創作怪談シリーズ

山岸マロニィ

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電話

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「……もしもし、こちら××塗装サービスのFと申します。奥様でいらっしゃいますでしょうか?」
「はい」
「ただ今、お住まいの地域の皆様に、弊社を知っていただきたく、塗装料金の割引キャンペーンを行っておりまして。失礼ですが、お宅様は築何年でいらっしゃいますでしょう?」
「多分、二十年くらいかと」
「では、そろそろ外壁の痛みが気になられる頃合いではございませんでしょうか? 是非、ご案内だけでもさせて頂ければ……」
「結構です」
「そう仰らず……」

 プツッ。
 ツー、ツー。



 私がこの会社に勤めだして、もう二十年になる。
 ワンマン経営者の気分で課せられるノルマに怯えながら、毎日、実る事のない営業電話を掛け続けている。
 一件もアポイントを取れなかった日には、罰ゲームのような説教が待っているから必死だ。
 ……とはいえ、詐欺まがいのあくどい商売をしているのを知っているから、良心の呵責かしゃくとの戦いでもある。

 こんな父の姿を、子供たちには、見せられない。

 しかし、何とか仕事を取らなければ、その子供たちを養う事ができないのだ。
 自分を押し殺し、リストの上から順に電話をしていく。

 まだ先程のように、ある程度会話をしてくれれば良い方。
 中には、人間扱いをされていないかのような暴言を吐かれたり、受話器を放置されて一方的に喋っているだけだったり、という場合もある。
 ……そもそも、番号通知で居留守をされる事も多い。
 ろくでもない仕事とは自覚しているものの、なかなかメンタルにくる。

 この日も、与えられたリストを消化しながら、一件もアポイントが取れない事を焦っていた。
 同僚たちは何件か約束を取り付け、カレンダーを埋めていく。
 だが私はそでにされるばかりで、煙草を吸いながらふんぞり返っている社長の視線が気になりだしていた。

 ……そんな頃。
 今日何十軒目かの電話をして、呼び出し音を聞きながら応答を待つ。
 私は基本、十コールを待ってから切るようにしていた。
 一回、二回、三回……と心の中で数え、十回を確認してから、やはりダメかと、受話器を置こうとした。

 すると、唐突に呼び出し音が消えた。

 私は戸惑った。
 ――普通、電話に出る時は、受話器が取り上げられる時の音があるはずだ。
 ところが、ただ呼び出し音がスッと消えたのだ。

 しかし、もし相手が電話に出てくれているのならば、このチャンスを逃す手はない。
 私は精一杯、人当たりの良い声色を作り、話し掛けた。

「こんにちわ。こちら、こちら××塗装サービスのFと申します。奥様でいらっしゃいますでしょうか?」

 ところが、少し待っても返事がない。
 これは完全無視のパターンか……と、少々うんざりしつつも、私は続けた。
「ただ今、お住まいの地域の皆様に、弊社を知っていただきたく、塗装料金の割引キャンペーンを行っておりまして……」
「…………」

 やはり返事はない。
 これ以上話しても無駄だと判断し、私は受話器を置こうとした。

 ――と、受話器の奥から声が聞こえた。

「……あ……」

 何なんだ、こいつは。
 少々苛立ちながらも、返事があった以上、会話をする意思はあるという事だ。
 私は愛想を取り繕い、続ける。

「外壁でお困りの事はございませんか? 当社の新しい工法は、長持ちすると大変好評をいただいておりまして……」
「……く……」
「はい?」
「る……」

 おかしな人だ。会話になっていない。やはり、時間の無駄のようだ。
 と、受話器を耳から離した途端。

 はっきりと、受話器の向こうの声はこう言った。

「く……る……し……い……」

 潰れた喉から無理矢理押し出しているようなその声は、私の背筋をゾッと凍り付かせるに足りるものだった。
 ……もしかしたら、急病か事故か何かで、死にかけているのかもしれない。
 そう思うと、全身に緊張が走り、鼓動が早まった。

「お、お住まいは……ご住所を……!」
「くるしい……助けて……」
「あの! ご住所を……!」

 すると、社長が煙草の煙を吐きながら、私に目を向けた。
「アポが取れそうなのか?」
「は、はい……」
 受話器を押さえて、私はそう答えた。
 この社長、商売に繋がらないと見切ったらすぐに電話を切れと言うだろう。
 けれど私には、明らかに困窮している、受話器の向こうの助けを求める声を、無視はできなかった。

 すると、社長はニヤリとして、
「電話番号から住所など、簡単に調べられる。行って来い」
 と、私にファイルを示した。

 私はひとつ頷き、営業のフリをして言葉を続ける。
「分かりました。ただ今よりお伺いいたします。そこで詳しいご説明をいたしますので、是非ご在宅でお待ちくださいませ」



 ――その家は、住宅街の外れにある、見るからにみすぼらしい家だった。
 一戸建てではあるが、庭には背の高い草が生え、トタン張りの壁は錆び付いている。
 まるきり廃墟だ。

