エッセイのプロムナード

多谷昇太

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引っ越し顛末記(一)

あぶないアパート

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40代前半ころまで霊視などということは私はまったく知らなかった。そこに壁があろうがなにがあろうが、彼ら霊視者にとってはまったく障害とならない。こちらが「読み」「書き」「する」ことはすべてお見通しの上、さらに、である。こちらが思うことまで感得するらしい。「そんな馬鹿な」といまだ独身等でなにも知らない人は云うだろうが、それならぬ夫婦者たち(つまり大半)の間ではむしろ暗黙の常識と化しているようだ。そのわけは男より圧倒的に女に霊視者が多いからで、結婚後に多くの男たちはそれを知らされ、納得するのだろう(女性は懐妊するので多分に四次元的だからと想像している)。つまり大半の人々の間では「(霊視なんて)云わずもがな」ということである。ちなみに霊視とは透視等の超能力とは違って、憑依に近いものだろうと思う。つまりは憑く相手の目を通して見、感じているわけだ。これなら壁も何も障害とならないわけである。とにかく件の夫婦者の女房がそれで、私の逐一を亭主に教えその野暮天が「気に食わない」となったわけだろう。しかしそのことが私には無体ということで、その次に起こったこと、こちらの方はまったく理解不能なことと云える。こちらも入居以来いくばくもなく起こったことだが、私の隣の部屋のドアを誰かが思いっきり蹴飛ばすのだ。すると今度は反対に隣の男が出て来て蹴ったと思しき男の部屋を蹴飛ばし返すのである。まず魂消たが、しかし実にこれが、そのアパートにいる間中くりひろげられた。始めっから物騒とは思っていたがまさかこれほどとは思わなかった。蹴り合いの理由は当初わからなかったが、どうも隣室の男(年は40前後)が連れこんだ女をめぐっての、痴話喧嘩のたぐいらしい。想像だが隣室の男が若い女をどこかから連れこんでナニをしまくる。それが誰かか、もしくは誰かたちの気に食わなかったらしく、隣室の男と女つまりアベックは、2人だけで孤立してしまったようで、いっかな表に出て来ない。仕事に出る様子もなく二人で閉じこもったまま。どうもこのアパートを寮化している××興業の作業員たち全員と、このアベックの対立となっているらしい。ところで私は毎日の食事と勤め先での弁当をマメに料理するのだが、そのたびに隣室から「腹減った」等のひとことや壁たたきなどの行為が伝わってくる。意味するところはあきらかで仕事にも行かないのだから金が無く、飢えているのだろう。援助したいと思わぬでもなかったが何しろほぼ毎日のこの蹴り合いである。正直関わりあいになりたくなかった。するうちに四六時中その隣室から、女から男への「(出て)行けよ」なる声がひんぱんにするようになり、これはたぶん男への愛想尽かしと容易に知れる。
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