70 / 117
第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!
ギソウ結婚(2)
しおりを挟む私がケガを負った翌日。ヘルムートはいつも通り家を出た。
「さすがに今日は、大人しくしていた方が良さそうね……」
ケガを負った事もあり、一日部屋で過ごす事に決めた。
その日の午後、玄関ベルが鳴り響く。
「(ユイー、どこにいる?ドクターを連れて来た)」
「(ヘルムート!お仕事中じゃないの?わざわざそんな事してくれなくても……)」
夫の声を聞いて慌てて玄関に向かうと、その後ろにもう一人男性の姿が見えた。
「(偶然、日本人のドクターを見つけてね。医者嫌いの君でも、同国人なら安心だろ?)」
そういう問題ではないのだが……。
ヘルムートに促され玄関に足を踏み入れた男性を見て、名前を叫びそうになる。
「し……んっ!!!」
それを遮って、平然と男性が話し始める。
「(初めまして、新堂と申します。外科医をしております。もしよろしければ、奥様のおケガを拝見しましょう)」
新堂さんはとても流暢な英語で、何事もなく初対面のフリを決め込む。
「(ユイ?顔色が悪いが、どうかしたかい?ついでに診察してもらうといい)」
「(……ダーリン、そちらの方は外科医とおっしゃったわ……。それは専門外よ)」
私も負けずに演技を始めた。
すると新堂さんは爽やかな笑顔で、問題ありませんと答えた。
「(それじゃ、仕事を抜け出してきたんで、僕は失礼する。妻をよろしく頼むよ、ドクター・シンドウ)」
「(かしこまりました)」
出勤前の習慣にならい、私にキスをして出て行くヘルムート。新堂さんの目の前で!
そして、ドアは閉ざされた。
何とも言えない表情で立ち尽くす私と、何の感情も読み取れない新堂さんが向かい合う。気まずい空気が、辺り一帯を覆い尽くしている。
「ここじゃ何だから、入って」
取りあえず、彼をリビングへ通す事にする。
「あのね……新堂さん。これはその……っ」
しどろもどろで弁解を始める私に対し、彼は至ってクールなままだ。
「まず先にケガの治療だ。診せてみろ」
はい、と小さくなって頷く。
リビングのカーテンを引いて、外からの目を遮断した後、彼の前でブラウスを脱ぐ。
「これは打撲だな。おまえらしくないじゃないか。こんなケガなんて」
「集中力が欠けていたみたい」
「新婚生活の真っ最中じゃ、浮かれても仕方ないよな!」
「新堂さん!これはただの任務よ?」すぐさま否定する。
「……あの日、おまえが相談したいと言っていたのは、この事か」
「そうよ!新堂さん、凄く忙しそうで。言い出せなかったんだもん……」
彼は口を動かしながらも、テキパキとケガの手当てをしてくれた。
「危険な仕事じゃないと言っていたが?こんなケガをして……」
「だから、単なる私の不注意だったら!」
新堂さんはやっぱり怒っている。急展開で、私は窮地に立たされた。
それと同時に疑問が一気に湧き上がる。
「それより、いつこっちへ来たの?どうやってヘルムートと知り合ったの!」立て続けに問いかける。
「何。ほんの偶然だ」返ってきたのはこんな素っ気ない回答。
嘘だ、そんなはずがない。こんな偶然がそうそうあるものか!
再度問いただそうとするも、彼に話を戻される。
「あのフォルカー氏は相当なイケメンで高身長、まるで映画俳優のようだ。おまえは面食いだから、理想の相手じゃないか!良かったな」
「新堂さん……それ、本気で言ってるの?」褒めちぎられた言葉の羅列に逆に呆れる。
元はといえば、あなたがいつも煮え切らない態度だからでしょ!そう叫ぶ事は容易かったが、今は感情的になるべきではない。
私は冷静さを取り戻して口を開く。
「これだけは言っておく。私は、新堂和矢以外の人に、興味ないから」
こんな事を言ってしまい慌てる。これでは告白しているのと変わらないのでは?
