大嫌いは恋の始まり

氷室ユリ

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第一章 大嫌いな人を守る理由

 カボチャの馬車、現る!(2)

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 今、バイト先の店内でちょっとした揉め事が起きている。
 そんな中、私は一人の男に釘付けだ。なぜならあの日の男が、今、目の前にいるのだから!

 騒ぎを聞きつけて、すぐさま店長が現われる。
「神崎社長!あちらのお客様には、すぐにお帰りいただきます。大変申し訳ございませんでした!」彼に絡んでいた年配の客を、やって来た警備員に引き渡して言う。
「別に気にしてない。こちらこそ騒ぎを起こして済まなかった」

 社長と呼ばれた男は、警備員に引き摺られながら口汚い言葉を発し続ける客を、蔑むような目で見送った。

 厨房入口へと戻って来た店長は、私を見るなり笑みを浮かべる。
「そうだ、朝霧さんがいい!神崎社長に付いてくれる?オーダーまだだから。失礼のないように、愛想良く頼むよ!」
「あの……っ、あの人は?」
「何だ、知らなかった?この店じゃ有名人だよ。あの大手神崎グループのトップ。神崎コーポレーション社長のカンザキ・リュウジ!男前だろ?ちゃんと覚えてね、ウチの超お得意様だから」

 あの日の男が、偶然にも私のバイト先レストランの常連客だなんて!
「そっ、それで!さっきの人は何を騒いでたんですか?」驚きを隠せず声が上ずる。
「若きやり手経営者は、とかく妬まれる宿命なのさ。気にしない気にしない!社長も言ってたろ?さあ、行った行った!」

 私は背中をドンと押されて、神崎の元へと向かった。

「あの、先日は、……ありがとうございました」
 おずおずと席に近づき声をかけると、彼が顔を上げて私を見た。その表情からは、思い出してくれたのかは不明だ。
 数秒ほどの間をおき、神崎が口を開いた。「注文を頼む」
「あ、はいっ!」

 その後料理とワインの注文を取り終えて、下がろうとする私を呼び止める。
「仕事は何時に終わる?」
 やや小声のこの質問に、「二十三時には」こちらも思わず小声で返す。
「店の外で待つ。君に話がある」腕時計に目をやった後、チラリと私を見て言う。
「……。分かりました」

 こうして、何を言われるのだろうと気を揉みながらの二時間が始まったのだが、この日は客も疎らで、後の二時間はとても長く感じた。

 やがて店がクローズし、他のスタッフと共に外に出る。
 挨拶を交わし合って皆が去るのを待っていると、少し離れた所からリムジンが近づいて来た。
 誰にも見られていない事を祈りつつ、開かれたドアから急いで乗り込む。

「あの、それで話って?」早速尋ねるも、「まあ、一杯付き合え」彼はそれだけ言って黙った。


 車は街中のバーで停車した。

「私、ご存知のように未成年ですけど……」
「酒を飲む必要はない。俺と一緒なら大丈夫だ」
 そう言ってくれる彼の後について、おずおずと店内に入る。
 バーなんて生まれて初めてだ。薄暗い店内。煙草と香水のような香りが入り混じる、そこはまるで異空間。

「ウイスキーを。彼女には、ノンアルコールのカクテルを適当に作ってくれ」

 慣れた感じでオーダーしている。どうやらここも常連のようだ。感じの良いバーテンが私に微笑んできて、緊張の面持ちで会釈を返した。
 誘導された席に着くなり真っ先に告げる。「あのっ!この前のお金のお礼、したいんですけど……」
 あんな貰い方をしながらも、例の金はすでに母の入院費用に当てた。

「今してるじゃないか」
「えっ?」
 きょとんとする私をおかしそうに眺めながら、神崎が煙草に火を点ける。
「君はまだ、やめておいた方がいいな」
 指に挟んだ煙草を上下させて笑っている。

 気まずさに耐えきれず下を向いた時、バーテンがタイミング良くグラスを運んできた。私の前に置かれたのは、綺麗なピンクオレンジの液体が注がれたトールグラスだ。

「乾杯だ」ウイスキーのストレートを掲げて、私の方を見る。「どうした?この間の礼、するんだろ。付き合ってもらおうか」
「あ、はい……」
 グラスを持ち上げると、強引に私のグラスに当てて軽く音を鳴らし、神崎は満足気に飲み始めた。

