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怒り狂う魔王
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何が起こったのか、次の瞬間大天使が掻き消え、足下のドームの遥か下方より強烈な我執と憎悪の波動が伝わって来た。光をすべて飲み込むごとく大口を開け牙を剝いた魔王が猛烈な勢いで上へと昇ってくる。呪いと憎しみの雄叫びが堪えられないトーンと音量となって迫ってくる。思わず耳を両手で覆った次の瞬間、私は以前と変わらぬ場所に、即ち「去れ!」と威嚇する魔王の足元にいる自分を発見した。大天使との邂逅など一切なかったかのようだ。しかしA子がもとの美少女に戻って居B子が傍らに立っていることを見れば、強ち今しがたの邂逅が幻だったとは云えないようだ。我々の方が瞬時にドームを下って魔界に墜ちたのかも知れない。しかしだとすれば四の五の云っておれない、自分がどうなろうともA子とB子を魔王に奪わす訳には行かなかった。すると何処からこんな想念が来たものやら次の瞬間私は魔王に向かってこう叫んでいた。「魔王!巨大な身体で人間を踏み潰すのは簡単だろう。しかし心と心の戦いではどうだ?俺の心に入って戦えるか?それともゴミが恐いか!?」と。「笑止…」と魔王が呟いただろうか刹那私の心中に異変が起こり、制御出来ぬ破壊と殺戮への猛烈な想念の嵐が巻き起こった。「こら、ゴミめ!ぬかしおって!この様は何だ!?ワハハハハ」と私は喚きつつ拳で思いっ切り自分の顔面を殴り続けた挙句、左目に親指と人差し指を差し入れて眼球を抉り出し、それを地面に叩きつけては足で踏み潰した。次に傍らのA子とB子に目を遣り何と私はB子に襲い掛かる始末。倒して馬乗りとなり、「こら、B子、殺してみろだと?こうか!?」と云い様彼女の首を両手で締め上げた。
【怒り狂う魔王、彼我の力の差は測りがたし…作品by MarkétaBoušková】
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