52 / 117
第三章 一途な想いが届くとき
ポッカリ空いた穴(2)
しおりを挟む懐かしすぎるこの人を前にして、意識が飛びそうになる。足に力が入らず、よろよろと崩れ落ちた。
「っ、おい!大丈夫か?」彼が駆け寄って私を支える。
その感触が伝わってきて、どうやら夢ではないと分かるも、やはり信じられない。
何とか自分を必死で奮い立たせ、その顔を見上げた。
新堂さんの姿は以前と変わらず素敵だ。強いて挙げるなら、若干日に焼けたか。
「腰でも抜けたか?驚きすぎだ!ようやく見つけた、久しぶりだな」
どう返せばいいのか分からず黙り込んでいると、彼が足元に目をやった。
「こいつはブルータスか。という事は、そっちはシーザーかな?」言いながら、自分にじゃれ続けるブルータスを再び撫でる。
「当たり。やんちゃなのよ、ブルータスは。……ごめんなさい、スーツ汚した?」
見るからに高そうなスーツだと思いながら尋ねる。
「気にするな。これ、ユイに」懐かしい笑顔で花束を差し出してくる。
やっぱりこれは夢だ。
百歩譲って自分がまだ生きているとしても、きっとまた知らずに倒れて夢の中にいるに違いない。
だってこんな光景、前にも見た事がある。夢の中で!
「ユイ?」無反応の私に、再度声がかかる。
「……ごめんなさい、状況が、うまく飲み込めなくて……」
「夢か何かだと思ってるのか?何なら、あの時みたいに引っ叩いてやろうか」
片手で花束を抱えながら、叩く仕草をしている。
そんな彼を見ていて、気づけば私は笑っていた。「今度やったら、やり返すからね?」
そして自分が、どれだけこの人に会いたかったかを思い知らされた。
もう夢でもいい。こうして新堂さんにまた会えたのだから。
受け取った花束を抱き寄せると、良い香りが私を包み込んだ。
「どうして花なんて?」
「久々の再会なのに、手ぶらじゃ申し訳ないだろ?」
答えに驚きつつも頷いて見せる。この人にしては、まともな事を言うものだ。
「これは、カサブランカ?新堂さん、海外に行ってたのよね。もしかしてモロッコにでも行ってたとか!」日焼けした彼の顔を見ながら言う。
モロッコにカサブランカという港町があるから、洒落のつもりで言ったのだが……。
「正解だ」
どうやら当たってしまったようだ。
「ユイ、痩せたな。貧血のようだが……」と彼が私を見て続ける。
「いつ戻ったの?」あえて話題を変える。
「ああ、春にな」
麻の白いワンピースを着た私を見て眩しそうに目を細めながらも、その眼差しは明らかに医者の目だ。
それ以上に、この人に見つめられると透視されてでもいるように感じてしまう。昔からずっとそうだった。
恥ずかしくなり、慌てて体ごと視線から逃れようとした。
「どうした?」
「別にっ!それよりなぜ来たの?こんな所まで……」
新堂さんの足元では、まだブルータスがじゃれている。
彼はしばらく私を見ていたが、しゃがんで再び犬の相手をし始めた。その楽しそうな顔をしばし見つめる。
この人のこんな顔を、今まで見た事があっただろうか……。そんなふうに、あの頃を思い出しながら。
「そっちこそ、全然連絡も寄越さないで酷いじゃないか。散々探したんだぞ?携帯、解約しただろ」ブルータスを構いながら、チラリと私を見て言う。
そして私から目を離して続ける。
「ユイのマンションに行ったら、ポストに郵便物が山になってたぞ」
答えない私に彼が続ける。「一応、全て部屋に運んでおいたよ」
「そう、ありがとう。携帯は、もう必要ないかなって……」
そう答えながら、あの部屋の合鍵を渡したままだったのを思い出す。
「何だよ、必要ないって。連絡つけられないじゃないか」
