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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!
32.アメノヨルニ…(1)
しおりを挟む今日は生憎の雨。それも嵐のような最悪の天候だ。
「これじゃ、せっかくのキンモクセイも散ってしまいそうね……」
私があの人に出会った時に咲いていた花。この香りを嗅ぐと思い出す。あのサイアクの日々を!
その雨は夜まで続いた。
そんな雨の中、新堂さんが約束の時間きっかりにやって来た。
「いらっしゃい」
「参ったよ……、この雨には!」
全く濡れているふうでもないが、愛車はさぞや酷い状態になっているのだろう。
「こんな悪天候に呼び出してごめんなさい……別に今日じゃなくても良かったよね」
「いや。ダメだ」
思わぬ返答に、目を瞬いて彼を見上げる。「え……?」
「ユイとの約束を、先延ばしにしたくない」
玄関で靴を脱ぎながら、こんな事を言う。
その口調があまりに真剣で驚いた。「なっ、何で?」
けれど、次に続いたのは「体調は?」といつものセリフ。私の顔をジロリと見るその様子は何年経っても変わらない。
……そういう事か。
しばしの沈黙の中でようやく言葉の意味を理解した。この人の第一声はいつだってこんなセリフで始まるのだ。
「私っていつまで経っても、あなたにとっては患者でしかないみたいね」
「体調はどうなんだと、聞いたんだが」
おかしな質問だと言わんばかりの顔で、私を見下ろしている。
「ええ!お陰様で、元気いっぱいです!」開き直って大袈裟に答えた。
気づかれないように落胆のため息をついた後、廊下で立ち止まったままの新堂さんをリビングへ通した。
「ケガをしたヤツには、医者として接して当然だろう?」
「全くその通りよ」吐き捨てるように言い返す。
「中でもユイの事は、一番に思ってる」
「それはそれは!ただの患者から昇格した訳ね。それだけでも喜ぶべきかな?」
この人は相変わらずだ。こんなのはムダな口論……問いただすのを諦めて、彼の隣りに座った。
飽きずにじっと見つめてくる新堂さんに、「……何?」と上目遣いで問いかけるも、答えを聞く前に思い立つ。
「ああそうだ……診察ね!だったら、寝室に行こうか?」
何も反応してくれない彼がようやく口にしたのは、予想外の言葉だった。
「私にとって、ユイはただの患者などではない。いつでも、一番に思ってる」
「世話のヤケる患者よね~。目を離せばケガしたり撃たれたり?新堂先生の仕事を増やす一方で!」
真っ直ぐな言葉を受けても、こんな冷やかしの言葉が口を突いて出てしまう。
「ユイ」
彼が両手を私の肩に乗せて、自分の方に向かせた。
「な、何かしら……」ご機嫌を損ねたかと萎縮していると、思わぬ展開になった。
だって私達は、キスをしていたのだから……!
「新堂さん?ど……どうしたの、急にっ!」唇が離れると同時に口を開く。
「これでも、私は後悔しているんだ……」
何の事かと首を傾げていると、彼が続けた。「私はユイを大事にし過ぎたようだ」
「……え?」
「前に、言った事があるよな。もう誰とも恋愛はしないと」
言った言った!大きく何度も頷いて見せた。早くその先が聞きたい。
「その気持ちは、今も変わっていない」
何て事……!大いに期待外れのセリフにあからさまに肩を落とした。
「おまえとの事は、そんなもので片付けたくないんだ。自分でも、どう説明すればいいのか分からないが……」
確かに全く意味が分かりません!
「でも新堂さんは私の事、女としてなんて見てないでしょ」
年齢的に二十五歳は十分大人だと思うが、彼からすれば十歳も年下だし、そして何より私はこの通りいつまでも子供だし?
返事はもらえなかったが、代わりに彼は私をソファに押し倒した。それも力づくではなく、優しくいたわるように。
新堂さんが、私の上に体ごと近づく。逆光で顔が良く見えない。そして彼は、私の指に自分の長い指を絡ませた。
「新堂さん……?」
そのまま再び唇が合わさる。今度は時間をかけた深いキスだ。
「俺が全部、忘れさせてやる……あの男とした行為を、何もかも」
「しん、どう、さ……っ」唇を塞がれて言葉が出せない。
繋がれていない方の手が私の頬を撫でる。その手が徐々に移動して、胸元に迫った。
心臓が踊るように鳴っている。彼に聞こえてしまいそうなくらいに!
「……こういう時、普通は愛してると言うんだろうが……悪いな。俺はそんな安っぽいセリフは言わないぞ?」
「構わない……!」私はもう、それどころではなかった。
この人が欲しい。この人に身も心も愛してほしい、ただそれだけだった。
彼は軽々と私を抱き上げて寝室へ運んだ。
そして私達はついに結ばれた。それはとてもとても最高の夜だった。
翌朝。
先に起きていた新堂さんはリビングにいた。ピアノを前に軽やかな指さばきでメロディを奏でている。
「おはよう……」
「おお、起きたか。おはよう、ちゃんと眠れたか?」
「うん。記憶、いつの間にかなくて……」
「熟睡した証拠だな」
彼はいつもと何ら変わりなく、昨夜の事が夢だったんじゃないかと不安になる。
「昼からオペが入ってるんだ、もうすぐ出るよ。雨もすっかり上がった」
「本当だ……」窓の外を見て言う。澄んだ秋の空が広がっていた。
彼が鍵盤から手を離しピアノの蓋を閉じた。
オペ、か……。この人が医者だった事を思い出してしまった。私の大嫌いな!医者だった事を。
「ユイは?」
「私?私は、今日は何も」
「そうか。それなら、おまえはゆっくりするといい。体は、大丈夫か?」
こんないつもの問いかけなのに、昨夜の事を思い出して熱くなる。
「だっ、大丈夫よ!」
すぐに答えて背を向けた。
幸いそれ以上突っ込まれずに済み、その後私達は他愛のない会話を交わして別れた。
一人になって、様々な疑問が徐々に湧き出し始める。恋愛はしないとか、愛してると言わないとか……。
「結局、私は女として見られてるの?ないの?私の事好きなの?どっちよ!」
何一つ返事をもらっていない事に今さら気づいても、もう遅い。
だが、彼がヘルムートに嫉妬していたのは間違いなかった。あの男との行為を全部忘れさせるだなんて……負けず嫌いな人だ。
コイツは俺のものだ!という独占欲……いや、支配欲?何にせよ、実際にヘルムートを忘れるくらい素敵だったけれど。
だって、思い出すだけで、心臓が騒々しく踊り出すのだから……!
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