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第三十六話 『トゥールに婚約者っ?!』
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ロイヴェリク家の敷地にレープハフトハイムが建てられて行く数十年、不名誉な噂など立てられた事もなければ、違法薬物を流した事もない。
王家直轄地の屋敷を下賜され、王家に忠誠を近い、ずっと守って来たロイヴェリク家。 馬鹿な貴族に汚されてなるものか。
「と言う事なので、何とかその小悪党たちを捕えたい。 行動範囲は読めるか?」
「と言われてもなぁ。 柵と門扉が出来てから、覗き魔も出ていないからな。 今は雲隠れされてしまって……」
「そうかっ」
大きく息吐き出したノルベルトは、形の良い眉を歪める。 グランと同じ濃紺の瞳に僅かに悔しさを滲ませている。
ノルベルトとハラルトは、いつもの様に、使用人宿舎、自身の部屋の居間で、弟であるハラルトと話し合いをしていた。
もう、そろそろ日が沈み、夕日で赤く染まった空が、徐々に紫紺色へ染まり、薄暗くなっていく。 窓の外を眺めるノルベルトの背中を、ハラルトが頭を掻きながら見つめる。
普段は無表情で、何を考えているのか分からないノルベルトだが、今回は表情に出ていた。 相手が馬鹿な子供で、ノルベルトの予測できない動きをされると、全く行動が読めなくて眉間に皺が寄っていた。
「成程、兄上を翻弄させようとしたら、定石を外して馬鹿になればいいんだなっ」
ハラルトの小さな呟きが聞こえたのか、ゆっくりと振り返った時には、珍しく満面の笑みを浮かべていた。 しかし、瞳の奥は全くという程笑っていない。
後には、ハラルトの情けない叫び声が使用人宿舎ならず、ロイヴェリク家に邸まで響いたとか。
◇
「という訳でして、小悪党たちは動きを止めました」
「そうなんだね」
トゥールたち三人を含めた朝食の後、自室の居間で身支度を整えながら、ノルベルトから進捗の報告を聞いていた。
本日、祖母は体調が思わしく無く、欠席していた。 少し心配になる。
制服のクラバットに留金を付けながら、アルフはノルベルトを見つめる。
「こちらもあまり有力な情報は得られなかったけど、やっぱりウェズナー嬢は関与してないみたいだ」
「彼女からあまり動揺は見られませんでしたしね」
「うん」
グランが背後で息を吐き、曲がって取り付けられた留金に自然と手が伸ばされる。
「やはり、あの馬鹿な高位貴族のお坊ちゃんたちですね」
「女湯の方に、うちの者を交代で紛れ込ませていますので、その内に何か報告が出来ると良いのですが……」
「うん、分かった。 ありがとう、グラン。 留金、止めるの苦手なんだよね」
「その内、私では無くて、婚約者様が若様の身なりを整える姿が見られるかも知れませんね」
珍しくグランが僅かに頬を緩めた。
「な、何言ってるのっ、伯爵令嬢が男爵家に嫁いでくる訳ないでしょっ」
アルフは真っ赤になりながら、自室の扉を開けて出て行った。
「私は伯爵令嬢とか言ってませんのにっ、若様の頭の中で誰が思い浮かんだのか、ダダ漏れですね」
グランの小さな呟きは、アルフには届いていなかった。 後ろで父親であるノルベルトの低い声が聞こえる。
「グラシアノ」
「はい、父上」
「魔法学校であからさまに態度が変わった者を監視しておけ」
「承知しました」
「気を付けて登校するように」
「はい」
頭を下げた後、グランも部屋を出て行った。
違法薬物は高値で売れている様だ。 トゥールからロイヴェリク家に出禁を言い渡された高位貴族の子息たちは、罰として自身が使えるお金を親から減らされたと聞いている。
違法薬物の取引が出来なくて、今頃は悔しがっているだろう。
ノルベルトも自身の仕事をする為、アルフの部屋を出た。
◇
トゥールたちが滞在している間は、彼らには専用のスクール馬車が出されていた。
アルフもトゥールたちが乗るスクール馬車に、強制的に乗せられていた。 もう、ルヴィとレイから視線で『諦めろ』と言われる前に諦めていた。 勿論、グランも強制的に乗せられている。
