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四.黄色は狂おしい愛情
35.これだけは譲れない
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「月野か。邪魔だ、どいてくれ」
「真希。もうやめろ。こんな事をしたって浩一はお前を見たりしない」
「そんなことはわかってる。だけどもう止まらないんだ」
「真希っ」
その瞬間、響は矢上を抱きしめていた。急な事に矢上は驚いて響の顔を見上げていた。
いや驚きというよりも戸惑いだったのかもしれない。
「月野。お前にはわからない」
「ああ、わからないさ。でも人は誰だって相手の事を全てわかる訳じゃない。お前だって俺の苦しみも痛みも知らない。でも分かり合う為の努力は出来るはずなんだ。受け止めてやる。お前の痛みも辛さも受け止めてやるから。もうこれ以上、馬鹿な真似をするのはやめてくれ」
響は矢上を抱きしめたまま離そうとはしなかった。ただ自分の想いを矢上に向けて伝え続けていた。
矢上の顔がわずかに揺らぐ。矢上は響の想いに何を感じているのだろうか。
「月野」
矢上は響の名を呼んで、それからこわばっていた身体の力を抜いたように見えた。
「真希、わかってくれたのか」
響は矢上の様子にその顔をみようとして、たぶん力を抜いたのだろう。その瞬間だった。
「月野。すまない」
矢上の拳が響の腹をとらえていた。そして腕から抜け出すと、響の後頭部を強く打ち付ける。
「ま……き……」
響の声は途切れるように伝う。そのままずるずると力が抜けて地面へと横たわっていた。
「君を受け入れるには私は幼すぎる。ただ一つのことにこだわって何もかも見えなくなる馬鹿なんだ。もっと、もっと早く君に気がついていればよかった」
矢上はすぐ近くに転がったままのナイフを手にとっていた。
その表情は僕からは見えない。笑っているのか、泣いているのか。
矢上はゆっくりとこちらへと向き直る。だけどその顔をみても、矢上が笑っているのか、泣いているのか、僕にはわからなかった。
「これが私の本心なのか、残された思念に犯されたせいなのか、もう私にもわからない。でもいまさら引き返すことも出来ない」
矢上は言いながら手にしたナイフを桜乃の方へと向ける。
優しい笑みを浮かべていた。でもどこかいつもよりも寂しそうにも見えた。
矢上はいつ襲いかかってきても不思議ではない。だけど桜乃は一歩だけ矢上の方へと歩み寄る。桜乃は全てを受け入れているかのように、泰然とした表情で矢上と向き合っていた。
その様子に矢上の顔がわずかに歪む。唇をかむような表情を浮かべていた。
「矢上……」
僕は何とか立ち上がって、ふらふらと身体を揺らしながらも桜乃と矢上の間に入り込む。
矢上は何も言わない。たぶん本当はいろんな想いが胸の中にあるのだろう。だけど何も言わずに僕と桜乃の二人を見つめていた。
どこか胸が痛む。僕は矢上を追い詰めているのだろうか。彼女の想いも知って、それでも僕はただ桜乃をかばおうとしてここにいる。それは矢上にとっては辛い現実を突きつけているのだろうか。
僕の心も揺れていた。本当にこれでいいのかわからなかった。
だけど僕はこうする他に思いつかなかった。
同時にほんの少しだけ未来が見える。
それは少し前にみたものと同じ未来。だけどもう少しはっきりと辺りが見えていた。
矢上が桜乃を刺そうとしてナイフを向ける。僕が割り込んで代わりに刺される。
あまりにも近い未来に、僕はいま見た映像が本当に起きた事なのか、それともいつもの未来視なのかすらわからないでいた。
だけど僕はまだ刺されてはいない。
やっぱり未来は変えられないのかもしれない。だけどそれでもいい。少なくとも桜乃が刺されて死ぬ未来だけはなさそうだから。
「浩一さん」
桜乃が僕の名前を呼んでいた。
僕がみた未来のことに気がついたのだろう。そして僕が何を考えているのかも。
桜乃は優しい目で僕へと語りかける。
「浩一さんは未来を変えたいのでしょう。なら変えましょう。簡単ですよ、何もしなければいいんです」
