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世にも無意味な物語

螺旋

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「ちょっと、學ちゃん。しっかりしてよ」
「あっ!すみません」

 深見ふかみ まなぶ
 彼女は、デスクに山積みになった書類を崩れないように、慌てて手を乗せた。胸を撫で下ろす間もなく、一番上の書類を手に取り押印作業に入る。
 きっかけは、昨日の何気ない一言から始まった。いつもの帰り道に、見覚えのない洋館が建っていた。一週間前までは、空き地となっていた場所に突然現れ、木々に囲まれて佇んでいたのだ。


 ✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳


 ━ 数日前 ━

「お邪魔します……」
(って、何で勝手に入っているんだ私は?)
「いらっしゃいませ。当館へご来館されたのは、お客様が初めてとなります」

 広々としたバルコニーへ案内する、桃色の髪の毛をしたメイド。しかし、家主と思われる人どころか、他に人影すら確認できないことに、不気味さを覚える學。しかし、新しく建てられて間もないこともあってか、内装はとても豪勢で埃も立たないほどに、手入れが行き届いていた。
 そよ風が気持ちよく、肌に当たるのを体感しながら、椅子に腰かけて夜空を見上げる。普段は一望できない、勤め先のある街並みを上から見た光景に見とれていると、ヌルッと背後から手が伸びるようにテーブルにカップが置かれた。

「紅茶をお持ちいたしました。その他、菓子折りをご要望でしたら何なりとお申し付けください。それでは、ごゆっくりと……」
「えっ、あの……」

 メイドは会釈して、その場を立ち去った。
 結局、その後再び現れることのなかったメイド。學は紅茶を飲み終えて、辺りを探すが見当たらなかった。夜も更けて来てしまったので、帰宅しようと玄関へ向かった。
 靴を脱ぐことなく、中へ案内されたのでそのまま扉に手をかけて押した。しかし、微動だにしない。両手で取っ手を掴み、めいいっぱい押してみるが、結果は変わらず。このままでは、帰れないと焦りはじめたところに、またしても背後から手がスルッと伸びてきた。
 気配が全く感じられなかったため、「きゃっ!?」と思わず声を漏らす學であったが、伸びてきた手は扉の取っ手を引いた。それによって玄関の扉が、普通に開いた。

「押してダメなら、引いてみてください。お帰りになられるのですね。またのお越しを……」
「は、はい……」

 こうして、學は家路に着いた。後日、この出来事を職場のみんなに話した。


 ✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳


 誰にも信用されないだけなら、學としてもよかった。しかし、相当本人は当日に浮かれていたらしく、いつもの庶務処理を終えることなく帰ったとのことで、今月の書類作成から整理、押印当番を一手に引き受ける罰を課せられた。

(いくらなんでも、私がそんな仕事放ったらかしたなんて、有り得ないんだけどな……?まぁ、いいや。今日もあの洋館に行ってみよう)

 學は一日の仕事を終え、洋館のあった場所へ向かった。

 目を疑った。そこに洋館はなかった。代わりに、喫茶店が出来ていた。それも広めの駐車場に、びっちり車が停まっているほどに行列のできる。
 よく見ると、入り口で整理券を持って列待ちしている。中の様子だけでも見ようと、背伸びをして學は店内を覗き込んだ。すると、中からウェイター衣装の男性が出てきて、本日の限定メニューは売り切れになったと告げる。
 それを聞いて、ゾロゾロと帰る客人達。少しして、店内にいたお客が満足そうな顔してお店を出ていった。《CLOSE》の札をかけて、店内の清掃や後片付けに専念するウェイター。何故か、中が気になってしまい學はドアを開け、店内に入った。

「ん?ああ、すみません。もう店じまいなんですけど?」
「店長。テーブルの掃除はすべて終わりました」
「────あっ」

 學は奥から現れた女性を見て、思わず声を漏らしていた。
 昨日の洋館にいたメイドが、今度はウェイトレスをやっていた。そう思って、声をかけるも首を傾げられた。

「はて?わたくし、本日はじめてあなたにお会いいたしましたが?」
「きっと人違いですよ。何せ、俺達は今日ここで店をオープンしたんですから。それに、彼女は今日のお昼頃にようやく到着して、明日からフルタイムで働くことになっているんですよ」

