上 下
20 / 38
第二章 中宮殿

二ノ巻ー相談② 

しおりを挟む
 

 彼は車の中に入るや否や、私をじっと見ると腕を引き寄せてそっと抱いた。

 私は久しぶりの彼の香りに包まれて、頭が真っ白になった。

 彼は胸の中から私を出すと、今度は私の手を取って、話しだした。

「夕月……お願いだから、出仕はしないでほしい……清涼殿の辺りはたくさんの三位以上の若いものたちであふれている。そして、中宮殿の女房は非常に美しく、心映えも優れた女房が多いので通う者たちが多いんだ」

「私はどなたとも情を通わせるつもりはございません。心の中に住んでいるのは、いつまでも晴孝様おひとりです」

 彼はぎゅっとまた私を抱きしめた。

「君を娶りたい。でも父上は正妻として右大臣家の姫を勧めてくる。君に側室としての立場を強いるのは嫌なんだ」

「……私は立場など気にいたしません。晴孝様のお側仕えの女房でも構わないのです」

「君はそれでよくても、私は嫌なんだ。君には素の自分を出せる。父上の望む政権争いなど考えず一緒にいられる」

 晴孝様は左大臣家の長男だ。

 左大臣様の後継者であり、次期東宮の従兄。いずれ大納言様になるかもしれぬ方。

 そんな方と自分が釣り合わないのは前からわかっている。でも、私にとって彼は特別で、兄はそれも知っている。

 だからこそ、他の方からの縁談を蹴ってくれているのだ。

 晴孝様は私を引き寄せるとそっと抱きしめじっとしている。

 これ以上なにかすると止まらないし、君の兄には見破られるとつぶやいた。

「ああ、このままふたりでどこかに逃げられたらいいのにな」

「それは一生無理です。私には兄上の式神が常についています。隠れるのは無理ですよ」

「ここにもいるのか?」

「車の中には入らないよう、私が細工いたしましたのでご安心ください。ついては来ていますけれども……」

「……はあ。あいつも君の美しさに驚いて、急に備えを始めた。縁談が結構来ているようだな」

「それを言うなら晴孝様です。私は……」

「さっきはお仕え女房でもいいとか言ってたくせに、かわいいことをいうなあ」

 私は真っ赤になった。

「それで?先ほどのあちらでの話だが、何が気がかりなんだ」

「文遣いの……清涼殿からの上臈女房についてきた女の童がおりました」

「それがどうした」

「……人ではございませんでした。人の形をした狐のあやかしです」

「……!」

「これが何を意味するのか。わざわざ静姫のところについてきた。しかも、お聞きしたところ藤壺の尚侍はご実家のお母上が巫女であらせられたとか……嫌な予感がしたのです」

 ガタガタと音がして、ようやく車がついたようだ。私が乗っていった車は権太が引いて前を走っている。

 この車は二人乗りで静姫が準備してくださったものだ。

 * * *

「晴孝、いい度胸だな。それに、夕月。お前もだ。姫は一体何を考えておられる?私でさえ、彼女に直にここ10年以上お目にかかっていないというのに」

 戻ってきたら、目を怒らせた兄上に叱られた。御簾中に入れられて、廂の間でふたりは顔を合わせている。あぐらをかいて彼はくつろいでいた。うちは実家である左大臣邸より落ち着けるといつも言っている。白藤が酒を運んできた。

「白藤。こんなやつに酒などださなくていい。その辺の水でも飲ませておけ」

「……兄上!」

「まったく、姉上に会えないことをねたんで私に当たるのはどうかと思うぞ、兼近。そんなに会いたいなら私が裏から手引きをしてやってもいいぞ」

「晴孝様!」

 兄上はまんざらでもないのか、右眉を動かして彼と杯を合わせた。

「私はお前のように卑怯な手は使わず、正々堂々と彼女に求婚する」

「それなら、妬むのはやめろ。それに、彼女と急に会わせないようにしたのはお前だぞ、私はどれだけ我慢しているかわかっているのか」

「これは驚いた。正面からそういうとは、ようやく本気になったか」

「……兄上様、やめてください。そんなことより、大事なご相談があります」

「夕月。お前、また面倒ごとを抱えて帰ったな。式神から聞いている。狐のあやかしがいたとか?白藤。清涼殿に子供のあやかしが入り込んでいるようだが、お前管理はどうなっている?」