「……っ、何時まで我が家にいるの?」
アルフは敢えて聞きづらい事を聞いてやった。 本気では怒っていないだろうが、トゥールは口を尖らせて抗議してくる。
「むっ、アルフは私がいると邪魔なのか?」
「いえ、そう言う訳ではっ」
「なら、良いだろう? 私は今回の件を見届けるまで滞在するよ」
「……っ」
トゥールは首を突っ込まないが、アルフが彼らを捕まえるまで見守る姿勢は崩さないだろう。 覚悟を決めるしかない様だ。
しかし、『もう、すっと居れば』なんて冗談は、軽はずみでも言えない。
思いっきり大きく息吐き出すアルフの横で、グランは何時も通り、無表情だった。
「しかし、本日の午後は王宮へ帰りませんと」
「ん? 何かあったっけ?」
帰ると言うルヴィの一言に、顔を輝かせたアルフは視線を上げた。 トゥールは補佐候補であるルヴィに視線をやり、不思議そうに首を傾げている。
「はい、まだ決定では御座いませんが、婚約者候補であられるナスターシャ・シェーン・フォン・エルメンライヒ様とお茶会のお約束がございます」
「ああ、ターシャか。 なら、学校のお昼休みに会おう。 そうだ、アルフも来る?」
「へっ、何故、僕がそのお茶会に誘われるの? 婚約者同士のお茶会でしょっ」
「ターシャはまだ、候補だよ?」
暫し考えたトゥールは首を傾げ、語尾に疑問符を付けてアルフに言った。
「何でかな? 私の未来の伴侶だから?」
「……僕に聞かれてもっ」
何かトゥールも納得が出来ない様だったが、自身だけで答えを導き出し、頷いている。 アルフは青い瞳を細めて目の前のトゥールを訝し気に見つめる。
「じゃ、お昼に私とターシャでランチをしよう。 勿論、グランも、君たち二人もだよ。 あ、マゼルも誘おうか?」
「シファー家の坊ちゃんは、自分の婚約者殿とお昼を摂るでしょう。 何時も食堂で見かける」
レイの話を聞いてトゥールは納得した様に頷いた。
(そう言えば、入学してから暫く経ってから、マゼルに言われたっけ。 学年が違うから少しでも一緒に居たいんだって)
ふと脳裏に浮かぶ令嬢は、ウェズナーだ。
(……僕、彼女が何処でランチを摂ってるか知らないなっ)
アルフが考え事をしている間、皆の答えを聞く前にお昼のランチは決定した様だ。
ルヴィとレイは諦めた様に『お供します』、と返事を返していて、アルフは思考を現実へ戻した。
(何時もながら思うけど、二人は大変だなっ)
他人事の様に思っているが、アルフも充分、トゥールに振り回されている。
学校へはいつも通り、30分程で辿り着き、何も無くて良かったと胸を撫で下ろす。 最近は盗賊も見なくなった。
(治安も良くなって良かった。 後は違法薬物の件だろうなっ)
そして、約束のランチは直ぐに来た。
嵐を共に引き連れて。 アルフたちが囲む丸いテーブルには、各自が頼んだ沢山のメニューが並び、美味しそうに頬張るトゥールが向かい側で座っている。
カトラリーの美しい扱いに、食堂を訪れた令嬢方は、うっとりと見つめて通り過ぎて行く。 しかし、トゥールを挟んで火花を散らした二人の令嬢が睨み合っている。
『うわぁ、怖いねぇ、アルフ』
もう、食事の時にしか現れない主さまモドキ。 当たり前のようにアルフのランチに手を付ける。 サッと隣で取り皿を主さまモドキの前へ差し出すグラン。
大分と慣れたので、ランチは何時も少し多めに頼んでいる。 キッシュを口に運び、アルフは事の成り行きを見守った。
一人の令嬢は、婚約者候補である公爵令嬢、ナスターシャ・シェーン・フォン・エルメンライヒ。 エルメンライヒ公爵が可愛がっている目に入れても痛くない娘だ。
他に兄弟が三人くらい居るらしいが、皆、異常なまでにターシャを可愛がっている。
(うん、ふわふわな金髪は柔らかそうだ。 キツい目の青い瞳は怖いけど、とても綺麗な人だ)
少しだけ、アルフはターシャに見惚れてしまった。 次の瞬間、何故だか分からないが、トゥールから冷気が漂い始め、アルフを襲う。 背中に恐怖が走って身体が震えた。
(何でっ!!)
