大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

文字の大きさ
上 下
75 / 117
第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

32.アメノヨルニ…(1)

しおりを挟む

 今日は生憎の雨。それも嵐のような最悪の天候だ。

「これじゃ、せっかくのキンモクセイも散ってしまいそうね……」
 私があの人に出会った時に咲いていた花。この香りを嗅ぐと思い出す。あのサイアクの日々を!

 その雨は夜まで続いた。
 そんな雨の中、新堂さんが約束の時間きっかりにやって来た。

「いらっしゃい」
「参ったよ……、この雨には!」
 全く濡れているふうでもないが、愛車はさぞや酷い状態になっているのだろう。

「こんな悪天候に呼び出してごめんなさい……別に今日じゃなくても良かったよね」
「いや。ダメだ」
 思わぬ返答に、目を瞬いて彼を見上げる。「え……?」
「ユイとの約束を、先延ばしにしたくない」
 玄関で靴を脱ぎながら、こんな事を言う。

 その口調があまりに真剣で驚いた。「なっ、何で?」
 けれど、次に続いたのは「体調は?」といつものセリフ。私の顔をジロリと見るその様子は何年経っても変わらない。
 ……そういう事か。

 しばしの沈黙の中でようやく言葉の意味を理解した。この人の第一声はいつだってこんなセリフで始まるのだ。

「私っていつまで経っても、あなたにとっては患者でしかないみたいね」
「体調はどうなんだと、聞いたんだが」
 おかしな質問だと言わんばかりの顔で、私を見下ろしている。
「ええ!お陰様で、元気いっぱいです!」開き直って大袈裟に答えた。

 気づかれないように落胆のため息をついた後、廊下で立ち止まったままの新堂さんをリビングへ通した。

「ケガをしたヤツには、医者として接して当然だろう?」
「全くその通りよ」吐き捨てるように言い返す。
「中でもユイの事は、一番に思ってる」
「それはそれは!ただの患者から昇格した訳ね。それだけでも喜ぶべきかな?」

 この人は相変わらずだ。こんなのはムダな口論……問いただすのを諦めて、彼の隣りに座った。
 飽きずにじっと見つめてくる新堂さんに、「……何?」と上目遣いで問いかけるも、答えを聞く前に思い立つ。
「ああそうだ……診察ね!だったら、寝室に行こうか?」

 何も反応してくれない彼がようやく口にしたのは、予想外の言葉だった。

「私にとって、ユイはただの患者などではない。いつでも、一番に思ってる」
「世話のヤケる患者よね~。目を離せばケガしたり撃たれたり?新堂先生の仕事を増やす一方で!」
 真っ直ぐな言葉を受けても、こんな冷やかしの言葉が口を突いて出てしまう。

「ユイ」
 彼が両手を私の肩に乗せて、自分の方に向かせた。
「な、何かしら……」ご機嫌を損ねたかと萎縮していると、思わぬ展開になった。
 だって私達は、キスをしていたのだから……!

「新堂さん?ど……どうしたの、急にっ!」唇が離れると同時に口を開く。
「これでも、私は後悔しているんだ……」

 何の事かと首を傾げていると、彼が続けた。「私はユイを大事にし過ぎたようだ」
「……え?」
「前に、言った事があるよな。もう誰とも恋愛はしないと」
 言った言った!大きく何度も頷いて見せた。早くその先が聞きたい。
「その気持ちは、今も変わっていない」

 何て事……!大いに期待外れのセリフにあからさまに肩を落とした。

「おまえとの事は、そんなもので片付けたくないんだ。自分でも、どう説明すればいいのか分からないが……」
 確かに全く意味が分かりません!
「でも新堂さんは私の事、女としてなんて見てないでしょ」
 年齢的に二十五歳は十分大人だと思うが、彼からすれば十歳も年下だし、そして何より私はこの通りいつまでも子供だし?

 返事はもらえなかったが、代わりに彼は私をソファに押し倒した。それも力づくではなく、優しくいたわるように。
 新堂さんが、私の上に体ごと近づく。逆光で顔が良く見えない。そして彼は、私の指に自分の長い指を絡ませた。

「新堂さん……?」
 そのまま再び唇が合わさる。今度は時間をかけた深いキスだ。
「俺が全部、忘れさせてやる……あの男とした行為を、何もかも」
「しん、どう、さ……っ」唇を塞がれて言葉が出せない。

 繋がれていない方の手が私の頬を撫でる。その手が徐々に移動して、胸元に迫った。
 心臓が踊るように鳴っている。彼に聞こえてしまいそうなくらいに!

