっ?!」

 ヴィーの胸元にチラリと覗く黒蝶の紋様に、新たに魔法石が嵌っており、ドナーティ家の当主はネロの瞳と石を交互に見ると理解した。

 「なるほど、そういう事ですか。 申し訳ないですが殿下、そのまま娘を部屋に運んで頂けないでしょうか?」
 「ああ、構わない。 それにドナーティ嬢を医師に見せないと」
 「ご心配要りません、あの方に呼ばれただけでしょうから」
 「あの方?」

 ネロは当主の言葉を訝し気に思いながらも、急かす当主に促され、ヴィーを部屋へと運んだ。
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