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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!
クナシリの悲劇(2)
しおりを挟むまるで初対面のような顔を続ける彼に、私の中で何かがプツリと切れた。
「やっぱりね!元々あなたは、私の事なんて何とも思ってなかったのよ!これで証明できたじゃない?」
私の豹変振りに貴島さんも驚いている。「お、おい、朝霧……?」
「その気にさせる素振りを見せては、私が心を開こうとすると、こうやって突き放す。変わってないわ、そのイジワルな性格。最っ低!」
「おいって!コイツは重傷患者なんだぞ?もう少し手加減してやれよ……」
貴島さんが止めに入っても怒りは静まらず。
「この人ったらね、そりゃあ酷かったのよ?出会った頃なんて特に!それこそ重症の私にどんな態度を取ったか。どうせ覚えてないんだろうけど!」
諦めたのか、貴島さんは聞き役に回ったようだ。
「それがこの間、やっと……っ」
嵐の夜の、めくるめくひと時を思い起こしてしまう。
もしかしてこの人は、誰とでもああいう事をするのかもしれない。私はただの遊び相手で、本気じゃなかったのかも……。
興奮しっ放しの私をよそに、新堂さんはまるで異国の見知らぬ言語でも聞くように、ぼんやりするばかり。
何を言っても打撃を与えられない。それはいつもの事なのだが。
「……もういい!」
我慢できずに部屋を飛び出した。
「おい、朝霧!まなみ、あいつの事、頼む」
「しょ~がないなぁ、まかせて!」
こんな貴島さんとまなみの声が、後ろから聞こえた。
ここ貴島邸は、海に面した高台に建っている。眼下に広がる海を見渡し、冷たい海風を全身に浴びる。これで興奮して火照った顔も、少しは冷めてくれるだろう。
まなみが私の後を追って外に現れた。
「ユイ、元気出しなさいよ」私に近づいて来て言う。
「意外!私の名前、覚えてくれたの?」思わず振り返って尋ねる。
「ちょっとカワイイからって、私の総先生を困らせたら許さないからね?」
セリフはともかく、まなみは屈託のない笑みを見せている。
「そう簡単に、サイアイの人を忘れるはずがないじゃない!大丈夫よ」
一生懸命に励ましてくれる。
「最愛の人って……私、そんな事言った覚えないけど!その前にそんな言葉、どこで覚えたのよ?」
マセた子だ。相馬ユキもそうだったが、最近の子供はどうしてこうマセているのか!
ため息をついてその場に座り込み、再び海を見つめた。
「あの人は私の事、そこまで想ってなかったのよ。だから忘れてしまった、ただそれだけの事」もはや独り言として語る。
それに対して、またしてもまなみが応じた。
「ユイがそう思ってるだけでしょ?助かったんだから、本人に確かめれば?」
「え、ええ……そうね。助かったんだもんね……でもっ!酷いよ、こんなの!」
この現実に耐え切れずに、私は膝を抱えて再び泣いた。まなみが隣りにしゃがみ込んで、そんな私を覗き込む。
「本当にあの人の事、愛してるのね……。私は総ちゃん先生を愛してるわ!」
私は愛してなんていない!愛なんて軽い言葉……そう言ったのは新堂さんだ。
誰でもいいから教えて!愛って、一体何なの?私には、この子のように何も知らず無邪気に口にする事などできない。
止まらない涙を拭って横を見れば、無垢な瞳で真っ直ぐに私を見つめる少女がいる。
どう見ても私は、この四歳の子に慰められている。
そして極め付きに盛大なため息が聞こえた。
「はぁ~!分かってないわね、ウチにはキジマ大先生がいるのよ?いつまでもウジウジしないの!分かった?」唐突に胸を張って叫ぶ。
「……ふふっ、降参よ。ありがと、まなみちゃん」
そうよ。結果を出すのまだ早いわ、ユイ!