 白藤は驚いたようだった。そして、小さな声で言った。

「申し訳ござんせん。子供に関してはそこまで見ておりませんでした。すぐにあらためますので、ちいとお待ちくださいまし」

 白藤はボンという音を立てて、消え失せるといつの間にか庭を狐姿で横切って消えていった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

彩鬼万華鏡奇譚 天の足夜のきせきがたり

響 蒼華
キャラ文芸
元は令嬢だったあやめは、現在、女中としてある作家の家で働いていた。 紡ぐ文章は美しく、されど生活能力皆無な締め切り破りの問題児である玄鳥。 手のかかる雇い主の元の面倒見ながら忙しく過ごす日々、ある時あやめは一つの万華鏡を見つける。 持ち主を失ってから色を無くした、何も映さない万華鏡。 その日から、月の美しい夜に玄鳥は物語をあやめに聞かせるようになる。 彩の名を持つ鬼と人との不思議な恋物語、それが語られる度に万華鏡は色を取り戻していき……。 過去と現在とが触れあい絡めとりながら、全ては一つへと収束していく――。 ※時代設定的に、現代では女性蔑視や差別など不適切とされる表現等がありますが、差別や偏見を肯定する意図はありません。 イラスト:Suico 様

貸本屋七本三八の譚めぐり ~実井寧々子の墓標~

茶柱まちこ
キャラ文芸
時は大昌十年、東端の大国・大陽本帝国(おおひのもとていこく)屈指の商人の町・『棚葉町』。 人の想い、思想、経験、空想を核とした書物・『譚本』だけを扱い続ける異端の貸本屋・七本屋を中心に巻き起こる譚たちの記録――第二弾。 七本屋で働く19歳の青年・菜摘芽唯助(なつめいすけ)は作家でもある店主・七本三八(ななもとみや)の弟子として、日々成長していた。 国をも巻き込んだ大騒動も落ち着き、平穏に過ごしていたある日、 七本屋の看板娘である音音(おとね)の前に菅谷という謎の男が現れたことから、六年もの間封じられていた彼女の譚は動き出す――!

星詠みの東宮妃 ~呪われた姫君は東宮の隣で未来をみる~

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました!🌸平安の世、目の中に未来で起こる凶兆が視えてしまう、『星詠み』の力を持つ、藤原宵子(しょうこ)。その呪いと呼ばれる力のせいで家族や侍女たちからも見放されていた。 ある日、急きょ東宮に入内することが決まる。東宮は入内した姫をことごとく追い返す、冷酷な人だという。厄介払いも兼ねて、宵子は東宮のもとへ送り込まれた。とある、理不尽な命令を抱えて……。 でも、実際に会った東宮は、冷酷な人ではなく、まるで太陽のような人だった。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

甘灯の思いつき短編集

甘灯
キャラ文芸
 作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)                              ※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。

戸惑いの神嫁と花舞う約束 呪い子の幸せな嫁入り

響 蒼華
キャラ文芸
四方を海に囲まれた国・花綵。 長らく閉じられていた国は動乱を経て開かれ、新しき時代を迎えていた。 特権を持つ名家はそれぞれに異能を持ち、特に帝に仕える四つの家は『四家』と称され畏怖されていた。 名家の一つ・玖瑶家。 長女でありながら異能を持たない為に、不遇のうちに暮らしていた紗依。 異母妹やその母親に虐げられながらも、自分の為に全てを失った母を守り、必死に耐えていた。 かつて小さな不思議な友と交わした約束を密かな支えと思い暮らしていた紗依の日々を変えたのは、突然の縁談だった。 『神無し』と忌まれる名家・北家の当主から、ご長女を『神嫁』として貰い受けたい、という申し出。 父達の思惑により、表向き長女としていた異母妹の代わりに紗依が嫁ぐこととなる。 一人向かった北家にて、紗依は彼女の運命と『再会』することになる……。

離縁の雨が降りやめば

月ヶ瀬 杏
キャラ文芸
龍の眷属と言われる竜堂家に生まれた葵は、三つのときに美雲神社の一つ目の龍神様の花嫁になった。 これは、龍の眷属である竜堂家が行わなければいけない古くからの習わしで、花嫁が十六で龍神と離縁する。 花嫁が十六歳の誕生日を迎えると、不思議なことに大量の雨が降る。それは龍神が花嫁を現世に戻すために降らせる離縁の雨だと言われていて、雨は三日三晩降り続いたのちに止むのが常だが……。 葵との離縁の雨は降りやまず……。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

処理中です...