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第十局 美濃くんは最初から振り飛車党
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ふと美濃くんと出会った時の事を思い出す。
最初は少しでも将棋の話ができる同年代の人と出会いたいなって、そんな気持ちで将棋部を覗いてみた。
先輩たちは温かく迎えてくれたけど三年生の先輩が二人だけ。それも二人ともすごい難関大学を受験するから早い時期から受験に専念するつもりらしく、大会参加以外はあまり部活にでられないかもということだった。
二年の先輩も二人だけど、一人は大会の団体戦にでられるように入ってくれたらしく、もう一人は完全に幽霊部員だそう。
つまり完全に目論見は外れて結局のところ私はまた一人なのだ。
それでもたまには来てくれるそうだし、誰もいないよりかはマシだと思って入部を決めた。もしかしたら一年生もまだ入ってくれるかも知れないし。
ただ先輩達も積極的な勧誘はしていないから望み薄なのは理解していた。とはいえ、ときどきでもありがたい。先輩達も十分お強いから、対局するのはかなり楽しい。
今日は菊水先輩も木村先輩も来てくれるとの話だから、対局できるのは嬉しいな。
そんなことを思いながら部室の中に入る。その瞬間だった。
『あ、君入部希望者? うわー嬉しいなー。早速入って入って。遠慮しなくていいから覗いてみるだけでもいいから、ね。いいよね。ほらほらほらほら、入って入って』
どうやら菊水先輩の声だ。それにしても入部希望者って本当かな。
声と共に入ってきたのは二人の男の人だった。一人は言わずも知れた菊水先輩。言葉遣いが柔らかい、とてもふわふわとした、でも意外と強引な人だ。
もう一人は少し髪色が淡い、優しそうな知らない男の人だった。この人が新入部員だろうか。
「よくきてくれたねー。僕はね。菊水っていうんだよ。いちおう僕が部長だよー。で、君の名前は?」
菊水先輩はふわふわとした口調で訊ねるが、意外と有無を言わせない迫力がある。私もこの調子で入部を決めさせられた。まぁ私の場合は最初から入部するつもりでたずねたのだから、異論はないのだけども。
「え、えーっと美濃ですけど。でも、その」
「うんうん。美濃くんかー。いいねいいねー。その名前、まさにうちの部にうってつけだよー。もう君はうちの部に入るために生まれてきたようなものだよねー。じゃあこれが入部届けだから、書いていってねー。クラスと名前かくだけでいいから。それだけだからね。心配しなくても大丈夫だよー」
美濃と名乗った彼が何か言いかけたけど、強引に言葉を途切れさせる。菊水先輩は口調こそ柔らかいものの、有無を言わせずに押し切ろうとしていた。
「え、えっと。ここってそもそも何をする部活なんですか」
「ここは将棋を指して楽しむだけの部活だよー。楽しく明るく将棋を指して遊ぼうっていうだけの部活だから、苦しい事とか辛い事とか何一つない、気楽な活動をしているよー。いやー、でも良かったよ。美濃くんが入ってくれなかったら、この部廃部になる可能性があったからねー。人数が最低五人いないと廃部なんだよー。でも君がきてくれたから安心だよ。いやー、良かった良かった。助かったよー。ありがとう、美濃くん」
ばんばんと肩を叩きながら菊水先輩が笑いかける。
実のところすでに名簿上には五人いるから、廃部の危機は免れている。でもそんなことは言わずに、廃部を前面に押し出す事で断りにくい空気を醸し出そうとしているのだ。ふわふわした口調の柔らかい空気に騙されるけど、菊水先輩はかなり悪知恵が働くし、意外とあくどい。その性格は将棋の指し筋にも表れていて、実にうまく搦み手や奇襲を使いこなす厄介な人だ。
「え、えっと実は僕、将棋のルールもよくしらないんですけど」
「え、ルールかい。大丈夫だよー。みんな最初は初心者だからねー。もう僕が手取り足取り教えてあげるよ。あ、でも僕よりも矢倉の方が適任かな。そこに座っている彼女が矢倉さん。彼女が尽きっきりでルール教えてくれるよー。どうかな。ほら、美人とマンツーマンで遊べるだなんて、こんな機会そうそうないよー。いいよね。うん。ほら。決まり」
菊水先輩が私をダシに使っていた。
まぁ、実際菊水先輩はあまり部活にこれないと言っていたので、彼が入部したとしたらそうなる可能性は高いとは思う。
でもどうだろう。将棋を知らない、特に好きでもない人が入ってきて、私とうまく会話できるだろうか。たぶん無理だと思う。
将棋が好きな人なら入ってきてもらいたいけど、何も知らない人が入ってきたとしても、私は会話を続けられるとは思わない。私の事を気持ち悪がられてしまうだけじゃないだろうか。