こうして気持ちを落ち着かせ、意を決して再び新堂さんの病室へ戻った。
「貴島先生、新堂さんの事、よろしくお願いします」私は頭を下げ改めて伝えた。
「ああ。前にも言ったが、この依頼料はいらないからな」
ありがとう、と貴島さんに礼を述べた時、新堂さんが口を挟む。
「待ってくれ、なぜ君が……私の治療費の話を?」
「まあまあ、その辺の事はいいじゃない。先生もいらないって言ってるし。ねえ?」
窓側のベッド横にいる貴島さんに視線を向けると、同意を示すように手を上げた。
それでもまだ彼は引き下がらない。
「いや、良くないよ。君にまで迷惑が……」
しつこい。ムッとした私は彼の言葉を遮って、今度は強めに言い放つ。
「私はしたくてしてるの!口出ししないで!」
何だかこの光景は、その昔新堂さんが私に取っていた態度に似ている気がする。
しばらく沈黙が続いた後、冷静になって考えてみてある事に行き着いた。
「ねえ?この人が貴島先生の事を覚えてたのって、何か、強烈に記憶に残る事があったからなんじゃない?」
「何だよそれ!どういう意味だよ……」貴島さんが戸惑っている。
「二人でどんな話をしたの?」
詳しい事は何も聞いていなかったので、これは聞き出す良いチャンスだ。
「貴島先生。もしかして、新堂さんの事知ってたんじゃない?この人、結構有名だから。ウラの世界でだけど!」
裏社会に精通している医者ならば、知らないはずはない。
「ああ。知ってた。まさか、あの新堂と間違われたとは驚きだったよ!」
やっぱり!と納得していると、続いた言葉は意外なものだった。
「言っとくけど、俺は無免許じゃないぜ?」
「それじゃ、どうしてあの時〝一応〟医者、なんて言ったの?」
「なぁに!俺のモットーは、謙虚に生きる事だからなぁ。謙遜ってヤツか?」
何にでも自信たっぷりにしゃしゃり出るヤツは嫌いだ!と貴島さんが続けた。
それは……この場にいらっしゃるこの方がまさしく……そう思って恐る恐る新堂さんを見る。けれど彼は、我関せずの穏やかな表情だ。
「疑われるのも無理はない。こんな人相だしな。病院やめたのだってそのせいだ」
貴島さんが弁解を始める。
「その顔の傷は?」悪人に見えるのは傷跡のせいもあるだろう。
「名誉の勲章、って言えればカッコいいんだが……。モンスターに襲われたんだよ」
意味深な回答に興味はあったが、今日のところは追及を諦めた。
何にせよ、貴島医師の腕は確かで、この人は命の恩人だ。今はただこの出会いに感謝しかない。
一人で感極まっている私に、貴島さんがポツリと言った。
「そういえば朝霧。庭に、ヘリコプターが置きっ放しなんだが……」
「あ~っ、いっけない!返すの忘れてた!」
ゴメン、フジタさん……。
私が貴島邸を離れて一週間ほど経った頃、貴島先生から連絡があった。新堂さんが私に会いたがっているらしい。
全く気乗りしなかったが、仕方なく出向いた。また言い合いになるのを覚悟で……。
「悪いな、呼び出して。どうしてもあんたに謝りたいんだとさ」
顔を出した私に、第一声で詫びを入れてくる貴島さん。
「何を?思い出してないんでしょ。何を謝るっていうの、覚えてないのに!」
「まあまあ、そうカリカリしなさんなって!」
宥められながら病室に向かう。
「お~い新堂。連れてきたぞ」
ドアを開けてくれた貴島さんの前を通って室内に入る。
「失礼します……」
太陽の暖かな光が射し込む中、新堂さんはベッドでやや体勢を起こして休んでいた。
その姿は相変わらず憎らしいくらい絵になっていて、不本意ながら見惚れてしまう。
「朝霧さん!先日はぼんやりしてしまって、きちんとお礼もお詫びもできなかったので……。どうしてももう一度お会いしたかった。呼び出して申し訳ない」
彼が私に向かって丁寧な口調で話している。
朝霧さん、と呼ばれたのも初めてだ。「お構いなく」わざと素っ気なく返す。
「君の事、もっと教えてくれないか。何か思い出せるかもしれない」
「そうだな、話してやってくれ、朝霧」カリカリしないで!と貴島さんが付け加えた。
私は二人を交互に見た後、大きく一つ深呼吸をしてから話し始めた。
「あなたは、私の母の命を救ってくれました」出会った頃を思い浮かべる。
「君の母親の、オペを?」
「ええ。もう八年くらい経つけどね。ついでに言うと、父は死んで二年半かな。誰かさんが余計な情けをかけたせいで、それは安らかな死だったわ!」
私がそう言った時、貴島さんが割って入る。
「安らかな死?おい、それって誰だ!まさか……マキのエセ教授じゃないよな」
「貴島さん、あの人を知ってるの?」意外だ。あの胡散臭い男はそんなに有名なのか。
「あいつめ、まだそんな事してやがったのか!」
「末期ガンだったから。死が早まっただけの事よ。それに、その事はもういいの」
母に免じて、と心の中で言う。
「末期ガン……。園長夫人もそうだった」彼が思い出すように言った。
「ええ、知ってる。ちょうど、四年前になるんじゃない?」
忘れもしない衝撃の告白。あれは私が二十一歳の冬、二十二になる直前だった。
「朝霧さんは、そんな事まで……?」
彼が驚いて混乱している様子に、心配になって貴島さんの方を確認する。
「まあ、無理するな。急がなくていい」貴島さんが、新堂さんを診察しながら言う。
私は話を中断して、二人のやり取りを見守る。
「じゃ、そろそろ二人きりになりたいだろうから。後よろしく、朝霧。くれぐれも無理はさせるなよ?」
診察を終えると、そう勝手に決めつけて出て行った。
閉じたドアをしばし見つめた後、おどけて言ってみる。
「二人きりになりたいなんて!……ねえ?」新堂さんの方に視線を向ける。
そんな私の態度に動じる事もなく、彼が姿勢を正す。
「朝霧さん。きちんとお礼を言いたかったんだ。君が国後島まで、迎えに来てくれたそうだね。その節は、本当にありがとう」ご丁寧に、深々と頭まで下げている。
「いいえ……別に。どういたしまして」どうもこの呼ばれ方に慣れない!