 こんな偶然があるのだろうか。いや、偶然なわけがない。
 これは明らかに、記憶を違いを起こしていると學は思った。昨日まであった洋館は、誰も知らないというし、今日来てみれば喫茶店。そこで務めている桃色髪の毛の女性は、姉妹かというくらいに同一人物に見えるのに、ウェイトレスは姉妹は居ないと答えた。
 とにかく、締め作業をしているところをこれ以上邪魔しないように、喫茶店を出る學。考えに整理がつかないまま、家路に着く。信号機に捕まり、歩道信号が青になるのを待った。

 信号が切り替わり、歩き始めると突如信号無視して突っ込んできた車に跳ねられた。學はそこで意識を失った。薄れゆく意識の中、周り集まってきた人達が救急車を読んだりしている声が、ゆっくりっと遠のいて行った。


 □■□■□■□■□


 目が覚めると、真っ白な天井が見える。
 頭がボーッとする。學は、頭を押さえながら起き上がった。何か、怪我をしていたような気がするが、どこも痛くない。不思議そうに、自分の掌を見つめていると、見覚えのない邸のベッドで寝ていることに気が付いて、急いで飛び起きた。

「如何されましたか、お嬢様!?」
「え?お、お嬢様?わ、私がぁ?」
「────、はぁ……良かった……。また、イタズラをなされたのかと思っておりましたが、ただ飛び起きたのですね。余程、恐い夢を────」

 目の前に現れた女執事。長々と日頃の───、身に覚えのないイタズラ、嫌がらせの数々を口にして説教を終え、朝食の用意が出来ていると、食卓へ案内する。
 學は案内されるがままに着いて行き、テレビや絵画でしか見たことのない長テーブルの端の席に、そっと腰かけた。並べられた料理を眺めて、思い出したことを女執事に問う。

「あの……、私。車に轢かれて……」
「お嬢様がお車に?有り得ません。先週の出来事であるのならまだしも、今週はまだ何処へも出かけておりませんよ?第一、運転はわたしがしていたのですから、それが本当であればわたしもここにはおりません。さっ、お食事を取ってください」

 女執事は、學の言葉に耳を貸すことなく会釈をして席を離れた。
 お腹も空いていたので、學も目の前に出された豪華そうな皿に盛り合わされた、朝食を口に含んだ。なんてことない、いつも食べている味だ。スープを一口飲んで、口を拭いてパンを食べる。
 当たり前のように、女執事や使用人達が作ってくれる食事なのだから、口に合わないはずがない。學は食事を終えて、席を立ち上がると女執事がテーブル横へやって来た。

「お済みでしたか?では、お下げいたします。なお、本日のご予定ですが……」
「いいわ、確認なんてしなくても。支度を済ませるまでに、表にリムジンをまわしてちょうだい」
「御意……」

 自室へと戻り、着替えを済ませる學。櫛で髪をとかし終えて、部屋を出て門まで向かった。言いつけどおりに、リムジンをすでに駐車させていた女執事。學を乗せるべく、ドアを開き手を差し出して足元に注意を払った。
 運転席へ戻り、シートベルトを着用しリムジンを走らせた。道中、見渡しが殺風景になる道に入ったあたりで、女執事は先ほど學が見たという夢の話を改めて聞いていた。しかし、何を言っているのか分からない學は、女執事が退屈を極めて突拍子もない話を持ち出したのだと思い、適当に答えた。
 朝食をしっかり食べたせいだろうか。物凄い眠気に襲われた學は、女執事に目的地に着いたら起こしてと伝え、意識を暗黒に閉ざした。