「あの、それで話って何ですか?」
「母親は、悪いのか?」意外な話題になる。
 あの日私が、母親の入院費用が必要だと勢いで口走ったのを覚えていたらしい。
「……それを聞いて、どうするの」これ以上お金を貰うつもりはない。
「朝霧ユイ」
 不意に名を呼ばれて驚くも、負けずに「神崎、龍司社長」と呼び返す。

 顔を見合わせる私達は、お互いを探るような視線を交わし合うも、すぐに彼の方から力を抜いたのが分かった。

「まあ……俺はある意味、有名人だからな」
「どうして私の名前を?お店で聞いたの?」
「いや」
 否定の言葉以外語る気配はない。探偵でも使って調べたのだろうか。何のために?

「俺の母親は死んだんだ。クソ親父のせいでな」唐突にこんな話を始めた。
 思わぬ展開になり、返す言葉が見つからない。
「お前にだけは、同じ思いをさせたくなくてな……。母さんの病気、重いのか」
 お前にだけは?見ず知らずの相手なのに?単なる同情とは思えないセリフだ。

 可哀想な女子高生にお金を恵んでくれるなんて!そんなテレビドラマのような話があるはずがない。
 そう思いつつも、静かに頷く。

「仕事探してるって言ってたな。学生を採用してくれる所はそうそうないぞ。年齢を偽るのは立派な犯罪だ」
「分かってる。今はもう正規のルートでなんて探すつもりないから」早口に答えた。
「何だって?」
「っ!いいえ、何でもないわ」むしろ聞こえていなくて良かった。

「俺がどこか、見繕ってやろうか」
「……どうして?どうして私に、そんなに良くしてくれるの?何か魂胆あるんでしょ」
 彼がポカンとした表情で私を見ている。
「何?言ってよ。また子供だってバカにするつもり?」

「出会ってから一度も、バカにした覚えはない」彼は真顔で言う。
「ウソ」
「二次試験も合格だな」またしてもこんな事を呟いた。
「あの時から、一体何なのよ!」
 勢い良くグラスをテーブルに叩きつけた。弾みで中身がやや零れる。

 それを見つめながら彼が言った。「……仕事だけでなく、困った事があったら言ってくれ。力になれる事なら協力する」

「さあ、そろそろ帰るか。送るよ」
 そう告げると、私をエスコートしてから席を立つ。バーテンを呼び、「付けておけ」と人差し指でグラスを示しながら言った。
「ご、ごちそうさまでした」

 私の言葉に、バーテンが恭しく頭を下げるのが見えた。


 あっという間に夢のような時間は幕を閉じ、真っ暗ないつもの部屋へと帰り着いた。
 明かりも点けずに窓辺に寄る。リムジンはとうに消えていた。

 神崎龍司。ルックスの良さとお金を武器に、何人もの女性を口説く姿が目に浮かぶ。学生の私には、彼を引きつけるものなど持ち合わせていない。
 目的は一体何なのだろう?



 再会から一週間後。

 バイト先のレストランにて、常連客の神崎社長を接客中にさり気なく耳元で囁かれる。
「今晩どうだ?」
 思わず周囲を確認するも、幸い私に気を止めている者はいない。
「またノンアルコールのお誘い?」
 オーダー票を胸に抱え、軽く腰を落としながら囁き返す。

「ああ」片側の口角を軽く持ち上げて笑顔を作る彼に、「喜んで」と答える。
「では待ってる」
 そう言って、神崎社長は椅子の背もたれに体を預け、私を解放した。

 彼とは、出会って以来何度かこうして飲みに行っている。


「ねえ、それ、私にも飲ませて!」
 行きつけのバーにて、彼の前に置かれたグラスを奪う。
「あっ、おい……、やめろ!」
 制止を振り切って一気に飲み干してしまった私に、目を丸くしている。
「ウイスキーのストレートを、いい飲みっぷりだな」呆れたように言い放つ。

「ふぅ~……!」
 食道から胃へと、私の中にカーッと熱いものが駆け抜けて行った。
「何かあったのか?」心配そうに尋ねられる。

「私は学生よ。学生で何が悪いの!」
 突然大声を出した私に、さすがの神崎社長も慌てた。
「バカ……、こんな場所でそういう事を大声で言うな!どうした、突然」
「何が保護者の同意よ!私はとっくに自立してるってば!バカにしちゃって……」
 上手く行かない職探しへの愚痴を言い終えて、カウンターに突っ伏して力尽きる。