だがこれに対する冷やかしは、いつになってもやって来ない。
包帯を巻き終えて、ようやく彼が私の方を見た。
しばしの沈黙の後、彼は言った。「例え芝居でも、見たくないな。他の男との生活なんて!」そして「こんな依頼まで受けるとは。呆れたよ」と吐き捨てるように続ける。
「私だって……迷ったのよ!でも純粋にただの任務。仕事が済めば、あの人とは終わる」
「そんなふうに割り切れるものかね!……全く女ってヤツは、理解しがたい」
この言葉には、何も言い返せなかった。
そんなんじゃない。割り切れてなんかない。私は、あなたと最初にしたかった……!
本当は、こう言いたかったのだ。けれど言葉は出てこず。
そして新堂さんは帰って行った。
その夜。
「(ユイ、肩はどうだい?あのドクターは、何も問題を起こさなかったか?)」
「(問題って?おかしな質問ね!ダーリン。私の顔色を見てもらえれば、一目瞭然だと思うけど)」
大事なあの人との間に、亀裂が入ったかもしれない。それでも、理屈抜きで新堂さんに会えた事は心から嬉しかった。
なぜ彼が私の居場所を掴めたのかは、謎のままだが。
この人に聞いてみようかと思ったがやめた。下手に口を開いて、そこからどんな疑惑の芽が生まれるか分からない。
「(そうだね。何だか肌ツヤまで良くなったようだ)」
至近距離にいる我が旦那様が、私の頬に触れる。
「(それは大袈裟でしょ)」
新堂さんに会えた事で、私はここまで変化するのか。
触れられた手に自分の手を重ねる。
するとヘルムートは私を引き寄せた。身を任せて抱き合う。
「(まだ痛むかい?今晩は……やめておこうか)」気遣いを見せるヘルムート。
「(いいえ、大丈夫。来て、ダーリン……)」私はそれを拒む事なく受け入れた。
こうして、しばし夜の情事が繰り広げられる。
ヘルムートとのひと時。始めは演技する事に集中していて、ただ必死だった。何しろ私の夫はとても力強くて、強引だったから。
けれど何度か回数を重ねるごとに、強引さの中にふと、温もりのようなものを感じる時があった。それが何を意味するのかは分からないが。
そんな温もりなどいらなかったのに。
これ以上続けたら、本気にならない自信がなくなりそうだ。
このケガの一件以来、明らかにヘルムートは私の動向を注視している。あの日だって、抜き打ち的にドクター新堂(!)を連れて、昼に帰宅したくらいだ。
あれから二日後の午後三時を過ぎた頃、本日三度目の電話がけたたましく鳴った。
「最近この電話ったら、よく鳴るわ!」
それは夫が頻繁に家に連絡を入れて来るようになったからだ。
「午前中も、昼もかけてきて。まさか、またヘルムート……?」
ブツクサ言いながら受話器を取り上げる。
「(もしもし?)」
『(やあユイ。調子はどうだ?何か変わった事は?)』
「(あのねダーリン……。それ聞くの、今日三回目よ?調子もいいし、変わった事はないわ。で、ご用は?)」
『(今日は早く上がれそうなんだ。ちょっと出て来ないか?外でディナーにしよう)』
「(嬉しい!お夕飯の支度まだだったの。早速外出の支度をするわね)」
晩ご飯の支度をせずに済むのは嬉しいが、これではおちおち留守にもできなくなった!先が思いやられる……。
あくる日。ヘルムートの所属する組織でイベントが開かれ、夫婦同伴でそのパーティに出席する事になった。久々に堂々と外出できる!
会場にて。
「(ヘルムート、私ちょっとお手洗いへ……)」
「(ああ。行っておいで)」
こんな時こそ、組織を探る絶好のチャンスだ。酒に酔った連中は口も気持ちも軽くなる。思わぬ内部情報を入手できるかもしれない!
