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第三章 試されるキズナ

27 ある男の葛藤(2)

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 ユイをベッドに寝かせて一息つく。静かに眠るその姿はさながら眠り姫だ。

「王子様のキスで目覚めるってか?…」
 新堂が珍しくロマンチックな感情に浸る。そっと唇を親指でなぞってみる。その柔らかな感触が、新堂の中にあった限りなく小さな欲を湧き立たせる。
 ゆっくりと枕元に顔を寄せると、その唇にそっと自分の唇を合わせた。

 だが、ユイはピクリとも動かない。

「って、何をやってるんだ、俺は…」
 ため息を付きながら体を起こして床に座り込む。

「いい事、か。むしろ起こるのは悪い事なんじゃないのか?また振り出しに戻ったりしてな!…ああ、ミサコさんに連絡した方がいいだろう。気が進まん!」
 医者は常に最悪を想定するものだ。また一から始まるリハビリを思って、さすがの新堂もうんざりする。

「きっとフォルディスだったら、こんな事を考えたりしないんだろうな…」
 またもこんな事を考え始める。さらにエスカレートして、妄想は止まらない。
「そうだよ、あの男は人間じゃないんだ。だからあんな事ができた。だってアイツ、ヴァンパイアだろ?そうに違いない!…」
 ここまで考えてさすがに目が覚める。これでも新堂は超現実主義者なのだ。

 冷静になると、これまでの事が自然と脳裏に甦って来る。

 かつて新堂はダンに言った。フォルディスの甘い愛では、ユイは目覚めないだろうと。そこでふと思い出す。
 あの時ダンは何をして目覚めさせたのか。
「聞いておけば良かったよ!そういえば、こいつの大事にしてた拳銃はどこへ行ったんだ?荷物の中にはなかったよな…」あれば空港で引っかかっているはず。

 銃声になら反応するのではと考えたが持っているはずもなく、あったとしてもここで撃ち放つ訳には行かない。
「まだフォルディスが持ってるんだろう。あの時の状況では渡せる訳ないもんな!」
 別れを告げにやって来た時、その場にはミサコがいたのだ。

 であれば、他に何か…と室内を見回していると、何かの折に入手したパーティ用のクラッカーが目に入った。
 手に取って考える。これなら見合った音が響きそうだと。
「つくづく自分がイヤになる!こんな医者らしからぬ手段を試そうなど?」

 自分に悪態をつきながら、手にしたクラッカーを天井に向けて勢い良く紐を引っ張った。その瞬間、思惑通りの弾けるような爆発音が一発、室内に響き渡る。
 久しぶりの感触に、新堂は一瞬呆然となる。

 その直後、ベッドで寝ていたユイが動いたのが横目に入った。
 踵を返してユイに駆け寄ると、ユイがパチリと目を開いているではないか!
「っ!本当にこんなんで目を覚ますとは…」

「ホワッツ・ハプン?!アーユー・オーケー?」
 ユイの発した英語は、これまでとは比べものにならないくらい流暢だ。
 言うなりガバッと起き上がるも、直後にめまいを感じて額を押さえ、体が傾く。
「おっと!急に起き上がるからだ、脳の血流が安定するまで起き上がるな」
「…、どうして新堂先生が…?一体何があったの」
「おお、日本語も話せるんだな、良かったよ」

 ユイをそっとベッドに戻し、新堂は安堵の息を一つ吐く。
――本当に起きたじゃないか、いい事が!夢じゃないだろうな?――

 舞い上がりそうになるのを堪えて、静かにユイに問いかける。
「気分はどうだ?」
「ええ…何ていうか、頭がぼんやりしてる」
「ずっと寝てたからな。高熱で」
「そう…。それでここはどこ?見た事があるような」
 横になったまま室内に目をやり、ユイは不安げだ。
「俺のマンションだ。ひと月位一緒に暮らしてる」

「ああそう…って何で?私が先生と?!え…時間が戻ったとか、高校時代にって事よね…小説とかで良くあるタイムリープ現象っ」混乱するユイ。
 高校3年の頃、ミサコの心臓病を治すため新堂にオペの依頼をした後、バイトのしすぎで過労で倒れた事がある。その折に新堂がこの部屋で一時面倒を看ていたのだ。

 興奮状態のユイに、新堂は限りなく冷静に声を掛ける。
「少し落ち着け。時間は戻っていない。おまえの記憶が…飛んでるだけだ」
――今までの事は覚えていないのか…――

 そこで気になるのがこれだ。
「さっき、英語で話したのはなぜだ?」
「え、だって私、ずっと海外にいたから…」
「海外って?」
「それは色々よ。ああ…お母さんとも一緒だった気が…」考え込みながらユイは答える。
「じゃあ、おまえの今の生活の拠点は?」
「…さあ、私、どこで何をしてたのか…」

 ユイがルーマニアでの生活もラウルの事も覚えていない事を知り、やはり首を傾げる新堂。
――ここまで来ると、本当にあいつを愛していたのかさえ疑問だな!――

 表情が険しくなるユイを見て、これ以上は危険と判断する。すぐに話題を変えた。
「まあいい。今は無理に考えるな。それより腹は減ってないか?何か飲むか」
「ありがとう、喉カラカラよ。お水が飲みたいな」

