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第二章
霧深き船上に潜む罠
しおりを挟む噂観測課極地第1課。
海外へ、怪異探査機の試験運用について、同伴していたラットのもとに新たな任務が届いた。
数ヶ月前に、難破船となった客船。湾岸線で岩にぶつかったその船に、船員はおろか乗客の一人すら、目撃されることなく領海を持つ国に回収された。しかし、その客船が格納したドッグから許可なく、整備員を乗せたまま出航した。
「幽霊船の線で調査せえとのとやで?また、面倒な怪異が出はったな……」
「そうですね。拙僧も休暇明け早々に海に出るとは、思いもしておりませんでした。これでは尼さんなのか、海人さんなのか────分かりかねてしまいますねぇ……ソワカソワカ」
勿論のこと、調査はラット一人ではない。
今回の怪異が幽霊船の類いであるのなら、一人では無理であることと、その手のタイプに有効打のあるメンバーとして、アブノーマルが選出されていた。
政府から貸し出しを受けた、クルーザーを運転するラットは調査資料の代わりに渡された、目撃と現象報告書を見て怪異の推測を始めた。出航した船から発せられた整備員の通信信号から、大凡の位置は割り出せている。がしかし、その向かっている先が目撃された湾岸線であることに、ラットは違和感を感じていた。
「どうも、おかしないか?幽霊船だとしても、わざわざ移動しにくい場所に戻るかいな?」
「嗚呼……、これは『犯人は現場に戻る』という奴ではないでしょうか?」
「目撃者もおらんのにか?それじゃ返って、自分が犯人ですと言うてるようなもんやろが……。ワシはどうも、あの船が怪異って感じには見受けられへんね」
怪異は、周期的な災害のように作用する場合もある。ラットはそっちの線での調査、怪異の絞り込みは見当違いとなると考える。対して、アブノーマルはというと、幽霊船という噂が実態となった怪異であり、犯行。つまりは、乗せていた乗客達を消した場所へと向かい、今乗せている整備員の人間もその場所で、消そうとしていると考えた。
反対的な意見を双方が持つなか、問題の湾岸線が見えてくる。小回りが多少効くクルーザーでも、通りたくはない海路を進む一隻の船。いざ、乗り込もうと船へ近付くと、アブノーマルが観ていたパソコンにメッセージが届き、中身を確認する。
内容は今を行っている怪異調査は、政府の見立てを越える規模である可能性があるかもしれないと、二人への忠告を兼ねたメッセージであった。それに加えて、怪異対策の連合会は現刻をもって、特別遊撃隊を結成したと記されていた。
「なんのことや?」
「はて?拙僧にも、皆目見当もつかないでございます……。それに、遊撃隊はライセンサー1名が、今はいらっしゃるみたいですね。つまりは、急拵えに作った編成で、メンバーが揃っていないということなのでしょう」
それなら増援に期待せん方がええな、とパソコンから目を離し、船に乗り込むべく接近を再開した。
船に乗り込むことに成功した二人は、クルーザーに乗っている噂観測課のクルーにこの場を離れるように指示を出し、船内を見て回ることにした。しかし、整備員の姿は既になく、海に引きずられたような跡が残されているだけであった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
静かな海に沈む死体。それを見下ろす二つの影、お気に入りのハットに手を当てながら、隣にいる同胞の肩に触れる。
「来たみたいだよ……ホウライくん」