「わ、わかりました。入ります」
菊水先輩に押し切られたのか。それとももともと入部するつもりではあったのか、彼は大きくうなずいていた。
私の方をちらりとみていたような気がするけど、それだけで胸がばくばくと鼓動する。
し、知らない人と話せるかな。大丈夫かな。内心かなり焦りを感じていた。人見知り治らないなぁ。私。知らない人と将棋を指すのは平気なんだけど、教えるってなるとハードルが高いかも。
「あの、でも言ったとおり、ぜんぜん将棋知らないんですけど、僕にも教えてもらえますか」
ただ美濃くんは丁寧な口調で私にたずねかけてきてくれていた。
将棋を知らないとは言っていたけれど、将棋を楽しみたいとは思っていてくれるのだろうか。それなら私にも何とかなるかもしれない。優しい言葉で話してくれるなら、私も身構えずに済む。
「はい。大丈夫です。私、矢倉といいます。これからどうぞよろしくお願いします」
出来るだけ落ち着いた声で話すように心がける。
昔早口で将棋の戦法を同級生に語って、気味悪がられた事を少し思い出した。
ゆっくり落ち着いて話そう。それならきっと大丈夫。
「僕は美濃と言います。こちらこそよろしくお願いします」
美濃くんは深々と頭を下げる。
同じ歳なのに、丁寧に話してくれて、とても私には話しやすかった。これで「おう。矢倉。よろしくな」みたいに言われていたら、たぶん私はその後も話せなかっただろう。
でもこの時の私は美濃くんが私の事を先輩と勘違いしているなんて思ってもみなかった。ただ優しい言葉使いの彼に、少しだけ安心して胸をなで下ろしていたのだ。
だから最初の出会いは悪くなかったと思う。
このあと美濃くんは、思いもしない言葉を連発して、私の心を振り回していくのだけれども、でもそれが決して嫌な気持ちばかりではないことは、私はよく知っている。
誰かと将棋をする事はとても楽しい。それは昔から変わらなかったけれど、でも他の誰と指すよりも、美濃くんと指す将棋が何より楽しい。
正直美濃くんと私とではまともな勝負にはならない。私はかなり手抜きで指しているとは思う。
でも美濃くんはそんな私にどれだけ負けていても、いつも楽しそうに将棋を指してくれる。ルールがわからなくても、負けていても、気にせずに楽しむ美濃くん。
そんな美濃くんの事を、たぶん私は気になっているのだと思う――
隣にたたずむ美濃くんをみて、私はただ顔を紅色に染める。
最初は少しでも将棋の話ができる同年代の人と出会いたいなって、そんな気持ちで将棋部を覗いてみた。
先輩たちは温かく迎えてくれたけど三年生の先輩が二人だけ。それも二人ともすごい難関大学を受験するから早い時期から受験に専念するつもりらしく、大会参加以外はあまり部活にでられないかもということだった。
二年の先輩も二人だけど、一人は大会の団体戦にでられるように入ってくれたらしく、もう一人は完全に幽霊部員だそう。
つまり完全に目論見は外れて結局のところ私はまた一人なのだ。
それでもたまには来てくれるそうだし、誰もいないよりかはマシだと思って入部を決めた。もしかしたら一年生もまだ入ってくれるかも知れないし。
ただ先輩達も積極的な勧誘はしていないから望み薄なのは理解していた。とはいえ、ときどきでもありがたい。先輩達も十分お強いから、対局するのはかなり楽しい。
今日は菊水先輩も木村先輩も来てくれるとの話だから、対局できるのは嬉しいな。
そんなことを思いながら部室の中に入る。その瞬間だった。
『あ、君入部希望者? うわー嬉しいなー。早速入って入って。遠慮しなくていいから覗いてみるだけでもいいから、ね。いいよね。ほらほらほらほら、入って入って』
どうやら菊水先輩の声だ。それにしても入部希望者って本当かな。
声と共に入ってきたのは二人の男の人だった。一人は言わずも知れた菊水先輩。言葉遣いが柔らかい、とてもふわふわとした、でも意外と強引な人だ。
もう一人は少し髪色が淡い、優しそうな知らない男の人だった。この人が新入部員だろうか。
「よくきてくれたねー。僕はね。菊水っていうんだよ。いちおう僕が部長だよー。で、君の名前は?」
菊水先輩はふわふわとした口調で訊ねるが、意外と有無を言わせない迫力がある。私もこの調子で入部を決めさせられた。まぁ私の場合は最初から入部するつもりでたずねたのだから、異論はないのだけども。
「え、えーっと美濃ですけど。でも、その」
「うんうん。美濃くんかー。いいねいいねー。その名前、まさにうちの部にうってつけだよー。もう君はうちの部に入るために生まれてきたようなものだよねー。じゃあこれが入部届けだから、書いていってねー。クラスと名前かくだけでいいから。それだけだからね。心配しなくても大丈夫だよー」
