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第二章 恋愛と仕事
味方
しおりを挟む氷室商事の本社は都心の一等地にある大きなビルだ。他社は入っていない。つまり自社ビルである。
役員フロア行きのエレベータは奥にあり、そちらに二人で乗った。彼はこんなところの御曹司だったのか。私はますます気が引けてきた。
緊張が顔に出ていたのか、彼に頬をつつかれた。
「大丈夫だ。何を緊張している?」
「……どうして、私も同行するんですか?」
普通、商談に秘書が同行することはほとんどない。それなのに、今回は取締役就任後だからとなにか訳の分からない理由で丸め込まれた。
忙しかったのに……。それでなくても午前中スケジュールキャンセルしたからいろいろ大変なのに……。
ふくれっ面になるのを、彼が上から笑ってみている。チンという音とともにドアが開いた。緊張がマックスになった。役員フロアがうちより立派だ。
あっという間に部屋へたどり着き、まるで実家のような気やすさでノックをすると入っていく。明るい髪色の系統の違う美男子が彼を待っていた。
「俊樹、久しぶりだな。元気か?」
「兄さんも。忙しいでしょう。義姉さん、お久しぶりです」
専務の隣に立つ、長い黒髪の美しい女性がどうやら専務の秘書で奥様だ。にっこりと笑いお辞儀をする。私を見てまた微笑んでくれた。私もお辞儀をする。
「兄さん、紹介します。僕の秘書の森川菜摘さんです」
「初めまして。森川と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ほう、噂の彼女か。弟は強引なところがあるから、大変だろう。公私ともによろしくね」
「……兄さん!」
「知らないわけないだろう。お前、父さんのこの間の見合い話、何件目だと思ってる」
「森川さん、初めまして。お電話で何度かお話して、とても良い方が秘書なんだなあと思っていました。陽樹さんの妻で秘書の京子です。よろしくお願いします」
結んだ長い髪が前へ滑るように流れる。本当に綺麗な人。
「さて、取引に関することは電話とメールで昨日から連絡もらっていたから、午前中出来る範囲で社内に根回しと確認はすんでいる。そちらは、とりあえずあとで話すとして、森川さんを連れてきた理由から聞くとしようか。まあ、分からんでもないが」
座るように促され、遠慮しながら彼の隣に座る。目の前にコーヒーが出され、お盆を下ろした京子さんも専務の横に座った。
「兄さん。義姉さん。森川さんはプライベートでも僕の大切な人です。いずれ、一緒になりたいと思っている。父さん達にはもう少ししてから紹介するつもりだったが、いろいろ不都合が生じてきた。それで、兄さん夫婦には先に紹介して、援護射撃を頼みたい」
驚いて、彼を見やる。突然どういうこと?
「はは、驚いているぞ、隣の彼女。大丈夫なのか?」
こちらを見た彼は、私の手を無言で握ってきた。
「お前のあちらでの状態はこっちも把握している。驚くことじゃないだろう?父さんがお前を好き好んで名字まで代えさせて潜入させているのは、それなりに理由があるからだ。あちらの代替わりもそう遠くないだろうし、うちも再来年辺りには決まるだろう」
「再来年。そうですか、おめでとうと言っておいたほうがいい?兄さん」
「どうだろうな。当然、お前をこちらに呼び戻すのが条件だと父さんには伝えてあった。それには、そちらの会社にそれなりの手土産が必要だ。今回のことはその手土産としては大きすぎるくらいだ。その額に関しては少し調整させてくれ。お前も根っこはこちらの人間なんだから、それくらいはわかるだろう」
「それは、あちらを最初牽制するにはその額が必要だったのです。着地点はいくらでも代えられると思いますよ。とにかく、それはあとで。菜摘のこと、応援してもらえますか?」
彼をじっと見つめる専務の目が、こちらへ向いた。
「森川さん。俊樹と結婚したとして、こちらの会社に来る気はありますか?」
彼が握る手の力が強くなった。彼を見る。私を信じているのね。こちらをちらっと見るとうなずいて口を挟まない。
「それがこちらで可能であれば、もちろん付いてきます。あちらを依願退職することになったとしても、です」
彼が望むのは、公私ともにいること。ずっとそうすることが私にとっても幸せだと思っている。
「ありがとう」
彼の小さな声が横から聞こえる。
「そう。君さえ良ければそうしなさい。うまく移れるようにするよ」
「……はい」
「ちなみに京子もそうだが、公私共側にいるのはいろいろやりやすい。体調管理も出来て、お互いいらぬ心配をすることもない。つまり俊樹の考えも同じなんだろう。今回の取引の理由が君だと聞いたときはびっくりしたけれどね」
京子さんも話す。
「森川さんのすばらしさは今までの秘書同士のお付き合いで私はわかっていましたから、知らぬ人が妹になるよりはずっといいと陽樹さんにはお伝えしていました」
「ありがとうございます。ただ、彼のご両親が私のようなものを俊樹さんの伴侶に選んで頂けるか、それが心配です。私の実家はただの喫茶店経営です。こちらの会社の利益になるような家柄ではありません。それに……」
「そんなことは心配することじゃないと言ってあったろ、菜摘」
彼が、私の方を向いて口を挟んだ。すると、京子さんが身を乗り出して私に話かけた。
「森川さん。私はたまたま会社経営者の娘でしたが、小さな会社です。喫茶店だって、経営者が必要で森川さんのお父様が経営なさっているんですよね。私と全く違わないですよ」
「そうだ、菜摘のところはチェーン店になるかもしれないだろ。お兄さんも別なところで二号店をやっているんだろ?」
「兄が祖父のいる一号店を継いで、父が二号店を出しているんです」
氷室専務がうなずいた。
「経営能力があるのだろう。それなら心配ないよ。母は俊樹に弱い。俊樹が自分で決めた相手なら両親はすぐにいいというだろう。見合いは俊樹に相手がいないから、退屈しのぎに母が選んでいたにすぎないんだ」
「私もお母さまを説得するから任せてちょうだい、森川さん」
京子さんと部屋を後にし、別部屋で色々と氷室家の話を伺った。その間に、兄と弟は仕事の話をまとめたようだった。
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