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第一章 山倉タクシー

山倉タクシー

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吾妻橋を渡り右下に浅草水上バスの船着き場を見る辺りで自然に右手が胸のポケットに伸びた。いつもの癖で電車に乗る前にタバコを吸おうとしたのだ。今日日全面禁煙の都内のこと、どこら辺りで隠れて吸えばいいかなどと水上バスの敷地辺りに身を向けた為、ちょうど車道側に身を向けた形となり、胸に上げた手を勘違いされてしまったようだ。するすると一台のタクシーが目の前に来て停まる。「ちっ、よせよ」とばかり舌打ちして慌てて右手を左右に振る。自慢じゃないがタクシーなどというものはここ何十年来使ったことがない、もっぱらバスかテクシー専門の身だ。使う分けがないではないか。ところがそのタクシーは停車したままで立ち去ろうとせず、あろうことかこちら側の窓をスルスルと下げ始めた。野郎、俺に文句でも云うつもりかと些かでも眼をすわらせて窓から覗くだろう運転手の顔を待つ。バザーを点滅させて運転手席からこちら側に上体をずらせた男の表情はしかし意外なものだった。掛けていたマスクを下にさげたその顔にはどこか既視感がある。はて…と思いをめぐらす間もなく運転手が声をかけて来た。
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「え?あ、ああ…そうだけど。おたくは…?」
「ハハハ、やっぱりそうか。俺だよ、俺。山倉。覚えてない?」山倉?はて…とばかりなかなか思い出せない。しかしその顔と声には確かに見覚え聞き覚えがあった。
「ほら、川崎のさ、家具倉庫でフォークをやってたじゃんよ、いっしょに」「ああ!」と俺は急速に彼のことを思い出した。云われるように確かに俺は今から20年ほど前、川崎市東扇島にあった大手の物流倉庫で、一時期フォークの運転手をやっていたのだった。彼もそうだったが業務請負の会社から派遣されてそこに来ていたのである。
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