桜乃が何を言っているのかわからなかった。
未来を変えるには何もしなければいい。何もしなくてもいいとはどういう意味だろうか。
僕の困惑に気がついてか、すぐに桜乃は言葉を続けていた。
「浩一さんは言いましたよね。私に見せてくれるって、未来を変えるのを見せてくれるって。私は待っていますから」
桜乃の言葉に、僕は思わず叫びだしていた。
「違うっ。僕が見せたいのは、そんな未来じゃない。僕は」
桜乃の言う何もしなければいいの意味を悟って、僕は叫ばずにはいられなかった。
つまり僕が桜乃をかばおうとして刺されるのだから、僕はそうしなければいい。桜乃が刺されれば、未来は変わるのだから。桜乃はそう告げているのだ。
でも僕が見せたい未来はそんな未来じゃなかった。未来を変えられる事を見せたい。だけどそれは前へと進む道を示したかったんだ。ただ訪れる未来が変われば何でもいいという事じゃなかった。
桜乃に僕の想いは全て伝わってしまっているのだろう。桜乃は僕の心を読む事が出来るのだから。いや読むというのは正しくない。僕の心が見えてしまうだけだ。
自分を守って死ぬ事はないと桜乃は感じているのかもしれない。あるいは刺されてしまえば、心が見えてしまう辛さから解放されるとすら思っていたのかもしれない。それともただただ純粋に僕が未来を変えるところをみたいと思っているのかもしれない。
でも違う。僕が見せたい未来はそうじゃない。違うんだ。僕が見せたいのは、あくまでまるいかたちなのだから。
「僕が見せたいのは」
「うるさいっ」
告げようとした言葉は、矢上の叫ぶような声にかき消されていた。
いつの間にか矢上の顔にははっきりと憎悪の色が浮かんでいた。目を開いて、こめかみを揺らしている。
矢上が感じているのは誰に対しての怒りなのだろうか。僕に対してなのか、それとも桜乃に対してなのか。それとも自分自身への怒りだったのだろうか。
ナイフを構えて、矢上は走り出していた。
「矢上っ、やめろ」
僕の声では矢上は止まらない。だけど桜乃は僕の陰から抜け出て、そこから動こうとはしなかった。
矢上がナイフを桜乃へ向けて突き立てる。
桜乃はそこから一歩も動かない。動けなかったのかもしれない。
矢上は止まらない。突き立てるようにしてナイフを持つ腕を伸ばしていた。
僕はその瞬間、桜乃に向かって飛び込んでいた。
二人でからみあって転がるようにして矢上から距離をとる。
「あ。」
桜乃が小さな声を漏らしていたが、僕はそのまま立ち上がって矢上へと向き直る。
矢上はどこかうつろな瞳を僕へと向けていた。いや向けているかもよくわからなかった。
風が吹き抜けていく。夏特有の強い日差しを打ち消すかのように、風が潮の香りをのせて僕の頬をなでた。こんな時でなければ、心地よい一瞬だったかもしれない。
空はまっすぐに青く、雲はどこまでも白い。
夏の空気が僕達を包んでいた。
波の打ち付ける音だけが辺りに響いていた。
僕も桜乃も、矢上も何も言わない。言えないでいた。
このまま時間が過ぎていくのかと思った瞬間、矢上が突如僕へと飛びかかってきた。
僕は慌てて避けようと身をひるがえすが、しかしナイフの先端が僕の皮膚をわずかに切り裂いていく。ほんの少しだけ血がにじんでいた。
痛みはさほど感じない。だけど神経がすり減るかのような時間が僕の喉をひりつかせていた。
矢上はまたナイフを構え直す。続けて襲いかかってこないのは、もしかしたら矢上も必死で残留思念の呼びかけを抑えつけようとしているのかもしれない。そうであって欲しいと願った。
だけど響ならともなく、僕では矢上を取り押さえる事は難しいだろう。矢上は武道の心得があって、僕はスポーツが得意な方でもない。逆に良いようにされてしまう可能性は高い。さっきのナイフだって避けられたのは運が良かったとしか言えない。
やっぱり未来は変えられないのだろうか。僕はここで刺されるしかないのだろうか。もしもそうだとしたら。桜乃だけでも絶対に守ってみせる。
心の中で強く想う。
