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シリーズ盤外戦術
盤外戦術その14 願いは叶う
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「矢倉さん、そこはそこはだめです」
矢倉さんが僕の玉をもてあそんでいた。
「ふふ。なら、ここはどうですか?」
「そ、それはっ」
矢倉さんが僕の玉を優しくなでるように、迫ってくる。
「そ、そんな」
「どうです? もう耐えなくってもいいんですよ」
「う。うう。……負けました」
矢倉さんの金が僕の玉をしっかり追い詰めていた。
何をしているかって、将棋ですよ。将棋。
「ああ、やっぱり勝てません」
「でも、美濃くん、だいぶん強くなりましたよ。うちの道場なら、もしかしたら初段になれるかもしれませんね」
「本当ですか?」
「はい。うっかりミスをなくせばですけど」
矢倉さんが僕に微笑みかけてくる。
確かにさっきもうっかり大駒をとられてしまった。なかなか気持ちが急いて見落としてしまうのだ。さすがにあんなミスをしていたら、勝てるものも勝てないだろう。
「美濃くんも、だいぶんいろいろと覚えましたよね」
「そうですね。最近はゴキゲン中飛車がお気に入りです」
「確かに攻め気が強い美濃くんにはあっているかもしれませんね。でも穴熊とかも覚えてみたらいいかもしれません」
ゴキゲン中飛車は角道を開けて、飛車を真ん中にふる戦い方だ。角道をあけている分、攻撃的な戦法だ。一方、矢倉さんがいった穴熊は、隅っこに王を異動させて、周りをがちがちに固める守備的な戦法になる。
「穴熊ですか。どうも僕には性に合わないというか、どうやって攻めればいいのかわからないというか」
「穴熊はたくさん駒を守備に使う分、限られた攻め筋で戦わなければいけませんからね。その分、攻め方を勉強する必要があります」
「なるほど。僕に足りない部分ということですね」
ふむふむとうなずくと、僕はまた駒を集め始める。
「じゃあもう一局お願いします」
「望むところです」
ひさしぶりに矢倉さんが部活に出てきているから、十分に指さないともったいないと思う。特に今日は先輩方もいないので、二人きりだ。矢倉さんと一緒にいられるのは、幸せだと思う。
「あ、美濃くん。ところでですね」
「はいはい。矢倉さん、なんでしょう」
いつものように軽い感じで受け答えをする。
「もうそろそろ二学期も終わりますね」
「そうですね。早いものです。先輩達も受験も大詰めで、さすがに部活は引退だといってましたから、たまにいちご先輩が見に来てくれるくらいで、ちょっと寂しいですね」
「そうか。菊水先輩や木村先輩と会えるのも、もうあと少しなんですね。寂しいです」
「木村先輩にはいろいろ迷惑をかけられましたけど、あんな先輩でもいなくなると思うと寂しいですね」
「そうですね。私も寂しいです。でも今は二人の受験がうまくいくように祈りましょう」
駒を並べながら、二人で会話を弾ませていた。
さてここから一局と思うと同時に、矢倉さんは何事でもないかのように僕に告げていた。
「あ。それと、私、女流棋士になりました」
「え……?」
「私、女流棋士になりました」
「え……ええええ!? い、いまなんて」
「私、女流棋士になりました、といいました」
「え、あ、う? お、おめでとうございます!!」
「ありがとうございます。昨日、資格を得るための四十八局を指し終わったので申請を出してきたところです」
あまりにさらりと告げられたので、僕は呆然として矢倉さんを見つめることしか出来なかった。
「いちおう念願叶ったということで、なら部活に出ても大丈夫かなと思って、今日はこっちにきたんです。公式戦に出るのはまだもうしばらく先ですけど、これからは女流棋士として活動していくことになると思います。応援してくださいね」
「も、もちろんです。でもまさかこんなに早く決まるなんて」
