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第四章 不屈の精神を養え
32.別行動(1)
しおりを挟む新堂さんが南フランスから帰国して二ヶ月が過ぎた。
今年は何かと雨の日が多く、晴れが長続きしない中にやって来た梅雨の季節も、ようやくゴールが見えてきた。
そんな時期にまたしても彼に海外からの依頼だ。何でも世界初の症例を試せるかもしれないとの事で、珍しくやる気になっている。
「今度のは、そんなに長期間かかる訳じゃないんでしょ?なら是非行って」
「ああ。来週の月曜から十日間ほどシカゴに行く。本当に大丈夫なんだよな?」
念押しのように問いかけられて少々戸惑う。
何しろ前回、主治医が不在になった途端に酷い眩暈が起きた。彼が戻ってからはどういう訳かパッタリ治まって絶好調の私。
「大丈夫に決まってるでしょ。それとも主治医的に何か問題ある?」
「いや……」
貴島さんにどこまで聞いているか分からないため、私からは何も言わない。まだ何かが引っ掛かっているような素振りだ。
それならばと「じゃあ私、ついて行こっかな!」と言ってみるも「ダメだ」と即答。
「何でよ!」
たまたまその週に休みが入っている事を言おうとしたが、あえて言わなかった。
「眩暈の症状、時々出てるんだろ。十二時間のフライトは体に障る。おまえは留守番してろ。あそこは何度も行ってるから、知り合いも多いし危険は少ない」
眩暈の事はやはりバレていたか。
「とはいえ、おまえを十日も一人にさせるのは心配だ。この件は断るか……」
彼はいつもこうだ。私を優先してくれるのは嬉しいのだが。
「あなたが私を一番に考えてくれてるのは嬉しい。でも、私だってあなたを一番に思ってるの。私の些細な事でやりたい事を手放さないで!私なら、また貴島さんの所に行っててもいいし」
私の必死な様子が伝わったのか、彼が表情を緩めた。
「そうだな。俺としても捨てがたい依頼ではある。あいつには悪いが、また頼むか」
「そうそう!まなみも喜ぶし?」
何とか説得できたようだ。「それじゃ決定ね。別行動って事で」
「ああ、別行動だな」
ねえ新堂さん?別行動って事は、私はあなたとは別に行動するって意味よ!心の中だけでこう言った。
この時すでに私は、彼を追ってシカゴ行きを決めていた。影ながらガードする事を。
何度も行っている知り合いの多い場所でも、あの地は犯罪大国。何だか嫌な予感がする。何もせずに後悔するのだけはご免だ。
こうして彼が何も知らぬまま、出発の時が来た。
今回も私が車で空港まで送る事になっている。その私もそのまま発つのだが!
「車はもちろん置いて行くつもりだったが、本当に大丈夫なのか?運転。タクシーでも行けるんだから、気を遣わなくていいぞ」
「平気平気!今日明日休みだし暇だから。……あっ!その荷物、後部席に入れましょ?」
彼がトランクを開けようとしたところを慌てて止める。私のスーツケースが見つかってしまうではないか?
「さあさあ、先生は先に乗っててください!」
「ああ、ありがとう」
何とか彼を助手席に押し込んで運転席に滑り込み、すぐに車を発進させた。
「念のため鎮暈剤を何種類か渡しておくから、酷くなる前に飲むように。酷くなってからじゃ、恐らく効かない」
「分かったわ、ありがと!」
「仕事は今回もたくさん入ってるのか?」
「いいえ。それほどじゃない」むしろ休みだ!
「そうか。なら貴島の所に行けるな。連絡は入れてあるから。いつでも来いとさ」
「それもありがと!」
しばらく沈黙が続く。
「ねえ?また、電話してくれる?」こう聞いたが電話がほしいのではない。
「ああ、もちろん。空いてる時間ならいつでも」
「嬉しい!それじゃさ、私の携帯にかけてね。いつ貴島さんの所に行くか決めてないから。向こうにはかけないでね」これを言いたかったのだ。
「ああ、もちろんそうするよ。貴島には、緊急の時に連絡をくれるように言ってある」
「うん。なら良かった」
なぜなら、私は貴島邸には行かない。日本にすらいないのだから?
