大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第六章 まだ見ぬ世界を求めて

42.対極のカンケイ(1)

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 仕事を終えて、人気のない深夜のオフィス街をコインパーキングに向かって歩く。風もなく、とても蒸した熱帯夜だ。
 この時間帯、ここは日中の喧騒が嘘のように別世界となる。ネコの子一匹いない寂しい場所に早変わりだ。

「あ~あ、遅くなっちゃった。でもま、ここからなら高速飛ばせば一時間もかからずに帰れるか。ふあぁ~あ……っ」

 あくびを一つかきながら通りかかった公園内に、黒塗りセダン車と黒のワンボックスが停まっていた。
 さほど気にも留めずに歩いていると、何やら穏やかでない声が聞こえてくる。

「くっ……!」
「所詮女だな、お仲間はどうした?そんなんで、オレが倒せるのか!」
 濁声の男が挑発するように口にする。

「こんな夜中にケンカ?」

 興味本位で覗き見ると、人影は二人。劣勢なのは細身の黒スーツの方。体格から女性のようだ。
 気づかれないように注意しながら、さらに近づいてみる。
「あの停まってた車、覆面パトカーかな。どっちかが刑事だとして、あの人一人って事はないよね……」辺りを見回すも、やはり他に人影は見当たらず。

 どちらにしても、このままでは彼女が危ない。私は無意識に飛び出していた。もし警官がいるなら、ここで銃を使えば間違いなく捕まる。気をつけなければ。

「ちょっと。何してるの?女性に暴力はダメじゃない」
「何だお前は!仲間がいたのか……」
「あなた!危ないわ、離れていなさい!」女性が私に向かって叫ぶ。
 そう言い放つ彼女だが、もはや追いつめられて万事休すに見えた。

 私は忠告を無視して、男に後ろから蹴りを一発入れる。敵が体勢を崩した拍子に、左拳でみぞおちに一撃お見舞いした。

「今よ!」
 私の鋭い声に反応した彼女が、敵をうつ伏せに倒して後ろ手に手錠を掛けた。

「さすがの身のこなしね。やっぱりあなたが刑事さんね」
 そう言った私を振り返って、鋭い視線を向けてくる。
「あなたは……どこの署の?」
「ふふっ!残念だけど、私はただの民間人よ」本当に残念だけど……。

「なぜこんな時間に、こんな所にいるの」
「ちょっと通りかかっただけ。何揉めてるのかなって気になって。見に来ただけのつもりだったんだけど……」

 蹲る男に足を掛けながら立ち上がる彼女。やはり長身はサマになる。ああ羨ましい!

「礼を言うわ。ありがとう」女刑事がサバサバとした調子で言う。
「いいのよ。それより、なぜ一人なの?警察って単独行動ダメなんじゃなかった?」
「ちょっと事情があってね。マズい、急がなきゃ……」腕時計を見て焦り出す。
「良かったら、何かお手伝いしましょうか?」
「お手伝いって、民間人に頼める訳ないでしょ」

 この時、背後にもう一人敵がいる事に、私達は同時に気づいた。そして私達は、現れた大男に向かって同時に拳銃を構えたのだった。

「あなた……っ!」
「ああっ、しまった」つい反射的に、コルトを抜いてしまった!

 それに気を取られて、女刑事が敵から目を離した。
 私は透かさず指摘する。「よそ見してると危ないわよ!」

 予想通り、敵は彼女の方に瞬時に動くと拳を突き出した。殴られた女刑事は数メートル後方へと飛ばされる。
「あ~あ。だから言ったでしょ」

 私はその大男に後ろから蹴りを入れてみるが、今度のコイツはビクともしない。
「ねえ!撃ってもいい?あなたが許可をくれるなら、コイツを倒せるんだけど!」
 結構な強敵だ。小柄な私では倒すためには時間がかかり過ぎる。いつもならば、とっくにこれで仕留めているのだが!
 物欲しそうにコルトを見下ろす。

「許可って……。もうっ!何なの、あなたは!」
「早くしてっ!疲れてるんだから、私……あっ、しまった!」
 仕事帰りで実際ヘトヘトだった私は、すぐに男に掴まってしまった。
 大男の右手が私の首に絡み付く。

 よろよろと立ち上がった彼女が、手にした拳銃を握り直す。
「私がやる」

 彼女がどこを狙ったのか分からなかった。大して距離は離れていなかったが、この薄暗がりで揉み合っている中、敵に命中させるにはかなりの技術が必要なはず。

「ウガァっ!」
 私の頚動脈を掴んでいた男の右手から、力が抜けた。どうやら弾がどこかに当たったらしい。
 解放された私は、倒れ込む男を横目に地面に膝をついて咳き込んだ。
「ゴホゴホっ!ゴホ……」

「大丈夫?」女刑事が私に近づいて声をかけてくる。
「もう……、早く許可くれてたら、こんな事には、なってないんだからね……?」
 手錠を掛けられ動かなくなった男二人に目をやり、コルトを仕舞いながら呟く。

 立ち上がろうとした私を、彼女は腕を掴んで補助してくれた。
「……ありがと。それより急いでるんでしょ?早く行って」
「でも……」辛そうな私を、気にしてくれているようだ。
「私の事は気にしないで。とにかく話は後よ、急ぎなさいってば!」
「感謝するわ!」

 彼女は頷くと、携帯電話で応援要請をしながら黒塗りのセダンの方に乗り込んだ。
 後部席には誰か乗っていたのだろうか?だとすれば……見られた。

「マズかったかな~。……ゴホホっ」まだ息が苦しい。「あのバカ力男!今度ユイさんにこんな事したら、ただじゃ置かないから!」

 ようやく愛車の元に辿り着き、息を整える。ここからも公園内が良く見えた。
 少しすると、パトカーが二台やって来て、倒れた男二人を無事に連行して行った。

「女刑事かぁ。カッコいい!結構強かったし。気も強かったな……」
 この日の夜更けに出会った、とても興味深い一人の女性。彼女の事を思い返して、妙にワクワクが止まらない私なのだった。


 マンションに着くと、新堂さんが来ていた。彼は私のウォーターベッドで熟睡中だ。

「ふふっ、可愛い寝顔!」

 ベッドサイドで彼の髪に触れていた時、彼が寝返りを打った拍子に私の手を掴んだ。
「何だ、起きちゃったの?」もう少し寝顔を見ていたかったのに。
「ユイ……。帰ってたのか」
 寝ぼけ眼の彼だったが、すぐに正気に戻る。

「ごめん、起こしちゃったね」
「勝手にベッドを使わせてもらった。待ってたんだが、今夜はもう帰らないだろうと思ってね」
「いいのよ。ゴホ……っ」喉に違和感を感じて、少し咳き込む。

「喉、どうかしたのか」新堂さんが起き上がって、私の喉に触れる。
「大した事ないの。ちょっと絞められて」
 心配させないように軽く言ったつもりだったのだが、彼の顔色が変わる。
「絞められただって?一体誰に!」
「だから大した事ないってば……」

「診せてみろ」
 とうとう彼は起き出してしまった。私をベッドに座らせると、喉の辺りを念入りに触診し始める。

「ううっ……!」
「痛むか?」
「痛いというか……その辺触られると、気持ち悪い」
「絞められたのはどのくらいの時間だ?」
「力を加えられたのは三十秒くらいよ。しばらく掴まれてはいたけど」

 私の首元には、くっきりと男の指の圧迫痕が残っていたようだ。
 彼がタオルを濡らして持って来て、そこを冷やしてくれた。

「気持ちいい……ありがとう」
「痛みがないようなら、まあ心配ないだろう。もし、違和感が引かないようなら教えろ」
「うん。ありがと」

「全く……。復活した途端にこれか!先が思いやられるよ」
「今回のは仕事じゃないの。ちょっとした人助け」
「何だって同じだ。だが珍しいな、おまえがやられるなんて」
「何せ、さっきは思うように動けなくてね……」

 警察の人間が目の前にいたのだから。警官を助けて捕まるなんてお笑い種だ!

「何にせよ。あまり無茶はしないでくれよ?」呆れ顔で新堂さんが言った。
「は~い!」


 それから数日後の事。私はある民間会社社長のボディーガードを依頼され、この日は官僚との会食に同行した。

「朝霧さん、君は外で待機してくれ。何か不審な動きがあれば、私の携帯に連絡を」
「かしこまりました」秘書に向かって頭を下げる。

 同じ時刻に、黒塗り車両がもう一台料亭前に到着する。

 その車両からのっそりと姿を見せたのは年配の男性。
「いや~、お仕事ご苦労さん!」周囲の人間に愛想を振りまいている。
 やけに陽気なオジサマだ。そんな事を思いながら見ていると……。
「行ってらっしゃいませ」

 驚いた事にドアを開けた黒スーツの付き人は、先日の女刑事ではないか!
「……!」
 私と目が合うと、向こうも分かり易く驚いている。どうやら気づいたらしい。
 今日は男性刑事も一緒だ。

 お互いの護衛対象が屋内に消え、店の前で待機となる。

「ハ~イ!また会ったわね!」私から声をかけた。
「あなた!どうして……」

「おい砂原。知り合いか?」少し距離を置いて立っていた男性刑事が聞いてくる。
「石井さん、ちょっと外してもいいですか?」
 やや緊張した面持ちで許可を求める彼女に、「ああ、構わんよ。どうせ小一時間、出て来んだろう」男性刑事の意外に素っ気ない答えが返される。

 一礼を終えて顔を上げた砂原は、ウェーブの掛かったショートの髪を揺らして、私の方に一直線にやって来た。
 おもむろに腕を掴まれて、店の斜向かいの路地へ連れて行かれる。

「ちょっとぉ、乱暴ね。砂原さんって!」
 先ほど男性刑事が呼んでいた名を口にしてみる。
「あなた……!今日はたっぷりと時間があるわ。説明してくれるわよね?」

 彼女は私を見下ろしながら、胸ポケットから警察手帳を出し、これ見よがしに突き出した。
 本物の手帳を前にして興奮してしまう。時々レプリカをチラつかせて聞き込みしたりするのだが、やっぱり本物は迫力が違う!

「こっそり話を聞いてくれるって事は、まだ釈明の余地があるって事よね?」
「それは返答次第ね」
「まあまあ。落ち着こうよ、砂原さん!私は朝霧ユイ、二十七歳。今はボディガードとして民間企業に雇われてる、ただの民間人なんだから!」
 今は、ね。雇われればイギリス諜報部にだって手を貸すけれど!

「良く言うわ、民間人が聞いて呆れる!で、朝霧ユイ。今も所持しているんでしょ?例のモノを……」
「だったら私を逮捕する?銃刀法違反で!」
 砂原は私を睨んだまま黙り込んだ。

「一応私は、あなたの命の恩人、じゃない?」これには透かさず「脅す気?」と彼女。
「別に。そんなつもりはないわ」
 彼女が私の腰の辺り、まさにコルトのある位置に手を伸ばしたが、瞬時に交わす。
「……その動き、絶対だたの民間人じゃない」私から目を離さず言う。
「好きに取っていただいて結構よ」

 すでに私の実力を目の当たりにいていた彼女は、ムダな攻撃はしなかった。
 砂原の表情が幾分和らぐのが分かった。

「私は警視庁警備部所属、砂原舞、二十六。お察しの通り刑事で、今はSP。よろしくね」
「SPか……。つまり、ある意味同業者って事ね。私達」
 私達は握手を交わした。

 どうやら私の事を気に入ってくれたようだ。年も近いし、私にも友達ができるかも!それも現役刑事の……。どうして寄りにもよって?
 何とも複雑な心境だ。


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