この時、僕は桜乃に考えがすべて筒抜けだなんてことは忘れていた。ただそれだけは譲れないと、絶対に救ってみせると心に誓う。
「真希。もうやめろ。こんな事をしたって浩一はお前を見たりしない」
「そんなことはわかってる。だけどもう止まらないんだ」
「真希っ」
その瞬間、響は矢上を抱きしめていた。急な事に矢上は驚いて響の顔を見上げていた。
いや驚きというよりも戸惑いだったのかもしれない。
「月野。お前にはわからない」
「ああ、わからないさ。でも人は誰だって相手の事を全てわかる訳じゃない。お前だって俺の苦しみも痛みも知らない。でも分かり合う為の努力は出来るはずなんだ。受け止めてやる。お前の痛みも辛さも受け止めてやるから。もうこれ以上、馬鹿な真似をするのはやめてくれ」
響は矢上を抱きしめたまま離そうとはしなかった。ただ自分の想いを矢上に向けて伝え続けていた。
矢上の顔がわずかに揺らぐ。矢上は響の想いに何を感じているのだろうか。
「月野」
矢上は響の名を呼んで、それからこわばっていた身体の力を抜いたように見えた。
「真希、わかってくれたのか」
響は矢上の様子にその顔をみようとして、たぶん力を抜いたのだろう。その瞬間だった。
「月野。すまない」
矢上の拳が響の腹をとらえていた。そして腕から抜け出すと、響の後頭部を強く打ち付ける。
「ま……き……」
響の声は途切れるように伝う。そのままずるずると力が抜けて地面へと横たわっていた。
「君を受け入れるには私は幼すぎる。ただ一つのことにこだわって何もかも見えなくなる馬鹿なんだ。もっと、もっと早く君に気がついていればよかった」
矢上はすぐ近くに転がったままのナイフを手にとっていた。
その表情は僕からは見えない。笑っているのか、泣いているのか。
矢上はゆっくりとこちらへと向き直る。だけどその顔をみても、矢上が笑っているのか、泣いているのか、僕にはわからなかった。
「これが私の本心なのか、残された思念に犯されたせいなのか、もう私にもわからない。でもいまさら引き返すことも出来ない」
矢上は言いながら手にしたナイフを桜乃の方へと向ける。
優しい笑みを浮かべていた。でもどこかいつもよりも寂しそうにも見えた。
矢上はいつ襲いかかってきても不思議ではない。だけど桜乃は一歩だけ矢上の方へと歩み寄る。桜乃は全てを受け入れているかのように、泰然とした表情で矢上と向き合っていた。
その様子に矢上の顔がわずかに歪む。唇をかむような表情を浮かべていた。
「矢上……」
僕は何とか立ち上がって、ふらふらと身体を揺らしながらも桜乃と矢上の間に入り込む。
矢上は何も言わない。たぶん本当はいろんな想いが胸の中にあるのだろう。だけど何も言わずに僕と桜乃の二人を見つめていた。
どこか胸が痛む。僕は矢上を追い詰めているのだろうか。彼女の想いも知って、それでも僕はただ桜乃をかばおうとしてここにいる。それは矢上にとっては辛い現実を突きつけているのだろうか。
僕の心も揺れていた。本当にこれでいいのかわからなかった。
だけど僕はこうする他に思いつかなかった。
同時にほんの少しだけ未来が見える。
それは少し前にみたものと同じ未来。だけどもう少しはっきりと辺りが見えていた。
矢上が桜乃を刺そうとしてナイフを向ける。僕が割り込んで代わりに刺される。
あまりにも近い未来に、僕はいま見た映像が本当に起きた事なのか、それともいつもの未来視なのかすらわからないでいた。
だけど僕はまだ刺されてはいない。
やっぱり未来は変えられないのかもしれない。だけどそれでもいい。少なくとも桜乃が刺されて死ぬ未来だけはなさそうだから。
「浩一さん」
桜乃が僕の名前を呼んでいた。
僕がみた未来のことに気がついたのだろう。そして僕が何を考えているのかも。
桜乃は優しい目で僕へと語りかける。
「浩一さんは未来を変えたいのでしょう。なら変えましょう。簡単ですよ、何もしなければいいんです」
桜乃が何を言っているのかわからなかった。
未来を変えるには何もしなければいい。何もしなくてもいいとはどういう意味だろうか。
僕の困惑に気がついてか、すぐに桜乃は言葉を続けていた。