研修会は原則月2回。その中で四局戦うらしい。つまり月に八局。四十八局ということは、最短で六ヶ月が必要だ。矢倉さんが研修会に入ったのは七月からだったと思う。つまり矢倉さんは完全ストレートで研修会を突破したということだ。
矢倉さんが強いのは知っていたけれど、ここまで強かっただなんて。
前に見た時はウォーズで五段になっていたけど、これってウォーズをそれほど頻繁に指している訳じゃないからこの段数なのかもしれない。これは実際にはもっと強いのではと疑ってしまう。
「そうですね。確かに思ったよりも早く決まったと思います。それというのも美濃くんが支えてくれたからです」
「い、いえ。僕は何もしていませんよ」
「そんなことは。前のストーカー事件の時だって、美濃くんがいてくれたおかげで犯人を逮捕出来た訳ですし。感謝しています」
先日あったストーカー事件。あれは確かに大変な事件だった。
でも直接犯人を何とかしたのはいちご先輩だし、僕はただそばにいただけで何も出来ていない。
「結局僕は何も出来なかったですし」
「いいえ、そばにいてくれるだけでいいんです。美濃くんがいてくれるだけで、力になります。美濃くんの……歩くんの、おかげです」
矢倉さんがわざわざ僕の名前を呼び直した。
ここは部室だけれど、たぶん先輩達はこない。だからこの場は二人きりでもある。
「……部室で名前で呼ぶのはちょっと恥ずかしいですね」
「そうかもしれないですね。……さくらさん」
「照れます」
「そうですね……!」
二人で顔を赤くしていた瞬間だった。
バンっと鈍い音が響いて扉が開く。
「矢倉ちゃん、女流棋士になったってほんと!?」
勢いよくいちご先輩があらわれた。そして後ろには木村先輩と菊水先輩の姿もある。
「……おやおやおや。なんか二人とも顔赤いぞよ。さては、二人っきりだからって、何かよからぬことをしておったかね?」
木村先輩が相変わらずセクハラまがいのことを告げる。
「してませんっ」
「ほほほ。わらわにはお見通しじゃぞ」
「変な口調やめてくださいっ」
顔を真っ赤にしたまま、僕は木村先輩に大きく腕をふってごまかす。恥ずかしい。
「で、でも。どうしてそれを」
「将棋どーでもいいにゅーすに『新たな女流棋士が誕生。これから女流会に旋風を起こすか!?』って記事がのっていたから」
「は、早すぎる。このサイト、誰か内部の人がやってるのかなぁ。半分ストーカーみたいなものじゃ」
そもそもストーカー事件もこのサイトに矢倉さんの記事がのったことが原因だった。
しかしまさかこんなに早く記事になるなんて、ただの個人ブログとは思えない。アクセス数もかなり多いみたいだし。
「さぁ、そこはわかんないけど。でも記事の速報性はかなりのものだよ。ここ。まぁ、何にしても矢倉っちおめでとう!! めでたいから、いちごと菊水くんも連れてきたぞよ」
「うん。矢倉ちゃんおめでとう。自分のことのように嬉しいよ」
菊水先輩が笑顔で告げる。
「矢倉ちゃん、おめでとう。矢倉ちゃんならやれるって、ボク信じてたよ」
いちご先輩もお祝いの言葉を告げていた。
「あ、ありがとうございます」
矢倉さんが深々と頭を下げる。
「じゃあ今日くらいは、僕達も部活にでようかな。女流棋士になった、矢倉ちゃんに、一局指導対局をお願いしたい」
「あ、私も私も!」
「じゃあ、ボクも」
先輩達が次々と矢倉さんへと迫っていく。
こうしていると、僕にも少しずつ実感がわいてくる。
矢倉さんは夢を叶えたんだ。
なら、僕も。
僕は、将棋で生きていけるほど強くなることはないだろう。
でも矢倉さんのそばに居続けるために、僕にしか出来ないことだってあるはずだ。
自分の決意をしっかりと胸に秘めて、前に向かっていこうと決意を新たに決める。
僕の夢は矢倉さんをずっと支え続けること。矢倉さんの精神的な支えになること。
将棋は弱い僕だけれど、それでも矢倉さんに精一杯ついていこうと思う。
いつか矢倉さんが壁にぶつかった時に、手を差しのばせるのは僕であれるように。