「らしいな。それと、自分らを追ってきた────、というよりも、下に潜んでいるやつを追って余計なもんまで着いて来ちまった」
海中に向けた視線を、背後にいる三人の人間に向けた。
始めるとするかねルンペイル、と胸をトントンと叩きホウライは、三人の陣形が組まれた中心に走った。
散開しても、ホウライは真っ直ぐ真後ろに距離を置いた、両脚部にブレードスケートを携えた少女に襲いかかった。
「ッ!?水砂刻!!薫惹と帽子の方をお願い」
「分かった!!」
そう言って、水砂刻は槍を深く持ってルンペイルに、槍先を伸ばした。軽やかなステップを踏んで、水砂刻の一撃を躱したルンペイルは、舞踏を愉しむようにリズムを刻んで、水砂刻の生じた隙を突いた反撃をお見舞いした。
仰け反るところに追い討ちが迫る、がしかしその間に薫惹が割り込んだ。すると、自身の攻撃を防いだ細剣を掴み薫惹に顔を寄せると、ニコッと笑って語りかける。
「うふふ、まさかこんなところで見つかるとは思わなかったよ♪」
「くっ……ぅぅ!!な、何の話ですか?」
「ふんっ♪まぁだ気付いてない感じか?ようやく見つけたのに────、ねぇ?【神を錯視する田舎娘】」
自身の怪異を言い当てられて動じた、その一瞬を逃さない。ルンペイルは空かさず、薫惹の脇腹にラッパを押し当てる。そして、吹き口に口をつけずに指で合図すると、独りでに演奏を始め旋風を巻き起こした。壁まで突き飛ばされた薫惹は、変身が解除してしまった。
「薫惹ッ!?くっ……こいつ、強い……」
「当たり前さ。ぼくとホウライくんは、インフェクターさ。きみみたいなイレギュラーな人間がいるなんてことは稀だけど、そんなきみでもインフェクターとは張り合えるとは思わないことだ」
「なんだと……!?────ッ!?しまっ……」
槍で攻撃をして、ルンペイルがギターを武器に鍔迫り合いをしていたはずが、足払いを受け無防備となった水砂刻。笑いながら、踏みつける。辛うじて両腕で防ぎ、転がり受け身を取って直ぐに立ち上がる水砂刻であったが、肩を押さえながらホウライの方を見た。
そこには、ホウライと戦闘を繰り広げている少女、瞬姫の姿があった。瞬姫は最初こそ優勢に立ち回っていたが、戦闘経験の差で徐々に追い詰められていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……このっ!!」
「へぇー、まだやる気なのかい?人間である以上は、不死の自分とやり合うってのは無理な話だと思うぜ」
「黙、れっ!!はぁ、はぁ、はぁ……。あの子は、渡さない……わ」
必死に喰らいつく瞬姫に、やれやれと悩ましげな態度を取りながら押し返した。そして、何もない空間からパイプたばこを取り出し、息を吸うように煙を吸って言った。
「確かに、お前さんらが会った時はまだ人間に見えたかもしれないけど、あれは自分とルンペイルが見つけて怪異にしたからな。ほら、すでに何人も海の底に引きずり込んで食べちまってる。あれを人間って呼べるのかい?」
「────。」
返す言葉ない。それでも、怪異となった人に理性があるものと信じて、立ち向かう瞬姫。そんな瞬姫を見て、水砂刻も再びルンペイルと相対した。
ルンペイルとホウライ、双方が水砂刻達から感じる底知れない自信。それに違和感を憶えるが、手に入れた怪異を手放す訳はなく、今度こそ追い詰める。水砂刻の槍を華麗に躱し、またしても同じ隙を見せたところに、リコーダーに見立てたレイピアを突き刺した。
確実に急所を貫くその一撃だったが、意識を取り戻した薫惹が割り込み防いだ。
聖女再天臨ッ!!
