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第一章
井戸の中の闇
しおりを挟む「うぅ───、く……ぅぅ…………」
「ちょっとちょっとぉ!?これは流石に不味いんじゃないの?ねぇ麗由さん」
怪異の調査に赴いていた、神木原 麗由と茅野 芳佳。その目の前には、今回の怪異【井戸の中】が依代とした井戸から上半身を這い上がらせて、二人を捕えようとしていた。
成人男性ですら一掴み出来てしまいそうなほど、巨大な腕を振り回していた。
この場で【井戸の中】だけの対処なら、麗由一人でも何とかできるのだが、その麗由が既に負傷していた。別に現場経験の少ない茅野がいた事が、負傷の要因などではない。
茅野に怪異と闘える力がないのは変わりないのだが、怪異調査で茅野と一緒になるのは、これで三回目になる。そのため、流石に闘いの邪魔にならないように立ち回る心得を茅野はもっていた。
「ちょっと本当に大丈夫?出血してるじゃないのよぉ!?」
「──ッ痛!?隠れていてください芳佳様ッ、来ますッ!!」
「キャッ!?麗由さん、此処は一旦退きましょうよ?」
そうしたいのは、手傷を負わされた麗由だって同じであった。
しかし、そんな麗由を取り囲むように黒い影が、カエルかウサギを連想させる高速移動で跳ね回り、体力の消耗を誘ってくる。【井戸の中】が腕で麗由を目掛けて、付近の地面を抉りながら横に振る。その攻撃を避けた時こそ、高速移動している怪異が麗由の隙を突き、姿を現す瞬間である。
「うっ…………」
「アッハハァ♪まだ抵抗するんだァ?可愛いメイドさんねェ~♪」
「グッ───、ア、アルミラージ……憑代はどこ、に……?いえ……、すでに一体化を……うっ!?グ……ッ」
「イヤダァ♡この期に及んで、まだ怪異を切除することを諦めてないのォ?そぉんな可愛いメイドさんには……こうしちゃう♡」
「ガハッ!!??」
背後に覆いかぶさり、バックハグのように羽交い締めにして来た怪異、【アルミラージ】。麗由を痛め付ける事を愉しむように、わざと攻撃を直撃を逸らしていたが、諦めの悪い麗由に嫌気がさしたのか絞めていた肩から、するりと両脇腹に手を潜らせて抱き枕を抱く動作で自身の胸に引き寄せ抱き締めて、肋骨が軋ませていった。
ゴキッと、粉砕音を一つ一つ奏でながら徐々に締め上げて、泣き叫ぶ声を聞こうとしていた。だが────、
「ん~~、痛過ぎたかしらァ♡」
「クゥ…………ハッ……ハッ……ハッ……。ぬゥゥゥ──ッ!!」
「え?嘘ォ!?」
内臓破裂を起こすところまで絞められる前に、麗由は力を振り絞って【アルミラージ】の拘束を振り解けないのなら、諸共に地面へ叩き付けると正面に身を乗り出して、全体重をかけ共倒れした。
「う、あぅ!?ぅ……はっ!ゲホッ……ゲホッ…ゲホッ、プッ!────ハァ……」
地面に落下した衝撃で、【アルミラージ】が高反発クッションの役割を果たし、放り出されて地面をゴロゴロと転がり、膝まづいて呼吸を整えた。
直ぐに、茅野が駆け寄ろうとして来たのを手で来ないように、合図しながら張れもしない声で願いを託した。
「芳佳様……、課の皆さまにお伝えください……水辺の下でお待ちしていますと────」
「り、麗由さんはどうする気?」
答えは行動で示すのみ。残された力で、近くに落ちていた自身の薙刀を手に立ち上がり、【アルミラージ】に向け突進する。起き上がり、ほくそ笑む【アルミラージ】もまた、【井戸の中】の方へ向かわせまいと槍を携えて、麗由の一撃と激突した。
銀色の波動は最初こそ大きかったが、その場から撤退した茅野が車に乗って振り返った時には、徐々に小さな光となっていた。茅野は、この麗由が作ってくれた機を逃さないように全速力で走り出し、噂観測課のみんなに助けを求めに向かった。
「────。」
「バカな女♪でも、なんかオトコの匂いするわねェ?メイドさん♡見たところ生娘みたいだしィ?この【アルミラージ】の槍で純潔……散らしておくゥ?」
「────おこと……わり、しま……す……」
「あら、そう♪じゃあ、死んじゃえッ!!」
すでに眼に生気が無いながらも、手が向かってきた【アルミラージ】の首元に伸びる。両手で首を捕えると、両眼に黄金の虚空を宿した麗由の全身が、一瞬にして鮮黄色に染まっていく。
次第にそれは、結晶のように固まり始めたところで、【アルミラージ】は麗由の狙いに気付いて両手を振り解こうと抵抗するが、時既に遅く下半身から徐々に結晶に囚われていいった。【アルミラージ】は逃げることも出来ずに、結晶の中に閉じ込まれる運命にあった。
