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第二章 デュランス河のほとりで

戻って来た悪党

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「了解しました。白髭橋西詰交差点から100メートルほど行った辺りですね。直ちにパトカーを向かわせます」スピーカー機能を使って話す相手の声は難聴の私であっても明瞭に聞き取れた(難聴なのには分けがあった。これは後述しよう)。これで安心と思いきや一台の車が警察よりも早く到着した。山倉のタクシーを反対車線から通り超したあとその先の歩行者信号のある脇道でUターンをしタクシーのうしろにピタリと停車する。「やつらだ。車の形でわかる」山倉が警告する。私は山倉と顔を見かわして互いにひとつうなずき合う。抱いた幼女を女性に託す。老人ながら私たち2人はやる気だ。車のドアが開いて男性が2人降りて来、鉄柵を躊躇なく超えて私たちの元へと上がって来た。2人とも40年配のようだがうち1人はさきほど私を殴って逃げた男とすぐに見分けがつく。その男が「おい、お前ら。その子をこちらに渡せ。すぐに渡せばよし。さもないと幼児誘拐で警察に通報するぞ」と凄む。云い返そうとする私を制して「いや、そうも行かないんだ。この人たち(つまり女性2人と私)の話を聞くとお宅の挙動にはどうにも不審な点がある。納得する説明を聞かないうちには渡す分けには行かないな」と山倉が応じるのに「なんだとお?…てめえは何だ?!ただのクモ助だろ!余計なことに首を突っ込まねえ方が身のためだぞ」といかにもヤクザ然とした風に脅しをかけながら「おい」と首をふっていま1人の男に何事かを指図する。

【「おい、お前ら。その子をこちらに渡せ。さもないと…」こんな感じでしょうか?pinterestより拝借】
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