「水砂刻……、今です……。今のうちに瞬姫様をっ」
「────くっ」
尻もちをつく前に、体勢を立て直した水砂刻は走る。
首を持ち上げられて息苦しそうに、手足をバタバタさせている瞬姫。その首を掴むホウライの手を手首ごと貫き、瞬姫を抱き抱える。
「大丈夫か瞬姫っ!?」
「うぅぅ……、みさ……と…き……」
追い込まれたショックと、助けて貰えた安堵感で気を失ってしまう瞬姫。
一方、腕を貫き落とされたホウライというと、全くもって健在であった。不死の怪異ということもあって、負わされた傷は見る影もなく再生しており、手も元の形を取り戻して掌を開閉して、神経の接続と伝達を確認しながら口を開いた。
「はぁ……。大人しく自分らに殺されてくれるか、ここは身を退いてくれるか……どちらを取っても、お前さんらに不利益はないと自分は思うんだけど、どうかね?」
「くっ……」
(はやく、海の中に潜ってしまった彼女を正気に戻さないと……)
「おいおい。この期に及んで、まだ【声届かぬ美声】を狙ってるのかい?一体、誰に吹き込まれたのか知らないが……んっ?」
ホウライが会話を中断し、向いた方角から海に向かって何かが飛んだ。
ダーツ。ホウライと水砂刻の間を抜き去った、その物体の正体を見抜くと同時に、海中に沈んだ途端に爆発して海面に姿を現す。魚の鱗に覆われた【声届かぬ美声】の表皮、頭角から突き出ている女性の上半身。濡れた髪の毛が胸下まで垂れて、青ざめた女体を覆っている。
眼は瞳孔が空洞となって、怪しく光る琥珀色をしていた。辛うじて、人と呼べる声で「タスケ、テ……」と、自分を追ってきた水砂刻に手を伸ばしていた。
その懇願を見た水砂刻が、何も考えずに走り出そうとする。しかし、その前を頭上を通り越してラットが立ちはだかった。
「あかんで。あれがあの怪異のやり口やからな」
「誰だあんた!?あんたに構っていられないっ!!」
せっかくのラットの忠告虚しく、海へと単身で向かう水砂刻。すると、今度はホウライがその前に立つと、みぞおちに思いきり拳を入れた。
まともに喰らった水砂刻は、【声届かぬ美声】とは真逆の方へ吹き飛ばされた。そして、吹き飛ばされたところに次いで、薫惹もまた押されかち合ってしまう。
「くっ……。水砂刻、どう致しましょう────っ!?水砂刻ッ!?大丈夫ですか?」
「かはっ……、ぷっ、ふぅ……。瞬姫を連れて、お前は逃げろ」
「水砂刻、そんな身体では海に飛び込むなど……」
満身創痍のところへ、ルンペイルの追撃。それに加わろうとするホウライ。しかし、そんなホウライの手首を掴みラットは笑って言った。
「まぁ、あんさんらはワシと遊ぼうや♪」
「あん?別に自分は構わないけど、ルンペイルの方は────、ってそりゃあ……お前さんも1人なわきゃないか……」
水砂刻達の前に立ちはだかった、ルンペイルが両脚で衝撃に耐えて、後退ってホウライの近くで止まった。見ると、修道服にも似た法衣を着た尼僧。アブノーマルの鉄拳を喰らったのだ。
霊力をその身に宿すアブノーマルは、気の乱れを生じさせずに霊力を外へと流し、後ろをそっと振り返った。二人の安全を確認すると、水砂刻が向ける視線の先、そちらを向いて二人の仲間である瞬姫が気絶していると気づいた。
すると、アブノーマルは脚を渦巻きにして高速移動で、瞬姫を抱えて二人の前に戻ってきた。その表情は、すでにいつものが始まっていた。涎を垂らしながら、その手に抱えている瞬姫に欲情し始めた。
「嗚呼♡なんという可憐さ……♡このディフィート様に似た、肌感。そして、髪質と匂い♡いけませぬ……、拙僧の節操なしッ!!嗚呼♡♡それでもぉ♡一口だけ味見くらいならぁ……♡」
「アブノーマルはんっ!!」
「────。」
はっと我に返る。周囲は、静まり返っていた。その光景に「まぁ//////」と、頬を紅潮させながら瞬姫を二人のもとへ置き、お辞儀をして口元の涎を拭き取ってラットの方へ歩き始めた。