「や、やってくれるわねェ♪でも、こんなんじゃ……少しすれば抜け出せちゃうわよ?」
「構い……ませ、ん……」
「ウフフ♡……ヤァ~ナ、女ァ♡」
その言葉を最後に二人は、時間が止まったかのように動かなくなった。
結晶を吹き飛ばすように、【井戸の中】が暴れ回りながら井戸の中へ再び隠していく。そして、何事もなかったかのように使い古された井戸だけが残る更地へ、ゆっくりと姿を変えた。
戦闘が終わり、結晶も井戸の中へ取り込まれてしまい、何もない状態になったその更地を眺める二つの影。
「随分と動きにムラがあったなヒマワリちゃん。兄妹喧嘩でもしたの?」
「いや。特に……兄弟仲に亀裂の走るようなことは……」
「それにしても、助けないんだな実の妹なのに」
「あの程度のことで麗由は死んだりしないさ……」
話をしているうちの一人は、神木原 総司。麗由と同じく、噂観測課に所属している一人だ。
その総司とともに麗由の惨敗を見届けた女性。薄紫の長髪に、ドラゴンの翼を象られた髪飾りを付けた女性が総司の正面にねじり寄り、顎を触り自分の目もとに合わせるように顔を下げさせて言った。
「大した信頼だな。いや、この場合は兄妹愛って言うんだっけ?まぁ、あたしも心配してないけど」
「────、俺は……もう行くよ」
「待てよっ!なぁ、ヒマワリちゃんには居たりするんじゃないのか?」
自分の任務に戻ろうとする総司のネクタイを掴みあげ、自分の方へ下肢ずけるように向かせて、女性は鼻先が触れ合いそうな距離まで顔を寄せる。総司は、早くこの場を離れたいと態度を全開にだすと、ネクタイを持つ手の力をパッと抜いて総司を自由にした。
乱れたネクタイを整えている総司に、さっきの質問の答えなんかどうでもいいからと、一つ要求を言い放った。
「なぁ。ヒマワリちゃんにさ、ほの字かもしれない子が居るんだろう?そいつのこと気になってなぁい?」
「……違うな」
「そうかい……。だったらさ、お願いがあるんだけど?」
「?…………なんだ?」
「あたしらさ───、より……戻せねぇかな?」
すると、向かい合って腰に下げていた刀に手をかける。総司は殺気に満ちた眼で蛇睨みすると、女性は両手を肩の横に上げて、残念そうに肩をおとす。
その一方で、総司は殺気が唯の威嚇ではないと目にも止まらぬ速さで抜刀し、斬りかかった。だが、その一閃は女性には届いておらず、ニヤリと笑みを浮かべて片手で受け止めていた。
刀の当たっている箇所は、ガントレットが装着されており刃が通らなかったのだ。鍔迫り合いになることなく引き離し、間合いを取り直す総司向かってさっきとは裏腹に少し撫で声気味に言った。
「へぇ~、これ案外使えるんだな?ま、あたしのじゃないんだけどな…………。それより────、ねぇ?じゃあ、せめて……名前だけでも呼んでぇ♡」
「…………はぁ。分かった……。だが復縁の件は、保留だ」
「え?保留にしてくれんのぉ?まぁ、そういうことなら……?いくらでも待つ待つ♪ほら、早く早くぅ♡」
戦意が総司から無くなったと知った女性は、自身の名前をそのクールなダウナーボイスで呼んでくれるのを、まるでキス待ちでもするかのようにウキウキしながら、眼を閉じて待っていた。
「────、ディフィート……」
「はうっ♡も、もっかいッ!!」
「はぁ……。ディ、ディフィート……」
ただ名前を呼ばれただけなのに、好きな推しのアイドルに名前を呼ばれて喜ぶファンのように、感動を全身に感じてオーバーに地面をゴロゴロとのたうち回って止まった。
その様子は、寿命まじかのひっくり返った虫が手脚をバタバタさせているようであった。それほどに、ディフィートは喜んでいた。
「クゥゥゥ♡♡───ッハァ♡これがコードネームじゃなければ、多分快楽死しているところだぜぇ♡ありがと、総司きゅん♡」
「その呼び方はやめろ……」
「よぉ~し、今週は最近よく聴いてる雑談配信は聴かないようにしよ~っと♪耳が上書きされちゃうからね~♪」
やけに上機嫌になった、ディフィートというコードネームを持つ女性は、闇夜を一人で駆け抜けて行き姿を消した。
ようやく、厄介者が消えたと溜め息を漏らした総司もその場を後にし、自分の任務へと戻るのであった。心の中に麗由があんな風になったかもしれない、人間の名を呟きながら。
(辰上 龍生……。お前は……麗由に相応しい男……なのか?)