「浩一さんは言いましたよね。私に見せてくれるって、未来を変えるのを見せてくれるって。私は待っていますから」
桜乃の言葉に、僕は思わず叫びだしていた。
「違うっ。僕が見せたいのは、そんな未来じゃない。僕は」
桜乃の言う何もしなければいいの意味を悟って、僕は叫ばずにはいられなかった。
つまり僕が桜乃をかばおうとして刺されるのだから、僕はそうしなければいい。桜乃が刺されれば、未来は変わるのだから。桜乃はそう告げているのだ。
でも僕が見せたい未来はそんな未来じゃなかった。未来を変えられる事を見せたい。だけどそれは前へと進む道を示したかったんだ。ただ訪れる未来が変われば何でもいいという事じゃなかった。
桜乃に僕の想いは全て伝わってしまっているのだろう。桜乃は僕の心を読む事が出来るのだから。いや読むというのは正しくない。僕の心が見えてしまうだけだ。
自分を守って死ぬ事はないと桜乃は感じているのかもしれない。あるいは刺されてしまえば、心が見えてしまう辛さから解放されるとすら思っていたのかもしれない。それともただただ純粋に僕が未来を変えるところをみたいと思っているのかもしれない。
でも違う。僕が見せたい未来はそうじゃない。違うんだ。僕が見せたいのは、あくまでまるいかたちなのだから。
「僕が見せたいのは」
「うるさいっ」
告げようとした言葉は、矢上の叫ぶような声にかき消されていた。
いつの間にか矢上の顔にははっきりと憎悪の色が浮かんでいた。目を開いて、こめかみを揺らしている。
矢上が感じているのは誰に対しての怒りなのだろうか。僕に対してなのか、それとも桜乃に対してなのか。それとも自分自身への怒りだったのだろうか。
ナイフを構えて、矢上は走り出していた。
「矢上っ、やめろ」
僕の声では矢上は止まらない。だけど桜乃は僕の陰から抜け出て、そこから動こうとはしなかった。
矢上がナイフを桜乃へ向けて突き立てる。
桜乃はそこから一歩も動かない。動けなかったのかもしれない。
矢上は止まらない。突き立てるようにしてナイフを持つ腕を伸ばしていた。
僕はその瞬間、桜乃に向かって飛び込んでいた。
二人でからみあって転がるようにして矢上から距離をとる。
「あ。」
桜乃が小さな声を漏らしていたが、僕はそのまま立ち上がって矢上へと向き直る。
矢上はどこかうつろな瞳を僕へと向けていた。いや向けているかもよくわからなかった。
風が吹き抜けていく。夏特有の強い日差しを打ち消すかのように、風が潮の香りをのせて僕の頬をなでた。こんな時でなければ、心地よい一瞬だったかもしれない。
空はまっすぐに青く、雲はどこまでも白い。
夏の空気が僕達を包んでいた。
波の打ち付ける音だけが辺りに響いていた。
僕も桜乃も、矢上も何も言わない。言えないでいた。
このまま時間が過ぎていくのかと思った瞬間、矢上が突如僕へと飛びかかってきた。
僕は慌てて避けようと身をひるがえすが、しかしナイフの先端が僕の皮膚をわずかに切り裂いていく。ほんの少しだけ血がにじんでいた。
痛みはさほど感じない。だけど神経がすり減るかのような時間が僕の喉をひりつかせていた。
矢上はまたナイフを構え直す。続けて襲いかかってこないのは、もしかしたら矢上も必死で残留思念の呼びかけを抑えつけようとしているのかもしれない。そうであって欲しいと願った。
だけど響ならともなく、僕では矢上を取り押さえる事は難しいだろう。矢上は武道の心得があって、僕はスポーツが得意な方でもない。逆に良いようにされてしまう可能性は高い。さっきのナイフだって避けられたのは運が良かったとしか言えない。
やっぱり未来は変えられないのだろうか。僕はここで刺されるしかないのだろうか。もしもそうだとしたら。桜乃だけでも絶対に守ってみせる。
心の中で強く想う。
この時、僕は桜乃に考えがすべて筒抜けだなんてことは忘れていた。ただそれだけは譲れないと、絶対に救ってみせると心に誓う。
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