次の瞬間、ラットの閉じている細目から、アイコンタクトを受けたアブノーマルは、真っ直ぐに海へと全速力で走り出す。
その狙いが【声届かぬ美声】であることは、勿論ルンペイルもホウライも知っている。行く手を阻もうと、構えたところに砂かけをするように、ラットのビー玉を浴びせられる。
「爆打ッ。今や、アブノーマルはん」
「はぁ~い♡それでは、目標討伐に────逝ってまいりますぅ!!」
「ま、待てっ!!」
身体が満足に動かない水砂刻。そんな彼の制止すらも、聞き届くことなくアブノーマルは海中へと、姿を消した。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
────────────
闇深き水底。
暗い、暗い────、海底に落ちて。
声すら枯れ果てた私は、誰を愛せばいいのだろう。
あの子。水砂刻と言った彼。声を失った私に優しくしてくれた。
だから、恋をした。久しぶりに人を愛したいと思った。
でも、彼にその声は届かない。願いを叶えるには私は────、
余りにも穢すぎる。彼がその分、清らかな存在に思えてしまった。
あの子の隣に居た生娘。あの娘も穢れを知らない。
それがお似合いだった。私なんかじゃ釣り合わない。
こんな弱い心を持っているから、帽子の彼に唆されてこの姿になった。
せめて、人間であった時に声を失わなければ ...。
︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎━━━良かったのに...━━━
────────────
ぷかぷかと浮かぶ、衣服とヘルメットの残骸。人間が着ていたものなのだと、一瞬で理解出来る痕跡を横切って、アブノーマルは【声届かぬ美声】のもとを目指す。
そんなアブノーマルの下半身が、尾鰭へと変貌し、人魚のような見た目へと変わっていた。これはアブノーマルの怪異、【八百比丘尼】の伝承にある逸話から、姿を得たものであった。
(見つけましたよ、【声届かぬ美声】。失声症の人間の800人に1人は、貴女のように怪異と成り果てることがあります。残念ですが────)
その表情に、先程のおふざけは一切なく、胸の前で印を組みはじめる。しかし、相手も消されてしまうと分かれば、ただでやられるはずもなく、その巨体を揺さぶって小波を立たせる。
すでに、人を食べて味を覚えてしまった以上、人間としての意識があるかどうかの問題ではない。そもそも、怪異となれば排除の対象となる。これはずっと前から、秘密を明るみにせず混乱を防いできた存在。今は噂観測課へと形を変え、日常を守り続けてきた者の務め。
すると、海中でもはっきりと聴こえる音を波動にして、【声届かぬ美声】は叫び出した。この叫びこそ、巻き起こした小波を自在に操るためのもの、アブノーマルは波の目ともなる中心部に急ぐ。
叫び声は止まらない。それどころか、段々大きくなり海中に居るはずが、クラブハウスで騒いでいる観衆のど真ん中に、気が付いたら立っていたという程の轟音を放った。
「キライ、コノセカイ。コエヲ……カエシテ。ナニモカモ、コワシテ。ワタシノビセイガ、オマエモ……コワスッッッ!!!!」
「哀れ憐れ、ソワカソワカ……。貴女の悲しみの連鎖、此処で留めましょう」
強くなっていく【声届かぬ美声】の声。そんななか、アブノーマルも静かに口を開いて、返事をすると組んでいた印を解き、拳を突き出した。
魅音多々良、呪気八卦。
汝、音に魅了されては、正道躓き外道へ堕つ。
故、この八卦のもとに、その呪気祓いたもう。
打ち込んだ拳の印。その印が巨大な太極式を作り、八卦を形作り【声届かぬ美声】を包む。そして、内側に光を感じた元人間が、しっかりと自分の声でアブノーマルに言葉を告げた。
︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎━━━ありがとう────、助けてくれて...━━━