将棋の腕も、男としての一面も、磨き続けていこうと誓う。
僕の夢は。矢倉さんと。
ずっと一緒にいられますように。
シリーズ盤外戦術 了
矢倉さんが僕の玉をもてあそんでいた。
「ふふ。なら、ここはどうですか?」
「そ、それはっ」
矢倉さんが僕の玉を優しくなでるように、迫ってくる。
「そ、そんな」
「どうです? もう耐えなくってもいいんですよ」
「う。うう。……負けました」
矢倉さんの金が僕の玉をしっかり追い詰めていた。
何をしているかって、将棋ですよ。将棋。
「ああ、やっぱり勝てません」
「でも、美濃くん、だいぶん強くなりましたよ。うちの道場なら、もしかしたら初段になれるかもしれませんね」
「本当ですか?」
「はい。うっかりミスをなくせばですけど」
矢倉さんが僕に微笑みかけてくる。
確かにさっきもうっかり大駒をとられてしまった。なかなか気持ちが急いて見落としてしまうのだ。さすがにあんなミスをしていたら、勝てるものも勝てないだろう。
「美濃くんも、だいぶんいろいろと覚えましたよね」
「そうですね。最近はゴキゲン中飛車がお気に入りです」
「確かに攻め気が強い美濃くんにはあっているかもしれませんね。でも穴熊とかも覚えてみたらいいかもしれません」
ゴキゲン中飛車は角道を開けて、飛車を真ん中にふる戦い方だ。角道をあけている分、攻撃的な戦法だ。一方、矢倉さんがいった穴熊は、隅っこに王を異動させて、周りをがちがちに固める守備的な戦法になる。
「穴熊ですか。どうも僕には性に合わないというか、どうやって攻めればいいのかわからないというか」
「穴熊はたくさん駒を守備に使う分、限られた攻め筋で戦わなければいけませんからね。その分、攻め方を勉強する必要があります」
「なるほど。僕に足りない部分ということですね」
ふむふむとうなずくと、僕はまた駒を集め始める。
「じゃあもう一局お願いします」
「望むところです」
ひさしぶりに矢倉さんが部活に出てきているから、十分に指さないともったいないと思う。特に今日は先輩方もいないので、二人きりだ。矢倉さんと一緒にいられるのは、幸せだと思う。
「あ、美濃くん。ところでですね」
「はいはい。矢倉さん、なんでしょう」
いつものように軽い感じで受け答えをする。
「もうそろそろ二学期も終わりますね」
「そうですね。早いものです。先輩達も受験も大詰めで、さすがに部活は引退だといってましたから、たまにいちご先輩が見に来てくれるくらいで、ちょっと寂しいですね」
「そうか。菊水先輩や木村先輩と会えるのも、もうあと少しなんですね。寂しいです」
「木村先輩にはいろいろ迷惑をかけられましたけど、あんな先輩でもいなくなると思うと寂しいですね」
「そうですね。私も寂しいです。でも今は二人の受験がうまくいくように祈りましょう」
駒を並べながら、二人で会話を弾ませていた。
さてここから一局と思うと同時に、矢倉さんは何事でもないかのように僕に告げていた。
「あ。それと、私、女流棋士になりました」
「え……?」
「私、女流棋士になりました」
「え……ええええ!? い、いまなんて」
「私、女流棋士になりました、といいました」
「え、あ、う? お、おめでとうございます!!」
「ありがとうございます。昨日、資格を得るための四十八局を指し終わったので申請を出してきたところです」
あまりにさらりと告げられたので、僕は呆然として矢倉さんを見つめることしか出来なかった。
「いちおう念願叶ったということで、なら部活に出ても大丈夫かなと思って、今日はこっちにきたんです。公式戦に出るのはまだもうしばらく先ですけど、これからは女流棋士として活動していくことになると思います。応援してくださいね」
「も、もちろんです。でもまさかこんなに早く決まるなんて」
研修会は原則月2回。その中で四局戦うらしい。つまり月に八局。四十八局ということは、最短で六ヶ月が必要だ。矢倉さんが研修会に入ったのは七月からだったと思う。つまり矢倉さんは完全ストレートで研修会を突破したということだ。