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━ 翌日 ━
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ランランラン……、わたぁしは~♪トイレの花子さん~では~♪
ありませんので~♪分からないのですぅ♪
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「はいっと♪おはようございます……はいぃ!?……お?どうしてんですか後輩ッ!!??」
「あ、朝から……ご機嫌、だな……」
オリジナルソング『私は赤ずきんではないです』の二番歌詞を口遊ながら、上機嫌で出勤してきた燈火の前に、干物のように水気のない後輩の姿があった。
徹夜続きを物語る、目の下のクマから寝不足と分かり、今すぐ寝る気全開で机に倒れ込んでいる辰上の姿が目に止まった。
「いや~、いよいよ職場が怪異になっちまったのかと焦りましたよ~、はい」
「あ、ありがと……」
「ほんと申し訳ないねぇ~♪オレの方で引き受けた怪異なんだけどさぁ、こいつが一筋縄ではいかない案件でねぇ」
実 真は、先日の燈火無断欠勤疑惑の際に報告があった怪異の一つを請け負っていた。
しかし、どうにも貧乏くじだったらしく、調査は難航を極めていた。そのため、本来自分がやっている書類整理の業務から、事務所の雑事の全てを辰上に託して、朝事務所に出勤してから直ぐに現場に向かっている日課が続いていた。
「そんなことより、ガールズの2人はどうしたです?」
「は、ぁ…………。茅野先輩と麗由さんなら、現場直行してますよ……。このところ2人での調査がスムーズとかで────」
泥のように机に敷いたクッションに顔を埋めながら、二人の不在理由を伝えるそんな辰上を見て実は笑いながら、ここ数日の様子や出来事について謹慎処分を受けていた燈火に伝える。
「龍生くんったら、いつもソワソワしてさ。『麗由さん達、無事かな?』なんてうわ言みたく呟きながら、こないだは昼ご飯独りで食べてたんだよ?」
「なんですかそれ?後輩、居ても立っても居られないって感じですか?アーハッハッハッ!!あれ?ひょっとしてこっちは立ってるとか?」
「か、からかわないで下さいよッ課長ォ!!でも、本当に3日前くらいから2人とも、事務所に顔出してないんです……」
「…………なんていうかアレだねカヤコちゃん?」
「そうですね……ぷふっ♪……はい」
こっちは本気で二人を心配しているというのに、実と燈火のくすくす笑いに不快感を覚える辰上であった。背中をバンバンと叩きながら燈火は、今のこの状況を言葉にしたくて堪らず口から零してしまった。
「初いですね?────ップっ♪」
狐目というよりはエロ目に近い眼で、辰上を笑って自席に着く燈火に、「いってきます」とハンドサインをして現場へ移動する実。必死な想いも笑われて目の前には、書類の山だけが広がる惨状に心撃たれて、ナーバスになるしかなかった。
しばらくの間、燈火がパソコンをタイピングする音だけがデスクを支配している時間が続く。するとそこへ、泥塗れでボロボロの格好をした茅野が息を切らして中へ入ってきた。
「おやおや?大分、手酷い返り討ちにあったようで?……はい?」
「そんな悠長なこと言ってる場合かよッ!!茅野先輩ッ?何があったんですかッ?何処か怪我はないですか?というか、麗由さんはどうしたんですか?」
そんなに質問攻めしたって、茅野は息切れしていて息を整えるのに集中している。にも関わらず、二つ目にはこの場に居ない麗由の心配をしている辰上を見下ろしていた燈火は、顎に手を当てて邪悪な笑みを浮かべて内心で確信突いていた。
(後輩────、やっぱり堕ちてるな♪)
そうしているうちに、呼吸が整った茅野は貰ったコップの水を飲み干すと、辰上の肩を掴んで言い放った。麗由が身を呈して守ってくれたこと。そして、その麗由は二つの怪異を相手に今も残って闘っていること。