その声は、どこか静かで。それでいて清らかであった。
「────、どうか。この清めで、貴女に幸あらん事を……。鎮魂……完了に御座います」
人魚の状態を保ちつつ、消え去った怪異。その元人間に向け、手を合わせて黙祷した。
やがて、祈りを終えたアブノーマルはすぐさま、ラットを残した客船へと戻るのであった。
✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳
アブノーマルが飛び込んでから、それほど時間は経っていない頃。
ラットはホウライ、そしてルンペイルと一人立ち向かっていた。ホウライの竹の刀を避け、ルンペイルの音技に対して、怪異で作り出したヘッドホンで凌いだ。
「へぇー、君やるねっ!!」
「あんさんらもな。それにしても、あの連中。誰の手引きでここまで来れたんか……、知ってたりせぇへんか?」
「んなこと、自分らが聞きたいくらいさねぇ」
二人の得物を、ラットはビリヤードのキューで受け止めながら、水砂刻達を見た。そして、鍔迫り合いを解き、回転をかけて「デッドコンボ」と口にして、ホウライの首を殴ってルンペイルの頭部に、ぶつけて飛ばした。
ホウライは脳震盪を起こし、その場に膝ついた。がしかし、頭部の大きさが全く同じな訳ではないため、ルンペイルには完全にかけた衝撃が加わらず、ただその場から少し飛んだだけに過ぎなかった。
欺く為に作り出されたキューは壊れてしまい、次の武器を作り出していると、ルンペイルは水砂刻達の方へ対象を変えた。それに気付き、一直線に向かうラットであったが、ホウライからの一撃を受けてしまう。竹矢が右肩を射抜き、その場に倒れてしまった。
「いかんねぇ。脳震盪と言っても、精々ものの数秒動けなくなる程度。お前さんらと人間と同じ感覚で扱われちゃ、堪らないぜ。でも、お前さんは普通の人間で助かった。」
「ぅ、ぐ……し、しもうた、で……」
肩から血を流しながら、水砂刻達を見た。ここで、貴重な怪異使いを失うことになっては、新たに出た謎が解き明かせない。事情を聞くためにも、なんとかして助け出さないと。そう思いつつも、動かせない体にホウライからの追撃を受けてしまう。
逃げ出そうにも、身体を満足に動かせない水砂刻と薫惹。辛うじて、お互いに支えあって起き上がれた二人であったが、ルンペイルからの攻撃を避けるには、どちらかが犠牲にならなくては間に合わない。水砂刻は咄嗟に、自身の死を覚悟して薫惹を押し飛ばした。
身構える水砂刻に、ルンペイルのギターに見立てた物が斧へと変形し、容赦なく襲いかかった。グシャアァァという音を、誰しもが覚悟した。しかし、次に聞こえてきたのは、ルンペイルの意外な声であった。
「なるほどぉ♪きみがこの子達に入れ知恵をしたんだね?」
「…………そう」
「なっ────、その姿は……まさか────、あんさんは…………?」
胸ぐらを掴まれていたラットも、思わず驚きの色を隠せない。
すると、ホウライはラットを掴んだ手を離し、ゴキゴキと首を鳴らしながら、持っていた竹槍を肩に担いでルンペイルの前に立ちはだかった、その存在に向けて声をかける。
「久しぶりじゃねぇかよ……、【美しき残滓】。それで?お前さん、どういう風の吹き回しだい?」
「…………別に。この子達には……、教えて……あげた……それだけ。怪異をヒトに……戻せる…………と」
淡々と、生気もなく抑揚のない声。ルンペイルを弾き返した時、被っていたフードが剥がれ落ちる。小さな背丈に銀色のショートヘア、その姿にラットは目を見開いた。
同時に、ディフィートに合わせてはいけないと、総司やトレードに聞かされていた意味を、目の当たりにしたことで再認識していた。しかし、引っかかっていることがあるラットは、目の前にいるディフィートの。自分達のかつての同胞の名を心の中で呟いた。
(そんなはずはないのに……、なんで霧谷 来幸はんの見た目しとんのや……?)
