大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第四章 狂い始めた歯車を修正せよ!

  オトナと子供の境界線(2)

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 手術室の前に設置された長椅子に並んで座り、しばらく待っていると、ドアが開いて青色の手術着姿で新堂さんが現れた。

「ユイ……。起きて大丈夫か?」
 私がここにいるとは思わなかったのか、やや驚いた様子だ。
 頭部を覆っていたキャップを外しながら、真っ先に私に近づいて来る。
「私の事よりもっ!」
 わざと目を合わせず、彼の後に続いて現れたストレッチャーを見ながら声を出す。

 ユキが叫びながら母親の元へと駆け寄る様子を、しばし見守る。
 だが新堂さんはそちらには目もくれず、私だけを見下ろし続けている。その視線を感じつつも、彼を直視できない。

 開きすぎた間の後、言葉を続ける。「……オペがどうだったか、話すのが先でしょ」
「私にとっては、おまえの事の方が気がかりでね」
「あなたを理解するのは命懸けだわ!」
「本当に悪かった。もっとちゃんと説明すべきだった……」新堂さんが頭を掻きながら言った。

「ユイがこんなに怒るとは………思わなかったんだ」
「一体何なのよ!」
 軽率すぎるセリフに、思わず目の前の彼を見上げていた。

「いや……、あまり簡単に引き受けてしまうと、昔のユイに悪いじゃないか。限界まで努力して、願いを叶える術を学ばせねばと思ったんだ」
 律儀というか、生真面目というか……。
 私は首を左右に振った。その瞬間、違和感を覚えて首筋に手をやる。
 その違和感を無視して言い放つ。「バカね!そんな事思う訳ないじゃない。私とユキは違うんだから……」

「ユイ、病室に戻ってもう少し休め」
 彼が私の背に手を添え、場所を移動するよう促した。
「もう平気よ!」

 この時、自分は無意識に警戒したのだろう。接近した彼から即座に距離を取っていた。
 背に添えられていた新堂さんの手が、宙に浮いたまま固まる。
「ごめんなさい、体が勝手に……」
「……とにかく。病室に、戻ってくれるか?」

 気まずい雰囲気になり、ここは取りあえず従う事にした。

 さっきまで寝かされていた病室へ戻り、ベッドに腰を下ろす。

「ちょっとここで待ってろ。着替えてくる」
 そう言い残して、新堂さんが部屋を出て行った。

 少ししてドアが開く。

「ちゃんと待ってたな」私服に着替えた新堂さんが入って来た。
「逃げたりしないわよ。子猫じゃないんだから」
「子猫か!それはいい」何がいいのか、妙に納得している様子の彼。
 対して、一人でイラ立つ私。「何よ!」

「ユイ。これを、返却する」
 彼は真剣な表情に戻って、コルトを差し出した。
「気が済まないのなら、遠慮なく撃て。今なら構わない」
「何よ、今ならって……」
「あの時に撃たれる訳には行かなかった。やる事があったからな」

 しばしの沈黙の後、私はコルトを所定の位置に仕舞った。
 それを見て、彼は肩から力を抜いたようだ。今の状況で撃つ訳がないのに?

「さあ、横になれ」ベッドに手を置いて言う。
「いいってば」
「頼むよ」全く引く様子がない。
 不満でいっぱいながら、仕方なく横になった。

 首元に新堂さんの手が近づいた瞬間、再びあの時の緊張が甦る。
 表情を変えた私に気づき、手を止めて断りを入れてくる。
「診察を、させてくれないか?」

 私は耐えきれずに起き上がり、ベッドから降りて両手で首元をガードした。
「私に触れないで!あなたに、ケガをさせたくないの、お願い……」震えて立ち竦む。
 今この人と接触したら、自分が何をするか分からない。私の本能が、目の前の敵(!)を倒せと言っているのだ。
 なぜならこの人は、真相はどうあれ私を殺そうとした人物なのだから。

 だが彼は即座に返してきた。「ケガをしたって構わない。先にユイに危害を加えたのは私なんだから」

 そう言った新堂さんだが、良く見ると彼の頬にも傷がある。私が意識を失うまではなかったはずだ。
 それも、弾が掠めたような傷なのだ。
「それ、銃弾痕よね?……まさか私が!」自分が無意識に彼を撃ったのか?
 すぐにコルトの弾の数を確認するも、確かに一発足りない。