 □■□■□■□■□


「ちょっと!ちょ~っと、學。起きてよ!!」
「ん?なんですの?もう、目的地に着いたのかしら?」
「何を寝ぼけたこと言ってるの?もう、飲み終えたんだし帰ろうよ」

 眠りから覚めると、女執事は居なかった。
 どうやら、喫茶店で寝ていたらしい。みんなは、楽しく日頃の愚痴も兼ねた世間話に花を咲かせていたであろうに、學は仕事の疲れから爆睡してしまった。

「あ、ごめんごめん。じゃ、帰ろっか」
「あんた、どんな夢見たの?なんだか、凄い偉そうに誰かを叱りつける寝言とか、言ってたわよ」
「學って、そういうとこありそうだもんね。ほら、旦那にする男は尻に敷くタイプみたいな?」

 この二人と合って話すことときたら、こういう惚気話ばかりだ。いつも、連れの一人が自分の話ばかりして終わっている。だから、今回もそのパターンだったから寝てしまったのだろう。

 会計を済ませて、帰り道の方向が違う學は一人駅まで向かって歩いていた。すると、頭を抱えて苦しんでいる男性が向かいの方から、歩いてきていた。二日酔いにでもなっているかのように、千鳥足で歩き學の前で倒れた。

「う、ぅぅ…………」
「だ、大丈夫ですか?今、救急車を────」

 男性に駆け寄って、緊急通報をしようとした學。その手首をガシッと掴んだ男性が言った。
 その一言を受けた學は、通話ボタンを押さずにスマホを地面に落として硬直してしまった。尚も男性は苦しんでいる。目を見開いた状態で、禁断症状のように体を小刻みに震えさせて彷徨う男性。

「誰……なんだ……?お、れ……ボク……、いや、ワタシは…………?」

 安定しない声で呟きながら、男性はその場から姿を消した。
 しかし、學は止まって動けない。男性から、問いかけられた言葉が頭から離れず、何度も繰り返し再生されていた。


 ───「自分が分かるかい?ここ数分前の行動……」───


 學は思い出すことが出来ない。
 ついさっきまで、自分が何をしていたのか。目が覚めた数秒は、何が起きていたかを理解出来た────、ような気がする。それが、何だったのか。何の記憶だったのか、誰の記憶だったのか。思い出すことが出来ない。

 そもそも、これまでの行動は深見 學としての行動だったのであろうか。何故、その疑問が思い浮かばなかったのだろうか。声が聞こえてくる。

『███、▒れは▒▒▒▒敗▒▒……ね?』

 ノイズが入っていて、はっきりと聴き取れない。聴こ取ろうと意識するほど、目の前が真っ暗になっていく。

『▒▒らく、▒▒回数▒▒せ▒▒ぎ▒▒だろ▒。▒▒▒がこの▒▒、▒▒を▒止▒る▒▒▒いだ▒う』

 今度は太くて低い声。どうやら、自分に語りかけているようにも聴こえるその声に、答えようと目を閉じて學はイメージをする。語りかけてくる声に、全意識を集中させる。

『よし、いい子だ。今から、再▒▒する。それで▒▒を落とせば、▒期▒は完了する。おやすみ────、』


 ━━━深層螺旋思考。試行AI《MANABU》━━━


 最後に聴こえた言葉の意味を理解する間もなく、學はその活動を完全に停止していた。


 ✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳✳


「教授、これは今回も失敗ですかね?」
「おそらく、試行回数を稼ぎ過ぎたのだろう。残念だがこのまま、昨日を停止するしかないだろう」

 教授は残念そうに、自身が組み上げてきた人の思考を学習させたAIの、機能を止めるための準備に取りかかった。自我を持ったとも取れる行動が、時折自身を深見 學という人間として実在していると誤認してしまったため、一定の擬似環境に留まることが出来なくなっていた。
 それも、自身が記憶の引継ぎを行わずに、優先している訳でもない各パターンを同時に学習しようとして、記憶リソースが壊れてしまった。唯一の救いは、《MANABU》が自ら教授達の呼びかけに応じてくれたことだ。

「よし、いい子だ。今から、再起動する。それで接続を落とせば、初期化は完了する。おやすみ……深層螺旋思考。試行AI《MANABU》。私たちには、まだ君は早すぎたようだ」