 しかし……と、私は手帳のメモを見返す。
 先程の電話番号は、この家に間違いないのだ。

 少々不安を抱きながらも、目の前に死にかけている人がいると思うと、放ってはおけない。
 私は、すっかり錆びた門扉を押して、中に入った。

 草に埋もれかけた飛び石の向こう、玄関のドアに手を掛ける。
 恐る恐るノブを回してみると、鍵は開いているようだった。
 ゆっくりとそれを回し、ドアを引く。

 ――と、激しい腐臭が鼻を突き、私はウッと口を押さえた。
 慌てて扉を閉め、気持ちを落ち着かせる。

 これはどういう事だ?
 まさか、この中に病人がいるのか?
 それとも……。

「……この家、空き家ですよ」
 唐突に声を掛けられ、私はビクッと振り返った。
 そこには、近所の住人と思われる、主婦らしい中年女性が二人立っていた。

 トラブルの多い会社の社員である。
 あまり警察には関わりたくないから、見て見ぬフリをして帰ってしまおうかとも思ったが、それもできなくなってしまった。

 私は仕方なく、スマホを取り出した。
「どなたか、亡くなっているようですよ」


 ***


 事情聴取は、警察で行われた。
「……営業電話の相手に助けを求められ、あのお宅に行ったと」
「はい……」

 警官は細い目を私に向けて、
「その個人情報をどうやって入手したかは、今は聞かないでおきます」
 と言い、質問を続けた。

「そして、玄関を開けたら、酷い悪臭がしたから、もしかしたら誰か死んでいるのかもしれないと、警察に通報された訳ですね?」
「ええ、まぁ」

「ご協力感謝いたします。……と、簡単に割り切れないところがありまして」
「どういう事ですか?」
 警官は不審な目を私に向けている。

「おかしいんですよ。――発見された遺体は、死後、少なくとも三か月は経過していましてね」
「…………え?」
「死因は調査中ですが、恐らく、絞殺です。何者かに襲われた時、被害者は必死で、助けを呼ぼうとしたんでしょうな。受話器に手を置いた状態で亡くなっていました」
「…………」

 眩暈と吐き気が同時に襲ってきた。
 あの電話の繋がった先の光景を、思い浮かべてしまったのだ。

 慌ててハンカチで口を押さえると、警官は少し気遣う様子を見せながらも、こう続けた。
「本当に、あのお宅に遺体がある事を、あなたはご存知なかったんですか?」
「ど、どういう意味ですか!」



 ……散々だった。
 アリバイ聴取じみた質問を次々と投げられ、会社の評判まで追求された。
 しかし、私とあの家にあった遺体との繋がりが見つからない以上、拘留する理由もなく、私は夜遅くに帰された。

 ところが。
 家に明かりはなかった。

 キッチンのテーブルに書置きが一枚。
「騒ぎが収まるまで、子供と実家に帰ります」
 妻の字だった。

 ――そして翌日。
 出社してみると、社長が非常に不機嫌な顔をしていた。
「おまえはしばらく会社に来るな」
「え?」

 私は察した。
 私が警察に事情聴取を受けた事で、会社に不利益があると思ったのだろう。
 仕事を奪って、退社をするよう仕向けてきたのだ。

 ……こうなったら、どうしようもない。
 私は帰宅し、誰もいない家で、それからしばらく一人で過ごす事になった。

 唐突にやってきた余暇。
 これまで、休日も名目ばかりで仕事漬けだった日々に、ぽっかりと穴が開いた気分だった。
 気力が失せたせいか、体が重い。誰かを背負っているかのように、肩や首がズシリとだるい。
 だるい体をリビングに横たえ、ぼんやりとテレビやネットで暇潰しをしながら、私はその頃から、奇妙な気配を感じるようになった。

 ……誰かが、家にいる。

 奇妙な気配は、視線だったり、足音だったり、臭いだったり。
 特に、一瞬だけ感じる、甘酸っぱさを伴う強烈な腐臭は、あの日の事を連想させる。

 嫌な経験をしたから、気持ちがおかしくなっているんだ。

 そう思うと、余計に気持ちが塞いで、徐々に自堕落な生活に落ちていった。



 そんなある日。
 ちょうど、世界的な感染症の流行で、リモートワークが浸透しだした頃だった。
 うちの会社でも罹患者が出たようで、当面の間リモートワークを行うというお触れが出た。
 とはいえ、私は既に退社目前の身。リモート会議に呼ばれたのは、何かのミスだったと思う。

 しかし、一応会社に籍がある以上、出ない訳にはいかない。
 私はパソコンを立ち上げ、ウェブ会議用のアプリを立ち上げた。

 懐かしい顔が画面に並ぶ。
 そして、私がログインすると……。

 同僚の一人が、奇妙な声を上げた。
「Fさん! Fさん! ああ……!」
「どうしたんだ?」

 すると、別の同僚も悲鳴を上げた。
「嫌ああ!」

 不審に思いながらも、慣れないアプリの操作に悪戦苦闘していると、ようやく自分の映像が画面に現れた。

 それを見て、私は絶句した。



 真っ黒な人影が、私の首に腕を巻き付けている。



 腐り落ちたようなドス黒い顔にぽっかりと開いた口が、小さく動いた。

 ……く……る……し……い……

 腕が、徐々に締まってくる。
 喉が潰れ、呼吸が止まる。
 私は必死の想いで声を絞り出した。

「助……け……て……」

 画面の顔が、次々とログアウトしていく。

 そこで、私はようやく気付いた。
 私は、あの家に呼ばれたのだ。
 そして、に取り憑かれたのだ……。

 それならば。
 家族に気付かれる前に、誰かを呼ばなければならない。
 そうしなければ、は、家族を狙う。
 次の犠牲者に相応しいのは……。

 私と同様、アプリの操作に慣れていないのだろう。
 社長の焦った顔が画面に残っていた。

 私はスマホに手を伸ばし、緊急通報ボタンを押した。
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