「違う。これは、あいつがやったんだ。おまえを助けるためにな」
「どういう、事……?」

 彼の言葉を理解するのに苦戦していると、その答えを知る人物が現れた。

「えへへ……!私、ピストル撃つの下手で良かったよ」
 現れたのはユキだった。
「ユキ?!あなたが、撃ったの?拳銃を……っ」
 私の脳裏に、小五の教室で本物と知らずに銃を撃ち放った記憶が甦る。あれのせいで自分がどれだけ混乱したかを。

「うん。ビックリしちゃった。まだ手が痛いよ」小さな右手を振りながら言う。
「それはこっちのセリフよ!危ないじゃない!どうしてそんな真似を?」
 この子にまで同じ思いをさせてしまった。

「こいつはおまえを助けようとしただけだ。そんなに怒るな」
 どういう訳か新堂さんがユキを庇っている。
「何を悠長な……!二人とも、ケガでもしたらどうするつもり!?」
「それを、おまえが言うのか?」

 その通り。元はといえば、私が彼を撃とうとしていたのだから……。

 何も言えなくなって黙り込んでいると、絶妙のタイミングでユキが話題を変えた。
「お母さん、目が覚めたよ!二人にどうしても会いたいって。それで呼びに来たんだけど……お取り込み中だった?」
「大丈夫、行くわ。ね、新堂さん?」
「もちろんだ」

 こうしてユキの後に続いて、母親の病室へと向かった。

 ぎこちない雰囲気のまま、ユキを先頭に部屋へ入る。諸々の事情は省いて、優秀な外科医と仲良くなった通りすがりのお姉さん(?)という事で挨拶をする。

 母親は開口一番でこんな事を言った。
「この度は、娘のユキが何かご迷惑を……」
 母親というのはどこでもこういうものだ。自分の事より娘の心配をする。

 私が否定しようと口を開いた時、新堂さんが先に言葉を発していた。それも思いもよらない言葉を!
「何もご心配なく。母親思いの、いい娘さんですね」
 呆気に取られる私に、「なあ?」と意見を求めてくる。
「えっ、ええ、本当に。私の母も病気持ちだったので、何だか人ごととは思えなくて」

「そうでしたの……。それであなたのお母様は?」
 心配そうな顔でユキの母親に尋ねられ、すぐに答える。「ご心配なく!私の母も、この先生が治してくれたので」
 私が改めて新堂さんを見ると、彼がはにかんだ笑みを見せた。

 こうして私達は、ユキの母親としばしの歓談の後、病室を出た。


 病院のエントランスに出ても、私と新堂さんの距離は微妙に開いている。

 後からやって来たユキが私達の間に入り、それぞれの手を握った。
「本当にありがとう、新堂先生、ユイお姉ちゃん!まだ仲直りしてないの?」

 こんな言葉を掛けられて顔を見合わせる。

「そんな事ないよ、ユキの言葉、信じてるから」私は彼から視線を外して答えた。
 嬉しそうに頷くユキを見て、不思議そうな顔で彼が聞いてくる。
「何だ、ユキの言葉って?」
「女同士の秘密!」あなたには教えません!

「ねえ。仲直りの証拠に、ここでチューして!」
 無邪気にこんな事を言うユキには、もう戸惑うしかない。
「はぁ~っ?!バカ言わないで、できるワケないでしょ!」
 慌てて否定する私とは裏腹に、ユキは楽しそうに私達の顔を交互に見上げる。

 困った私は新堂さんを上目遣いで見てみるけれど、そこにはいつもの無表情の新堂和矢がいるだけだった。
 ユキの言葉を思い返す。この人が私を愛している?どうしても首を傾げてしまう。

 彼の目をもう一度覗き見ると、不意に無表情の新堂さんが手の平を上に向けて、右手を差し出した。
 何だ?どうしていいやら分からず、おずおずと自分の左手を出してみる。
「ありがとう、ユイ」
 自分に近づきつつあった私の手を掴むと、彼はそう言った。