もう一人の令嬢は、アルフも知っているジルフィア・ウィーズだ。 性格さえ悪くなければ、可愛いのにと思うくらいは顔が整っている。
(同じ顔だけど、ウェズナー嬢の方が僕は好きだな)
二人はトゥールに話しかけながら、お互いに牽制する事を忘れていない。
「アルト様、こちら美味ですわ。 お食べになられませんか?」
にっこりとトゥールに微笑みかけるジルフィア。
「あら、貴方が頼んだお料理なんて、殿下がお召し上がりになられる訳ありませんわ」
サッと差し出したジルフィアの皿をターシャが取り上げた。 直ぐに睨みつけるジルフィアが癇癪を起こす。
「まぁ、何をなさいますのっ! 私がアルト様に頼んだお料理ですわよっ!」
ジルフィアが頼んだ料理の皿を、ターシャはトゥールが届かない場所へ置き、キツい目を更に鋭くさせた。
「ウィーズ伯爵令嬢、殿下を愛称で気安く呼ばないでいただけます? キチンと敬称をおつけなさいっ!」
「エルメンライヒ公爵令嬢は横暴ですわっ! アルト様にも仲良くなる令嬢を選ぶ権利がありますわっ!」
二人が言い合いを始めている中、トゥールやルヴィ、レイたち三人は気に留めず食事をしている。 ルヴィとレイは慣れているのか、アルフにお勧めメニューを食べてみろと勧めてくる。
(怖っ!! 何で平気な顔していられるんだ、トゥールっ!)
「何時もこんな感じなの?」
「そうだな、ウィーズ嬢が割り込んでくると、割とこんな感じだな」
レイが少し考え込んで、思い出す様に答えた。
「アルフはもっと食べた方がいいぞ。 もう少し、身長と体重、筋肉を増やした方がいい」
アルフは内心で『脳筋めっ』と呟いた。
脳筋で思い出した事がある。 レイに紹介した熱風風呂はちゃんと完成したのか。
「レイ様、熱風風呂は完成しましたか?」
「ああ、お陰様で完成したぞ。 今度、休みの日にお披露目だ。 アルフも来いよ」
「えっ……」
暑苦しいだろう身体を鍛えた筋肉ダルマに挟まれる自身が脳裏に浮かび、かなり引いた。
「いえ、丁重にお断りいたします」
「えっ! 何でだよっ」
アルフたちが話している間に、ジルフィアとターシャはヒートアップしたのか、立ち上がったターシャが自身の祝福を発動しようとしていた。
ターシャの祝福は、二つあり、一つは鉄扇だ。 手のひらの上でターシャの魔力である黄金色の魔力が煌めくと、鉄扇が現れる。 エルメンライヒ家は薬師の家系で、ターシャは薬師の祝福も授かっている。
(まさかと思うけど、それで殴るのっ?! 物凄く痛そうだよっ)
流石にあまり好きではない相手でも、目の前で令嬢が殴られのは可哀想だ。
モタついているアルフを他所に、ルヴィとレイは全く気にしていない様子を見せる。
そして、ターシャがジルフィアに鉄扇を打ち付ける前に、二人の間でトゥールが立ち上がった。 ターシャに向き直ったトゥールは、鉄扇を持つターシャの手を握りしめ、もう片方の手はターシャの頬を包んでいた。
「それは頂けないよ、ターシャ。 君の鉄扇は、君自身を守る為に授かった物だ。 他者を殴る為ではないよ」
「……っ殿下!」
トゥールとターシャの意外な距離感にアルフは面食らった。 物理的に凄く近い。
フッと微笑み、続くトゥールの言葉にもアルフは驚いた。
「君は普段、完璧な振る舞いをしているけれど、ウィーズ嬢が絡むと途端に子供っぽくなるね。 それはとても可愛らしいと思うけどね」
「……っ、そ、それは」