それを聞いた辰上は、窶れていた身体に覇気が戻ってきた。すると、場所だけ聴いて一人飛び出そうとしていたが、その腕を捕まえて行く手を止める燈火。肝心な情報が聞けてないのに、無策で行けば総倒れになるだけだと逸る気持ちを落ち着かせた。
「で?麗由さんは何か伝言みたいなの残しませんでしたか?例えば、鍵はかけておいて的なやつです……はい」
「そうね……、あ。たしか水辺の下でどうのって言っていたわ」
「どうのの部分が大事なんじゃ?」
「いいえ大丈夫です。きっとそれは『水辺の下でお待ちしております』ですね、はい。要は水辺のほとりで貴方を待つわのオマージュなのですが、そうですか……アレを使ったんですね彼女」
そのアレとは、結晶化させた現象のことを指していた。それは、太古より悪しきものを祓う血族によって、伝承されてきた封印における禁術の一種。対象を現状の霊力や術式で倒せぬと分かったものが、後世に希望を託して己の命を代償に、捕らえた悪しきものを諸共に封印する禁術であった。
そんなことをしたら、術の使用者は文字どおり死を迎えたのと等しい状態となることを聞いた辰上は、より一層今すぐ助けに向かいたいと使命感を燃やして動き出そうとした。だがしかし、燈火がそんな辰上を呼び止めるべく提示した情報に希望を見た。
「今の彼女は仮死状態になっています。それにこれを見てください」
「何これ?って私達が怪異と闘った場所?」
「その現在から40分前の映像ですけどね、これ。綺麗な宝石のように眠っていますね麗由さん。しかし、一緒に封じていた怪異の姿が見えないということは、既に抜け出されておりますね……はい」
「───ッ!?おいッ!!それって麗由さんが無駄死にしたってことじゃないんだよな?助け出せる方法があるんだよなぁ?」
「鼻息荒いですよ後輩……。ええ、勿論♪」
眼が血走っていて、何をし出すか分からない程に焦りと興奮を見せている辰上。そんな彼にも分かるように、これよりの作戦を説明する。
今回、茅野達が向かった怪異調査。その討伐対象は【井戸の中】であり、襲撃してきた【アルミラージ】はあくまでも、別の怪異であること。そして同時に、二つを対処出来なかった麗由は最後の力を使って禁術を発動し、襲撃をしてきた怪異をその場に留めたということ。
状況の整理としてはそこまでにして、先程見せたドローンによる撮影映像によれば、麗由は【井戸の中】の作り出した亜空間。文字どおり井戸の中に囚われてしまっている状況。加えて、留めていたはずの【アルミラージ】には封印を破られてしまっている。抜け出したであろう辺りには、結晶化する直前まで接触していた麗由の胸部だけが、結晶化の影響を受けていない状態になっている事が確認できた。
「本来とは手順をすっ飛ばしているんですけどね……その『水辺の下でお待ちしております』ってのは、何も【井戸の中】に捕まりましたを意味しているんじゃなくてですね……はいッ!」
「何?このうっすい本とかにありがちな、お洒落な入れ物に入った液体は?」
「茅野先輩……普段なに何観てるんですか?」
少しだけ落ち着きを取り戻した辰上は、いつもの調子でツッコミ役に回りながらも、燈火が持ち上げた液体に目を向けた。
魔法水薬。
漫画やゲームの中でしか見たことないそれが、実在することに驚く二人を前に、得意気にドヤ顔を見せながらこれが麗由を目覚めさせる鍵であること。何よりこれこそが、麗由の言っていた言葉に含まれていたアイテムであった。
特殊な水を指すことでしか、解除の出来ない禁忌を今からやるということと、王族の時代両国の王によって、結婚を決められていた王族が駆け落ちをする際に表現として使われていた水辺のほとりで、例えそれが禁則行為であっても出逢う約束をすること。それに謎った独自の比喩表現であった。
「しっかし、麗由さんもロマンチストね……あんな状況でこんな事をさらっと……じゃなくて、麗由さんもう1体の怪異に捕まった時に骨折られてたっぽいけど?それ大丈夫?」
「はい。この霊薬を使えば骨の傷は修復は出来ますよ。ただ、ダメージまでは消せませんけど……はい」