美濃と名乗った彼が何か言いかけたけど、強引に言葉を途切れさせる。菊水先輩は口調こそ柔らかいものの、有無を言わせずに押し切ろうとしていた。
「え、えっと。ここってそもそも何をする部活なんですか」
「ここは将棋を指して楽しむだけの部活だよー。楽しく明るく将棋を指して遊ぼうっていうだけの部活だから、苦しい事とか辛い事とか何一つない、気楽な活動をしているよー。いやー、でも良かったよ。美濃くんが入ってくれなかったら、この部廃部になる可能性があったからねー。人数が最低五人いないと廃部なんだよー。でも君がきてくれたから安心だよ。いやー、良かった良かった。助かったよー。ありがとう、美濃くん」
ばんばんと肩を叩きながら菊水先輩が笑いかける。
実のところすでに名簿上には五人いるから、廃部の危機は免れている。でもそんなことは言わずに、廃部を前面に押し出す事で断りにくい空気を醸し出そうとしているのだ。ふわふわした口調の柔らかい空気に騙されるけど、菊水先輩はかなり悪知恵が働くし、意外とあくどい。その性格は将棋の指し筋にも表れていて、実にうまく搦み手や奇襲を使いこなす厄介な人だ。
「え、えっと実は僕、将棋のルールもよくしらないんですけど」
「え、ルールかい。大丈夫だよー。みんな最初は初心者だからねー。もう僕が手取り足取り教えてあげるよ。あ、でも僕よりも矢倉の方が適任かな。そこに座っている彼女が矢倉さん。彼女が尽きっきりでルール教えてくれるよー。どうかな。ほら、美人とマンツーマンで遊べるだなんて、こんな機会そうそうないよー。いいよね。うん。ほら。決まり」
菊水先輩が私をダシに使っていた。
まぁ、実際菊水先輩はあまり部活にこれないと言っていたので、彼が入部したとしたらそうなる可能性は高いとは思う。
でもどうだろう。将棋を知らない、特に好きでもない人が入ってきて、私とうまく会話できるだろうか。たぶん無理だと思う。
将棋が好きな人なら入ってきてもらいたいけど、何も知らない人が入ってきたとしても、私は会話を続けられるとは思わない。私の事を気持ち悪がられてしまうだけじゃないだろうか。
「わ、わかりました。入ります」
菊水先輩に押し切られたのか。それとももともと入部するつもりではあったのか、彼は大きくうなずいていた。
私の方をちらりとみていたような気がするけど、それだけで胸がばくばくと鼓動する。
し、知らない人と話せるかな。大丈夫かな。内心かなり焦りを感じていた。人見知り治らないなぁ。私。知らない人と将棋を指すのは平気なんだけど、教えるってなるとハードルが高いかも。
「あの、でも言ったとおり、ぜんぜん将棋知らないんですけど、僕にも教えてもらえますか」
ただ美濃くんは丁寧な口調で私にたずねかけてきてくれていた。
将棋を知らないとは言っていたけれど、将棋を楽しみたいとは思っていてくれるのだろうか。それなら私にも何とかなるかもしれない。優しい言葉で話してくれるなら、私も身構えずに済む。
「はい。大丈夫です。私、矢倉といいます。これからどうぞよろしくお願いします」
出来るだけ落ち着いた声で話すように心がける。
昔早口で将棋の戦法を同級生に語って、気味悪がられた事を少し思い出した。
ゆっくり落ち着いて話そう。それならきっと大丈夫。
「僕は美濃と言います。こちらこそよろしくお願いします」
美濃くんは深々と頭を下げる。
同じ歳なのに、丁寧に話してくれて、とても私には話しやすかった。これで「おう。矢倉。よろしくな」みたいに言われていたら、たぶん私はその後も話せなかっただろう。
でもこの時の私は美濃くんが私の事を先輩と勘違いしているなんて思ってもみなかった。ただ優しい言葉使いの彼に、少しだけ安心して胸をなで下ろしていたのだ。
だから最初の出会いは悪くなかったと思う。
このあと美濃くんは、思いもしない言葉を連発して、私の心を振り回していくのだけれども、でもそれが決して嫌な気持ちばかりではないことは、私はよく知っている。
誰かと将棋をする事はとても楽しい。それは昔から変わらなかったけれど、でも他の誰と指すよりも、美濃くんと指す将棋が何より楽しい。
正直美濃くんと私とではまともな勝負にはならない。私はかなり手抜きで指しているとは思う。
でも美濃くんはそんな私にどれだけ負けていても、いつも楽しそうに将棋を指してくれる。ルールがわからなくても、負けていても、気にせずに楽しむ美濃くん。
そんな美濃くんの事を、たぶん私は気になっているのだと思う――
隣にたたずむ美濃くんをみて、私はただ顔を紅色に染める。
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