この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第一章 幸せのシンボルが呼び寄せたもの

 レクイエム(3)

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 気づいた頃には夜の帳が下りかけていた。

「ん……」
「目、覚めたか」

 ベッドに寝かされた自分に声をかけて来たのが、新堂さんでない事に違和感を覚えて答える。「貴島さん?あれ、私、何で……」

「料理中に倒れたんだ。全く驚いたよ……。もう少し位置がずれてたら流血沙汰だったぞ?刃物を持ってる時は極力倒れるな!」
 私の倒れた目と鼻の先に、包丁が突き刺さっていたとの事。
「そう言われても、こっちだって好きで倒れた訳じゃないから?」
 そりゃそうだ、と貴島さんが笑う。

「来た時から顔色が冴えなかったから、気にしてたんだ。疲れてたんだな」
「急にぼんやりしてしまって……その後の事は覚えてないの」
「ぐっすり眠ってたようだ。ずっと不眠だったって?」
「ちょっとね。不眠症は昔からよ。だけど久々に良く寝た~!お腹ペコペコよ。お料理途中で投げ出しちゃって、まなみ怒ってるよね……」

 申し訳なく思いながら尋ねるも、貴島さんは笑いながら答えた。「怒ってないよ。むしろ喜んでる。新堂と料理ができるってね」
「んなっ!何ですって?そうよ、何でここにあなたがいて、新堂さんがキッチンにいる訳?逆じゃない?普通」
「俺は料理が苦手でなぁ。得意な方がやるべきだって事になったんだよ」

 それにしても新堂さんと料理できる事を喜ぶって何?私と作るって喜んでたのは?

「朝霧、それよりどこか痛めてないか?倒れた時に左が下になってたから、主にそっち側だと思うが」
 言われてあちこち確認する。肘には湿布が貼ってあった。
「うっ!肩、……痛いかも」動かすと痛みがあった。
「診せてみろ」

 貴島さんが診察をしてくれた。「ここも湿布貼っとくか」
「うん、ありがと。ごめん、遊びに来て迷惑かけてるね……」
「全然。それどころか有り難いよ。まなみも大人になったなぁって実感してるんだ」
 思わぬ感想に首を傾げる。「え?具体的にどんなとこが?」

「お前の事、かなり心配してたぞ。このベッドもあいつが用意したんだ」
「そっか……」あの子もあれで、ちゃんと成長しているという訳だ。
 こんな事を語る貴島さんの目は、どこから見ても父親の目だった。

「私も思うわ。最初はかなりの衝撃だったけど?ちゃんと教育できてるじゃない」
「そりゃどうも!」
 顔を見合わせてクスリと笑い合う。
「あいつの事は、俺がこの手で立派に育て上げる。そう、約束したんだ……」

 貴島さんは少しだけ過去を話してくれた。

 慕っていた先輩医師の娘だったまなみ。彼の奥さんはまなみを生んですぐに亡くなったため、貴島さんも父子家庭となった彼の手助けをしていたそうだ。
 だがその先輩医師は、モンスターペイシェントによって命を奪われてしまった。

「俺は救えなかった。目の前で先輩が刺されるのを止められず、さらに命を救う事もできなかった。まなみは、一人取り残された」
「辛いわよね……」私がその場にいたら、何かできただろうか。

 貴島さんの頬に残る傷跡はその時のものだった。モンスターに襲われたと、いつか口にしていたのを思い出す。強ち冗談ではなかったようだ。
「この傷を鏡で見る度に再確認してる。まなみは、まなみだけは俺が絶対に守ると」

 あの呼び方からも分かるように、幸い貴島さんに懐いていたまなみだったから、共に暮らす事に抵抗はなかった。それどころか、貴島さんに恋していると思われる。

「こうなったら、まなみを一生面倒見てあげるのね」
「もちろんそのつもりだ。俺が生きてる限りな」ここまでは想定内。「じゃ、結婚してあげなきゃね!」
「何だって?何でそうなる!」
 目を見開く貴島さんに、「だってまなみ、そのつもりみたいよ?」ニヤリと笑って付け加えた。

 二人が抱くお互いへの愛情には決定的な違いがある。相思相愛なのは間違いないが?