「それ、ポーションの意味なくないか?」
「贅沢言うなです。外傷が治るだけでも充分、喉からで手が出るほど欲しくなりませんかぁ?」
なんてやり取りもしつつ、茅野の運転で麗由のいる場所へと移動している最中、現場に着いた後の行動を説明していた。
まず、【井戸の中】の亜空間は井戸から潜入出来るため、辰上か茅野のどちらかが侵入することが出来れば、第一の関門はクリア。その道中に現れるであろう【アルミラージ】を燈火が対処し、麗由の復活まで足止めもしくは可能であればこれを撃破する。
麗由が復活すると気が付けば、間違いなく【井戸の中】は侵入者の排除をするために起き上がって来るだろう。しかし、怪異としての力を発揮するためには、井戸から半身を飛び出した状態になる必要があるため、必ず地上に出てくる。それらを踏まえると、この作戦における失敗に繋がる最も望ましくない状況とは、麗由が復活する前に二対一の構図を作ってしまうことになる。
「まぁ何とかなるでしょ♪」
「なんでそんな自信満々なんですか茅野先輩は……」
「そうですね……、いざとなれば後輩が愛の力的なもので麗由さんの目を覚ましてくれるでしょうから……はい」
作戦前の緊張を紛らわす和気藹々としたトークを交わし、車のドアを開け身の丈ほどあるキャリーケースを引いて、現場へと向かう燈火。その後ろには、麗由を復活させる為の霊薬を手に、覚悟を決める辰上がいた。そして、気合いを入れて井戸のある更地へと向かって行った。
茅野に教えられた場所へ着くと、逃げる際に見たと言っていた建物の残骸はなく、地面も抉られて荒らされたといった形跡が一切なかった。
恐る恐る、井戸の方へ一歩ずつ近付いていくと、草木が揺れたのでビビってそちらを向いてしまう。すると、草場から小さなリスが顔を覗かせた。辰上が恐がった正体が、小動物であったと胸を撫で下ろしたとき、後ろにいた燈火が大声で叫んだ。
「後輩伏せろですッ!!」
振り向く前に、嫌な予感がした辰上は言われたとおりに、地面に伏せると燈火は二丁拳銃をリスが出て来た方向に向けて乱射した。
弾を撃ち尽くしてその辺に投げ捨て、腰に忍ばせていたサブマシンガンを両手に草木が揺れる様を睨みつけ、追いかけるように銃撃を続けた。
やがて、反時計回りに二周したあたりでカートリッジを入れていると、追い回して銃撃を浴びせていたソレが姿を現した。
「ヤダヤダ♪そんなお子ちゃまな格好して、随分と物騒な子じゃない?まぁアタシは嫌いじゃないけど♪」
「こ、こいつは……茅野先輩の言ってたバニーガールっぽい姿。もう1つの怪異か?」
「なるほどです。動物達が恐怖する怪異と来れば、麗由さんが苦戦するのも理解出来ますね……はい。こいつは予想どおり【アルミラージ】です。聞いてのとおり、神々が生きていたとされる時代に動物達が恐がっていた動物の怪異です」
神性生物なのにと訂正を要求しつつ、二足歩行の体勢のままウサギ跳びで急接近する【アルミラージ】を上体を逸らして、ハリウッド映画顔負けの神回避を見せ付け、リロードしたサブマシンガンで反撃をする燈火。
あちらさんから正体を明かしたのなら、こちらも作戦を予定通りに進ませ易いと、【アルミラージ】を引き付けている間に辰上は井戸を覗き込み、安全装置のロープを用意して中へと侵入して行った。
「あら?アタシ達と戦える術のないカレ、入っていっちゃったわよ?」
「いいんですよ!それが私達のやり方なので、ねッ!!はい♪」
「あ~そう♪でも今のカレ結構素敵だったわぁ♪アナタを倒したら美味しくいただいちゃおうかしら♡」
楕円を描くように振り回した槍を、軌道に乗って体を空中回転させながら、無防備となった自身を放った銃撃の反動で一度距離を置くことでカバーする。
二度目の弾切れを起こしたサブマシンガン。それをクルクルと指で回して、向かってくる【アルミラージ】にぶつけて、バックステップで後退する。
━━━ ガチャガチャ……ガチャ、ゴンッ!……チーン……♪パシュンッ!!
