上 下
21 / 47

20.言うべきでない言葉

しおりを挟む
 店の片付けを終え海渡を寝かしつけてから、有那は再び1階へと下りてきた。食堂を覗くと、まだぼんやりと灯りがともっていてユンカースが腰かけているのが見える。

「ユンユン。ここにいたんだ。……あ、また飲んでる」

 ユンカースの前には彼があまり好まない強めの酒が置かれ、それを手酌であおっている。厨房ではミネルヴァが晩酌しながら皿を磨いていた。

「部屋に戻ったと思ったら、店閉めてから『飲み足りない』っつって戻ってきたんだよ。そこに居座られると迷惑なんだけどね。お前さんからも何か言ってやんな」

 ぼそっとミネルヴァがつぶやくが、その言葉の裏にはユンカースを案じる心が透けていた。有那はふうと息を吐くとユンカースの前に腰かける。

「いくら明日休みだからって、飲みすぎじゃん? ほどほどにしといた方がいいよー?」

「……なんですか」

 小さく顔を上げて有那を見たその目は座っていて、完全に酔いが回っていた。有那はため息をつくと持ってきた大きな紙をユンカースの前で広げる。

「ユンユンのこと、探してたの。酔ってる時に見せてもアレかもだけど、見て。じゃーん! プレ営業のポスタ~」

「ぷれ……営業?」

「そ。実際どのぐらいの速さで回れるか分からないから、ミネルヴァさんの知り合いのお店に貼らせてもらって、何日か試しに注文取ってみようかなって。実はもう建設現場の大口の注文を取りつけてあるから、注文数ゼロってことはないし」

「へえ……」

「それにね、ローレルさんが馬も貸してくれることになったの! あと軍に知り合いがいるらしくて、なんかバネ…?のついた衝撃吸収してくれる荷物入れを払い下げてくれたんだって。馬のお尻に着ければ結構な量が運べるし、いやーめっちゃ助かるー。ローレルさん、しごできー」

「……っ。そう……ですか」

 ユンカースの声色が少し下がったのに、有那は気付かなかった。機嫌よくポスターを指さすとユンカースを見上げる。

「それでね、ポスター作ったんだけど、つづり間違ってないかユンユンに見てもらおうと思って――。……ユンユン? どした、気分悪い?」

「…………」

 ユンカースがうつむき、押し黙る。彼の様子がいつもと異なるのにさすがに有那も気付いた。

「お水持って――」

「……なんで。なんでローレルさんは……ちゃんと名前で呼ぶんですか」

「……は?」

 絞り出された突然の問いかけに、有那は目が点になった。ユンカースは顔を上げると険しい瞳で続ける。

「僕のことは……っ。子供みたいにあだ名で呼ぶのに、なんであの人はちゃんと呼ぶんですか。特別だからですか」

「えっ!? いやいやいや、ミネルヴァさんもレーゲンも名前で呼んでんじゃん。むしろ特別なのはユンユンだって」

 予想外の言葉に有那が弁明するも、ユンカースは険しい表情を崩さない。有那はつい苦笑してしまった。

「あはっ。もしかして結構気にしてたの? だってユンユンとローレルさんじゃ歳も違う――」

「――あの人は。……ローレルさんは、頼りになりますよね。あなたの言うように僕より10歳も上ですし、男らしいし、気配りもできるし……!」

「う、うん。そだね」

 声を荒げたユンカースにされ、有那は思わずうなずいた。息を詰めたユンカースが目を逸らす。

「だったら……! だったら、あなたも彼のところに行けばいいんじゃないですか。馬もすぐ借りられるし、生活も困らないでしょう?」

「はぁ? なんでそんな話になるの!?」

 話がいきなり脱線して、有那もまたカッとなった。難癖もいいところだ。これからもここで生活していくための話を今してるのに。
 有那は立ち上がるとユンカースに強く言い放つ。

「あのねえ。ローレルさんはあたしを手助けしてくれてるだけ! なにグチグチ言ってんの!? ここから離れようなんて思ってもいないよ!」

「ローレルさんは、あなたの過去――カイトの父親のことなど気にならないと言いました。でも僕は、気になる……!」

「えっ……」

 同じく立ち上がったユンカースが、有那の手首を掴んだ。それは強い力ではなかったが、有那はびくりと身をすくめた。

「は……離して」

「すみません。……カイトの父親は、どんな人だったんですか。教えてください」

「い――、言いたくないよ……」

 離された手を胸に抱き、有那は首を振った。ユンカースの追及はやまず、冷たい金の瞳が有那の足を凍らせる。

「それは、遊びでできた子だからですか? 父親が分からないからですか? 結婚もせず、いい加減に生きてきたから――」

「…っ!!」

「ユンカース!」

 ミネルヴァの一喝と、ユンカースの頬に強烈な平手が飛んできたのがほぼ同時。
 平手でユンカースを打ち据えた有那は震えながら口を開いた。

「……っ、ひどいよ……。頭で思うのは勝手だけど、決めつけで言うことないじゃん……」

「……っ。アリナさん――」

「……あーあ。先に手を出した方が悪いんだって、カイトにいつも言ってるのになあ……。……っ……。いい加減な母親だからかなぁ……っ」

「アリ――」

 ポロポロと、頬を涙が伝った。ユンカースの目が見開かれる。それが何滴か床に落ちると、有那は目をぐいと拭って後ろを向いた。

「寝る。おやすみ!」

「あっ……」


 バタバタと店から飛び出した有那を、ユンカースの手が虚しく追った。
 そのまま茫然と出口を眺めていると、つかつかと足音が近付いてくる。そして急に、脳天から衝撃が降ってきた。

「!! 冷たっ……!?」

 頭から冷水をぶっかけられた。髪と顔からぽたぽたと冷たい雫が伝い、思考が急速にクリアになる。眼鏡を外すと、腕を組んだミネルヴァが渋い顔で自分を見上げていた。

「飲みすぎだよ。目が醒めたかい」

「はい……」

「言っていいことと悪いことがある。……過去がどうだったかは知らないけどね。女手一つで子供を育てるのに苦労がないわけないだろう。……あの子は今もいい加減か? お前さんの小さな嫉妬で傷付けていい相手か? どうなんだい、ユンカース!」

 ピシャリと怒鳴られ、ユンカースは口を手で覆った。みるみる血の気が引いていく。

「僕は……。なんてことを――」

「自分がやらかしたことに気付いたか。――ほら、さっさと行ってきな。こういうのは時間を置くと余計にこじれるんだ」

 有那が残していったポスターを押し付け、ミネルヴァがユンカースを追い払う。ユンカースは小さく頭を下げると食堂を後にした。


「……さて、やっと片付けられる。まったく手のかかる子たちだよ」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道

Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道 周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。 女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。 ※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※

騎士団寮のシングルマザー

古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。 突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。 しかし、目を覚ますとそこは森の中。 異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる! ……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!? ※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。 ※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

メイドから家庭教師にジョブチェンジ~特殊能力持ち貧乏伯爵令嬢の話~

Na20
恋愛
ローガン公爵家でメイドとして働いているイリア。今日も洗濯物を干しに行こうと歩いていると茂みからこどもの泣き声が聞こえてきた。なんだかんだでほっとけないイリアによる秘密の特訓が始まるのだった。そしてそれが公爵様にバレてメイドをクビになりそうになったが… ※恋愛要素ほぼないです。続きが書ければ恋愛要素があるはずなので恋愛ジャンルになっています。 ※設定はふんわり、ご都合主義です 小説家になろう様でも掲載しています

処理中です...