 新堂はキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターを出してコップに注ぐ。
 未だこの奇跡が受け入れられず、思わず自分がその水を飲み干していた。
「…ああ、俺が飲んでどうする?」

 別のコップを出して改めて注ぎ、ユイの元に運ぶ。ゆっくりと上体を起こさせ、水を飲ませる。
「念のため、診察させてくれ」
「はい」大人しく指示に従うユイ。

 この反応が何とも拍子抜けに思えるくらいに、これまでの手の焼けるユイに慣れてしまっていた新堂は、思わず吹き出していた。

「先生?何がおかしいの」バカにしたような笑いに、ムッとしてユイが尋ねる。
「ああ…済まん、これが普通なんだよなって、しみじみ思ったらな。つい」
「普通って何が?意味が分からない!」
「いいんだ。何でもないよ。少し静かにしてくれ」
 脈拍を確認後、首筋のリンパの状態を見て、最後に眼球を覗き込む新堂。
「よし、異常はなさそうだ」

「…うん、ありがとう」ユイは答えてから俯く。

「大丈夫か?」
「ええ…」
 ふと自分の左手に目が留まる。
――この違和感は何?…何かが物足りないような――
 握ったり開いたりして、その違和感の正体を探ろうとするも何も掴めず。

「左手、どうかしたのか」
「…いいえ。何でも。ねえ先生、ところでさっきの音は何だったの?銃声みたいな…」
「そう聞こえたなら成功だな」
 新堂がテーブルに置いた使用済みクラッカーに目をやる。
「…」ユイは沈黙する。
「悪かった、そんなに反応するとは思わなくて…驚かせたよな」

 無言になるユイに謝罪を入れるも、表情は硬いままだ。そのまま室内を見回して、自分のハンドバッグがポールに掛かっているのを見つける。
「先生、あれ取ってくれる?」
「ん?…ああ、ちょっと待て」

 立ち上がり、ハンドバッグを手に新堂が戻る。
 渡されてすぐユイは中を探った。そこには財布と電池切れの携帯電話、そしてコンパクトと、ミサコから贈られた口紅が入っているだけだ。

「…ない。私のコルト、知らない?」
「それの事は覚えてるのか…忘れていていいものを!」
「覚えてるってどういう事?やっぱり私、何かを忘れてるのね。コルトを失うほどの大きな事件を…」
 またも表情を歪め始めるユイを見て、新堂は堪らず止めに入る。
「今目覚めたばかりなんだ、そう慌てて思い出そうとしなくていい。時間はたっぷりあるんだから。な?」

 新堂は怖かった。全てを思い出せばユイはラウルの元に戻るだろう。やはり手放したくはない。
 そして何より、苦しむ姿は見たくなかった。


 ユイが意識と言葉を取り戻すと、数日と経たずに日常生活に支障がない程の回復を遂げた。ただ一つだけ、記憶が戻らない。
 それを思い出そうとすれば激しい頭痛に見舞われるのだ。

「どう…してっ、これじゃ何も考えられないじゃない!ああっ…」
 痛みに耐えきれず蹲ってしまったユイ。
 その背を擦りながら新堂が言う。「そう焦るな。久しぶりの日本じゃないか。何も考えずのんびり過ごせばいい」

 このコメントにユイは勢い良く顔を上げる。「先生はのんびりしてればいいわ。私はイヤなの!」
 そのまま立ち上がると玄関へ向かう。

「あっ、おいユイ、どこへ行く?」
「ちょっと出て来る」
「待て、まだ頭痛は収まってないんだろ?安静にしていろ!」
 どんな時もじっとしていられないのは同じだ。少しでも記憶に繋がる手がかりが欲しくて、ユイは新堂を振り切って部屋を飛び出した。

「何もこんな朝っぱらから…どこへ行くって言うんだ!」
 外出は制限していないが、強い痛みには何かと危険が伴う。新堂としては一人で出歩かせたくはない。
「全く。困ったヤツだよ!」

 後を追おうと立ち上がった時、タイミング良く携帯電話が鳴り出した。
「誰だ?こんな時に!…もしもし?今は取り込み中だ、後にしてくれ!」
 相手も確認せずに、一方的にそう告げ電話を切ろうとした時、聞き覚えのある低音が新堂の鼓膜を刺激した。

『ドクター新堂。お久しぶりです、ダンです』
「ダンさん?どうしたんです?突然。もうあなた方に用はないかと」
『はい。…いいえ、一つだけ忘れていた事がありまして。実は今、日本に来ています』
「は?」
 思わぬ展開に、新堂の足が玄関先で止まる。

『あっ!私一人です、休暇中でして。日本を観光しに』
「はあ…そうでしたか。それで?」
『どうしてもユイ様にお会いしたいのです。今ご一緒ですか?』
「ユイに何の用ですか。…まさかあの拳銃をわざわざ届けに来たとか言わないでくださいよ?迷惑ですから!」気が立っていただけに、新堂の口調が強くなる。

 その後黙り込んだダンに、図星だった事を察する。
「とにかく、もう私達には関わらないでください。どうぞ日本観光楽しんで、急いでいますので、では」
『あ…っ』

 言い分も聞かずに一方的に通話を終わらせた。
「全くどいつもこいつも!俺の静かな時間を返してくれ!」

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