しゃがんだまま、彼が再び私を見上げた。
「本当は、帰国してすぐに会いたかったんだが。居所を突き止めるのに手こずってね」
私は黙り込むしかなかった。
「ああそれから。神崎から何回か連絡があったぞ。おまえの居場所を教えてほしいってな」
「えっ、神崎さんが……新堂さんに?」
二人が連絡を取り合っていた事には驚いた。
「あいつにも連絡してなかったのか。兄妹なんだろ?居場所くらい教えてやれ」
「ごめんなさい……。でも、新堂さんは良くここが分かったね」
「警察には知り合いが多くてね。しかし、おまえが刑事と関わってるとは驚いたよ」
「新堂さんが警察に知り合いって……それも驚きだけど」
「別の意味での付き合いだがね……。まあ、そっちの線から調べたら一発さ。何しろ、ラッキーな事におまえの関わった人物は、有名人だったから?」
返す言葉がない。
「便りのないのは良い便りって言うが……」
立ち上がった彼に改めて正面から見下ろされて、とっさに下を向いた。
「どう見ても、そうではなさそうだな」
ため息混じりに呟く新堂さんに、感情を込めずに答えた。
「あなたにだけは、会いたくなかったわ」
「それはご挨拶だな!私はそこまで嫌われていたのか」
「別に!そんなんじゃない。こんな姿、あなたに見られたくなかったってだけ!」
「こんなって?」
「今にも死にそうな、弱い私をよ!あなたの前では、強い朝霧ユイでいたかったのに」
下を向いたまま震える私の両肩に、彼がそっと手を置いた。
「私は、おまえの主治医なんだぞ?認めてくれてると思ったんだが……」
顔を上げない私に続ける。「なぜ、弱い自分を見せたくない?」
「なぜって……。あなたのガードがまともに勤まるくらい、強くならなきゃいけないのに、こんな弱った姿を晒せる訳ないじゃない!」
まだ私は下を向いたままだ。
「困った時はお互い様、だろ?ユイが教えてくれたんじゃなかったか?」
こんな彼の言葉には、耳を疑わずにはいられなかった。過去の私の発言を、この人はちゃんと覚えていた。
「おまえの事だ、ずっと一人で強がって苦しんでたんだろ。聞かずともそれくらいは分かる。一体、いつからこんな……」そこまで言って、彼が言葉を詰まらせた。
それくらい、今の私は痛々しかったのだろう。
私の目から、ついに涙がポロポロと零れ落ちる。ぼやけた視界から、その粒が地面に吸い込まれてなくなるのを、ただ見つめる。
「すぐに診察をしよう」
「ダメよっ!」下を向いたまま即答すると、「なぜだ」やや声のトーンが下がった。
「私は、……もう治らないの。例えあなたでも治せないの!こんな手の施しようのない患者には、関わらない方がいい」一気にここまで伝えて泣いた。
「治せない?なぜそんな事が分かる。おまえみたいな素人に判断されたくないな」
「だってそうなの!誰にも治せないって。もう長くはないって……言われて……っ」
嗚咽で、言葉がうまく続けられない。
「今さら言わせるのか?私はその辺の医者とは違う。治せないなどと決めつけるな」
彼の言葉に、ようやく顔を上げてみる。
新堂さんの意外なくらい穏やかな顔が、目の前にあった。
「だから、もう泣くな」彼が私の涙を長い指で拭ってくれる。
「診察、させてくれるよな?」
後から後から溢れ出る涙を抑えて、何とか頷いてみせた。新堂さんを信じてみよう。そう自分に言い聞かせて。
私は彼を屋敷の中へと案内した。廊下を進みながら会話する。
「ご大層な屋敷だな!ここにユイ一人で?」
「ほとんどは。この家、使ってなかったんだって。いつまででもいていいってさ!」
周囲を見回しながら、彼が肩を竦めた。
