大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

  偶然という必然(2)

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 新堂との再会から一週間後。自ら提案してしまったボディガードの件も確認したかったので、見舞いも兼ねて病院まで出向いた。
 だが彼はすでに退院しており、病院にはいなかった。

 携帯に電話してみるも留守電に切り替わる。
「あ……えっと、ユイです。どこに行けば会えますか?連絡ください」仕方なくメッセージを残した。
 何しろ、提供されていたマンション以外に居所を知らない。あの部屋を覗きに行くも、空き物件となって不動産屋の管理下に置かれていた。


 数日後、部屋の電話が鳴った。

「はい、朝霧ですが」
『新堂だ。先日は電話に出られなくて悪かったな。今、近くまで来てるんだが……』
「先生、私の引越し先、知ってたの?ここの番号どうして……」
『ああ。片岡院長に聞いたんだ』
 これを聞いてすぐに納得する。

 現在、私は母と暮らしたアパートから出て、十階建てマンションの最上階に住んでいる。いつかは神崎さんのオフィスぐらい高層階に住むという夢への第一歩として!

 程なくして新堂がやって来た。
 いつもの鞄の他に、もう一つアタッシュケースを持っている。

「いらっしゃい。ケガの具合どう?」
「まだ少し痛むが、大分いいよ。ライフルで狙われるまでもなく、あの時ユイが来なかったら、私は今頃あの世行きだったな」
 その口ぶりは、そうなっていても問題なかったと言っているようで、投げやりな態度に怒りを覚える。

「それにしたって、退院はまだ早いんじゃない?」
 彼の言葉には答えずに、部屋へ通しながら話を続ける。「わざわざ来ていただかなくても、言ってくれれば私が行ったのに!」
 私にはあんなに絶対安静だとうるさかったのに。自分はこんなに動き回ってもいいのか?全く勝手だ。
「いや。そんな気遣いは無用だ」
 そう答えてリビングに足を踏み入れた新堂は、一度ぐるりと室内を見渡した。

 そんな彼にソファに座るよう勧める。

「病院側からすれば、厄介者が早々に出て行ってくれてほっとしてると思うよ」
「それは、銃創患者って事?」とあえて聞くと、彼が肩を竦めながら頷いた。
「確かにトラブル起きそうね」軽く笑って答える。
 それにしても、片岡先生はなぜ通報しなかったのだろう。あんなにこの人を嫌っていたのに?

 ソファへ腰を下ろした新堂が私を見た。
「ユイは、片岡院長に偉く気に入られてるんだな」
 彼も片岡先生の事を考えていたらしい。話はこう続く。「院長はユイが巻き込まれないように、警察沙汰にしなかっただけだ」
 まるで私の心を読んだかのような発言ではないか!

「全く!一体、どういう関係だ?」
 それは神崎さんとの事を聞いてきた時のような口ぶりで、思わず笑ってしまう。
「ふふふ!」
「あいつもお得意様か?」
「まさか!片岡先生は、ただのお友達よ」
「随分と年の離れた友人だな。てっきりお気に入りの主治医かと思った」これはどこか投げやりな口調だ。

「違うわ。主治医なんていらない。だって私、やられない自信あるし」
 私のこの言葉の後、彼はしばし黙り込んだ。

「新堂先生?傷、痛むの……?」心配になり声をかける。
「いや、大丈夫だ。ユイ、これだけは言っておく。おまえの血液は本当に希少なんだ。ケガにだけは……」
 こんな彼の言葉を遮って続ける。「その言葉、新堂先生にそっくりお返しするわ」
「そうだったな」苦笑して彼が私を見る。
 大きく頷いて見せた。

 お茶を淹れて出すと、「お構いなく」と彼が言った。
 何という普通なやり取り!この人とはこれまで普通が普通ではなかったため、こんな事でも一々驚きが生まれてしまう。

「それで?何か用だった?」
「ああ。きちんと礼を言わねばと思って来たんだ。それと……」
「それと?」
 そう言った私をマジマジと眺めている。

「まず礼だな。本当に助かったよ、ありがとう。ユイは命の恩人だ。これを」
 大事な用件を思い出したように、例のアタッシュケースを差し出す。
「そんな!気にしないでよ。先生こそ私の恩人だもの」慌てて言い返しつつも、差し出された物はしっかり受け取る。
「……で、何これ」手にしたそれは、ズシリとした重みがあった。
「助けてもらった礼だ」

 中身は一体……ドキドキしながらそれに手を掛ける。
 ゆっくりと開いて中を確認すると、そこには予想通りに札束が並んでいた。数としてはちょうど、私が神崎さんに借りた分くらいだろうか。

「少なかったか?」
 真剣な顔で聞いてくる彼に、唖然とするばかりだ。
「何のつもり?私はお金なんて要求してない」あなたと違って!と心の中で続ける。
「私の気持ちだ。要求されなくても、この場合支払って当然だろう」

 この人はこうやって、何でも金で解決してきたのだろうとしみじみ思った。
「いただいておくわ。その方があなたも、借りができたとか考えずに済むものね」
 説得を断念し、ケースを閉めて足元に置く。

「しかし。おまえは私の事が嫌いだったよな」私を見つめて改めて聞かれる。
 この質問にはあっさり答えた。「ええ、好きではないわね」いきなり何を言い出す?
「なぜ助けた?自らの血液を提供してまで。それも、相当必要だったはずだ」
「なぜですって?おかしな質問するのね、新堂先生!」笑い飛ばしながら言って、今度は私が彼をマジマジと眺めた。