「……こういう時、普通は愛してると言うんだろうが……悪いな。俺はそんな安っぽいセリフは言わないぞ?」
「構わない……!」私はもう、それどころではなかった。
 この人が欲しい。この人に身も心も愛してほしい、ただそれだけだった。

 彼は軽々と私を抱き上げて寝室へ運んだ。
 そして私達はついに結ばれた。それはとてもとても最高の夜だった。



 翌朝。
 先に起きていた新堂さんはリビングにいた。ピアノを前に軽やかな指さばきでメロディを奏でている。

「おはよう……」
「おお、起きたか。おはよう、ちゃんと眠れたか?」
「うん。記憶、いつの間にかなくて……」
「熟睡した証拠だな」

 彼はいつもと何ら変わりなく、昨夜の事が夢だったんじゃないかと不安になる。

「昼からオペが入ってるんだ、もうすぐ出るよ。雨もすっかり上がった」
「本当だ……」窓の外を見て言う。澄んだ秋の空が広がっていた。

 彼が鍵盤から手を離しピアノの蓋を閉じた。
 オペ、か……。この人が医者だった事を思い出してしまった。私の大嫌いな!医者だった事を。

「ユイは?」
「私?私は、今日は何も」
「そうか。それなら、おまえはゆっくりするといい。体は、大丈夫か?」
 こんないつもの問いかけなのに、昨夜の事を思い出して熱くなる。
「だっ、大丈夫よ!」
 すぐに答えて背を向けた。

 幸いそれ以上突っ込まれずに済み、その後私達は他愛のない会話を交わして別れた。


 一人になって、様々な疑問が徐々に湧き出し始める。恋愛はしないとか、愛してると言わないとか……。
「結局、私は女として見られてるの?ないの?私の事好きなの?どっちよ!」
 何一つ返事をもらっていない事に今さら気づいても、もう遅い。

 だが、彼がヘルムートに嫉妬していたのは間違いなかった。あの男との行為を全部忘れさせるだなんて……負けず嫌いな人だ。
 コイツは俺のものだ!という独占欲……いや、支配欲?何にせよ、実際にヘルムートを忘れるくらい素敵だったけれど。

 だって、思い出すだけで、心臓が騒々しく踊り出すのだから……!


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

このたび、小さな龍神様のお世話係になりました

一花みえる
キャラ文芸
旧題:泣き虫龍神様 片田舎の古本屋、室生書房には一人の青年と、不思議な尻尾の生えた少年がいる。店主である室生涼太と、好奇心旺盛だが泣き虫な「おみ」の平和でちょっと変わった日常のお話。 ☆ 泣き虫で食いしん坊な「おみ」は、千年生きる龍神様。だけどまだまだ子供だから、びっくりするとすぐに泣いちゃうのです。 みぇみぇ泣いていると、空には雲が広がって、涙のように雨が降ってきます。 でも大丈夫、すぐにりょーたが来てくれますよ。 大好きなりょーたに抱っこされたら、あっという間に泣き止んで、空も綺麗に晴れていきました! 真っ白龍のぬいぐるみ「しらたき」や、たまに遊びに来る地域猫の「ちびすけ」、近所のおじさん「さかぐち」や、仕立て屋のお姉さん(?)「おださん」など、不思議で優しい人達と楽しい日々を過ごしています。 そんなのんびりほのぼのな日々を、あなたも覗いてみませんか? ☆ 本作品はエブリスタにも公開しております。 ☆第6回 キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました! 本当にありがとうございます!

イケメン歯科医の日常

moa
キャラ文芸
堺 大雅(さかい たいが)28歳。 親の医院、堺歯科医院で歯科医として働いている。 イケメンで笑顔が素敵な歯科医として近所では有名。 しかし彼には裏の顔が… 歯科医のリアルな日常を超短編小説で書いてみました。 ※治療の描写や痛い描写もあるので苦手な方はご遠慮頂きますようよろしくお願いします。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

小児科医、姪を引き取ることになりました。

sao miyui
キャラ文芸
おひさまこどもクリニックで働く小児科医の深沢太陽はある日事故死してしまった妹夫婦の小学1年生の娘日菜を引き取る事になった。 慣れない子育てだけど必死に向き合う太陽となかなか心を開こうとしない日菜の毎日の奮闘を描いたハートフルストーリー。

諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~

七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。 冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

処理中です...