そして空港に到着し、新堂さんと別れた。
「さてと。私も急いで行かなきゃ!」
車を駐車場に入れて、トランクからスーツケースを取り出し、一旦トイレに向かう。
「見つかっても時間稼ぎできるようにっと……」
ブラウン系のボブスタイルのウィッグを付け、付け鼻で外国人風を装う。そして小麦色のファンデを体の露出している部分に塗りたくった。
「上出来だわ!」
軽く着替えて、彼と別れた時とは別人に変身する。右手薬指のサファイアリングだけはそのままで。
「そろそろ、いいかしら」鉢合わせする訳には行かない。
腕時計を見ると、搭乗開始時刻が過ぎていた。余裕を持って行動する人だから、当然もう手続きは済ませ、指定のシートで寛いでいるはずだ。
こうして私も、数分後には無事に指定の席に収まった。ここからは長いフライトが始まる。
「あ~、確かに辛いわ。耳鳴りがっ……」
彼の言い分は当たりだった。こんな耳鳴りは酷い眩暈の前兆だ。すぐさま例の耳栓をして、もらった薬を早速飲む事にする。
やがて薬のせいで、私はいつの間にか眠っていた。
そのお陰で案外あっさり目的地に到着できたのだった。
たっぷり寝て、起きたら朝。時差ボケなしで好スタートを切れた事を喜ぶ。
事前に彼の滞在先を聞き出していたので、同じホテルの同フロアに部屋を取った。
緊張気味に彼の部屋の前を通り抜け、さらに奥に進む。
「新堂さん、もう部屋にいるはずよね……」
ドキドキしながら通り抜けて部屋に入ると、真っ先に窓から下を覗いた。ここからちょうど玄関先が見えるのだ。
「え?もう出かけるの!?早くない?……っ、待って待って!」
何と彼がタクシーに乗り込むところだった。
慌ててハンドバッグだけを引ったくり、私も後を追おうとしたところで思い留まる。
「落ち着けユイ。行き先は多分依頼人の所よ」
新堂さんはいつも現地に着いてすぐに依頼人の元を訪れ、事前確認をするのだ。
ここは焦らず、冷静に行動しようと思い直す。
「タクシーは目立つから、レンタカー借りよう」
再び着替えて車を調達に行く。なるべく現地人に紛れられるような一般車を。
「そうは言っても、やっぱカッコいいのがいいな~。色はもちろん赤よね!……まあ、大負けに負けてワインレッドにしますか」
結局、尾行に適しているとは言い難いワインレッドのクーペをレンタルしてしまう。
そのまま周辺を偵察して回る。そして今回のメインステージである病院へ向かった。
現在午後二時。
「もう帰っちゃったかなぁ」
車内から病院のエントランスを覗いていると、偶然にも彼の姿を発見。
「打ち合わせは済んだようね」
喜んだのも束の間、慌てて身を隠す。変装スタイル継続中のため、見られても凌げるはずだが念のため。
彼は再びタクシーに乗り込んだ。私もゆっくりと後を追う。
しばらく走って、タクシーが路肩に停車した。そこはビルの立ち並ぶ繁華街の裏通り。そこから、とあるビルに入って行った。
「ここは?何のお店だろう……」
建物には特段何の表記もない。住居にも見えない。個人経営の会社か何かだろうか。
しばらくすると彼が戻って来た。荷物は入った時と変わらず愛用のドクターズバッグのみだ。
「あのカバンの中に取引したブツが追加されていたとしても、確認する術はなしね」
ちょっぴり刑事気取りで楽しくなる。
彼は新たなタクシーを拾い、再び移動を始める。
「う~ん、あそこが何かとても興味あるけど……尾行が先よね」
名残惜しさを感じつつ、タクシーを追って再び車を走らせた。
次に停車したのは大学病院だった。「すっご~い……、デっカイ病院。怖すぎ!」
何とも仰々しい敷地内。とても私には足を踏み入れる勇気はなかった。
「モルモットにでもされそうな勢いだわ!」
勝手な妄想を追いやる事もできず、これまた待機する事にする。
「遅いなぁ~。飽きてきちゃった」
彼はなかなか戻って来なかった。
「ここで危険に巻き込まれる事はまずないでしょ。尾行終了っと!」
私は一足先にホテルに戻る事にした。
フロントでキーを受け取って勢い良く振り返った時、激しい眩暈が私を襲った。
「うっ……っ!」
立っていられず、よろめいて近くのソファに倒れ込む。それを見ていたフロントマンが駆け寄ってきた。
大ごとになると厄介だ。持病だから心配ないと軽く説明して、何とか壁を伝いながら部屋に戻った。
そしてベッドに倒れ込む。
「薬、効いてないのかな……なかなかマズい展開じゃない?」
しばらく休んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。
【以下カッコ内英語】
「(はい?)」
「(ミス、体調はいかがですか?偶然お客様にドクターがおりまして、診ていただいてはどうかと思いましてお連れしました)」
何というお節介だ!そのお客様とはまさか……。
「(私は日本人の医師です。よろしければ診察をさせてください)」
声ですぐに新堂さんだと分かった。寄りにもよってこんな展開とは!