 たっぷりと睡眠を取ったせいか、体は格段に良くなっていた。
 ダイニングに向かうと、カレーの良い香りが充満していた。

「ユイ、起きたか」
 真っ先に新堂さんが気づいてくれた。
「新堂さん、ごめんなさい、続きやってもらっちゃって」
「いいさ。食欲は?」
「あるある!もう、さっきからお腹鳴ってて」

「ユイ!良かったぁ、元気になったんだね!」
 鍋をかき混ぜていたまなみが、台からピョンと飛び降りて駆け寄って来る。
「まなみもゴメンね。心配かけたね」
「いきなり倒れたからビックリしたよ。まさか眠ってただけとか?大人もそんな事あるんだね~!」

 ご指摘通り、これでは遊び疲れてバタンキューの子供。お恥ずかしい限りだ……。
 私の足元に抱きつきながらこんなコメントを吐くこの子が、ただ無邪気なだけである事を祈る。

「さあ、皆揃った事だし、食べようじゃないか!」貴島さんがその場を取り仕切る。
「何とか形にはなったが、味はどうか自信がない」皿に料理を取り分けながら新堂さんが言う。
「あなたにしては珍しい感想じゃない?」耳を疑う言葉だ。

 何しろこの人はいつだって自信たっぷりだから。仕事の時だけじゃない。今や料理の腕もプロ級だ。真面目な性格の彼は、基本をしっかり把握するから失敗が少ない。
 いきなり応用に飛ぶ私と大違い!

「やっぱり大変だった?まなみと」新堂さんの隣りに立ち、こっそり聞いてみる。
「ああ、それはもう!俺も倒れたくなったよ……」
「ヤダぁ!それ嫌味?」
「いいや。本音だ」
 こう答えた新堂さんの疲れた表情を見て、本当なのだと実感。私、倒れて正解?

 こんな賑やかな食事のひと時はとても楽しかった。
 特にまなみは大満足のようで、ほとんど一人でしゃべっていた。そんな愛娘の様子に貴島さんもとても喜んでいた。
 食事を終えて、後片付けや諸々を済ませてまなみが寝静まると、雰囲気は一気に様変わりする。

「泊めてもらう事になるとは。悪いな」出された日本酒を手に新堂さんが言う。
 ここからは大人の時間だ。
「いやいや!こっちこそ、そうしてくれて嬉しいよ。何しろ、まなみのあんなご機嫌な姿は久しぶりなんだ」同様に日本酒を片手に貴島さんが答える。
「食事はいつも二人?」私は主治医に止められたので麦茶だ。
「ああ。こういう賑やかなのは、恐らく初めてじゃないか?」

 まなみが物心ついた時は、すでにここで貴島さんと二人で暮らしている。

「朝霧も、気分転換になったならいいんだが。逆に疲れさせてたら申し訳ない」
 直近にあった出来事を彼が話したのだろう。片岡先生の訃報を。こちらこそ気を遣わせたとしたら申し訳ない。
「疲れてないよ、何しろ爆睡しちゃったんだから?何か貴島先生の所って安心できるのよね~」
「そりゃ良かった」

 居心地がいいのは確かだ。新堂さんもきっとそう感じているに違いない。チラリと横を覗くと、満更でもない顔でひたすら酒を煽る彼がいた。


 夜も更けて解散となる。
 あてがわれた部屋に収まり、共にベッドに入る。

「来て良かったな」新堂さんがポツリと言った。
「ええ……そうね」
「どうした?」
 歯切れの悪い私の頷き方に不審がっている様子。

 ここは本音を伝えるとしよう。「私、なんだか不安になっちゃって……」
「何が?」
「ほら、片岡先生があまりに突然いなくなったじゃない?そんなふうに、大事な人が突然消える可能性は大いにあって。もし新堂さんが……って」

 新堂さんはベッドから起き上がって、私の方へ腕を伸ばした。その手を握る。

「……俺も同じ事を思ったよ。確かに、別れはいずれ訪れる。でもあの、ユイが俺と生きる事を選んでくれた時に気づいたんだ。必要とされて生きるのは、ただ生かされているのとは訳が違うと。俺は突然消えたりしない。残念ながら約束はできないが」

 確実でない事は口にしないと、かつて言っていた彼。でも今、ちゃんと言ってくれた。その事が嬉しかった。
 そして確信した。出会った頃の新堂さんは、生に全く執着がないように見えた。実際彼は、〝ただ生かされていただけ〟だったのだと。
 でも彼は変わった。そう思う。そして私も、これからはこの人のために生きて行くと決意したのだ。

