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第三章 一途な想いが届くとき
20.シニガミの置き土産(1)
しおりを挟むそれはちょうど、新堂さんと離れて半年後の夏。夕立がしつこく居座る八月の蒸し暑い夜だった。
時折カーテンの隙間から見える激しく走る雷光、それに続く鋭い音。かれこれ数時間ずっとこんな調子だ。
「イヤになっちゃう……!」
そうボヤキながら、その隙間をしっかりと閉じた。
カミナリは子供の頃から大の苦手で、こんな日はいつも誰かにしがみ付いていた。当然今ここに、しがみ付く相手はいない。
そんな事を考えた時、部屋の電話が鳴り出した。
『ユイかい』しゃがれた男の声が耳に届く。
「どなた?」
こう返しつつも電話の主が誰かはすぐに分かった。
『ユイ、久しぶりだな。私だよ』男が囁くように言う。
「確かに私の名前はユイですが。あなたなんて知りません!」語気を強めて言い返す。
耳元でこの声を聞きたくなかった。父義男だ。しかも何というタイミング?例え雷が目の前に落ちたとしても、コイツにだけはしがみ付く事はないだろう。
それにしても、ここのところ大人しくしていると思ったが。また何か良からぬ企みでも思いついたか?
『待て!待ってくれ。お前に頼みがあるんだ……』
切ろうとしたが、懇願する声に仕方なく受話器を再び耳に近づける。
『一度、こっちへ顔を出してくれないか?』
「何なの?」
『私はもう長くない。末期ガンでな。遺言を、生前に伝えておきたい。お前の兄も呼んである。すでに兄さんの存在は知っていよう?』
「よくも抜け抜けと……!」
『頼む……最後にお前の顔が見たい。忙しいだろうが、来てはくれないか』
怒りに震える私をよそに、義男がこんな事を言ってくる。
最後に顔を見たい、忙しいだろうが、などという言葉には耳を疑った。
絶対に何か企んでいる。神崎さんをエサに私を誘き寄せて何をする気だ?
悩んだ挙句、三日後に会いに行った。気になって仕事に集中できないのだから仕方がない。全くいい迷惑だ!
嘘か本当か確かめる意味でも、行く必要があったのだ。
出向いてみれば、かつては両親の寝室だった部屋で義男が身を横たえていた。
「ユイ!良く来てくれた。お前に嫌われていたから……来てもらえるか心配だった」
ベッドに横たわるその姿は、何とも拍子抜けだった。
「ええ、嫌いだわ。あなたが悪いんじゃない?自業自得よ!」
これまでの行いを思い返せば当然の事だ。
見る影もなく痩せ細ったその顔に、昔の悪顔の面影が少しだけ見えた。
「どうやら、死が近づいているのは本当のようね」
「信じていなかったのか?」
「当然でしょ。で、神崎さんは?」目も合わせずに尋ねる。
「もうすぐ来る」
「早くしないと、私が今ここで止めを刺してしまいそうだわ!」コルトを見せつけて言ってやった。
義男は懐かしそうにそれを見上げた。
「相変わらず、威勢のいい事だ……さすがは我が娘!」
「娘じゃない!」
すぐさま言い返して、堪らずその場から飛び出した。
部屋の外には、いつからいたのか見慣れない男が立っていた。その陰気な男が私を見てニヤリと笑う。
「何よ、何がおかしいのよ!」
「これは失礼」と軽く頭を下げてくる。
猛烈に腹が立っていた私は、履いていたヒールの踵で男が寄りかかっていた壁を蹴りつけた。
あ~あ、やってしまった……と、やった後に後悔する。こんな態度を母が見たら、大いに嘆くに違いない。思わず辺りを見回してしまう。
もちろん、母どころか誰もいなかったけれど。
男の視線から逃れるように、そのまま不快指数百パーセントの蒸した庭へ出た。もうすぐ日が暮れるというのに、どうしようもなく暑い。
あらゆる事が私のイラ立ちを増幅させる。
男は私の後について外に出て来た。
「先ほどは失礼いたしました」私に向かって、改めて頭を下げている。
「それは……こちらこそ」気まずい雰囲気のまま答えた。
「気分は落ち着かれましたか?」
「お陰様で!ところであなた、どなた?ウチに何の用かしら」
「私は、こちらの奥様からの依頼で参りました。マキと申します」会釈をして言う。