私は鼻を摘まんでわざと甲高い声で早口に答えた。
「(お気遣い感謝しますが、もう良くなりましたのでお構いなく!)」
ドアの覗き窓から、フロントマンと彼が顔を見合わせている様子を見守る。お願いだから帰ってくれ!と祈りながら……。
「(分かりました。何かありましたら、遠慮なくお申し付けください)」
「サンキュー!」
フロントマンが何度も彼に謝罪している声が聞こえてきた。それも次第に遠ざかる。
何とか難は逃れたようだ。
「もう……っ勘弁して!だけど新堂さんったら、依頼人以外は診ないって言ってたのに。こんなボランティアみたいな行為をどうして?」
再び貰っていた別の錠剤を服用する。
「こっちの薬にしてみよう。色々出してくれて良かったわ!」
しばらく安静にしていると、ようやく回復し始めた。今度は薬が効いたようだ。
気晴らしにラウンジのバーに足を運ぶ事にする。
今度はブロンドヘアーで決めてみようと、別のウィッグを装着。逆に目立つ?
向かったその店内は薄暗かったが、新堂さんがいるのはすぐに分かった。誰かと酒を飲んでいるようだ。
まさかここにいるとは!考える事は一緒か。それはそれで嬉しい事なのだが、今は喜んでいられない。見つからないように一番離れた席に座ると、店員が注文を取りにきたので、適当にカクテルをオーダーした。
彼の観察を続ける。お相手はかなり年配の米国人男性。今日訪ねた大学の関係者だろうか。
「ああ失敗……盗聴器でも仕掛けておくんだったわ!」
そんな事を呟きつつ、運ばれてきたカクテルを一気に飲み干す。
これだけ暗くては読唇術も使えないため、会話の内容は全く分からない。
「ま、危険はなさそうね」私は席を立つと、その場を後にした。
部屋に戻ったもののやる事がない。早々にベッドに入るも、機内で十分睡眠を取ったため全然眠くない!
諦めて起き出し、相棒コルトの手入れを始めた。
カレとの時間は私にとって至福のひと時だ。時の経つのも忘れるほどに……。
こんな時に限って携帯が鳴り出す。ドキリとして振り返る。
ディスプレイには〝新堂〟の文字。「彼からだ!えっと、えっと……!」ボロを出さないような会話を、と思えば思うほど焦るものだ。
「新堂さんっ!どうしたの?」マズい。このコメントはどう考えても変だろう。
それは連絡を待っている側の言い分ではない。初っ端からしくじった!