「そんな事を考えても無意味だ。今はこの時間を、共に楽しもうじゃないか。な?」
「うん、そうする」
 とても、新堂さんらしい答えだと思った。そして私にとっても。


 そして翌朝。

「おはよう!朝食できてるわよ」キッチンに顔を出した貴島さんに声をかける。
 昨夜迷惑をかけたお詫びに、朝食を用意させてもらった。

「いい匂いだな。ん?……コーヒー、豆から挽いたのか?」
「昨日ついでに買って来た。インスタントとは格段の差だぞ」新堂さんが補足する。
「ウチは、まなみが飲めないんで滅多に淹れないんだ」
 そう言いながら、貴島さんは早速淹れ立てのコーヒーを堪能している。

「はい、まなみはこれね!」
 ミルクを温めた中に、ほんの少しコーヒーを混ぜたものを差し出す。
「私もいいの?いい香り~!大人の気分だわぁ」
「ふふふ、喜んでもらえて良かった」

「なるほど、そうすればいいのか!いつも俺だけコーヒー飲んでるとケンカになるんだよな」
「自分は子供じゃない!ってでしょ。目に浮かぶわ」
「……大変だな」
 新堂さんはあまり関心がなさそうに、新聞に視線を落としたまま相槌を打つ。

 そんな彼が声を上げた。「お、アウディが新車を発売したみたいぞ」

「何なに、それってスポーツタイプ?」横から新聞を覗き込んで聞く。
「世界販売三百三十三台限定ハンドメイドモデルだそうだ」
「限定かぁ。何にこだわってるの?」
「標準モデルよりも軽量化したらしい」

「車好きだなぁ、お前ら」それも高級車!と、興味なさげに貴島さんが口を挟む。
「お前もそろそろ買い換えたらどうだ?あれ、相当年季が入ってるみたいだが」庭のセドリックを横目に新堂さんが言う。
「なぁに、まだまだ動く。国産車は優秀だよ!」

「不可抗力で壊される時だってある。俺の愛車が何度そんな目に遭った事か!」不意に新堂さんが言った。
「あら、そんなにだっけ?」
 私よりはマシだろうと尋ねるも、返ってきたのは皮肉めいた言葉。
「おまえと違って、撒くの下手だからな!」
「あ~っ!その言い方って、私が言ったこと根に持ってるでしょ」

「何のことだ?」
「何のこと?」
 貴島さんとまなみが同時に言った。

「何だ何だ?お前らといると本っ当、話題に事欠かないな!面白い話いっぱい持ってるだろ。聞かせろよ!」
「別に面白くもないさ」新堂さんの言葉に透かさず頷く。「ね~」

 新聞を畳んだ新堂さんが、コーヒーを飲み干した。
「コーヒーのお代わり、あるわよ」
「ありがとう。頼む」
「貴島さんもいかが?」
「いただくよ、サンキュー」

 食卓を仕切りながら密かに家族ごっこを楽しんでいる私。
 本音を言えば、私だってこういう素敵な家庭を作りたい。でも新堂さんは子供が作れない。私達にこういう家族ができる事はない。とても気にしている彼には死んでも言えないけれど。
 でも、こういうふうに楽しむ事ならできるのだと気づいた。

 まなみはもちろん私達の娘役。とすると貴島さんは……「うふふっ!」思わず笑いが零れてしまった。
「楽しそうだな、朝霧」と貴島さんに突っ込まれ、頭の中の妄想を口にする。「何だか、私達家族みたいだな~って思って」
「お?俺はどういう役回りだ?」
「それをまさに考えてたの!」

「そういう事ならば、当然俺とユイは夫婦だ。そこは譲れない」
「新堂さんったら!私だってそう思ってるわよ?」
「そうだな、貴島は……俺の兄貴でどうだ?」むしろそれしかないと言い切る。
 その直後、対抗してまなみが叫んだ。「ちょっと待って?私がソウ先生の奥さんに決まってるでしょっ!」

 私達は顔を見合わせて吹き出した。

「だとさ!」新堂さんが言う。
「なら、夫婦が二組って事ね。お友達夫婦でいいじゃない?」と私も収める。
「お~い、それはどうかと思うぞ!」
「あらぁ総センセイ?まなみとじゃご不満?!」まなみが頬を膨らませながら訴えた。
「滅相もない、仰せの通りに!」

 すでにまなみの尻に敷かれている貴島さんなのだった。


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