矢倉さんは守りが固い

香澄 翔

文字の大きさ
上 下
10 / 42

第十局 美濃くんは最初から振り飛車党

しおりを挟む
 ふと美濃みのくんと出会った時の事を思い出す。

 最初は少しでも将棋の話ができる同年代の人と出会いたいなって、そんな気持ちで将棋部を覗いてみた。

 先輩たちは温かく迎えてくれたけど三年生の先輩が二人だけ。それも二人ともすごい難関大学を受験するから早い時期から受験に専念するつもりらしく、大会参加以外はあまり部活にでられないかもということだった。

 二年の先輩も二人だけど、一人は大会の団体戦にでられるように入ってくれたらしく、もう一人は完全に幽霊部員だそう。

 つまり完全に目論見は外れて結局のところ私はまた一人なのだ。

 それでもたまには来てくれるそうだし、誰もいないよりかはマシだと思って入部を決めた。もしかしたら一年生もまだ入ってくれるかも知れないし。

 ただ先輩達も積極的な勧誘はしていないから望み薄なのは理解していた。とはいえ、ときどきでもありがたい。先輩達も十分お強いから、対局するのはかなり楽しい。

 今日は菊水きくすい先輩も木村きむら先輩も来てくれるとの話だから、対局できるのは嬉しいな。
 そんなことを思いながら部室の中に入る。その瞬間だった。

『あ、君入部希望者? うわー嬉しいなー。早速入って入って。遠慮しなくていいから覗いてみるだけでもいいから、ね。いいよね。ほらほらほらほら、入って入って』

 どうやら菊水先輩の声だ。それにしても入部希望者って本当かな。
 声と共に入ってきたのは二人の男の人だった。一人は言わずも知れた菊水先輩。言葉遣いが柔らかい、とてもふわふわとした、でも意外と強引な人だ。

 もう一人は少し髪色が淡い、優しそうな知らない男の人だった。この人が新入部員だろうか。

「よくきてくれたねー。僕はね。菊水っていうんだよ。いちおう僕が部長だよー。で、君の名前は?」

 菊水先輩はふわふわとした口調で訊ねるが、意外と有無を言わせない迫力がある。私もこの調子で入部を決めさせられた。まぁ私の場合は最初から入部するつもりでたずねたのだから、異論はないのだけども。

「え、えーっと美濃みのですけど。でも、その」
「うんうん。美濃くんかー。いいねいいねー。その名前、まさにうちの部にうってつけだよー。もう君はうちの部に入るために生まれてきたようなものだよねー。じゃあこれが入部届けだから、書いていってねー。クラスと名前かくだけでいいから。それだけだからね。心配しなくても大丈夫だよー」

 美濃と名乗った彼が何か言いかけたけど、強引に言葉を途切れさせる。菊水先輩は口調こそ柔らかいものの、有無を言わせずに押し切ろうとしていた。

「え、えっと。ここってそもそも何をする部活なんですか」
「ここは将棋を指して楽しむだけの部活だよー。楽しく明るく将棋を指して遊ぼうっていうだけの部活だから、苦しい事とか辛い事とか何一つない、気楽な活動をしているよー。いやー、でも良かったよ。美濃くんが入ってくれなかったら、この部廃部になる可能性があったからねー。人数が最低五人いないと廃部なんだよー。でも君がきてくれたから安心だよ。いやー、良かった良かった。助かったよー。ありがとう、美濃くん」

 ばんばんと肩を叩きながら菊水先輩が笑いかける。

 実のところすでに名簿上には五人いるから、廃部の危機は免れている。でもそんなことは言わずに、廃部を前面に押し出す事で断りにくい空気を醸し出そうとしているのだ。ふわふわした口調の柔らかい空気に騙されるけど、菊水先輩はかなり悪知恵が働くし、意外とあくどい。その性格は将棋の指し筋にも表れていて、実にうまくからみ手や奇襲を使いこなす厄介な人だ。

「え、えっと実は僕、将棋のルールもよくしらないんですけど」
「え、ルールかい。大丈夫だよー。みんな最初は初心者だからねー。もう僕が手取り足取り教えてあげるよ。あ、でも僕よりも矢倉やぐらの方が適任かな。そこに座っている彼女が矢倉さん。彼女が尽きっきりでルール教えてくれるよー。どうかな。ほら、美人とマンツーマンで遊べるだなんて、こんな機会そうそうないよー。いいよね。うん。ほら。決まり」