「マキさん。……それで、何をされている方?」男を訝しげに眺めつつ尋ねる。
マキと名乗った男は朗らかな笑みを浮かべて答えた。
「まあ、色々やりますが……。専門は脳科学です。最近多いのは、苦しんでいる方々を安らぎの時に導くお手伝いでしょうか」
遠回しな言い方だが、それの意味するところは……。「それって、つまり?」
「まあ、簡単に言えば……」マキは言葉を濁した。
答えを待つのがもどかしくなり、ズバリと指摘する。「殺すのね」
「これはまた人聞きの悪い!私はお手伝いをするだけです。これでも、防衛医大の方では長年、医の倫理と生命の尊厳について講義しておりました」
「医大の教授?それも生命の尊厳ですって!ここまで犯罪を匂わせておいて、恐れ入るわ」
マキは何も反論せず、ただ薄笑いを浮かべているだけだ。
辺りを飛び交うカラスの鳴き声だけが、騒々しく響き渡っている。
「あなたがどこの誰で何をしようと。口を挟む気はない」マキから視線を外して言う。
「勝手に誰でも殺せばいいじゃない」努めて静かな口調で語り、一旦言葉を切る。
「ただし!アイツ以外よ?あんなヤツ、痛みを和らげる必要もないし、安らかな死なんて論外。存分に苦しんでもらわなくちゃ!」
これまでどれだけの人を苦しめてきたと?その償いはしてもらう!
突然声を張り上げた私に、マキは変わらず静かな調子で言う。
「……まあ落ち着いてください。つまり娘さんは、お父上をどうしてほしいのですか?」
「さっき扉の外で聞いてたんでしょ?私は娘じゃないって言わなかった?」
「そうでしたね。では、仮に娘だとしたら、どうですか?」マキは引かない。
「しつこいわね……!じゃ聞くけど、助けてと言ったら助けられるの?」
「できませんね。おそらく世界中探しても、治せる医者はいないでしょう」あっさり言って退ける。
「だったら!私に何を言わせたいの」
この下らない会話をすぐさま終わらせるべく、イラ立ちながら結論を急かす。
「身内の方の意見を、参考にしたかっただけです」
「まるで、生かすも殺すも自分次第って感じね。教授ってそんなに偉い訳?」
権威を振りかざす人間が本当に嫌いだ。
そう言った私を見て、また薄気味悪い笑みを浮かべた。
「教授の職は、今はもうやめたんですけどね」
「法に触れる講義でもして、クビになったのかしら」
「何、法律が私について来れていないだけですよ」ニヤリと笑いながら言う。
本当に気味の悪い男だ。あからさまに顔をしかめてやった。
「あなたも、お父上同様……人を殺めた事がおありですね」さり気なくこんな事まで言ってくる。
「なっ!何ですって?」
「残念だが、あなたがどんなに反発しても、お二人は間違いなく親子ですよ。何しろ、同じ〝ニオイ〟がしますから……!」
反応しない私にマキが続ける。「もはやその事に、あなた自身もお気づきなのではないですか?」
前にもこんな事を言ってきた奴がいた事を思い出す。
この男は一体何者?恐怖を覚えつつも、さらに不快になった。
言葉を失っている私に、マキは再び頭を下げた。
「余計な事でしたね、失礼しました。朝霧、ユイ……この名を口にしたのは何年ぶりでしょうかね」
「はい?」
「……いいえ何でも。では、また伺います。朝霧ユイさん」
こう言い残すと、男はこの真夏に額に汗一つかかず、妙な雰囲気を纏ったまま去って行った。
そんなマキの後ろ姿を、私はしばらく呆然と見つめた。
その視界にある人の姿が入って我に返る。
「ユイ!」手を上げ笑顔で声を張り上げる長身の魅力的な男性。
「神崎さん!」
兄の登場のお陰で、少し心が落ち着いた。私も笑顔で手を振る。
「誰だ?あいつは」
今さっき自分とすれ違った怪しげな男の方を見ながら聞いてくる。
「知らない。死神かもね」
こんな私の答えに、神崎さんは不思議そうな顔をしていたが、それ以上問いかけられる事はなかった。
「ここで神崎さんに会うなんて、変な感じ!」
「……ああ、そうかもな。ところで、親父とは話したか?」
「話になんかならないわ」
「その調子じゃ、腹立てて飛び出して来たってとこか」ため息混じりに言う。
「そういう事!そっちは?」両手を腰に当て、上から目線で聞き返す。
「ああ。内容は把握した」冷静な答えが返される。「それで何て?」
