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第肆話──壺

【弐拾】逢瀬

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 ――片や、零である。
 時は、ハルアキと鴉揚羽が神田川沿いで奇妙な対談をしていた頃。

 桜子……の形をした何かと連れ立って歩きながら、さてどうしたものかと零は思案していた。
 彼女は浅草へ向かいたいようである。
 しかし、二年もの間、壺に封じられ外部と遮断されていた彼女が、彼女の主――つまりは、彼女を式神として使役する者の居所を知っているとは思えない。
 桜子の予定通りに動いているだけだろうか?
 それとも、彼女の主は元々、浅草に根を置いて活動しているというのだろうか?

 末広町に差し掛かる。
 行き交う市電を眺め、零は提案してみる。
「歩くのも疲れるでしょう。市電で行きましょうか?」
 しかし、彼女はクロッシェ帽を被った頭を横に振った。
「今日は歩きたい気分なの」
 そう言って零の腕にしがみ付くものだから、彼は気取られぬように溜息を吐いた……彼を逃がさないようにする演技だ。零が妙な動きを見せれば、たちまち爪を立てられるだろう。
 しかし、帽子に気付いたのは助かった。山羊の角を隠してくれる。

 ――それに、コート掛けに残してきた小丸の根付。
 ハルアキはそろそろ気付いただろうか。

 中央通りを渡り秋葉原へ向かう。
 貨物駅近くの問屋街に差し掛かるが、昼間からベッタリと女を張り付けて歩いている者など他にいない。否が応にも人目が集まり、零は肩を竦めた。
「あの……逃げも隠れもしませんから、少し離れてくれませんか?」
「えー、せっかくのデートなのに」
「桜子さんはそういう事しませんから」
「……何だ、恋人じゃないの」
 彼女は手を離し、不貞腐れたように口を尖らせた。
「その割に、この女を守りたいのね」
「妬いているのですか?」
「馬鹿じゃない? ワタシが欲しいのはアナタの血だけ」
「まるで吸血鬼ですね」

 問屋街は今日も賑わっている。洋装の紳士やら前掛け姿の人夫が行き交い、呼び子の声が辺りに響く。

「ところで……」
 と、零は腕組みしながら桜子に目を向ける。
「本当の目的地は、浅草ではないのでしょう?」
「あーらご名答。かと言って、教えないわよ」
「いや、教えないのではなく、のでしょう? ――あなたは、連絡を待っている」

 桜子もどきが足を止めた。そして赤い目で零を睨む。
「妙に勘が鋭いところが腹立つわね」
「お褒めに預かり光栄です」
「本当にしゃくさわるわ……そうよ。まぁ、隠す事じゃないし、教えてあげる。ワタシ擬人ホムンクルスは、魂は違えど、同じエリクサーから出来ているから、互いの状況が分かるの」
「ほう……」
「さすがに封印されている間は無理だったけど。壺から出てからは、感じているわ、同胞の気配を」
「…………」

 零は目を細める。
 予測はしていたが、やはり他にもホムンクルスがいたのだ。
 ――万一それが、彼女の気配を察して集まると厄介だ。一刻も早く、ケリを付けなけらばならない。

 零はおもむろに腕を解き、彼女を見下ろした。
「しかし、お仲間のホムンクルスと落ち合ったところで、私と連れ立って歩くのは目立ちますよ」
 と、いつもの派手な柄物の着物を示す。
「人目に付けば、あなたの主の居場所が、ハルアキにすぐに見付かってしまいます。そこで提案なんですけどね……」
 零は周囲に目を遣り、通りの奥を指した。
「問屋街の裏、神田川沿いに倉庫街があるのはご存知ですか?」
「…………」
「この不景気ですのでね、空き倉庫があちらこちらにあるそうです。そこなら、人目に付かないで済む。私がそこで待っていますから、あなたはそこへ、お仲間を連れて来てください。そこから私を南京袋にでも詰めて運んだ方が、よほど賢いと思いますよ」

 桜子もどきは、零に探るような視線を投げ掛ける。
「そんな見え透いた手にワタシが乗ると思うの?」
「勘違いしないでください。何も、私が助かりたいからこんな事を言っている訳ではありません。考えてみてください、私は桜子さんを人質に取られているのですよ? 妙な真似が出来る訳がないじゃありませんか」

 彼女は赤い目を鋭く光らせ、目の奥を射るように零を見返す。
 だが彼の薄笑いからは何も読み取れなかったのか、やがて彼女は目を逸らし、小さく息を吐いた。
「……アナタの言う通りね」
「ですです。さあ、行きましょう」


 ◇


 問屋街の裏手。
 神田川沿いに立ち並ぶ倉庫のひとつに、零は足を踏み入れた。
 木造二階建て。かなり年季が入っているようで、板壁の隙間から光が差し込み案外明るい。
 広さは十間(約十八メートル)四方ほど。二階建てではあるが、二階の床が張られているのは半分のみ、入口側は吹き抜けとなっている。吹き抜けのはりには荷運び用の滑車が吊るされ、太い鎖が床でとぐろを巻いていた。
 しばらく使われていない様子で、タタキの床に置かれているのは、空の木箱が幾つかと、天秤棒てんびんぼうが何本か。二階にある明かり取りの窓の、硝子が何枚か割れている始末だ。

 通りをひとつ入っただけで、この静寂。
 神田川の穏やかな流れでは水音もしない。時折、船頭が唄う鼻歌が聞こえてくるくらいだ。

「随分とおあつらえ向きの場所じゃないの」
 桜子もどきの革靴の音が、ガランとした空間にこだます。
「これでも探偵ですからね、街の様子は色々と耳に入れています」
 と、零は彼女を振り返る。
「中を調べないんですか? 私を監禁するのに足りるのか」
「いちいちうるさいわね。言われなくてもやるわよ」

 桜子もどきはぐるりと倉庫を一周し、最後に梁の滑車を見上げた。
「タネも仕掛けもない、ってところね」
「まだ私を疑ってるんですか?」
以外の人間は、信用しない事にしているの」

 彼女はそう言うと、零の体に鎖を巻き付ける。
 そして滑車から垂れるもう一端を引いて、彼を宙吊りにした。
「……ちょっと、やり過ぎじゃありません?」
「まるで逃げたいような言い草ね」
「そういう意味ではありませんよ……」
 零ははぁと溜息を吐く。

「じゃあ約束通り、ワタシが戻るまで大人しくしてて頂戴」
「分かりましたよ」

 桜子もどきが引き戸に向かい歩き出す。
 吊られた痛みに悶えたのか、鎖がチャリンと鳴った……次の瞬間。

 振り向きざまに横に飛んで、ようやく彼女は一撃を回避した。
 タタキに身を投げると体が滑り、土埃が舞う。
 そしてくるりと身を翻した刹那。

 真正面に飛んできた鎖の先を、彼女は垂直に飛んで逃れる。人間業ではない。二階まで跳躍し、狭い手摺りにスタッと着地したのだ。

 鎖が、一瞬前まで彼女がいた位置にヒビを穿つ。
 その鎖の先にあるもの――一掴みもある太さの鎖を、鞭のように操ったのは、犬神零である。

 彼は桜子もどきを見上げるとニヤリと笑みを浮かべた。
「確かに、おあつらえ向きな場所です……力を抑えないで済む」
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