頬を染めたターシャが俯く。 トゥールの背後でジルフィアは頬を引き攣らせていた。 そして、続くトゥールの言葉にアルフの頬も引き攣らせた。
俯くターシャの両頬を持ち上げ、視線を合わせるトゥールとターシャ。
「怒った顔も可愛いけれど、ターシャ、笑って。 私は君の笑顔が見たいな。 出来れば、君にトゥールと呼ばれたいし、僕だけの愛称を作って、君の事を呼びたい」
周囲から令嬢の黄色い悲鳴が上がり、アルフの周りは異常なまでの盛り上がりを見せた。
ターシャの頭から爆発音を鳴らして煙が立ち昇る。 ターシャは全身を真っ赤に染めていた。
ポカンと口を開けたアルフの脳裏で、自身がウェズナーに言った言葉が脳裏に浮かぶ。 直ぐにグランを見たが、あの時、グランは居なかった。 そして、主さまモドキも出ていなかった。
トゥールが知っているのか、知らないのか分からないが、アルフの背中に悪寒が走ったのは間違いない。
トゥールとターシャが二人の世界に入っている姿を見て、納得する。 二人の後ろで悔しそうに唇を噛み締めているジルフィアには、割って入る隙はないだろうと。
「あ、今、気づきましたけど、若様、ウィーズ嬢に探りを入れるチャンスですよっ!」
「えっ、いや、この状態でっ! 無理だろうっ!」
何時もはしっかりしていて、天然発言など発動しないグランの発言に、ガクッと肩を落とすアルフだった。
王家直轄地の屋敷を下賜され、王家に忠誠を近い、ずっと守って来たロイヴェリク家。 馬鹿な貴族に汚されてなるものか。
「と言う事なので、何とかその小悪党たちを捕えたい。 行動範囲は読めるか?」
「と言われてもなぁ。 柵と門扉が出来てから、覗き魔も出ていないからな。 今は雲隠れされてしまって……」
「そうかっ」
大きく息吐き出したノルベルトは、形の良い眉を歪める。 グランと同じ濃紺の瞳に僅かに悔しさを滲ませている。
ノルベルトとハラルトは、いつもの様に、使用人宿舎、自身の部屋の居間で、弟であるハラルトと話し合いをしていた。
もう、そろそろ日が沈み、夕日で赤く染まった空が、徐々に紫紺色へ染まり、薄暗くなっていく。 窓の外を眺めるノルベルトの背中を、ハラルトが頭を掻きながら見つめる。
普段は無表情で、何を考えているのか分からないノルベルトだが、今回は表情に出ていた。 相手が馬鹿な子供で、ノルベルトの予測できない動きをされると、全く行動が読めなくて眉間に皺が寄っていた。
「成程、兄上を翻弄させようとしたら、定石を外して馬鹿になればいいんだなっ」
ハラルトの小さな呟きが聞こえたのか、ゆっくりと振り返った時には、珍しく満面の笑みを浮かべていた。 しかし、瞳の奥は全くという程笑っていない。
後には、ハラルトの情けない叫び声が使用人宿舎ならず、ロイヴェリク家に邸まで響いたとか。
◇
「という訳でして、小悪党たちは動きを止めました」
「そうなんだね」
トゥールたち三人を含めた朝食の後、自室の居間で身支度を整えながら、ノルベルトから進捗の報告を聞いていた。
本日、祖母は体調が思わしく無く、欠席していた。 少し心配になる。
制服のクラバットに留金を付けながら、アルフはノルベルトを見つめる。
「こちらもあまり有力な情報は得られなかったけど、やっぱりウェズナー嬢は関与してないみたいだ」
「彼女からあまり動揺は見られませんでしたしね」
「うん」
グランが背後で息を吐き、曲がって取り付けられた留金に自然と手が伸ばされる。
「やはり、あの馬鹿な高位貴族のお坊ちゃんたちですね」