一目につかぬよう気を配りながら、あらゆる人物の他愛のない会話を盗み聞いて回る。
そんな時、不意に声をかけられる。
「(ミセス・フォルカー)」
振り返ると、そこにいたのはいつぞやのホームレスの男、のように見えるが……随分と体格が違う。
「(あなたは……?)」
「(ちょっと、よろしいですか)」
私が反応しないのを見て、男は次の行動に出る。
「(ミス・アサギリと、呼んだ方がいいだろうな)」耳元でそう囁いたのだ。
「(な!……なぜその名前を!)」
「(バラされたくなければ、付き合ってもらおうか)」そして私を脅しにかかった。
ヘルムートはここから見える範囲にはいない。騒ぎを起こす訳には行かない。同行するしかないだろう。
私は仕方なく男について部屋を出た。
男の背に視線を向けて考える。先日はわざと背中を丸めて体を小さく見せていた。そこまでできるこの男は恐らくプロだ。
空き部屋に誘導されて、至近距離での対面となる。
「(あなた、何者?お目当ては私の命?それとも別のものかしら)」上を見上げる形で問いかける。
こんなセリフは是非とも見下ろして言いたいところだ。
「(なぜ日本人がここにいる?あの国には諜報機関はないはずだ。一体何をしに来た?目的は!)」
唐突に浴びせられた質問にたじろぐも、〝諜報機関〟という言葉に引っかかる。
「(私は日本政府の人間じゃない。ただ愛する人と国際結婚した民間人よ)」
「(そんな見え透いた嘘をつくな!)」
「(嘘だと思うなら、夫に聞いてみるといいわ。私達は愛し合っているの!)」
なぜか私は自信を持ってそう言えた。
体の関係を持った事が理由か。女とは何と単純な生き物だろう!自分もその一人とは思いもしなかった。
そんな私の心の葛藤をよそに、男がさらに迫る。
「(ミス・アサギリ。今すぐ自分の国に帰れ。何を企んでいるのか知らんが、邪魔をされると困るんだ!)」
「(そういう事は、ちゃんと名乗ってから言ってくれない?)」
「(お前に質問する権利はない!)」
ついに壁際に追い込まれる。
「(イヤだ、って言ったら?)」それでも私は挑発を続けた。
男が片腕を私の首に押し付けてくる。とっさに外そうとしたが、思わぬバカ力でビクともしない。
「(くっ……!殺すって事か)」
「(物分かりがいいな。その通りだ。ついでに、その目障りな拳銃もいただいて行くとするか)」
「うっ、んんっ!」息ができず声も出ない。我慢の限界だった。
蹴りを入れるために、着ていたロングドレスの裾を持ち上げたその時、扉が開いた。
「(おい、そこで何をしている?)」現れたのは、我が夫ヘルムートだった。
男が腕の力を緩めた。その拍子に力が抜けて、不覚にも壁伝いに座り込んでしまう。
「(ユイ!どうしたんだ!)」私に駆け寄って来たヘルムートに抱き起こされる。
「(これは、どういう事だ?)」
鋭い視線で問い詰められ、男がまたも背中を丸めたのが見えた。
「(こちらのご婦人が、ご気分が優れないとの事でしたので介抱しておりました。ご主人様がいらっしゃったようでしたら、私はこれで……)」
早口にそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。
「(おい!待て……っ)」
ヘルムートが男の後を追おうとするのを、上着を引っ張って必死に止める。
「(い、行かないで……。側に、いて?ダー、リン……)」
咳込みそうになるのを抑えて、切れ切れに何とか訴える。
「(ユイ。一体、どうしたって言うんだ?)」
「(お手洗いに、行ったんだけど。戻る途中で、具合が……)」
「(本当なのか?)」
「(具合、が……っ)」頸部を絞められすぎたらしい。まだ声が上手く出ない。
「(おい、しっかりしろ!すぐに帰ろう)」
私はヘルムートに連れられ、帰宅した。
「(本当に病院へは行かなくていいのか?)」
「(平気。休んでいれば良くなるわ)」
「(おい、ユイ。首の所、赤くなってるじゃないか!やっぱりあの男に何かされたんじゃ……)」
ベッドに横になった私を見下ろし、その事に気づいた様子。
「(これは……じん麻疹よ!私、首の所に良く出るの。疲れが溜まってくると)」
とっさにこんな言い訳を考え出す。
「(そうか……。色々無理をさせていたんだね。もっとちゃんと、君を見ててあげれば良かった。ごめんよ)」
「(そんな!あなたは私を気遣ってくれてるわ。十分なほどに……)」
そう、全く十分すぎるくらいに!
何とか私が脅されていたのは、バレずに済んだらしい。
それにしてもこの屈辱、晴らさずにおくものか!
あの男の話し口調は民間人のものではない。国に帰れとは何て勝手な言い草だ!
顔立ちからして、あの男だって外国人のようだが?……いや、人相は特殊メイクという手もあるので当てにならない。
「うだうだ考えても始まらない。こういう調べ物は、あちらの方々が得意でしょ」
早急に我が依頼元、イギリス諜報部に報告し、調べさせる事にした。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~
日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】
https://ncode.syosetu.com/n1741iq/
https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199
【小説家になろうで先行公開中】
https://ncode.syosetu.com/n0091ip/
働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。
地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?
【完結】地味令嬢の願いが叶う刻
白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。
幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。
家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、
いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。
ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。
庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。
レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。
だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。
喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…
異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
「僕は病弱なので面倒な政務は全部やってね」と言う婚約者にビンタくらわした私が聖女です
リオール
恋愛
これは聖女が阿呆な婚約者(王太子)との婚約を解消して、惚れた大魔法使い(見た目若いイケメン…年齢は桁が違う)と結ばれるために奮闘する話。
でも周囲は認めてくれないし、婚約者はどこまでも阿呆だし、好きな人は塩対応だし、婚約者はやっぱり阿呆だし(二度言う)
はたして聖女は自身の望みを叶えられるのだろうか?
それとも聖女として辛い道を選ぶのか?
※筆者注※
基本、コメディな雰囲気なので、苦手な方はご注意ください。
(たまにシリアスが入ります)
勢いで書き始めて、駆け足で終わってます(汗
非モテアラサーですが、あやかしには溺愛されるようです
*
キャラ文芸
『イケメン村で、癒しの時間!』
あやしさ満開の煽り文句にそそのかされて行ってみた秘境は、ほんとに物凄い美形ばっかりの村でした!
おひめさま扱いに、わーわーきゃーきゃーしていたら、何かおかしい?
疲れ果てた非モテアラサーが、あやかしたちに癒されて、甘やかされて、溺愛されるお話です。
本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~
日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。
そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。
ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。
身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。
様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。
何があっても関係ありません!
私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます!
『本物の恋、見つけました』の続編です。
二章から読んでも楽しめるようになっています。
救国の大聖女は生まれ変わって【薬剤師】になりました ~聖女の力には限界があるけど、万能薬ならもっとたくさんの人を救えますよね?~
日之影ソラ
恋愛
千年前、大聖女として多くの人々を救った一人の女性がいた。国を蝕む病と一人で戦った彼女は、僅かニ十歳でその生涯を終えてしまう。その原因は、聖女の力を使い過ぎたこと。聖女の力には、使うことで自身の命を削るというリスクがあった。それを知ってからも、彼女は聖女としての使命を果たすべく、人々のために祈り続けた。そして、命が終わる瞬間、彼女は後悔した。もっと多くの人を救えたはずなのに……と。
そんな彼女は、ユリアとして千年後の世界で新たな生を受ける。今度こそ、より多くの人を救いたい。その一心で、彼女は薬剤師になった。万能薬を作ることで、かつて救えなかった人たちの笑顔を守ろうとした。
優しい王子に、元気で真面目な後輩。宮廷での環境にも恵まれ、一歩ずつ万能薬という目標に進んでいく。
しかし、新たな聖女が誕生してしまったことで、彼女の人生は大きく変化する。
異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~
水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート!
***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる