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24.牽制
しおりを挟む(やばいやばい、今日も遅くなっちゃった。明日も早いのに――)
ヴォルクの書斎を出てから、ケイはぱたぱたと本邸の廊下を急いだ。ココを寝かしつけて隣室の使用人に言付けてきたとはいえずっと一人にしておくのは心配だったし、明日も朝から仕事だ。
別邸の倍以上はある長い廊下を、隣接する使用人棟に向けて歩いていると正面から壮年の男性がやってきた。
「……おや。ケイ様――いや、ケイ」
「……あ。ソコルさん。こんばんは、お疲れ様です」
眼鏡をかけた細身の男性は、この侯爵邸の家令――使用人のトップであるソコルだった。ヴォルクよりもかなり年上のはずだが、夜でも隙なくタイを締め、ケイがやってきた方へと向かっていく。
「旦那様にフィアルカ様のご報告ですか」
「はい。今日、ようやくお庭にお連れできたので――。……あの、なにか?」
最初に『恵みの者』として来訪したときの歓待はともかく、その後使用人として再訪してからはソコルとの接点はほとんどなかった。ソコルはじっとケイを見つめると、何かを思うように眼鏡の奥の目を細める。
「……ちょうど良かった。ケイ、一つ頼まれごとをしてくれませんか。この地図を、2階の一番奥の間に運んでほしいのです」
「あ、はい」
とっくに勤務時間は過ぎているのだが、ただ運ぶだけなら大した手間ではない。羊皮紙に描かれたそれを受け取ると、ケイは首を傾げる。
「あの、行ったことのない部屋ですけど、勝手に入っていいんですか? これはどこに置けばいいんでしょうか」
「今は使っていない部屋です。部屋の隅に他の地図がまとまって置かれていますから、そちらへ。終わったらそのまま戻ってかまいません」
「分かりました」
ランプを渡され、ソコルと別れる。ソコルも2階にあるヴォルクのところへ行くはずだが、広い屋敷で時刻も遅いし急ぎたいのだろう。そう納得してケイは人気のない階段を上り始めた。
ケイは本邸内の構造を実はよく知らない。アステール王に謁見したその夜に客間へ招かれたのと、ここで勤め始めてからはヴォルクの書斎に向かうばかりで、あえて動き回ったことはなかった。
部屋の並びは単純なため一番奥の部屋を目指して廊下を歩いていると、壁に掛けられた肖像画の数々が目に留まった。
「おー。家族写真……的な? ココが言ってた『プリンセスの絵』ってこれか……」
何代前なのかは分からないが、侯爵家の家族と思しき肖像画が何枚も掛けられていた。子供だけのもあれば、当主や奥方だけのものもある。
現代の感覚で見るとランプに照らされた肖像画など少し怖い感じもするが、身近な人のご先祖だと思うと不思議と興味が持てた。
(これ……フィアルカ様かな? あ、じゃあこれがヴォルクさんのお父さんで、こっちがおじいさんとおばあさん……。ヴォルクさん、おじいさん似っぽいな)
やがて奥の間に近付いてくると、家族4人の肖像画がケイの目に留まった。
描かれた少女の顔にはどこか見覚えがある。その横の絵を続けて見ると、フィアルカの隣に並んでいた少年の面影を残した青年と、美しい女性と、その腕に抱かれた赤子の3人家族の絵が飾られていた。
「これ、ヴォルクさんだ……」
銀の髪と目を持つ、ふくふくとした赤ちゃん。ランプを近付けてまじまじと眺めると、腕のいい画家なのかその頬の赤みすらも見えた。ケイは思わず口を押さえて悶絶した。
(かっわ……! 赤ちゃんなのにブスッとしてるのが、らしいっちゃらしい……! 画家の人、もう少し忖度してあげてもいいのに!)
まさかの赤ちゃん姿を拝んでしまった。さらに奥へと進むと、12、3歳ぐらいの少年が馬に乗った絵が最後に飾られている。
「うわー。すでにイケメンだ……。こりゃ絶対にモテるわ……」
今よりもだいぶ長い銀髪を高い位置で一つにくくり、こちらを睨む視線は幼くも鋭い。頬や体の線にはまだあどけなさが残り、この少年が長じた姿を知っている身としては妙にドキドキしてしまった。
(昔は髪、長かったんだ……。それにしてもまた嫌そうな顔……。絵を描かれるの苦手なのかな?)
渋々応じているのがなんとなく想像できてしまって、ケイは小さく苦笑した。
宝物を見せてもらったような楽しい気分で指定された奥の間に入ると、手に持ったランプの火を部屋の中央の大きなそれに移す。室内の様子が浮かび上がり、ケイは地図の置き場所を探した。
(ここか。なんだろこの部屋、物置なのかな。……あ、ここにも絵がある――)
「……っ!」
暗い室内にはまた数枚の絵が飾られていた。そのうちの1枚を何気なく眺め、ケイはびくっと肩を震わせた。
銀の髪の、20代ぐらいの青年――ヴォルク。その横に、赤茶の髪のドレス姿の女性が描かれていた。
「あ……」
(ヴォルクさんの――奥さん)
見なければいいのに、視線が釘付けになったように動かせない。ふらふらと壁に近付くと、ケイはランプを掲げてその絵を食い入るように見つめた。
豊かな髪を結い上げたその人は、すらりとした吊り目がちな美人だった。固い表情でこちらを見つめる様子からは緊張とともに威厳が伝わってくる。
ヴォルクも先ほどの2枚と同じく硬い表情をしていて、姿かたちはまったく似ていないが、雰囲気のよく似た二人だと思った。
「…………」
なぜ、この絵だけ人目に触れないような奥の部屋に。
なぜ、彼女は若くして命を落としたのか。
なぜ、ヴォルクはいまだに再婚しないのか。
もしかしたら今でも彼女を――そんな疑問が次々に浮かび、ケイは絵から無理やり目を逸らすと部屋のランプを吹き消した。奥の間から出て、廊下で深く息を吐く。
(見なきゃ良かった……。そうじゃなきゃ、気付かなかったのに!)
ショックだった。そう感じてしまったのは、ヴォルクを意識しているからだ。
もう認めざるを得ない。自分は、彼のことを――好きになりかけている。恩人としてだけでなく、異性として。
その事実を目の前に突き付けられ、ケイの目に涙がにじんだ。
「馬鹿だな……シンママが雇用主に片思いとか不毛すぎる……。期待しても、何もないのに……」
自分がすべきことは、この世界で生きてココをしっかり育てること。恋だの愛だの不確かなもので生活基盤を失うなんて絶対にあってはならない。
ため息と共にモヤモヤした想いを吐き切ると、ケイは心を無にしてココの待つ使用人棟へと戻った。
時を前後して、ヴォルクがノックに顔を上げると家令のソコルが書斎に入ってきた。毎晩の定例の報告を聞くと、机の上に置かれた紙の束をソコルが持ち上げる。
「……旦那様。フィアルカ様のお世話係の後任の件ですが、身上書に目は通していただけましたか? 公募せずとも、我が家の使用人から回してもなんとかなるとは思いますが――」
「ああ、その話は……すまんが少し後にしてもらえないか。伯母上がようやくあの二人に馴染んできて、『車椅子』なる新しい乗り物で病後初めて外に出ることができたのだ。できればもう少し慣れるまでは、あの二人に見ていてもらいたい」
「…………」
もっともらしい『理由』を真顔で述べると、ソコルは少し黙ったあとにうなずいた。それに内心ほっとすると、「しかし」とソコルは続ける。
「それは、いつ頃までを想定しているのでしょうか。あまり慣れすぎると、逆にフィアルカ様も交代がおつらくなるかと思いますが……。ラスタはともかく、ケイを長く特別扱いするのは我が家の使用人たちにとっても、カルム養老院の者たちにとってもあまり良いこととは私には思えませぬ」
「……っ」
付き合いの長いソコルにはっきりと言われ、ヴォルクの顔が強張った。ソコルは小さく息を吐くと、諫言とも取れる言葉を続ける。
「長くお仕えしておりますから、旦那様があの親子に心を許されているのは分かります。ケイは……心健やかで人当たりも良く、信頼に足る人物だということも分かります。フィアルカ様の件に関しては使用人一同、感謝しております」
「…………」
「しかし『恵みの者』としてならともかく、使用人としては越えてはならぬ一線というものはございます。旦那様の管理下にある今の状態で、いたずらに距離を詰めるのはお控え下さいませ」
「……ケイは何もしておらぬ。距離感を違えたとしたら私の方だ」
「それでも、にございます。事情を知らぬ者の中には口さがなく言う者もあるやもしれません。……ケイは『恵みの者』です。旦那様以外に寄る辺ない彼女の立場を思えば、不本意な噂が立つのは控えたいはず。節度を保った接し方をご考慮ください」
使用人としてのケイに近付きすぎるな。妙な噂が立って後々困るのはケイだ。そうはっきりと他人から言われ、ヴォルクは苦々しく息を吐いた。
もう何度も自分に言い聞かせてきたことを改めて突き付けられ、眉根を押さえる。
「……分かった」
「私は常に旦那様の幸福と、侯爵家の末永い安寧について考えております。……ご配慮、感謝いたします」
最後にずい、と身上書の束をヴォルクの方に寄せてソコルが退出する。ケイとココとの残された時間を思い、ヴォルクはもう一度深く息を吐いた。
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