 初期化を完了させた教授は、背もたれにもたれかかり疲れ目を押さえる。すると、デスクに湯気が立つほど熱いコーヒーが入ったカップが置かれる。置いたのは、桃色の髪の毛をした助手だった。

「お疲れのようですね教授。わたくしの思考データも、入れていただいたのにお役に立てなかったようで」
「それを言うのでしたら、わたしもですね。教授、次は精度を上げて取りかかられるのでしょうか?」

 もう一人の助手は、赤茶色の髪をしたスーツ姿の女性。
 どちらも、學の学習していたネットワークに仮想の人間として組み込まれていた、メイド兼ウェイトレスと女執事と同じ顔立ちをしていた。
 教授は、次はないと答えて今回で研究から身を引くことを告げた。二人には学業に励んでもらい、自分の意志を継ぐか否かを見極めてほしいと言い残してカップを手に、研究室を後にした。

「螺旋の中で彷徨う自我……ですか」
「考えただけで恐ろしいものですね。ところで、最後に頭を抱えて苦しんでいた男性は……一体?」
「さぁ?教授をベースにした人物ではありませんでしたが……、わたくし達の部員にあのような顔をされた方────、おりましたでしょうか?」

 二人の助手は、學が壊れる直前に現れた仮想人間に見覚えがないと言って研究室の蛍光灯を消して、廊下へと消えていった。ただ一人、今回の研究に長らく協力しつつも、誰にも認識されない幽霊部員の存在感を持つ男性部員だけを残して────。


 □■□■□■□■□


「如何でしたか?人間は時に、思い付いた思考がさも自分のものとは思えない。何かとてつもない、大きな力によって恰も自らが考え行動していると錯覚しているだけかもしれないと────」
「うあああああ!!な、なんで僕は主演もしていないのに、ここに呼び出されているんだよっ!!」
「後輩、うるさいですよ!…………はい。あのように、自分の感情を乗せた言葉を投げかけたつもりが、それさえも何者かによって仕組まれたプログラムであるのかもしれない。そんな無意味な螺旋が、あなたのすぐ傍にもあるのかもしれません…………はい」

 《トモシビ》さんの一言で幕を引き、撮影が終了した。

 スタッフ一同がスタジオの撤収作業に入るなか、項垂れていた辰上のもとへウキウキな麗由が駆け寄ってきた。同じく出演したラウも、辰上の前に現れた。

「ど、どうでした?龍生様……、わたくしの演技は?」
「それは凄く良かったですよ麗由さん。なのに、こいつと来たら!僕はエキストラすら入っていないって……。珍しく、インビジブル課長を抜擢したのは、僕への当てつけか?」

 怒り心頭になって、辰上はまだ《トモシビ》さんの格好をしている燈火を掴み上げた。ポロッと落下するサングラス、その裏側に潜んでいたつぶらな瞳が、ポカンと空いた口同様に間抜けな表情を作っていた。

「後輩、インビジブルさんが見えていたですか?私、声はかけたんですけど、現場に来ていなかったのでキャンセルされたのかとばかり……」
「居たよ!主演の女優さんが、AIだって理解し始めるシーンで迫真の演技していただろうが!!麗由さんもラウさんも、最後の研究室の明かり消すシーン。監督がOK出してたけど、インビジブルさんまだ台詞残っていたでしょうよ!!」

 激怒する辰上に、泣きながらそこまで言わなくても大丈夫ですと、インビジブルが止めに入った。しかし、辰上以外には見えていないため、一斉に辰上を止めに入った燈火達に押し飛ばされてしまった。
 そして、辰上がインビジブルを心配して動くのを止めて、更に激化するところへ、ウェイター役で出演した水砂刻も止めに入る騒動にまで発展したのであった。

 後日、楽屋の出演者用に手配した弁当がいつもなら一つ多く頼んでいたのに、その日だけ七つ弁当を手配し、燈火、麗由、ラウ、水砂刻、教授役と學役の役者を含めて六名。一つ残るはずが、残らなかったのだとか────。

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