「仕事が忙しいから、あの人はめったに来ないけど。私にはこの子達がついてる」
静かについて来る犬達を振り返る。
「さあ。君達はここで待っててね」
犬達を廊下に残し、新堂さんを寝室に入れてドアを閉める。
彼がベッドに横になるよう促す。
「それ、脱げるか?」私の着ていたワンピースを見て言う。
「はい……」
そして早々に診察が始まる。
「大分、貧血が進行しているようだが」
「あまり、食事を摂ってないから」貧血の理由はもちろんそんな事だけではないが、まずはこう伝える。
キャミソール姿で仰向けに寝た状態となり、顔を両手で覆った。
「それで、病院へは?」
彼は質問しながら、顔を覆った私の両手を払い退けて観察を続ける。
新堂さんの困った顔が目に映って口を開くが、行っていないとは言いずらい。
「半年前に退院してからは、あんまり……」と濁して答える。
しばしの沈黙の後に、「それで、そこの医者が治せないと言ったのか」と彼が続ける。
私は彼の目を見て、静かに頷いた。
キャミソールの肩紐が下ろされ、私の胸が露わになる。
真っ先に右胸の銃弾痕に目が行ったようだったので、聞かれる前に撃たれた時の状況をかい摘んで説明した。
「原因は、この時の輸血副作用か……」
さすがは新堂和矢。すぐに原因を言い当てた。
「厄介だな……。バカ野郎、なぜ輸血の時に俺を呼ばなかった!」新堂さんが声を荒げた。ここまで汚い言葉を使う彼を見たのは初めてかもしれない。
私の視線に気づいて、我に返った様子で言い直す。「済まない……少々取り乱した」
初めて目にした、これほどに動揺する新堂さん。
それによって確信する。「やっぱり治せないんでしょ?いいのよ。別にもう、期待なんてしてな……」
「私はまだ、何の結論も言った覚えはないんだが?」こう私の言葉を遮って断言した彼に、先ほどの鬼気迫る様子はもうなかった。
「治せるっていうの……?」
「現時点で確実にイエスとは言えない。だが、諦めるのはまだ早い」
いつでも自信たっぷりの新堂和矢が、こんな謙虚な回答をした。でもここで治せると言われていたら、私はこの人を信用しなかっただろう。
「それで、ここの主は責任を感じて、おまえをここに住まわせている訳か」
「そう。一生、面倒見てくれるみたいよ!」
「まさか、……結婚、したのか?」
新堂さんがやや慌てたように見えた。
「心配?」あえて無表情で確認してみると、「まあね」負けずに無表情で、素っ気ない返事が返ってきた。
私は体勢を起こして答えた。
「私はまだ独身よ。職業柄、あの人は結婚を望んでいない。でも、とても優しい人」
「そのようだな」
彼は私に服を着るよう促すと、立ち上がって寝室のドアを開けた。
ドアの前では、二匹が行儀良く座って待っていた。新堂さんが尻尾を振る二匹に笑顔を向ける。
「ユイ。これから、おまえを診察した医者に話を聞きに行く」
二匹を寝室に入れた後、私を振り返って言った。
「ええ。どうぞご自由に。でもそこ、警察病院だから気をつけてね」
入って来た二匹を交互に撫でながら答える。
「何を他人事みたいに言っている?おまえも来るんだ」
「え?私はイヤよ、行かないわ!」
しゃがみ込んで、二匹を両腕に抱きながら訴える。
「そんな状態のおまえを、一人で残しては行けない」
「何言ってるの?今までだって、ずっとこうして一人だったの。平気よ」
「私が来たからには、もう二度とそんな事はさせない」
新堂さんは頑固だ。きっとこの考えは覆せない。私は仕方なく、彼について行く事にした。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
【完結】俺のセフレが幼なじみなんですが?
