矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

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第二十七局 決勝戦でも矢倉さんの守りは固い

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 いよいよ決勝が始まる。これに勝てば優勝。そして全国大会への出場が決まる。

 相手は全勝で勝ち進んできている強豪だ。僕が勝てる可能性はかなり低い。それでも全力を尽くして戦うしかない。

 僕は5八飛ごーはちひから、それから5六歩ごーろくふを突く。中飛車なかびしゃの構えだ。そしてさらに7六歩ななろくふをつく。

 攻めを重視した中飛車。ゴキゲン中飛車だ。

 僕は攻撃的にがつがつと攻め込む。振り飛車党ふりびしゃとうらしく、どんどんさばいていって活路を見いだすんだ。
 意外とチャンスがあるかもと序盤はそう思っていた。

 しかし相手は着実に僕の攻めをいなすと、少しずつ守りを固めていく。

 玉を9九きゅーきゅーに入れ込み、防御をがっつりと固める。これは居飛車穴熊いびしゃあなぐまだ。

 穴熊に組ませないようにと思っていたけれど、相手はがっつりと籠もってしまった。これは攻略するのに時間がかかるかもしれない。

 良い攻め手がみつからず、逆に応戦一方となっていく。
 何とかときんを作って、攻略の糸口にしたいところだけれど、相手もそれはしっかりと守ってくる。

 相手と見合うような手が多くなってきて少し時間がかかっていたところだった。

「負けました」

 隣からいちご先輩が負けを認める声が聞こえてくる。

 え、いちご先輩が!?

 ちらりと盤面をみると、どうやら急戦で互いに攻め合った結果、いちご先輩が自陣を突破され負けを認めたようだった。

 胸の中が強く揺れる。

 さらに奥へと視線を送ると、矢倉やぐらさんはかろやかに駒組みを進めていた。どうやら矢倉さんはこのままいけば勝てそうな様子だ。

 そうなると優勝が出来るかどうかは僕に掛かってくる。
 僕は今まで公式な試合では勝った事がない。

 僕に勝てるだろうか。
 僕は勝てるだろうか。

 プレッシャーが僕の肩にのしかかってくる。

 勝たなきゃ勝つんだ。勝たないと優勝できない。
 手が震える。先が読めない。でも時間もこくこくと過ぎて行っている。時間ぎれで負けるなんてことは避けたい。

 まだ勝負は互角だと思う。まだ勝てるはず。今までだって詰みを逃さなきゃ勝てたはずだ。だけど目の前がくらくらとして何も見えない。

「ありがとうございました」

 矢倉さんの声が聞こえる。
 どうやら矢倉さんは無事に勝利したようだ。本当に僕の手に優勝がゆだねられている。

「う……うう……」

 ふと対局相手の少年が声を漏らした。どうやら彼もその事実に緊張しているようだった。自分が勝つか負けるかによって勝負が決める。大勝負だ。

 大勝負。いや。

 ふと矢倉さんの顔が浮かんだ。

 矢倉さんはいつもどんな時でも楽しそうに将棋を指していた。僕と指す将棋なんてほとんど勝負になっていなかったはずなのに、それでも本当に楽しそうだった。

 木村先輩の言葉も思い出す。

『あんまり思い詰めたら勝てるものも勝てなくなっちゃうからね。まずは楽しむこと。いつも矢倉ちゃんと指してる時、美濃みのっち楽しそうにしてるじゃない』

 そうだ。僕はこの試合で勝とうが負けようが楽しむと決めていたんだ。

 矢倉さんと指していると思おう。矢倉さんにはいつも勝とうと思ってがんばって指している。でも負けてもいい。楽しければいい。そう思って僕は指していたんだ。

 ちらりと目の前の少年の顔を見上げる。どこか焦りを感じているようにも思えた。

 そうだ。彼もきっと自分が勝たなければ優勝を逃してしまうという瞬間に動揺しているのだろう。今まで全勝で来ていて、逆に僕は一度も勝っていない。

 そうなれば勝って当たり前。勝つのが当然だと思われている。
 それはかなりのプレッシャーになっているはずだ。

 僕はだからのんびりと指そう。矢倉さんと指していると思って、のんびりと。
 矢倉さんもたまに居飛車穴熊は指していた。

 僕が矢倉さんと指すときにはどうしていたか。矢倉さんは。

 そう思うと、不意に矢倉さんの指し筋が見えた。矢倉さんなら、ここはきっとこう指す。そうされたら僕は一気に不利になってしまう。ならそこをケアする手を指さねば。

 そう思って僕が指した手に、相手は目を白黒とさせていた。

「……いい手だ」

 近くでみていた誰かがぼそりとつぶやく。
 今の手は相手を止める手。攻め筋を失った彼は、仕方なく守りの手を指す。

 その瞬間、再び矢倉さんが指したであろう手が僕には見えた。
 本当に矢倉さんがそう指すのかはわからない。でも僕が感じた手は、僕がいつも矢倉さんと指してきて見えた手だ。

 ならば。それを防ぐにはどうすれば良いか。その手を上回るには。
 僕が見えた手は、かくを切り捨てる手だ。大駒はもういらない。相手の守りを切り崩す。

 相手は予想だにしていなかったのか、慌てて切り捨てた角を奪う。そこにさらに僕は飛車を突っ込む。
 大駒二枚を捨てて、崩れた場所に金駒かなごま桂馬けいまを駆使して一つずつ崩していく。

 そしていよいよぎょくが裸になって、相手は指す駒がない。

 とった大駒を合駒につかうしかなくて、僕はそれを手にしてさらに攻め立てる。

 そして最後に僕は渾身の桂馬を打ち付ける。
 これをとればさっきうばった角が利いている。しかし王の逃げ場はない。

 詰みだ。

「……負けました」

 相手が震える身体で頭を下げる。

 勝った。勝ったのか。僕が。勝って優勝を決めた?

「これにて二勝一敗となりますので、南高校の勝利です」

 僕達の勝利を告げるアナウンスが響く。
 僕はただ喜びに震えていた。
 思わず矢倉さんの方へと向き直った。

「勝ち……ました」
「はい。美濃くん、見ていましたよ。見事な勝利でした」

 矢倉さんはにこやかな顔で僕に告げる。
 いちご先輩が申し訳なさそうな顔で僕を見ていた。

「ごめん。ボクが先に負けちゃったから、プレッシャーかかっていただろ。ありがとう。僕達が優勝出来たのは美濃くんのおかげだよ」

 いちご先輩が頭を下げる。

「そんな。ここまでこれたのはいちご先輩のおかげです。僕はそこまで一つも勝てなくて」

 団体戦だから、チーム三人の成績によって進退が決まる。その中で僕はたった一度だけ勝ったに過ぎなかった。
 でも始めて得た勝利に。僕は胸の中にわき上がるものを感じていた。

「いちご先輩、矢倉さん。ここまで本当にありがとうございました!」

 僕は深々と頭を下げる。

 みんなで掴んだ勝利だ。ここまでこれたのはほとんど矢倉さんといちご先輩の力で、僕はずっと役に立てなかった。

 でも最後の最後で、僕もこのチームに貢献できたんだ。

 もしもいちご先輩が勝っていて、僕が負けていたのなら、優勝できたのだとしても僕は心から喜べなかったかもしれない。

 でも僕はこれで胸をはって優勝を誇る事が出来る。

 そう、僕もちゃんとチームの一員として戦えたんだ。
 矢倉さんはただ僕を見て微笑んでいた。

 いちご先輩は僕に向けて立てた親指を突き出してきていた。

 僕達は、優勝したんだ。
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