自らを越えて 第一巻

多谷昇太

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丹沢行(1)

お、俺が隊長…!

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俺は目を丸める思いである。こういう正統な結び方があるとはつゆ知らなかった。ミカ同様にまったくの自己流で結んでいたのだった。これでは草鞋を持ってなくて却ってよかったかも知れない。草鞋を持ってないと云って大伴さんと談判を始めた時に「ちっ、うざってえな。こいつが足を引っ張ると思ったよ」とでも云いたげな顔をしたカナも今は神妙な顔つきで大伴さんの実技通りに紐を結んでいる。イボ結びに至るまでしっかりと習得するカナに些かでも驚きを禁じ得ない。半グレと思っていたのに人には意外な一面があるものだ。一方ミカはと云うとついに自分では結びきれず大伴さんに履かせてもらったのだった。
 さて、とにもかくにもめでたく地下足袋・草鞋を全員が履き終わって(俺を除いて)、現在時間8時40分、4人パーティの葛葉沢アタックとあいなった。「よし、じゃ行こう。村田君、先行してちょうだい。あなたが隊長と思っていいのよ」といきなり来たので面食らったがしかし『え?俺が…?』と単純に鼓舞されないでもない。山登りでもなんでもその行程は概ね俺は一人で、このような複数での道行きは始めてだったし、まして女性群の中の男一人だし…さらにまして(こんな云い方あるのかな?)マドンナとの道連れとあってはなけなしの男気が鼓舞されない分けがない。俺は一声「はい」と云って鬼蜘蛛の巣がそこここに張っている暗いシダの葉をかき分け中腰で渓流へと入って行った。うしろからカナ、ミカ、大伴さんの順で俺のあとに従う。頭上にかぶさるシダの葉群はいくばくもなくなくなって視界が開け、小滝が連続する渓流を『ちょっと早いかな』と思うようなスピードで行くのだが、ただ俺は好んで渓流の水の中を歩いて行った。本来草鞋履きであるなら渓流から頭を出している小岩の上を伝って行くのが常套だ。しかしその小岩は水に濡れて苔むし非常にすべりやすく、このキャラバンシューズでは危険と思われたのでそうしたのだが、果して最後尾の大伴さんから「カナ、ミカ、できるだけ水に入らないで行ってね。岩の上を伝って行って」と声がかかる。
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