おもち
恋愛
アプリで知り合った女の子。初対面の彼女は予想より断然可愛かった。事前に取り決めていたとおり、2人は恋愛NGの都合の良い関係(セフレ)になる。何回か関係を続け、ある日、彼女の家まで送ると……、その家は、見覚えのある家だった。
『え、ここ、幼馴染の家なんだけど……?』
※他サイトでも投稿しています。2サイト計60万PV作品です。
OL 万千湖さんのささやかなる野望
菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。
ところが、見合い当日。
息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。
「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」
万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。
部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。
あやかし猫の花嫁様
湊祥@書籍13冊発売中
キャラ文芸
アクセサリー作りが趣味の女子大生の茜(あかね)は、二十歳の誕生日にいきなり見知らぬ神秘的なイケメンに求婚される。
常盤(ときわ)と名乗る彼は、実は化け猫の総大将で、過去に婚約した茜が大人になったので迎えに来たのだという。
――え⁉ 婚約って全く身に覚えがないんだけど! 無理!
全力で拒否する茜だったが、全く耳を貸さずに茜を愛でようとする常盤。
そして総大将の元へと頼りに来る化け猫たちの心の問題に、次々と巻き込まれていくことに。
あやかし×アクセサリー×猫
笑いあり涙あり恋愛ありの、ほっこりモフモフストーリー
第3回キャラ文芸大賞にエントリー中です!
箱の中の彼女は秘密を造る
吾妻ワタル
キャラ文芸
食う寝るところに住むところ
人は『タテモノ』に秘密を隠す…
一級建築士“東屋ありか”の不思議な社畜生活。
——今日も彼女達は“嘘”を隠して、“秘密”を造る。
第一章 「住居」
第二章 「小学校」
第三章 「特別養護老人ホーム」
第四章 「幼稚園遊戯室」
※この話はフィクションです。登場する人物、団体、名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
※ 図面
◇ 挿絵
4人の王子に囲まれて
*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。
4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって……
4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー!
鈴木結衣(Yui Suzuki)
高1 156cm 39kg
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。
母の再婚によって4人の義兄ができる。
矢神 琉生(Ryusei yagami)
26歳 178cm
結衣の義兄の長男。
面倒見がよく優しい。
近くのクリニックの先生をしている。
矢神 秀(Shu yagami)
24歳 172cm
結衣の義兄の次男。
優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。
結衣と大雅が通うS高の数学教師。
矢神 瑛斗(Eito yagami)
22歳 177cm
結衣の義兄の三男。
優しいけどちょっぴりSな一面も!?
今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。
矢神 大雅(Taiga yagami)
高3 182cm
結衣の義兄の四男。
学校からも目をつけられているヤンキー。
結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。
*注 医療の知識等はございません。
ご了承くださいませ。
【完結】【R15】そろそろ喰ってもいい頃だよな?〜出会ったばかりの人に嫁ぐとか有り得ません! 謹んでお断り申し上げます!〜
鷹槻れん
恋愛
「大学を辞めたくないなら、俺の手の中に落ちてこい」
幼い頃から私を見知っていたと言う9歳年上の男が、ある日突然そんな言葉と共に私の生活を一変させた。
――
母の入院費用捻出のため、せっかく入った大学を中退するしかない、と思っていた村陰 花々里(むらかげ かがり)のもとへ、母のことをよく知っているという御神本 頼綱(みきもと よりつな)が現れて言った。
「大学を辞めたくないなら、俺の手の中に落ちてこい。助けてやる」
なんでも彼は、母が昔勤めていた産婦人科の跡取り息子だという。
学費の援助などの代わりに、彼が出してきた条件は――。
---------------------
○表紙絵は市瀬雪さまに依頼しました。
(作品シェア以外での無断転載など固くお断りします)
○雪さま
(Twitter)https://twitter.com/yukiyukisnow7?s=21
(pixiv)https://www.pixiv.net/users/2362274
(エブリスタ)https://estar.jp/users/117421755
---------------------
※エブリスタでもお読みいただけます。
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる