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第一章
三ノ巻ー根回し①
しおりを挟む二日前、晴孝様が久しぶりに静姫のところへお見えになった。
几帳越しに静姫とお話しなさったあと、志津さんへ声をかけて下がってこられた。
私は牛車へ乗る前の晴孝様に私の所へ寄ってくれるように兄上を通じて頼んであった。それで、彼は一番端の女房殿へ寄ってくれたのだ。普段は下働きをしている萩野に命じて、ひさしに近い御簾越しでお目にかかった。
「夕月殿、色々ありがとう。姉上は君がいてとても楽しいと言っていたよ」
「お役に立つのはこれからです。晴孝様、まず楓姫のところに話を伺いに行きたいのですが、文使いをしていただけますか?」
晴孝は眉を上げて、黙っている。
「それは……ある意味、誤解されるかもしれないとわかっていて……頼んでいる?」
「それは……その……」
フッと私を見て寂しそうな微笑みを浮かべる。胸がきゅっとなった。どうしたらいいの。私だって……辛い。晴孝様は心の支え。私のお慕いする大切な人。でも、考え抜いたがそれしか方法がない。
楓姫のところは幽閉に近い。私からといって文を届けてもお手元に運ばれるとは思えない。となれば、男君に頼むしかない。しかもその辺の男君では右大臣の屋敷へ入れてはもらえまい。左大臣の長男である晴孝様だからこそ、楓姫のお付きの者達は預かった文を姫までお届けするはずだ。
文には、静姫のためお話しを伺いたいと正直にお伝えし、楓姫の警戒心を解く。今後は直接、私とやりとりをさせて下さいと書いた。
そして朱雀皇子との本当の関係、東宮殿入内後の生活など病になるまでのことを内密に伺いたいのでできればお目にかかりたいということも……。
そして、お悩みがあれば陰陽師である兄兼近がお力になりますと付け加える。
「夕月、君の頼みだ。もちろんやるよ。あのとき、僕は君に何でもやると言った。でも信じて欲しい。君のことを裏切るようなことはしないつもりだよ」
晴孝様の刺すようなまなざし。その言葉……恋を知らない私だって誤解してしまいそうになる。
晴孝様はそういうことに乗じて、楓姫と逢瀬を楽しむ人間ではないということをいいたいんだろう。もちろんそんなこと疑ってはいないし、晴孝様のことを信頼しているからこそ頼むのだ。
いずれ左大臣の長男である彼には、帝の二の姫が北の方として降嫁すると噂されている。私は彼が兄の親友だから近くにいられたが、それもいずれ終わるのだ。
だからこうやって今想うだけでも、言葉を直接交わすことが出来るだけでも……分不相応で幸せなことだ。
晴孝様には未だ通っている女性がいないという。最初の噂が右大臣家の出戻り姫となればお父様である左大臣様がどれだけ怒るか考えるだけで恐ろしい。
「晴孝様のお噂になるようなことがないよう、文を御簾ごしにお届け頂くのは一度だけに致します。それに……本当にそんなことになったら左大臣様もお許しにならないでしょう」
「そうだね。それに、僕自身も気のない人に付け届けは決してしないと決めている。この歳までだから一人なんだよ。方違えでどうしようもなく、近くにいたので寄らせて頂いたということにするから大丈夫だ」
なるほど、それならば左大臣様も理解されるかもしれない。だって文を一度入れてもらえば二度と行って頂く必要はないのだから、楓姫と恋仲だと噂になることは決してないはずだ。
「さすが晴孝様。そのお考えはわたくしには思いもつきませんでした」
光る瞳でじっとこちらを見ている。吸い込まれてしまいそうだ。
「実は……君の女房姿を見たときは本当に驚いた。こんなに綺麗だったとは……普段、兼近の側にいるときにはほとんど紅も差していなかったのに、この間すれ違ったときはあまりの美しさに目を奪われ、声を掛けそびれた。君こそ男に気をつけてくれ」
この間声を掛けて下さらなかったのはそのせいなの?私は無視されたのかと少し寂しかった。男君のことを心配しているのは兄?晴孝様ではないのね……。
御殿女房は主人の男君であるその人自身やそのお付きのものと……関係を持つこともある。女房を使って、本丸である主人の姫に近づこうとする身分の低い男もいる。
そしてその男君達と逢瀬を楽しむ女房が大勢いる。
私は志津さんと一緒の静姫の部屋と御簾ひとつしか隔たりないところにいるのであまり聞こえないが、女房殿に行くと、夜は本当に驚く。
「ご心配には及びません。私のような跳ねっ返り、誰も相手に致しません」
「ここに訪ねてくる男はほとんどいないが……誰かが手引きしたりすることもある。男に声をかけられたり、文をもらったりしたら……必ず私に連絡しなさい。いいね」
まるで、兄上みたい。昔から、私に来た文を検閲していた兄上を思い出した。
「……はい」
私は楓姫宛に用意していた文を扇のうえに載せて晴孝様に託した。すると、彼は黙ってそれを受け取り、私に頷いて、じっと見てから下がっていった。
ああ、晴孝様。こんなことを頼んで本当にごめんなさい。私も辛いのです。
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