二人で、薄暗い庭を散歩しながら話す。
「ここを誰に相続させるか、って事らしい」
「相続って……潰せばいいのよ、こんな家!」
「それも一つの手だな。親父の希望は、ユイ、お前に継いでほしいそうだ」
「はあ~?冗談キツいわ!大体縁切ってるし。私には関係ない」
「俺は会社をすでに相続している。娘のお前にも、何かを残したいそうだ」
フン!とそっぽを向いて、拒絶の意思を訴える。
「それにしても。初めて朝霧の家に来たが、ここも立派な屋敷だな!これだけの土地なら相当な資産になるぞ」
「いらない!」
あっさり言い返す私に、「そうか。分かった」と、意外にあっさり返される。
神崎さんは私の気持ちを分かってくれている。私がどれだけあの男を憎んでいるのかも。神崎さんだって同じくらい憎んでいるはずなのに、どうしてそんなに冷静でいられるのか、やっぱり分からない。
「それはそうと。ユイ。ようやく腰を据えて話ができそうだ」
「何?改まっちゃって」
神崎さんが真っ直ぐに私を見つめる。私達の身長差では、見下ろされている私はまるでお説教を食らっているよう。
「……ねえ?それなら、あっちのベンチに座ろう!」
居心地の悪さに耐え兼ねて、彼の手を掴んで引っ張り、庭先のベンチへと誘導した。
「それで。何?話って。そういえば神崎さん、前にも何か言いかけた事あったよね」
「ああ……。こんな状況だ、もういいだろう」
横に座った神崎さんが、体を横に向けて再び私を見つめた。
「お前は、拳銃を持ってるだろう?」
「はあっ?!」とても驚いた。それはあまりに唐突な指摘だったので!
だがここ朝霧邸は、自然とこんな会話ができてしまう場所だ。私は素直に答えた。
「うん。持ってるよ。ある人から譲り受けた、とっても大事な物」
「それを初めて使ったのは、あの日だったんだろ?」
横に座る神崎さんを黙ったまま見つめる。
「あの時なんだろ?お前が食事中に、レストランで倒れた日」
それは私が高校生の時。義男に捕まった中里さんを救出に行った日の事だ。バッグにコルトを入れたまま、神崎さんとの待合わせ場所に行った。
そして、倒れた。
「やっぱりバッグの中、見られてたか」
神崎さんは私から目を反らしてから言った。「見なくても分かる」
「え?何で……」あの日の父親の右手のケガが、銃弾が掠めたものだと見抜いたとか!
そして神崎さんが続ける。「何せ、今まで俺達が過ごした中では、一度も登場した事のない言葉だったからな。あの時は正直驚いたよ」視線を私に戻して力なく笑った。
「登場した事のない、言葉?」
「倒れる直前に、お前が口走ったんじゃないか」
「私が?それは何て……」
あの時の事はあまり覚えていない。とにかく疲れていたと思う。
「認めたくなかった。お前が拳銃を使ったなんて!あの時からすでに……」
兄のとても辛そうな表情を前に、何も言えなくなる。
以前言ってくれた。妹が悪の道に足を踏み入れるのを阻止したいと。本当は手遅れと分かっていたのに、それでも手を差し伸べようとしてくれたのだ。
「……ごめんなさい。でも私は!」
「謝るな、お前は何も悪くない。……成り行き上、仕方のない事なんだ。この家に生まれた時点で……」神崎さんが優しく私の髪を撫でてくれる。
「それに俺だって、これからこっちの世界に足を踏み入れる」片側の口角が上がった。
私こそ、それを阻止したかった。この尊敬する兄には、いつまでも表の世界で堂々としていてほしい。
私が朝霧家を相続すれば済む。その上で取り潰せばいいのだ。でも例え一瞬でも、この家と関わりたくない。
そして兄にとっては願ったり叶ったりの話だろう。義男の全てを奪うという野望が、これで叶うのだから。
それから他愛のない話で笑った後、日々多忙な神崎社長は仕事のため帰って行った。
「拳銃、か……」
仕方のない事、と言った神崎さん。彼はコルトを受け入れてくれるだろうか。
……本当に、あの人はこちらの世界の人間になってしまうのか。
複雑な心境のまま、薄暗い蒸した庭で一人、いつまでも佇んでいた。
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