 菊水先輩が私をダシに使っていた。
 まぁ、実際菊水先輩はあまり部活にこれないと言っていたので、彼が入部したとしたらそうなる可能性は高いとは思う。

 でもどうだろう。将棋を知らない、特に好きでもない人が入ってきて、私とうまく会話できるだろうか。たぶん無理だと思う。

 将棋が好きな人なら入ってきてもらいたいけど、何も知らない人が入ってきたとしても、私は会話を続けられるとは思わない。私の事を気持ち悪がられてしまうだけじゃないだろうか。

「わ、わかりました。入ります」

 菊水先輩に押し切られたのか。それとももともと入部するつもりではあったのか、彼は大きくうなずいていた。
 私の方をちらりとみていたような気がするけど、それだけで胸がばくばくと鼓動する。

 し、知らない人と話せるかな。大丈夫かな。内心かなり焦りを感じていた。人見知り治らないなぁ。私。知らない人と将棋を指すのは平気なんだけど、教えるってなるとハードルが高いかも。

「あの、でも言ったとおり、ぜんぜん将棋知らないんですけど、僕にも教えてもらえますか」

 ただ美濃くんは丁寧な口調で私にたずねかけてきてくれていた。

 将棋を知らないとは言っていたけれど、将棋を楽しみたいとは思っていてくれるのだろうか。それなら私にも何とかなるかもしれない。優しい言葉で話してくれるなら、私も身構えずに済む。

「はい。大丈夫です。私、矢倉といいます。これからどうぞよろしくお願いします」

 出来るだけ落ち着いた声で話すように心がける。
 昔早口で将棋の戦法を同級生に語って、気味悪がられた事を少し思い出した。
 ゆっくり落ち着いて話そう。それならきっと大丈夫。

「僕は美濃と言います。こちらこそよろしくお願いします」

 美濃くんは深々と頭を下げる。

 同じ歳なのに、丁寧に話してくれて、とても私には話しやすかった。これで「おう。矢倉。よろしくな」みたいに言われていたら、たぶん私はその後も話せなかっただろう。

 でもこの時の私は美濃くんが私の事を先輩と勘違いしているなんて思ってもみなかった。ただ優しい言葉使いの彼に、少しだけ安心して胸をなで下ろしていたのだ。

 だから最初の出会いは悪くなかったと思う。

 このあと美濃くんは、思いもしない言葉を連発して、私の心を振り回していくのだけれども、でもそれが決して嫌な気持ちばかりではないことは、私はよく知っている。
 誰かと将棋をする事はとても楽しい。それは昔から変わらなかったけれど、でも他の誰と指すよりも、美濃くんと指す将棋が何より楽しい。

 正直美濃くんと私とではまともな勝負にはならない。私はかなり手抜きで指しているとは思う。

 でも美濃くんはそんな私にどれだけ負けていても、いつも楽しそうに将棋を指してくれる。ルールがわからなくても、負けていても、気にせずに楽しむ美濃くん。

 そんな美濃くんの事を、たぶん私は気になっているのだと思う――
 隣にたたずむ美濃くんをみて、私はただ顔を紅色に染める。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

13歳女子は男友達のためヌードモデルになる

矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。

それはきっと、夜明け前のブルー

遠藤さや
青春
過去のつらい経験から男の子が苦手な詩。 席替えで隣の席になった黒崎くんが怖くて、会話どころか挨拶すらできずにいた。 そんな詩の癒しは、毎晩庭にやって来る通い猫のブルー。 ある日、ブルーの首輪に飼い主からの手紙が結ばれていたことから、文通がはじまる。 男の子が苦手な詩と無愛想な水泳男子の黒崎くん。 恋から遠いふたりと、時々ねこ。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

泥々の川

フロイライン
恋愛
昭和四十九年大阪 中学三年の友谷袮留は、劣悪な家庭環境の中にありながら前向きに生きていた。 しかし、ろくでなしの父親誠の犠牲となり、ささやかな幸せさえも奪われてしまう。

処理中です...