 何でありがとう?
 こんな疑問に気を取られている隙に、新堂さんは私の手をさらに引き寄せて、手の甲にキスをした。

「うふふ~!まあ……、良しとしよっか!これで安心したよ!」
 こんなオマセな言葉を残して、ユキは私達に背を向ける。
 まあ……私も、良しとしようか。

「頑張るのよ、ユキ!何か困った事があったらいつでも相談に来て!」

 ユキは振り返って大きく手を振ると、再び病室へと走って行った。
 そんな後ろ姿を見守っていると、廊下の奥に人影が見えた。

「ん?あれって……、院長さんじゃない?」私がその方向を指す。
「本当か?ちょうどいい、挨拶してくる」
 透かさず新堂さんがその人影に向かって歩き出した。
「あっ、ちょっと!待ってよ」私も急いで後を追う。

 この際だから、早々に調査結果の報告を済ませて、こんな仕事はすぐ終わらせよう。

「どうも、院長。この度は何か、行き違いがあったようで」
 声をかけてきた新堂さんを見て、院長は明らかに動揺している様子だ。
「きっ、君は!……そ、その事なんだが」
 そして、ようやく辿り着いた私に向かって、慌てて耳打ちしてくる。
「ちょっと……朝霧さん!どういう事だね?警察に突き出せと言ったじゃないか!」

 私が答える前に、新堂さんが話し始めた。
「酷いじゃありませんか?きちんと許可はいただいたはずです。確かに今回は、一つ別件が入りましたが……」
「そう!それだ、その事だよ!私は聞いていないぞ?オペの許可は取ったのかね!」
 院長がここぞとばかりに責め立てる。

「ですから今、事後報告に参りました」新堂さんが続ける。
「何が事後報告だ……。そういうのが迷惑なんだよ!」
「何ですって?」眉間にシワを寄せて、新堂さんが聞き返す。

 すると院長がついに本心を露わにした。
「大体、お前は無免許だろう?そのクセに横から入ってウチの患者を奪って、挙句に大金を巻き上げる!営業妨害なんだよ!こっちは、日々コツコツとやってるっていうのに?」
「……では聞くが。あの子の母親の治療を放棄したのは、どこの誰です?まだ助かる命を!どうなんです?」
 新堂さんが珍しく熱くなっている。さっきまでの冷酷な男とは別人のようだ。

「コツコツとムダな事をしていても!患者は助かりませんよ?」新堂さんの嫌味が炸裂した。
「くうっ……!」悔しそうに拳を握る院長。何も言い返せないようだ。
「私を追放したかったらしいが、残念だな。所詮、腕の良さがモノを言う世界。私とあなたと、患者はどっちを選ぶでしょうね!営業妨害とは心外だ」

 新堂さんは、最後に不敵な笑みを浮かべた。
「あなたは最大のミスを犯した。この朝霧ユイに依頼した事だ」

「何て事だ……!お前等グルだったのか!」院長が私を睨む。
「グルだなんて!やめてくれる?今回は私だって、この人にしてやられたんだから!」
 私は院長からの視線を無視して、新堂さんを睨んだ。

「さ~。帰ろ帰ろっ!」大嫌いな消毒のニオイから、早いとこ解放されたい!
「私も警察に通報される前に、退散するとしよう」新堂さんが応じた。


 外へ出ると、新堂さんが私を引き止めた。

「ユイ、まだちゃんと診察をしていない」さっきはし損ねた、と呟く。
「もう何ともないってば」
「いや。ダメだ。顔色がまだ冴えない……。ちゃんと診せろ」私の顔を覗き込んで言う。

 煩わしい……本当に何ともないのに!

「それなら、今夜私の部屋に来て」彼から顔を背けてから、仕方なくこう提案する。
「今から行くよ」
「よ、る!って言ってるでしょ。少し時間がほしいの」
 あなたへの警戒心を解く時間が……。

「本当に、息苦しさや頭痛はないんだな?」
「ないわ」
 しばし考え込む彼だったが、やがて納得したようだ。
「分かった。じゃ、後で必ず行くよ」

 こうして私達は、別々に病院を後にしたのだった。


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