大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

  オトナと子供の境界線(3)

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 その夜、新堂さんがやって来た。

 本当に来たんだ!と嫌味をぶつけるつもりだったが、素直に礼を言う事にする。
 だってこの人は、約束は決して破らないと知っているから。

「来てくれてありがとう」
「少し早かったかな」
 時刻はまだ六時を少し回ったところで、私は夜にと言ったはずだ。
「そうね。まだ夕方だわ」
「私の中じゃこの時間は夜だが……何なら出直そうか?」真顔でこう言う。

 これは気遣いなのか嫌味なのか……判断がつかない!
「必要ないわ。入って」
 どう反応すべきか分からず、顔を背けて先にリビングへと進んだ。

 ソファに収まった私の前に屈んで、彼は早速診察を始めた。

「その後、具合はどうだ?まだ違和感はあるか」
「だいぶ消えた。あなたが加減してくれたからね」
「ユキにも叱られたよ。他に方法があっただろうってな……」

 今思えば、本気の私を止めるには、あれが一番妥当だったのかもしれない。
「もういいよ。私はこうして、まだ生きてるし?」少しおどけて言ってみる。
 けれど彼は、いつになく真剣な表情で答えた。
「当然だ!私がおまえを手に掛けるなんて、もう二度とあり得ないからな」

 見つめ合ったまま会話は続く。「私は、あなたに銃を向けたのよ?」
「本気だったのか」
 こんな質問は、不思議なくらい関心がなさそうに聞こえた。
 けれど私は声を張り上げて答える。「冗談であんな事はしない!」

 新堂さんはやや驚いた顔をしたものの、少し笑って言った。
「そうすると、私が生きてるのは奇跡だな」

「ねえ。病室で言った事、本気だったの?今なら撃っても構わないなんて……」
 やはりこの人はまだ、死ぬ事を望んでいるようなところがある。
「それでユイの気が晴れるなら、と思っただけだ」
「ふざけないで!……そんな簡単に、自分を撃てなんて言わないでよ」私は懇願するように言った。

「悪かった。私だって、おまえを殺人犯にしようとは思ってない」
 殺人犯、か。私はもうすでになっているのだが……。こんな事を思いながら、所定の位置からコルトを抜いて膝に乗せる。
「おい。部屋にいる時まで、それを携帯する必要あるのか?」

 今日は何だか手放せなかっただけだ。心細くて仕方がなかったから。
 こんな回答はせずに、私は話題を変えた。

「ねえ、本当にユキはこれを撃ったの?」コルトを見下ろしながら言う。
「ああ。まさか本当に撃つとはな!置かれた状況だけでなく、あいつは本当におまえに良く似てる。将来が心配だよ」
「どういう意味よ?強く生きて行くわ、あの子なら」
 初めて銃を撃っておいてあの様子なら!私よりも断然強い。

「ユイがいて、あいつは幸運だったな。あの頃のおまえに、手を差し伸べた人間はいなかっただろ?」
「あら、あなたがいたじゃない」
 それに、私には神崎さんという強い味方(資金源!)もいた。

「私は……おまえを怒らせただけだよ。今回同様にな」
「いいえ。新堂さんが助けてくれたのよ。お母さんも、私も」
「……なら私だって、ユイに救われた」聞き取れないくらいの声で新堂さんが言った。
 だが次の瞬間には、そんな自分の言葉をかき消すように話題を変える。

「それにしても。ユイの白衣姿、案外似合ってたぞ!」
「自分が大嫌いな医者役を演じるとはね……」苦笑しつつ答える。
「悪くなかったろ?」
「先生、って呼ばれた事?」私には〝先生〟は似合わない気がする。
「悪くないぞ、この仕事も。やって行けば分かる」
「そうかもね」人を助ける仕事が悪い訳がない。

「でも、やっぱり私には、白衣とかあの青い手術着は恐怖の対象だわ!お願いだから、もうあの姿で私に迫るのはやめてね」
「もしかして、それで避けられてたのか?」
 人の体を切り刻む(!)外科医という仕事は……ある意味最強だと思う。
「……色々よ!」

 とはいえ、私に怖いものなんてない。最強なのはこの私だ!
 こんな私の訳の分からない葛藤に気づく事もなく、新堂さんが呑気に答えた。
「次は気をつけるよ」

「でも……。新堂さんて強いのね。私をあそこまで追い込むなんて」
 自慢じゃないが、私が追い込まれる事は滅多にない。それなのに!

「ユイが私に対して警戒心がなかった証拠さ。これで、おまえに受け入れられてる事が証明されたな」
「キハラに叱られちゃうじゃない……こんな失態!」
「ん?何か言ったか」
「いいえ、独り言!」

 新堂さんの前でキハラの話はあまりしたくない。
 私はこの人を裏切って、キハラとの道を選んだ。結局キハラに断られて情けなくも舞い戻って来た訳だが……。

 様々なモヤモヤを吹っ切るために、こんな提案をしてみる。
「新堂さん、一度私と手合わせしてくれない?」
「何だ、それは」いまいち理解していない様子の彼に、「どっちが強いか確かめたいの」と補足する。

「何のために?」
 そう問い返されて、自分でも分からなくなった。
「……やっぱりいいや」
 彼の強さにはとても興味があったが、そんな事を確かめて意味があるのか?

「私は医者だ。ただそれだけだ」
「ええ。それでいいわ」そう。この人が強いか弱いかなどどうでもいい事だ。

「でも先生?ユキの母親の事、実際どうするつもりだったの?」今回の一番の謎に迫る。
「私は仕事において、慈善活動はしない」
「……つまり、ただじゃやらないって事」
「当然だ。全て引き受けていたらキリがないからな」

 それはごもっともだが……。再び私達の間に不穏な空気が流れ始めた。

「ユイだって言ってたろ?それなりの覚悟を示せって」
「だからって……!」相手は子供よ?と言おうとした時。
「子供だから何だ。あいつは十分、一人で生きてるじゃないか。立派に大人だろ」
 そう、彼はユキを一人の人間として見ていた。私は頭から、彼女を子供としか見ていなかったのに。

 あの頃、一刻も早く大人になりたかった私。けれど、学生の自分を大人として扱ってくれる人間はどこにもいなかった。
「そっか……間違ってたのは私か」
 この人は、あの時私を唯一大人として扱ってくれていたのかもしれない。

「思った通り、真っ直ぐなヤツだな、おまえは」
「悪かったわね、単純で!」
「おいおい、私は褒めたんだぞ?」
「どうだか!そっちこそ八年経っても嫌味な性格は変わらないみたいね!」
「おまえをからかってると楽しいよ」そう言って、新堂さんが笑っている。

 迷わず彼の腹に肘鉄を食らわせた、つもりだったが……。
「おっと」そう言って、新堂さんがそれを受け止めたではないか!
 そして彼は私の腕を掴んでバランスを崩させ、いとも簡単にソファに押し倒した。
「きゃっ!」

「やっぱり、私の前では無防備だな」
 何をする気だ?覆い被さってくる彼に恐る恐る尋ねる。「な、何っ?」
「そう警戒するな。今、楽にしてやる」

 そう言うと、私の唇に自分の唇を重ねた。それは次第に深い口づけへと移行する。
「んん……っ!」反論もできずに、ただ固まる。

 一旦唇を離して彼が言う。
「もう二度と、おまえを傷つけたりしないと、誓わせてくれ」
 その眼差しはこれまでで一番柔らかくて、一気に体から力が抜けて行く。
「新堂さん……私も、二度とあなたに、銃は向けない」
 まるで催眠にでもかかったように、私の口は勝手にこんな事を言っていた。

 こんなに簡単に受け入れてしまっていいのか?油断のならないこの人を、私はまだ完全に信用した訳ではないのに。

 しかしながら反論の余地などない。今まで感じた事のない安らぎを、今確かに感じているのだ。離れてしまった唇の温もりが恋しくて、再びそれを懇願してしまいたくなるくらいに!
 もし今日がこんな怒濤の一日でなければ……いや、こんな日だったからこその展開か。

 もうこれ以上考えたくなくて、寄り添ってくれる彼の胸に顔を埋めた。
 そして彼の言った通りに緊張は一気にほぐれて、私はそのまま眠ってしまったのだった。


 しばしのまどろみから覚めてみると、そこは寝室のベッドだった。新堂さんが運んでくれたようだ。
 起き出してリビングを覗く。

「新堂さん……?」
「何だ。もう起きたのか」
「……帰っちゃったかと思った」彼の顔を見て、無意識に笑顔になる自分がいる。

「今晩はここにいるよ。これ、一本貰ったぞ。おまえも飲むか?」
 新堂さんがワインボトルを持ち上げて言った。
「やったぁ!お許しが出たって事ね」
「少しだけな」

 私はグラスを取ってきて、彼の横に腰掛けた。

「ねえ。一人で、何考えてたの?」
「過去を、見ていた……」
「見てた?って、……もしかしてあなたも寝てたとか?」
「うたた寝だ、少しだけだ!」

 慌てて否定する彼が、どこか可愛く見えた。
 別に寝ててもいいんじゃない?超生真面目な新堂先生!

「思い出したく……なかったんじゃないの?」過去はこの人にとって、決して良いものではなかったはず。
「たまにはいいんだ」彼がポツリとそう答えた。
「うん、そうだね……」

 彼の気持ちは良く分からないけれど、どこか物憂げな新堂さんの整った横顔を見つめて、私はそれだけ答えた。


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