「ここの貴島先生のお陰で、命拾いした。それに、君の血液を相当分けていただいたそうで……。辛かっただろ?申し訳なかった」
彼はまるで別人だ。
呆気に取られて返す言葉も見つからず、ただ「別に」を繰り返す。
「それと、私が過去に、君に失礼な態度を取った件だが……」
「いいわよ、覚えてないんだから」と返しつつも、あの時の私の話を彼が認識していたのを知って戸惑った。ちょっと言い過ぎただろうかと……。
「そういう訳にはいかない!君に不快な思いをさせているんだったら、きちんと対処させてもらわなければ」毅然とこう返される。
「対処って……、どうする気?」私はもう不審感でいっぱいだ。
「朝霧さんと私は、お付き合いしていたのかな」
「さあね!してないんじゃない?」
あなたの考えなんて知りません!何がお付き合いだ。そもそも恋愛しないと宣言しているのはそっちじゃないか。どんどんイラ立ちが募って行く。
「だってね?そっ、……」
嫌味を連発してやろうと口を開いた時、先を越された。
「こんなに美しく魅力的な女性を、私が放っておくはずがない。朝霧ユイさん。それでは今、正式に交際を申し込むよ。どうかな?」
女なら誰でも釘付けになりそうな笑顔で、こんな事を言ってくるのだ。
「こっ、交際って……!ふざけてるの?怒るよ!」軽薄すぎる彼に言い放つ。
「ふざけるなんて、とんでもない。私は真剣だ。実を言うとこの一週間、君の事で、頭がいっぱいだった」
またそんな冗談を?いい加減にして!
「きっと私は、朝霧さんの事が……相当、好きだったんだろうな。記憶を失くしても、この感情だけは忘れていなかったって事だから」
私の怒りを差し置いて、素敵な笑顔で続けるのだ。
「頭打っておかしくなったんじゃない?貴島先生にもう一度、検査してもらったら!」
照れ隠しも兼ねて、彼の額に手を当てて熱を測る仕草をした。
すると彼が、その私の手を取る。
「何よ……っ、離し……」
「ユイ……。君の事が好きになった」
新堂さんはそう言って、私を引き寄せてキスをした。これまでのように、ちょっぴり強引で官能的なキスだ。
「んっ、ちょっと!やめてよ!」
様々な想いが駆け巡り、思わず彼を突き離す。
けれど悲しそうな顔をする新堂さんを見て、途端に罪悪感が湧き出す。
「ごっ、ごめんなさい……」
「気にしないでくれ。勝手にした私も悪かった」
そんな神々しい笑みを称える彼を前に、居た堪れず病室を飛び出した。
「何だ、もういいのか?」
「まるで別人みたいになってるんだけど……。あの人、本当に大丈夫なの?」貴島さんに、嫌味も込めて改めて確認する。
「そうか?確かに頭を強く打ってるようだが、今のところ異常は見当たらない」
画像などを確認しながら、真剣に返される。
「あいつがどんなヤツだったか、俺は良く知らないからなぁ」腕を組み直して、独り言のように呟く。
「自意識過剰、って事くらいは知ってるでしょ」さらなる嫌味を言ってみる。
「あ?そうなのか?」
知らない!?驚くべき事実にこちらが意表を突かれてしまった。
沈黙が続き、否応なく先ほどのシーンが甦る。
「好きになった、なんて……。どういうつもりよ!もうダマされないんだからね?」
「何だって?」と問いかけられ、口に出していた事に気づく。
透かさず「何でもない!」と声を張り上げたのだった。
面食らうじゃない、あんな事を言われて挙句に……。ケンカする気満々でやって来たというのに。恋愛、しないんじゃなかったの?混乱は募るばかりだった。
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