「教えてくれ」どこまでも真剣な表情の新堂。
 どうして助けられたのか、本当に分からないようだ。

「驚いた!あなた、本当に医者なの?苦しんでる人間がいたら、普通助けない?」
「さあ。普通の人間の行動がどうなのか、私には分からない」
 この回答には本気で呆れた。
 私が何も言い返さないでいると、「嫌いな人間でも、普通は助けるのか?頼まれてもいないのに?」と続ける。
「あのねぇ……。好きとか嫌いの問題じゃないの!それと、見返りを期待してるのでもないからね?」
 中にはそういう人間もいるのだろうが。

 私は立ち上がると、彼の視線を感じつつ窓辺に移動した。

「ねえ、新堂先生。じゃあ聞くけど。なぜあなたは私を助けたの?」
 一呼吸置いて続ける。「放っといても良かったんじゃない?五千万の報酬をあなたに払うために、私があんな事したから……」
 責任を感じたのか、と続けるつもりだったが途中でやめる。

「おまえを助けたのは、中里から依頼されたからだ」
 ようやく返ってきたのは何の感情もない声でのこんな内容。予想していたにも関わらずガッカリする自分がいた。

 中里さんの名が話題に出て思い出す。
「そういえば、その時にお金を請求しなかったって?」
 私のこの質問に、新堂が沈黙した。
「それってどうして?」ここぞとばかりに追求する。私から中里さんを遠ざけた理由は何なのか。

「どうもこうもない」
「何で中里さんと会っちゃいけないのよ」
 そんな事までこの男に指図される覚えはない。あの時の怒りが込み上げてくる。
「そうする事が、あなたにどんな得になるって言うの?」
 これにはすぐに返事が返される。「そんな事を、おまえに答える言われはない」

 全く取り合ってくれない新堂に、これ以上の質問はムダと判断。

 その後しばらく沈黙が続き、やがて新堂が口を開いた。
「まだ、こちらの質問の答えを貰っていない。嫌いな人間を助けたのはなぜだ」
 こんな疑問を持ってしまうこの人が、何だか憐れに思えて始めていた。
「確かに。あなたの事は好きではないけど」

 怒りはいつの間にかどこかへ消え去り、私は真剣に答えた。

「私にとって、新堂先生は大切な人よ。母の命の恩人だもの。私だって色々お世話になったし」これらは紛れもない事実だ。「あなたに死なれては困るからよ」と続けた。
「ミサコさんの病は完治した。再発の心配はない」彼が確認するように言う。
「そうじゃなくてっ!」睨みつけて言い返す。
 医者としての自分の腕が必要だから、私が助けたのだと思ったらしい。

「言っとくけど、私に例の肺炎の再発とかがあったとしても!関係ないからね?」指摘される前に先手を打つ。
 彼は何も言ってこない。
「お世話になった人が困ってたら、力になりたいと思うのは当たり前。誰かが困っていたら、例えそれが赤の他人だったとしても、助けてあげたいと思うものなの!」

 まだ沈黙を続ける彼に付け加える。
「だけど。これはあくまで私の考え。誤解しないでね、先生に押し付ける気なんてないから。聞かれたから答えただけよ?」
「ああ」ようやく彼が声を出した。

「さて。それじゃ……用は済んだから帰るよ」ゆっくりと立ち上がって言った。
「もう?もう少し、ゆっくりして行ったら」一応引き止める。もちろん社交辞令だ。

 帰りがけに、思い出したように彼が口を開いた。
「そうだ、ユイの連絡先……」
「ああ。携帯の番号、教えてなかったね」
 今では自分で携帯電話を契約している。運転免許証があれば、身元証明書類としては十分だ。私の場合、まだあと半年くらいは未成年だが。

 私は番号を教えた。この人が連絡してくる事などないとは思うが。

 玄関口で靴を履くために屈んだ直後、新堂が辛そうに動きを止めた。
 それを見て心配になる。「大丈夫?私、今日は時間あるから、良かったら先生の家まで送りましょうか」
「いや……。車なんだ。大丈夫だ」
「そう?でも何だか辛そう。私が運転するわ。帰りは電車で帰れるし。ね、そうしよう」

 私が靴を履き始めた時、「大丈夫だと言っただろう!」と彼が凄い剣幕で言った。その口調はやり過ぎなくらいにきつかった。
 そこまで拒絶されるとは思わず、硬直してしまう。

 この人が少しでもまともな人間になったと感じたのは、勘違いだったかもしれない。
 こんな気遣いは、新堂には無用なのだと思い知った。

「済まない、つい……」黙り込んだ私に、新堂が謝罪してきた。
 私が受けたショックに少しは気づいたようだ。
「気にしないで。私こそ、余計な事言ってごめんなさい。気をつけて帰ってね」

 玄関のドアが閉まり、部屋はまた元の空気に戻る。

 ここに人が訪ねて来たのは、今回の新堂が初めてだ。仕事柄、自分の居所を知られる事は避けたいので。
「初めてのお客があの冷血男なんて?もうサイアクっ!」
 大きなため息と共に、こんな嘆きの言葉が私の口から吐き出されたのだった。


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