大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第三章 一途な想いが届くとき

  ポッカリ空いた穴(3)

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 警察病院へと向かう車内にて。

「やっぱり行きたくないよ……」
「まだそんな子供みたいな事言ってるのか?いい加減にしろ」私の言い分はあっさり一蹴される。
「私が顔を見せたら、入院させられちゃう。そしたら、もう二度と戻れなくなる!」
 そして私はそのまま病院で……。

 次第に興奮し始める私を、冷めた口調で彼が説き伏せる。
「バカだな。私が一緒なんだ、そんな事させるか」
「でも……」
「安心しろ。少なくとも、警察病院への入院など絶対にない」
 断言した後に続ける。「朝霧ユイは私の患者だ。勝手な事はさせない」

 逃げ腰の私に対し、彼はどこまでも強気の姿勢だ。情けない今の自分には、こんな新堂和矢がとても頼もしく思えた。


 病院に到着し、渋る私の手を強引に取り、彼が先に足を踏み入れる。
 運が良いのか悪いのか、私の担当医がちょうど受付に居合わせた。

「朝霧さん!ようやく来てくれたんですね!ずっと、心配していたんですよ」早速私の方に駆け寄って来て言う。
 その勢いに怖気づき、大人げなくも新堂さんの影に身を隠す。

「こちらの方は……?」
 連れがいつもの刑事でない事に気づき、彼を眺めて目を瞬く担当医。
「初めまして。朝霧ユイの主治医を八年ほど前からしております、新堂と申します」
 そこへ透かさず新堂さんが挨拶をした。
 これはこれは!と頭を下げて挨拶を返す担当医。「さあ、どうぞこちらへ!」

「新堂先生、私、ここの待合で待ってるから……」
 さり気なくした提案はあっさり却下されて、「倒れられたら困るからな」と一緒に連れて行かれる。
 それは昔のような冷たいセリフだったのに、なぜか優しさに満ちた言葉に聞こえたから不思議だ。新堂さんの大きな温かい手に握られながら、そんな事を思った。

 個室に通された後、担当医はこれまでのカルテや検査結果を机上に並べ、状況を説明し始めた。
 その横で他人事のようにぼんやりと眺めるうちに、次第に意識が遠退いて行くいつもの感覚に襲われ始める。

「ユイ、話は終わった。ここでいくつか検査をさせてもらってから帰る。行こう」
 彼の声で現実に呼び戻された。「ん……、はい」
 ヨロヨロと立ち上がった私は、二人に心配げな目を向けられる。
「歩けるか?」と新堂さんが体を支えてくれた。
「ありがと」彼の手を取って背筋を伸ばした。

 そして検査を終え、あてがわれた病室で結果を待つ。この時間を利用して、新堂さんが栄養剤を点滴してくれた。

「凄い!何だか少し元気が出てきたかも」
 しばらくすると、体が温かくなり気分が良くなってきた。
「顔色が少し良くなったな。だから、きちんと病院へ行くべきなんだ」
 続けて、やや音量を上げて吐き捨てるように言う。「例えヤブでも、栄養剤の点滴ぐらいはできるだろうからな」
「聞こえるってば……っ!」人差し指を唇に当てながらこう訴え、慌てる私。
 相変わらず辛口なんだから……。

 こうして目的を終えて帰路に就く。

「それにしても、あっさり治療放棄とは、ここの医者も終わりだな!」
 あえて何も答えないでいると、「なあユイ。向上心をなくしたら終わりだと思わないか?」と質問口調になり、仕方なくそうねと相槌を打つ。
「そもそも。長く生きられないなんて言葉を、簡単に患者に言わないでもらいたいね。それはお前達に任せてたら、って話だろうが!」

 いつになく饒舌な新堂さん。家に到着するまで、こんな調子でずっと喋っていた。
 私を励ましてくれている。そう感じて嬉しかった。


 屋敷に着いて一息つき、二人並んで客間のソファに腰掛ける。
 車内とは一転、急に黙り込んだ彼に代わって、今度は私が口を開いた。

「これも運命なんだろうなって思った。やっぱり人を殺した罪は重いって事だってね」
 新堂さんは何も言わない。
「最近はね、怒る気力も笑う気力もなくて。犬達と遊ぶ事すらままならないような体力よ。イヤになっちゃう!」
 彼はまだ無言のままだ。
「大好きな犬達に囲まれて最後、っていうのも悪くないか、なんて。思ったりして……」

「あなたが現れるまでは」

 私はいつの間にか、昔の強い意志を取り戻していた。
 新堂さんが私を探し当ててくれた。私達がこうして再会できたのは、偶然なんかじゃない。きっとこれは必然。運命が二人を引き寄せた?
 私があの日深夜の公園で、傷ついたこの人を見つけたように……。

 こんな事で負けてなるものか!

 私の言葉に、彼がニヤリと笑った。
「やっと以前のユイに戻ったな。おまえのその強気な瞳。懐かしいよ」
 私の目を覗き込んでさらに言う。「諦めるのは早過ぎる。言ったろ?困った時はすぐに呼べって」
「代金は値引きなしで、って?」

 こうおどけた後に、私達は抱きしめ合った。
「新堂さん……」何て幸せなんだろう。この人とまたこうしていられて……。
 意地を張っていた自分があまりに浅はかで、心底嫌になる。
 昔彼に言われた。自分で自分を苦しめていると。まさにそれではないか?

 どうして私は、あんなに簡単に生きる事を諦めてしまったのだろう。
 私は一度だって生きる事をどうでもいいと思った事はない。新堂さんがそう思っていても、私は……。

 私は生きる。生き延びてやる!

「これからすぐに発つ」新堂さんが言った。
「え?どこに」体を離して尋ねる。
「カサブランカに戻る」
「でも……」
 あの人と、足元にいるこの子達の事が気にかかった。

「ご心配なく。刑事の彼には、もう承諾を取ってある」
 相変わらず、行動に移すのが早い人だ。
「彼はこちらの提案に、二つ返事でオーケーをくれたよ」
 それは当然だ。あの人も私も、できるならこの先二度と関わりたくないと思っているはずだから。

 犬達が異変に気づいたのか、急に落ち着かなくなった。

「あとは、このお二人さんの承諾だけだな」彼が二匹の頭を同時に撫でて言った。
「どうしてカサブランカ?」わざわざアフリカの病院に行くなんて意味があるのか。
「少し気分を変えた方がいい。あそこはいい所だ」
 それしか言わない彼に、私も、ふうんと気のない返事を返す。

「一年ほど向こうの病院にいたから、勝手も分かるし、スタッフとも面識がある」
「そっか。ずっとそっちにいたのね。どうりで日焼けしてると思った」
「ユイも向こうに行けばこうなるよ」
「ダメよ!私、美白〝命〟なんだから?」
 反論した後、彼の少し日焼けした顔を見て微笑む。

 今までの閉塞した気分を吹き飛ばし、晴れやかな表情を取り戻した私は、新堂さんと共に遠い異国へと向かう事になった。生きるために。
 もちろん、愛犬二匹も一緒に!


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