「何か力になろうか?」頬杖をついたまま甘い言葉をかけてくる。
「じゃあ、まずはもう一杯!」私は勝手に注文した。
 戸惑ったように彼の方を見るバーテンに、「構わん」右手を上げて彼が答えた。
「やった!言ってみるもんだなぁ」

 少しして、グラスが一つずつ二人の前に置かれた。共にウイスキーのストレート。
 体勢を起こし再び飲み干す。この感覚、クセになりそう!

「頼むから、ここで倒れるなよ?俺は捕まりたくないぞ」困り顔の彼に「平気、平気!」と軽い調子で答える。
「全く……。で、一体どうした」
 答えずにいる私に彼が続ける。「その様子じゃ、職探しは難航してるみたいだな」
「私は朝霧家の娘よ?必ずイイとこ、見つけてやるんだからっ」

「朝霧家……」
 彼の表情が、その一瞬だけ変わった気がした。
「どうかした?」

「ユイ。危険な事はやめるんだ」
「あら。これでも私、結構強いんだから!」お酒が回っているせいで、本気でこんな返事をしてしまう。
「酒にか?」と、あっさり交わされてしまったけれど。「ふふっ!色々よ……」
「とにかく、危ない事はするな。俺が就職先をどこか見繕ってやる」
「いいってば!これ以上、神崎さんに甘える訳には行かない」

 彼と目が合う。どちらも視線を外さない。私達はお互いを見つめ続ける。
 次第に私の視界がぼやけ始める。何だか……目が、回る……。

「場所を変えよう。部屋を取ってある」
 私の異変に気づいたのかは分からないが、こんな提案をしてきた。
「ステキ!全てお任せしま~す、神崎社長っ!」


 私は待ち構えていたリムジンに乗せられた。
 車内では、未だかつてなく彼に絡み付いた。そうかと思えば突然大声を出して悪態をついたりと、もう完全に酔っ払いだ。

「社長、お連れの方は大丈夫ですか」秘書兼運転手の大垣も心配する。
「構うな、早く向かえ。おいユイ、少し静かにしてくれ!もう少しで着く」

 私が何に悪態をついているのか、それは自分が未成年である事だ。仕事を探すにも何をするにも親の同意が必要だと言われる。自分だけでは何もできない。こんな現状に、とてつもなく腹が立つ。
 だから私は、一刻も早く大人になりたい!

 向かった先のいつものスイートルームで、神崎さんに問いただす。
「私って、そんなにガキ?ねえ、神崎さん!」
「そんな事ない。最初に見た時から、高校生だなんて俺も大垣も思っていなかった」
「大垣って、秘書のあの人でしょ?」男の容姿を思い浮かべて聞き返す。
「ああ。強いぞ、あいつは!」そう言った彼の目は輝いていた。

「え~?私の方が強いと思うけど!」
 私は本気で言ったのだが、「ははは!そりゃいい!」と予想通り受け流された。

 仕方がない。この小柄な体格では、どう見ても筋肉隆々の大男に敵うと思われるはずがないのだから。
 分かってはいても、弱く見られるのにも腹が立つ。きっと小学生の頃にイジメに遭っていたせいだ。鍛えられたお陰で、今の私はもう弱くなんてないけれど!
 そして私は、好きで女に生まれた訳でもない。むしろ男に生まれたかった。

「私は一人で生きてるの!母親の面倒も見て、勉強もして税金も納めて……。何が未成年よ!数年生きてる年数が足りないだけで、何だって言うの?」
 彼は私の主張を静かに聞いてくれた。まるで何かを思い出しているように。
「好きで学生やってるんじゃない!私は二十五歳よ!今までもこれからも、永遠に!」
 私がそこまで言ってから、彼が口を開く。
「それで酒もタバコも解禁って訳か」

「悪い?」
 そう言うと、彼をベッドに押し倒す。
「神崎さん、私を大人にして。心も、この体も……」
「ユイ……」
 そして私達の唇は重なった。でも、肝心のその後の記憶がない。


 朝目が覚めると、いつものように煙草の僅かな香りだけを残して、彼はいなくなっていた。


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