しかし、ラットの問いに答えるものはなく、スレンダーマンとインフェクターの戦いが繰り広げられていた。
霧谷 来幸。それは、ラット達が名前を捨てる前に、共に怪異討伐をしていた怪異使いの名前。インフェクターの0号、【美しき残滓】は来幸の姿をしていた。
ターバンの中から、アサシンダガーを二本取りだして、ホウライとルンペイルの挟撃を受け止める。ホウライの一撃をいなして、方を踏み台にルンペイルに反撃する。素早く重い連撃が、ルンペイルの持つ得物を叩き落とす。回し蹴りを肩に当て、吹き飛ばすと宙で身を翻してホウライへ牙を剥く。
「おいおい。何だって、そんな真面目にやってんだい?」
「……気が、立ってる。返して欲しい……。この子の本体。気に入ってた……から」
そう言いながら、倒れているラットの方を静かに向いた。
視線を向けられたラットは、凍り付いた表情で見ることしか出来なかった。同時に自分の中の疑問は解消されたことに、少しだけ納得していた。そのことを裏付けるように、間の前の"来幸"は表情を変えることなく、向き直ってホウライを蹴り飛ばした。
四つん這いで衝撃を受け流すホウライを、追撃するスレンダーマンのナイフ攻撃が炸裂する。再生する先から、新しい傷を作られて傷が完治しない。それどころか、このままいけばスレンダーマンの攻撃速度に、再生が追い付かずに倒されてしまう。
しかし、そんなことルンペイルが許すはずもなく、直ぐに加勢して二対一で反撃を再開する。それでも、冷静に対処して手傷を負わせると、スレンダーマンは倒れている薫惹と瞬姫を担ぎ、船から放り投げた。
その下に置いてあったクルーザーに、二人が横たわったことを確認し、水砂刻にも乗るように言った。
「でも、まだあの人……」
「ダメ……。海の中……、反応が1つ……消えた。きっと……、あの子の反応……。時期に……観測課の方、戻って……くる」
「────。ちくしょう……」
涙を目に浮かべながら、クルーザーに飛び乗る水砂刻。
ホウライとルンペイルが逃がさないと、襲いかかるがスレンダーマンが放った濃霧に視界が取られた。そして、またしてもスレンダーマンの攻撃を受け、怯んでいる間にクルーザーが走り出して、水砂刻達を取り逃してしまった。
程なくして、濃霧が晴れて辺りが見えるようになった。取り逃したことに、溜息を漏らすホウライ。すると、ルンペイルがラットの方を指さして言った。
「それじゃ、せめてあの観測課の人だけでも、殺しておかないかい?」
「はぁ……、そうだな。こっちは育てようとした怪異、奪われちまってんだからな」
「ぅぅ、ぐ……、まずいで……」
ホウライの飛びかかりを回避するが、その背後からタクトが吹き矢の針の如く、反撃に出ようと構えた左手首に刺さる。両手を実質的に使えなくなったラットに、ホウライの跳び蹴りが決まり船上に蹲る。
そして、トドメだと言わんばかりに右脚全体に焔を纏わせ、ホウライは地団駄を踏んだ。
──暴虐的欺瞞破壊ッッッ!!!!
燃え盛る竹藪が、瀕死のラットに向けられる。すると、そこへアブノーマルが前に立ちはだかり、暴虐的欺瞞破壊を弾き返さんと、鉄拳を繰り出した。
「うぶっ!?ぐふぅぅあぁ!!??」
「ア、アブノーマルはん……っ!?」
「かかってくれてありがとう。自分の一撃は、特に不死性の強い奴に効く質でね?お前さんなら、そうやって正面切って来てくれると思ってたぜ」
「かはっ……、ぅ゛ぅ゛……ぐぅ゛……」
拳で竹藪を弾いた瞬間に、アブノーマルの全身を焔が包んで焼き尽くした。途中で、これは罠であると気付いたアブノーマルは、辛うじてのところで全焼を防いだが、法衣の両袖は肩まで焼け落ち、ところどころ解れを見せる程には焼けてしまっていた。
驚くべきは、【八百比丘尼】の再生力を持ってしても、一切癒えることない火傷であった。初めてといってもいいくらいの危機感に、アブノーマルは快楽を求めている時に浮上する、刹那の恐怖感に近いものを肌に感じ続けていた。
(これが、《死》というものへの恐怖なのでしょうか……)
「おい、さっさと倒れな」
「うぐっ────ぐぬぅぅぅ……」