「ナイスタイミングです、はい♪」
後退して到着した地点に、キャリーケースで事前に精製していた追加武装が射出され、それを受け取って防戦を張った。槍を振り回して迫り来る弾幕をくぐり抜け、地面を叩き割る【アルミラージ】。その巻き起こした土の荒波に飲まれないよう、頭上をアクロバットに飛躍しながら銃弾の雨を降らせた。
「やるわね、おチビちゃん♪」
「そっちも。言うてこっちが分が悪いだけなんですけどね……はいっ!」
善戦しているように見える燈火の戦い方。しかし、それは弾薬が尽きぬ限りでしかなかった。対して【アルミラージ】の方は、何発か銃弾が命中しているものの、そのどれもがダメージには至っていない様子。
あくまでも、時間稼ぎでしかないということを悟られないように戦っているが、悟られるのも時間の問題であった。
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井戸の中に入った辰上は、空間が想像していたよりも明るいことに驚きと戸惑いを見せながらも、地面に足をつけた。そして、今回の怪異の基となる資料を叩き込んだ頭の中から、読み返すようにおさらいを始めた。
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井戸の中の遺体。
あるところに強いストレスを感じると自制の効かない人間が居た。
その人間は、仕事で酷いダメ出しをしてきた上司を殺した。
死体は人通りのない井戸に捨てたが、次の日には死体がなかった。
また別のある日、改札口を割り込んで来た老人を殺した。
同様に井戸に捨てたその死体は、翌日には消えていた。
そのおかげで通報されることもなかった。
そんなある日、再就職をするように迫ってきた母親を殺した。
勿論、死体は井戸に捨てたのだった...。
翌日、母親の死体は残ったままだった。
────────────────
『そろそろよ辰上君』
「うわっ!?きゅ、急に声かけないでくださいよ茅野先輩ッ!!」
『ごめんごめん、通信越しの声聞こえなくなったから不安になっちゃっただけ。それでどう?』
井戸の中の怪異、【井戸の中】の作り出した亜空間の最深部。
そこに眠ったように瞳を閉じ、氷漬けされたのかと錯覚する高度の結晶に身を包んで、沈黙している麗由の姿があった。
通信先の茅野の声を聴くこともなく、一目散に麗由のもとへと駆け出す辰上であったが、その瞬間辺りに強い揺れを感じて、その場に体勢を崩してしまう。
───ゴゴゴゴ……、ダレダァ?タス……ケテ、クレル……ノカ?
渇き切った声で、助けを懇願する呻き声。先程、辰上がおさらいしていた『意味が分かると怖い話』の怪異【井戸の中】。その物語で、無念の内に死体を消されたもの達の怨霊を素として、姿を現したものだった。
ぐぅっと大きな漆黒の腕が辰上を目掛けて伸びる。そのまま、あっさりと掴まってしまった。霊薬を落としてしまったことを気にする余裕もなく、握り締めるその力に声が出せないほどの圧力に、悶えることも出来ずにいた。内圧に耐えきれずに、耳につけていた通話用ヒヤホンが落下し、茅野が心配そうに大声で呼びかけていた。すると、辰上を掴んでいた腕が拘束を解き、音の発しているイヤホンマイクの方へ対象を移し替えた。
息切れを起こしながらも、それを見て辰上はズボンのポケットに入れていたおかげで、無事だったスマホを取り出し、茅野にやって欲しいことを通知した。そして、合図することも出来ないからと休む間もなく、内ポケットからありったけのマイクイヤホンをONにしてばら撒いた。
───ゴゴゴゴ?タスケ……イッパイ?
やはりそうだった。【井戸の中】には視力はなく、聴覚を頼りに対象を捕らえていたのだ。辰上の奇策に嵌った【井戸の中】は、一つ一つイヤホンマイクを潰しはじめた。その隙に、霊薬を拾い麗由の結晶に辿り着くことが出来た。
これで麗由を復活させられると、霊薬を手に持つ辰上だった。しかし、その手をピタリと止めて、結晶から露出している皮膚が他にないかと探し始めた。霊薬は封を切るタイプではなく、直接先端の針を突き刺して注射するタイプであるというもので、辰上は針のとおりを気にしているというより、胸に打ち込むというのは気が引けるという、年頃の男性故の見栄が出てしまっていた。
すると、辛うじてではあるが鎖骨から首にかけて僅かに、注射出来そうな部分を見付けた。辰上はそこを目掛けて、霊薬を注射しようとするのだが────。
───ゴゴゴ、ゴゴゴォォォ!?ウソツキ……タスケ、……コエ、チガウゥゥ!!