矢倉さんが強いのは知っていたけれど、ここまで強かっただなんて。
前に見た時はウォーズで五段になっていたけど、これってウォーズをそれほど頻繁に指している訳じゃないからこの段数なのかもしれない。これは実際にはもっと強いのではと疑ってしまう。
「そうですね。確かに思ったよりも早く決まったと思います。それというのも美濃くんが支えてくれたからです」
「い、いえ。僕は何もしていませんよ」
「そんなことは。前のストーカー事件の時だって、美濃くんがいてくれたおかげで犯人を逮捕出来た訳ですし。感謝しています」
先日あったストーカー事件。あれは確かに大変な事件だった。
でも直接犯人を何とかしたのはいちご先輩だし、僕はただそばにいただけで何も出来ていない。
「結局僕は何も出来なかったですし」
「いいえ、そばにいてくれるだけでいいんです。美濃くんがいてくれるだけで、力になります。美濃くんの……歩くんの、おかげです」
矢倉さんがわざわざ僕の名前を呼び直した。
ここは部室だけれど、たぶん先輩達はこない。だからこの場は二人きりでもある。
「……部室で名前で呼ぶのはちょっと恥ずかしいですね」
「そうかもしれないですね。……さくらさん」
「照れます」
「そうですね……!」
二人で顔を赤くしていた瞬間だった。
バンっと鈍い音が響いて扉が開く。
「矢倉ちゃん、女流棋士になったってほんと!?」
勢いよくいちご先輩があらわれた。そして後ろには木村先輩と菊水先輩の姿もある。
「……おやおやおや。なんか二人とも顔赤いぞよ。さては、二人っきりだからって、何かよからぬことをしておったかね?」
木村先輩が相変わらずセクハラまがいのことを告げる。
「してませんっ」
「ほほほ。わらわにはお見通しじゃぞ」
「変な口調やめてくださいっ」
顔を真っ赤にしたまま、僕は木村先輩に大きく腕をふってごまかす。恥ずかしい。
「で、でも。どうしてそれを」
「将棋どーでもいいにゅーすに『新たな女流棋士が誕生。これから女流会に旋風を起こすか!?』って記事がのっていたから」
「は、早すぎる。このサイト、誰か内部の人がやってるのかなぁ。半分ストーカーみたいなものじゃ」
そもそもストーカー事件もこのサイトに矢倉さんの記事がのったことが原因だった。
しかしまさかこんなに早く記事になるなんて、ただの個人ブログとは思えない。アクセス数もかなり多いみたいだし。
「さぁ、そこはわかんないけど。でも記事の速報性はかなりのものだよ。ここ。まぁ、何にしても矢倉っちおめでとう!! めでたいから、いちごと菊水くんも連れてきたぞよ」
「うん。矢倉ちゃんおめでとう。自分のことのように嬉しいよ」
菊水先輩が笑顔で告げる。
「矢倉ちゃん、おめでとう。矢倉ちゃんならやれるって、ボク信じてたよ」
いちご先輩もお祝いの言葉を告げていた。
「あ、ありがとうございます」
矢倉さんが深々と頭を下げる。
「じゃあ今日くらいは、僕達も部活にでようかな。女流棋士になった、矢倉ちゃんに、一局指導対局をお願いしたい」
「あ、私も私も!」
「じゃあ、ボクも」
先輩達が次々と矢倉さんへと迫っていく。
こうしていると、僕にも少しずつ実感がわいてくる。
矢倉さんは夢を叶えたんだ。
なら、僕も。
僕は、将棋で生きていけるほど強くなることはないだろう。
でも矢倉さんのそばに居続けるために、僕にしか出来ないことだってあるはずだ。
自分の決意をしっかりと胸に秘めて、前に向かっていこうと決意を新たに決める。
僕の夢は矢倉さんをずっと支え続けること。矢倉さんの精神的な支えになること。
将棋は弱い僕だけれど、それでも矢倉さんに精一杯ついていこうと思う。
いつか矢倉さんが壁にぶつかった時に、手を差しのばせるのは僕であれるように。
将棋の腕も、男としての一面も、磨き続けていこうと誓う。
僕の夢は。矢倉さんと。
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