「女湯の方に、うちの者を交代で紛れ込ませていますので、その内に何か報告が出来ると良いのですが……」
「うん、分かった。 ありがとう、グラン。 留金、止めるの苦手なんだよね」
「その内、私では無くて、婚約者様が若様の身なりを整える姿が見られるかも知れませんね」
珍しくグランが僅かに頬を緩めた。
「な、何言ってるのっ、伯爵令嬢が男爵家に嫁いでくる訳ないでしょっ」
アルフは真っ赤になりながら、自室の扉を開けて出て行った。
「私は伯爵令嬢とか言ってませんのにっ、若様の頭の中で誰が思い浮かんだのか、ダダ漏れですね」
グランの小さな呟きは、アルフには届いていなかった。 後ろで父親であるノルベルトの低い声が聞こえる。
「グラシアノ」
「はい、父上」
「魔法学校であからさまに態度が変わった者を監視しておけ」
「承知しました」
「気を付けて登校するように」
「はい」
頭を下げた後、グランも部屋を出て行った。
違法薬物は高値で売れている様だ。 トゥールからロイヴェリク家に出禁を言い渡された高位貴族の子息たちは、罰として自身が使えるお金を親から減らされたと聞いている。
違法薬物の取引が出来なくて、今頃は悔しがっているだろう。
ノルベルトも自身の仕事をする為、アルフの部屋を出た。
◇
トゥールたちが滞在している間は、彼らには専用のスクール馬車が出されていた。
アルフもトゥールたちが乗るスクール馬車に、強制的に乗せられていた。 もう、ルヴィとレイから視線で『諦めろ』と言われる前に諦めていた。 勿論、グランも強制的に乗せられている。
「……っ、何時まで我が家にいるの?」
アルフは敢えて聞きづらい事を聞いてやった。 本気では怒っていないだろうが、トゥールは口を尖らせて抗議してくる。
「むっ、アルフは私がいると邪魔なのか?」
「いえ、そう言う訳ではっ」
「なら、良いだろう? 私は今回の件を見届けるまで滞在するよ」
「……っ」
トゥールは首を突っ込まないが、アルフが彼らを捕まえるまで見守る姿勢は崩さないだろう。 覚悟を決めるしかない様だ。
しかし、『もう、すっと居れば』なんて冗談は、軽はずみでも言えない。
思いっきり大きく息吐き出すアルフの横で、グランは何時も通り、無表情だった。
「しかし、本日の午後は王宮へ帰りませんと」
「ん? 何かあったっけ?」
帰ると言うルヴィの一言に、顔を輝かせたアルフは視線を上げた。 トゥールは補佐候補であるルヴィに視線をやり、不思議そうに首を傾げている。
「はい、まだ決定では御座いませんが、婚約者候補であられるナスターシャ・シェーン・フォン・エルメンライヒ様とお茶会のお約束がございます」
「ああ、ターシャか。 なら、学校のお昼休みに会おう。 そうだ、アルフも来る?」
「へっ、何故、僕がそのお茶会に誘われるの? 婚約者同士のお茶会でしょっ」
「ターシャはまだ、候補だよ?」
暫し考えたトゥールは首を傾げ、語尾に疑問符を付けてアルフに言った。
「何でかな? 私の未来の伴侶だから?」
「……僕に聞かれてもっ」
何かトゥールも納得が出来ない様だったが、自身だけで答えを導き出し、頷いている。 アルフは青い瞳を細めて目の前のトゥールを訝し気に見つめる。
「じゃ、お昼に私とターシャでランチをしよう。 勿論、グランも、君たち二人もだよ。 あ、マゼルも誘おうか?」
「シファー家の坊ちゃんは、自分の婚約者殿とお昼を摂るでしょう。 何時も食堂で見かける」
レイの話を聞いてトゥールは納得した様に頷いた。