『今何してるんだ?』電話越しに、いつもの淡々とした声が響く。
「ゴロゴロしてた!」
ここは素直にコルトのメンテと言っても良かったのでは?焦っていたせいで、さらに不審に思われるような答えをしてしまう。
『そっちは昼だろ』
「あ!そうそう。でも、ダラダラしてたの!」いつもの私なら、こんな事は絶対に言わない。これ以上話しているとバレてしまいそうだ。
その後彼は、例の男性と飲んでいた事を話題にした。
思わず、あの人は誰?と聞いてしまう。
『あの人?見てたみたいな言い方だな』
「っ!日本語って難しいわぁ。……その人よ、その人っ!」もう限界だ。
昔はもっと演技できたはずなのにどういう事か。
早朝からオペだと事前に聞いていたので、それを口実にこの後すぐに会話を終了させた。「一方的に話を打ち切り過ぎたかなぁ」
電話が来る事を完全に忘れていた。今度は想定しておこう。大いに反省するのだった。
翌朝目を覚ますと、体調はすっかり回復していた。
今日はオペが行われる日だ。私にとっても一番の勝負どころ。気を引き締めなければ。
「先に病院へ行って見張りますか!」
手早く身支度を整え、レンタカーに乗り込み目的地へ向かう。早朝だったため院内は静まり返っていた。
「問題なさそうね。やっぱり今回は私、必要なかったかしら」
眩暈の事といい、新堂さんの発言通りに進む気がした。私の感じた嫌な予感は外れたらしい。もちろんそれが一番だ。
ところが、状況が一転する。
オペの予定時刻が迫ると、次第に現場は慌しくなり始めた。
「(外科部長、ドクター新堂がまだお出でになりませんが……)」
「(何だって?)」
会話を盗み聞きしながら様子を見る。どうやら彼がまだ来ないらしい。
遅すぎる。彼が開始三十分前になっても来ていないなんて?何かあったのだ。身を翻して車の元へ走り、すぐさま発進させる。
ここまでの道中で事故にあった?それとも拉致された?あらゆる事態を想定する。
「まずは今朝の彼の動向を辿ってみよう」
ホテルに戻ってみるも、エントランス付近に変わった様子はない。
設置している監視カメラの映像を見せてもらえるよう交渉を始める。
「(日本の刑事です。事件の可能性があります。至急拝見させていただけますか?)」
お決まりの警察手帳のレプリカをチラつかせて、責任者に依頼する。警察という名前の威力は大きい。あっさりと見せてもらう事ができた。
「これだわ……!」
その中に、黒のライトバンに乗り込む彼の姿が映っていた。タクシーではない。
「(このお客様でしたら、タクシーをお呼びになったのですが病院からお迎えがいらしたので、そちらに乗って行かれました)」
玄関付近で案内をしているコンシェルジュの男性が説明してくれた。
「病院の送迎車?そんな話はなかったわ」
これが罠だとすぐにピンときた。彼は間違いなく誘拐されたのだ。
「(どうもありがとう!ついでに、こちらの警察を呼んで。この車を手配するように言ってください!)」
「(は、はい……。それであの……)」
「(誘拐事件発生よ!)」
「(っ!かしこまりました!!)」
ぼんやりしていた男性だが、ようやく事の重大さを理解したらしくすぐに電話をかけ始めた。
その後すぐにFBIがやって来て、このバンの行方はあっさり突き止められた。
さすがは天下のFBI!
「(日本の刑事さんですね?一緒に行きますか)」捜査員の一人が私に声をかける。
「もちろんです。誘拐されたのは日本の優秀なドクターですから。今日とても重要なオペをする予定なのです)」簡単に説明する。
「(それは、もしかしてセントラル病院の乳幼児のオペですか?)」
「(えっ、……ご存知なの?)」地元ではそんなに注目されているのか。
「(ええ!何でも世界初の手術になるとか。シカゴで今一番の話題ですよ!だけど、日本人が執刀するなんて言ってたかなぁ……)」首を傾げて考えている。
マズい事を言ったかもしれない。新堂和矢はまたしても替え玉なのだ。
私は慌てて補足する。(「もちろん、助手としてよ?日本でも活用できたら素晴らしいじゃない?勉強のためにね!)」
なるほど、とあっさり納得してくれたので助かった。
「(優秀な助手がいないとオペの成功は難しくなる。何が何でも探し出しましょう!)」
私の言葉でその場の士気が上がった。捜査員達は一斉に動き出す。
新堂さん、待ってて。この朝霧ユイが今助けに行くから!
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