イヤホンマイクから出ている声が、全て同じ茅野の声であると気付いた【井戸の中】は力任せに地面を叩き、井戸の外へと這い出ようとしたことで、辰上と結晶化したままの麗由も地上に吐き出されてしまった。
そして、【井戸の中】が黒い波動の咆哮を上げながら、地上へ上半身を出現させる。それに引っ張られるように、井戸の中から出て来た辰上のズボンの裾を摘み上げていた。
地面には結晶化のままの麗由が転がっており、打ち止めになった燈火も【アルミラージ】の槍の攻撃を受け、銃身で防いでいる状態であった。
「あらァ♪何かしようとしていたみたいだけど、あんな感じよ?」
「ふ、ふふっ……。まだ、分かりませんよ?ウチの後輩、何しでかすか分からないですから……はい♪」
「ん?」
「何せ、惚れた女を目の前にしたチェリーさんなんでねぇ……はい」
額に汗を浮かべつつも、まだ諦めていないと強がりを言う燈火。もういいとトドメを刺すべく、槍を振り上げて持っていた銃を吹き飛ばす。空かさず槍先で狙いを定めた。
すると、辰上が発狂したのかと思うほどに叫ぶと、ズボンのベルトを外してトカゲの尻尾切りのように脱ぎ捨てて、【井戸の中】の手から地面に落下し顎を打ち付けた。だが、そんな痛みを感じることがないほどアドレナリンを溢れさせながら、結晶化した麗由の方を目指して走り出した。
その手には、霊薬が握られていることに気付いた【アルミラージ】が、構えた槍を投擲して辰上の行く手を阻んだ。向かう先の地面に槍が刺さり、巻き上げる土埃を両手を交差して凌ぎ、そのまま突っ切り何も考えずに霊薬の針を出して、麗由の左心房目掛けて突き刺した。
「執念の賜物ですよ後輩ッ!」
「────ッ!?」
辰上に気を取られている隙に、新たに精製───、射出された猟銃を手に取り不意打ちをお見舞いして、辰上の方へ跳び上がった。結晶が液体のように溶け出して、水浸しになった髪が結び目を解いた状態となり、麗由が静かに眼を開いた。その様子を見て、半泣き状態の辰上が声をかける。
「り、麗由さんッ!!大丈夫ですか?」
「────、……はい。ご心配をおかけしました……龍生様」
無事に目を覚ましたことに安堵し、肩に過剰に入ってしまった力を抜いていく辰上を見上げながら、キョトンとした顔で自身の胸部に感じる圧力の正体を確認する。そこには、下半身を下着一枚で胸に霊薬の針を刺し、もう片方の手で右の乳房を鷲掴んでいる辰上の姿が映っていた。
すっかり、脱力している辰上に麗由は純粋な気持ちで質問をすると、改めて置かれている現状に耐えられなくなって、恥ずかしがりながら後退るのであった。
「その……龍生様は、お仕事の最中に溜まりやすい方なのですか?それとも、そういうご趣味があるお方なのでしょうか?」
「あ、ああ!?これは……その……」
「ほれほれ、イチャつくんなら怪異を解決した後に2人きりでやれですよ♪はい」
燈火は【井戸の中】から取り返した辰上のズボンを投げ渡し、麗由には小刀と鉤爪を手渡した。
そして、麗由は【アルミラージ】を。燈火が【井戸の中】を相手することに役割分担をして、各々の敵が構えている方向へ駆け出した。
猟銃に弾を込めながら、【井戸の中】の巨大な腕を左から来た方を飛躍して回避し、右拳を躱して伝って登りながら一発、二発と発砲して目を潰した。
「さて……振り切るぜ……ですね、はい♪」
━━ガチャガチャガチャ、プシュゥゥゥ……
「ってアレ?詰まっちゃいましたぁ?ちょっとぉ!!??」
「まっかせてぇぇぇぇ!!!!!」
キャリーケースにセットしていた、最後の武装の射出途中で詰まりを起こしてしまった。するとそこへ、全力疾走で駆け寄った茅野が精製ボックスを手動で開けて、中身の武装を燈火目掛けて投げた。受け取ったそれは銃ではなく、十字架を模した剣だった。
肩に止まった虫を潰すように手を叩きつけてきた。それを回避すると、猟銃の銃口下に仕込んでいたアンカーバレットを打ち込み、アンカーを巻くスピードに乗り、勢いで身体を捻って回転斬りで【井戸の中】の巨大な首を斬り落とした。
「悪いですが、どう足掻いても絶望……それが【井戸の中】の結末です……はいっ♪」
勝利のブイサイン。武器をパスした茅野に手を振った後、消滅した【井戸の中】を生み出した井戸の底に、突き刺さるように十字架の剣を投げ入れて墓標とした。「どうか安らかに眠ってください……」と手を合わせて黙祷をし終えると、麗由とアルミラージの対決の行方を見た。