(そう言えば、入学してから暫く経ってから、マゼルに言われたっけ。 学年が違うから少しでも一緒に居たいんだって)
ふと脳裏に浮かぶ令嬢は、ウェズナーだ。
(……僕、彼女が何処でランチを摂ってるか知らないなっ)
アルフが考え事をしている間、皆の答えを聞く前にお昼のランチは決定した様だ。
ルヴィとレイは諦めた様に『お供します』、と返事を返していて、アルフは思考を現実へ戻した。
(何時もながら思うけど、二人は大変だなっ)
他人事の様に思っているが、アルフも充分、トゥールに振り回されている。
学校へはいつも通り、30分程で辿り着き、何も無くて良かったと胸を撫で下ろす。 最近は盗賊も見なくなった。
(治安も良くなって良かった。 後は違法薬物の件だろうなっ)
そして、約束のランチは直ぐに来た。
嵐を共に引き連れて。 アルフたちが囲む丸いテーブルには、各自が頼んだ沢山のメニューが並び、美味しそうに頬張るトゥールが向かい側で座っている。
カトラリーの美しい扱いに、食堂を訪れた令嬢方は、うっとりと見つめて通り過ぎて行く。 しかし、トゥールを挟んで火花を散らした二人の令嬢が睨み合っている。
『うわぁ、怖いねぇ、アルフ』
もう、食事の時にしか現れない主さまモドキ。 当たり前のようにアルフのランチに手を付ける。 サッと隣で取り皿を主さまモドキの前へ差し出すグラン。
大分と慣れたので、ランチは何時も少し多めに頼んでいる。 キッシュを口に運び、アルフは事の成り行きを見守った。
一人の令嬢は、婚約者候補である公爵令嬢、ナスターシャ・シェーン・フォン・エルメンライヒ。 エルメンライヒ公爵が可愛がっている目に入れても痛くない娘だ。
他に兄弟が三人くらい居るらしいが、皆、異常なまでにターシャを可愛がっている。
(うん、ふわふわな金髪は柔らかそうだ。 キツい目の青い瞳は怖いけど、とても綺麗な人だ)
少しだけ、アルフはターシャに見惚れてしまった。 次の瞬間、何故だか分からないが、トゥールから冷気が漂い始め、アルフを襲う。 背中に恐怖が走って身体が震えた。
(何でっ!!)
もう一人の令嬢は、アルフも知っているジルフィア・ウィーズだ。 性格さえ悪くなければ、可愛いのにと思うくらいは顔が整っている。
(同じ顔だけど、ウェズナー嬢の方が僕は好きだな)
二人はトゥールに話しかけながら、お互いに牽制する事を忘れていない。
「アルト様、こちら美味ですわ。 お食べになられませんか?」
にっこりとトゥールに微笑みかけるジルフィア。
「あら、貴方が頼んだお料理なんて、殿下がお召し上がりになられる訳ありませんわ」
サッと差し出したジルフィアの皿をターシャが取り上げた。 直ぐに睨みつけるジルフィアが癇癪を起こす。
「まぁ、何をなさいますのっ! 私がアルト様に頼んだお料理ですわよっ!」
ジルフィアが頼んだ料理の皿を、ターシャはトゥールが届かない場所へ置き、キツい目を更に鋭くさせた。
「ウィーズ伯爵令嬢、殿下を愛称で気安く呼ばないでいただけます? キチンと敬称をおつけなさいっ!」
「エルメンライヒ公爵令嬢は横暴ですわっ! アルト様にも仲良くなる令嬢を選ぶ権利がありますわっ!」
二人が言い合いを始めている中、トゥールやルヴィ、レイたち三人は気に留めず食事をしている。 ルヴィとレイは慣れているのか、アルフにお勧めメニューを食べてみろと勧めてくる。
(怖っ!! 何で平気な顔していられるんだ、トゥールっ!)
