バー・アンバー 第一巻

多谷昇太

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第六章 桃畑

ふるさと行きの切符

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それへ、まるで天国行きの駅舎と電車を見入出したかのような感激の涙を流しながら必要以上に老女が礼を述べる。「ありがとうございます。ありがとうございます」を繰り返しながら俺の手を両手で握ったがその瞬間手にしていた小銭を地面にバラまいてしまった。俺はすばやくかがんでそれを拾うのだがその際あることを思いつく。拾い終った小銭を彼女に手渡しながら「こんなけったくそ悪いとこ、さっさと離れた方がいいですよ」とはなむけの言葉を送ったあとで、言葉のみならず右手をズボンのうしろポケットにまわして財布を取り出し、餞別を渡そうとしたのだ。しかしこの時危惧が走った。『待てよ。俺は確か家に帰って着替えを…背広やシャツをハンガーラックに放り投げて、それから財布をズボンから抜き取ったんだっけ?』と。さらに『そのあと確かイブが…ん?イブ?イブって…?』脈路なく現実がつながろうとしているようだ。「ちっ」という舌打ちがまわりでし、否応ない、もの凄い念力で一気に俺をこの悪霊世界から連れ去るように思われた。意識が遠退く刹那小銭を仕舞い終えた老女の両手が俺の手を強く握り俺を覚醒せしめた(もっともいま居るこの鶴見が夢の世界なら〝覚醒〟はおかしいか?)。「あなた、ありがとうございます。このご恩は決して忘れません」と云っている。それと同時に俺は右手で財布を探り当てていた。『よかった、あった』とばかりそれを取り出すとそこからありったけの札を取り出して老女の手に握らせる。「まあ、何を…?!」と辞退する老女に「いいんです。いいんです。これは餞別です」と云って強引に渡し、同時に(ふるさと行きの)切符も握らせた。これが夢世界(意識界)の不思議なところで合い間にあるべき(切符を買うとかいう)行為や場面など余計なところはすっ飛び、肝心なところだけが現出するのだ。同じ理屈で次の瞬間には改札を抜けてホームへと上がろうとする老女が目撃された(まるでストップモーションだ)。エスカレーターの手前でこちらにふり向き、両手を合わせて深くお辞儀をしている。いやいやとばかり右手をふってお辞儀を返す俺の目にしかしさらなる摩訶不思議が目撃された。
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