小刀を抜刀し、槍とすれ違いざまに衝突させた金属音が木霊する。先の敗戦の時は、【井戸の中】に有効な薙刀を使っていたことで完全に不利を取ってしまったけど、再戦している今度は違った。
「その強さ、武器が変わったからじゃないねぇ?観ているからかしらァ?メイドちゃんの想い人がァ♡」
「────ッ。まだ、想い人であると決まった訳ではありませんが……」
(わたくしを助けてくださったことに変わりはありませんので……)
恩返しはメイドの勤めとして、至極当然に出来なくてはならない。今の彼女にとっては、それだけで充分過ぎる理由であった。槍を斬り反し即納刀して、身体を回転させて刃先の行方を背中で隠し、読み取られないように間合いを詰める。槍を目の前で円を描くように振り回して、一撃に踏み切れないように【アルミラージ】も防戦を張り、タイミングを窺う読み合いが始まる。
リーチの短い小刀であれば、刺しかかっても身のこなしに寄っては反撃を越えて、もう一撃繰り出せる。しかし、槍はそのリーチの長さを駆使して逃げ返る瞬間を突き刺せれば、反撃の間も与えずに致命傷を負わせられる。
「残念ですが、冥刻が告げられました……」
「はぁ?何言ってるのよォ?大した自信ねェ?」
「冥土へと通ずる道────、わたくしが介錯して差し上げます……」
間合いを一定に保とうと、止めなかった攻撃に連動していた歩みをピタリと止め、【アルミラージ】がこれを機と踏み、槍をつき下ろす。後ろに下がり、【アルミラージ】が突き刺した槍を突き上げることで、麗由は地に脚がつかない無防備な状態になる。それこそが、麗由の狙いであるとも知らずに───。
突き上げた槍に小刀で合わせ、その上に乗って土揚げされフライパンを振って料理が宙を舞うように、全身にかかった延伸力で忍ばせていた鉤爪を【アルミラージ】に向けて振り降ろした。見事その攻撃は、【アルミラージ】が苦し紛れに防ぐため、横にして押し当てた槍の持ち手をも貫通して炸裂した。
ドス黒い血に見たてられた、怪異の返り血をその身で浴びながら、【アルミラージ】の沈黙を見届ける麗由であった。
「お疲れ様ですね麗由さん、はい」
「燈火様。芳佳様がお2人を?」
「ねぇ麗由さん?この墨汁みたいなの空気に触れると煙出して、しばらくしたらある程度は薄くなるけど、そんなに大量に浴びて大丈夫なの?ああ~、でもそれはそれでご褒美だったり?────辰上君のだけど?」
【アルミラージ】と【井戸の中】討伐をしっかり見届けてはいたが、麗由に変な誤解をされたかもしれないと、恥ずかしさを消せずにいた辰上を茅野が揶揄うなか、無言で麗由の前まで近付くが辰上は言葉に詰まっていた。すると茅野が、モジモジしている辰上の手を取り、麗由の胸元に手繰り寄せてお礼を口にするように、目配せをした。
「ありがとうございます。お陰様で復活することが出来ました。わたくしだけでは────あ、!?」
「え?麗由さん?」
「クッ……、申し訳ございません。骨の方は大丈夫なのですが、まだダメージの方が……」
「か、帰りましょう。観測課事務所まで」
こうして、協力してイレギュラーな怪異事件を解決させた四人は、車に乗りその場を後にした。
車内移動。その道中、後部座席に辰上と麗由で隣り合わせで座っていたが、前の席はというと。やれ家族サービスがどうとかで盛り上がっていた。
その間も、無言という重たい空気が流れていた。何か話さないと気まずいと思う自分と、疲弊している麗由をそっとして置いた方が良いのではないのかという自分。辰上はその葛藤で話しかけられず、窓の外に視線を落とす事しか出来ないでいる。その時、スっと置いてあった手の甲に掌を麗由が重ねてきた。
ドキッとして振り向くと、シートベルトからはみ出している上体を可能な限り辰上の方に寄せて、少し顔を赤らめながら耳元で。それも前の二人には、聴こえないくらいのトーンで囁いた。
「今度、お礼として埋め合わせ……させて、ください」
その一言伝えると、自席の方にスルっと元に戻り目を閉じて、そのまま眠りについた。結晶を解いた時から現在に至るまで、普段結んでいた髪が解けている麗由の姿は、少しまた新鮮なものを感じながら辰上は前の席の二人の会話に混ざり、気分を紛らわすのであった。
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