「何時もこんな感じなの?」
「そうだな、ウィーズ嬢が割り込んでくると、割とこんな感じだな」
レイが少し考え込んで、思い出す様に答えた。
「アルフはもっと食べた方がいいぞ。 もう少し、身長と体重、筋肉を増やした方がいい」
アルフは内心で『脳筋めっ』と呟いた。
脳筋で思い出した事がある。 レイに紹介した熱風風呂はちゃんと完成したのか。
「レイ様、熱風風呂は完成しましたか?」
「ああ、お陰様で完成したぞ。 今度、休みの日にお披露目だ。 アルフも来いよ」
「えっ……」
暑苦しいだろう身体を鍛えた筋肉ダルマに挟まれる自身が脳裏に浮かび、かなり引いた。
「いえ、丁重にお断りいたします」
「えっ! 何でだよっ」
アルフたちが話している間に、ジルフィアとターシャはヒートアップしたのか、立ち上がったターシャが自身の祝福を発動しようとしていた。
ターシャの祝福は、二つあり、一つは鉄扇だ。 手のひらの上でターシャの魔力である黄金色の魔力が煌めくと、鉄扇が現れる。 エルメンライヒ家は薬師の家系で、ターシャは薬師の祝福も授かっている。
(まさかと思うけど、それで殴るのっ?! 物凄く痛そうだよっ)
流石にあまり好きではない相手でも、目の前で令嬢が殴られのは可哀想だ。
モタついているアルフを他所に、ルヴィとレイは全く気にしていない様子を見せる。
そして、ターシャがジルフィアに鉄扇を打ち付ける前に、二人の間でトゥールが立ち上がった。 ターシャに向き直ったトゥールは、鉄扇を持つターシャの手を握りしめ、もう片方の手はターシャの頬を包んでいた。
「それは頂けないよ、ターシャ。 君の鉄扇は、君自身を守る為に授かった物だ。 他者を殴る為ではないよ」
「……っ殿下!」
トゥールとターシャの意外な距離感にアルフは面食らった。 物理的に凄く近い。
フッと微笑み、続くトゥールの言葉にもアルフは驚いた。
「君は普段、完璧な振る舞いをしているけれど、ウィーズ嬢が絡むと途端に子供っぽくなるね。 それはとても可愛らしいと思うけどね」
「……っ、そ、それは」
頬を染めたターシャが俯く。 トゥールの背後でジルフィアは頬を引き攣らせていた。 そして、続くトゥールの言葉にアルフの頬も引き攣らせた。
俯くターシャの両頬を持ち上げ、視線を合わせるトゥールとターシャ。
「怒った顔も可愛いけれど、ターシャ、笑って。 私は君の笑顔が見たいな。 出来れば、君にトゥールと呼ばれたいし、僕だけの愛称を作って、君の事を呼びたい」
周囲から令嬢の黄色い悲鳴が上がり、アルフの周りは異常なまでの盛り上がりを見せた。
ターシャの頭から爆発音を鳴らして煙が立ち昇る。 ターシャは全身を真っ赤に染めていた。
ポカンと口を開けたアルフの脳裏で、自身がウェズナーに言った言葉が脳裏に浮かぶ。 直ぐにグランを見たが、あの時、グランは居なかった。 そして、主さまモドキも出ていなかった。
トゥールが知っているのか、知らないのか分からないが、アルフの背中に悪寒が走ったのは間違いない。
トゥールとターシャが二人の世界に入っている姿を見て、納得する。 二人の後ろで悔しそうに唇を噛み締めているジルフィアには、割って入る隙はないだろうと。
「あ、今、気づきましたけど、若様、ウィーズ嬢に探りを入れるチャンスですよっ!」
「えっ、いや、この状態でっ! 無理だろうっ!」
何時もはしっかりしていて、天然発言など発動しないグランの発言に、ガクッと肩を落とすアルフだった。
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