膝ついていたアブノーマルを押し倒し、腹部に拳を突き立てる。
そして、しばらくして「ダメだこりゃあ」と何かを諦めた様子で、殴りつけた。ゴリッと内臓にまで響く鈍い音。腸が破壊されて吐血する口を押さえつけて、再度腹部を殴った。
吐き出す血が、生き血を飲まされるかのように喉へと戻されるなか、サングラス越しに光る眼を向けるホウライは、震えているアブノーマルの心を抉るように問いかけた。
「どうだい?死が近付くお味は?最高に美味しいだろ?悔しいけど、自分がそいつを味わうことは出来そうにない。精々、繁殖に夢中になってる時みたく、胸高鳴らせて死を待つんだな」
「ん、────ぐ…………、ごご────っ…………」
「へぇー?こんな状況でも、感じちゃうんだね?きみの怪異、控えめに言って気持ち悪いよ♪うふふふ♪」
隣で、倒れているラットを踏みつけながら、ルンペイルが笑っていた。
アブノーマルは、こんな状況ですら【八百比丘尼】の性質上の呪いによって、快楽を憶えていた。再生力を失ったところに暴行を加えられて、死が近付いているというのに、下腹部は別の熱を帯びながら失禁してしまっていた。
どうせなら手駒しようと、ホウライは怪異の暴走を図ろうとしていたが、アブノーマルは【八百比丘尼】と【女王の蟻塚】の両方を、完全に我がものとしていたために出来なかった。
「嬉し泣きならぬ、なんて言ったらいいのかね?お前さんのそれ……。とまぁ、よく頑張ったが、骨も数本折ったし内臓もぐちゃぐちゃだろ。死んで楽になれよ」
「───────。」
「アブ……ノーマル、はん……」
「大丈夫♪きみも一緒だから♪」
ニコニコと笑って、ルンペイルはラットの首にリコーダーの細剣を差し向ける。ホウライも力こぶ全開の拳をアブノーマルに振り降ろす。
やがて、客船の船上に潮風と波のさざめき音だけが、ホウライとルンペイルの二人に届くのであった。
「さぁて、次はどうする?スレンダーマンの謀反がここにきて、あだになりそうだね。次いでに、お互いに弟子には恵まれないらしいしね♪」
「ん?ああ、【星を彷徨う風】のことか。あいつは、自分の手で決着をつけるつもりさ。だからルンペイル。お前さんもあの田舎娘の始末はしっかりとしようぜ」
「そうだね♪でも、もう少しだけ泳がせておこうかな?スレンダーマンがジャンヌちゃん……いや、ジャンヌくんと一緒にいるなら、あそこには居られなくなるさ」
得意気に笑うルンペイル。その笑みの確証は、ホウライも信頼を置くほどのもので、ルンペイルの力で怪異となるものは、いずれも《夢》という起源が関係している。
その《夢》のバランスが壊れる時、ルンペイルが生み出した怪異はその実体を保つことが出来なくなってしまう。夢が霞む時、人間が見るものは何か。それを考えれば、ホウライも笑みを浮かべて立ち上がった。
「夢を見なくなった人間は、現実に縋るようになる。それなのに夢捨てきれず恋心を持ち始める。何時しか、恋心が夢の一部であることも忘れて、無我夢中になる。そういうことかい?」
「そうだよ♪恋は盲目って言うでしょ?今、彼女はあの3人でいたことによって、盲目なままで居られたに過ぎないよ。ああ、彼かぁ♪」
どちらでもいいやと、船上を踊りながら音符を撒き散らして姿を消していくルンペイル。それに続くように、ホウライも自身を中心に炎の渦を作って、その場から姿を消した。
やがて、客船は依頼主と噂観測課の回収班によって、回収後に解体されるのだが、そこにラットとアブノーマルの姿はなかった。痕跡は勿論のこと、怪異調査に出向いたことは知らされていないために、無理もない話であった。
依頼主の手元には、今回の怪異現象によってこの世を去った関係者や民間人。その死亡者リストだけが手渡されて、調査結果の報告や怪異使いの行方については、一切明かされることはないのであった。
ただ、今回の怪異が【声届かぬ美声】であったことと、その怪異が人を食うものであったことだけを残して、この調査は終わりとなったであった。
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