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第三章 夢の絆

あのあとのことを告げる山倉

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「そうか…仕方がないな。いま失職中だったしな。しかしあんたもホントついてないな。一度お廻りを通じて掛け合った方がいいぜ、あいつらと。高く吹っ掛けてやれよ。損害賠償をさ」
山倉はそう云ってくれるが果してどうなんだろうか?そうすんなりと話が通るとは思えなかった。「営利誘拐だ!」などと大声でのたまわる連中だ。自分たちこそ暴行を受けているとか云って、逆に損害賠償を請求されかねない。恐らくヤクザか何かなのだろう。このあと予想される裁判での証言には応じるつもりだが、正直あんな連中と関わるのは真っ平御免だった。何よりも私はまず仕事を探さねばならない身の上なのだ。そういった意向を私は山倉に告げた。それよりはあのあとの顛末が気になる。それを先刻の山倉からの電話で尋ねたのだが「ああ、もうすぐ病院に着くからさ、そこで教えてやるよ」と聞いただけで今はまだ何も知らないのだ。明美ちゃんやあの栄子さんという女性、ビアクさんはいったいどうなったのか?また男らへの尋問の結果は?私は私の話をうっちゃってそれを山倉に尋ねる。
「ああ、そうそう、そのことそのこと。心配要らないよ、田中さん。あいつら捕まった。逮捕されたぜ。牢屋に拘留されてこのあと暫く出れないそうだ」
私の危惧を打ち消すべく、また朗報を伝えるように山倉が笑顔で答えてくれた。
「本当か?…よかったあ。あいつら、俺らを営利誘拐で訴えてやるなんて喚いてたからさあ、正直云ってこのあとどうなるかと心配していたんだ。ひょっとしてあの女性たちや山倉さん、あんたまで警察に足止めされるんじゃないかって…本当に悶々としていたんだよ。ああ、よかった。よかったあ…」私は心底胸を撫でおろす。
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