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終章・新時代の幕開け編
一夜限りの逢瀬
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ほとんどの者たちが寝静まった夜。
明日以降の活動に備えるべく、流川弥平は私室で佳霖関係の最後の資料を整理し、装備などの最終調整を行なっていた。
話し合いから今まで、分家邸の大広間で澄男たちと宴会を楽しんでいたが、騒ぎ疲れたのか、宴会場から臨時の寝室になっている大広間で、澄男を筆頭に全員が眠ってしまった。
話し合いが終わってから深夜一時頃まで、軽く六時間は全身全霊で騒いでいたのだ。休息をと思ったのだが、宴会で騒ぎ疲れるとは少し予想外である。
それだけ復讐に気を張っていたということだろう。カエルたちとどんちゃん騒ぎをする澄男の顔は微笑みに満ちていて、肩の荷が完全に降りたように伺えた。それが分かるだけでなによりというものである。
「お前も寝ていいんだぞ」
テーブルの向かい側で、同じく武器のメンテナンスをする白髪の少女に視線を投げる。ライトグリーンの瞳がこちらを見つめると、少女は小さく頬を膨らませた。
「私だって武器のメンテしなきゃだもん」
白髪の少女―――白鳥是空は手に持った銃器を丁寧に点検し、不具合がないかを入念に確かめる。
彼女が扱う武器は主に銃器だが、彼女の仕事は、有事でも起きない限りは分家派当主代理だ。
本来は白鳥家の当主として分家派当主の下で活動するのだが、分家派当主が命令しなければ、彼女はこの分家邸より動くことはできない。
武器をメンテしているあたり、私も働かせろとアピールしているのだろうが、今は彼女に出張ってもらうつもりはないのである。
「佳霖の始末は終えたが、お前の役割は今のところ変わらない。そう焦るな」
「焦ってない。私だって弥平の役に立ちたいの」
「気持ちはありがたいがダメだ。お前の力が必要になったら、そのときに連絡するから」
是空はライトグリーンの瞳を細め、如実に不満げな顔で睨みつけてくる。
是空を外に出してしまうと分家派当主の仕事が滞ってしまう。久三男が入手した大量の情報を捌く要員が必要な以上、分家派当主の代理を務められる者が分家邸にいなければならない。
現状、代理を務められると太鼓判を押せるのは両親を除いて是空のみ。幼少の頃から情報に関するいろはを叩き込んであるので、実力的に最も信頼できるのだ。
常に密偵として諜報活動に勤しんでいる分家派当主本人としては非常に喜ばしいことなのだが、何故かその評価を快く思っていないらしい。昔から、一緒に活動したいと言い張って聞かないのだ。
我先にメンテを終え、銃をホルダーへしまいこむと、突然机に突っ伏して背伸びをし始める。眠たいなら自分の部屋で寝ろと言おうとしたとき、是空が先に投げかけてきた。
「弥平は澄男様のこと、どう思ってるの?」
さっきまでの明るい声音とは一転、重く思い詰めたような声色。
突然問いかけられて言葉に困ったが、ほんの僅かに身を震わせているその姿を見て、言わんとする意図はすぐに図れた。
是空は澄男のことをよく知らない。立場の差や仕事量の差など、環境の違いで是空が澄男とともにいられた時間はほとんどなかった。
裏鏡水月を誘き出す作戦時に顔合わせをして以来、今日分家邸で話し合いをすることになるまでは一切関わっていないのだから、彼女が澄男の人となりを誤解するのは、考えるまでもない当然の帰結である。
彼女にとって澄男は、経緯はどうあれ一億もの人間を虐殺した、歴史に名を刻んでもおかしくない、血に飢えた大悪党か独裁者に見えていることだろう。
彼女が澄男という人物像に疑念を抱くのは、裏鏡との戦いの折、彼が大都市を粉微塵にしてしまった時点で予想していたことだが、本音を言うなら外れて欲しかったものだ。
少し考えるフリをして、是空に視線を向けた。
「お前こそ、澄男様をどう思っているんだ」
「そんなの、私の口から言えるわけないでしょ」
「案ずるな。味方には慈悲深い御方だ」
「……もう、分かったよ。責任、とってよね……? じゃあ言うよ?」
是空は腕を枕にしながら、僅かに身を縮ませた。まるで自分で自分を守るように、小刻みに震える自分の二の腕を隠すように強く握る。
「……正直、怖いなって思った……かな。確かにお父さんに全てを狂わされて憎むのは無理もないことだけど、それだけであんなにたくさんの破壊をばらまいて平然としていられるのは、なんだかものすごく、怖くて……」
「同じ人間とは思えない?」
「そんな……!! こと……は」
「構わないさ、思ったことを言うといい」
「……うん。弥平には悪いけど、もしかしたら人間じゃないのかなって……」
是空が抱えている感情は、相当に強いようだ。身を縮ませているせいか、肉食動物に追い詰められた小動物に見えてしまう。
是空曰く父の部屋で対面した際、澄男が一見普通の人間のように振る舞っていたことに戦慄したとのこと。
一億もの人間を殺した人が、まるで他の人間と変わらないくらい平然としている。それがかえって不気味に思え、内側に秘めていた恐怖がさらに濃くなってしまったようだ。
彼の前で怖がってはいられないため全力で誤魔化していたそうだが、耐えるのに苦労したとのことである。普通に考えれば、一億もの人間を復讐という名目のみで殺害でき、そのためならば大都市を更地に変えるほどの大破壊をばら撒けるのだから、下手に機嫌を損ねれば、ただそれだけで処刑されかねない。そう考えるのも、無理もない話だった。
「でも凰戟様に己の想いを具申したとき、その恐怖は感じなくなったの」
それは今日に至るまでの澄男を知らぬがゆえの誤解。どう解こうか、と返事を考えていた矢先、是空が顔を上げた。
予想から外れた感情の動きに、思考の再演算が静かに行われる。そんな中、是空の語りは続く。
「別に澄男様の想いに感動したわけじゃないの。あのときの澄男様が、なんだか一年くらい前の弥平にそっくりで……」
「一年前の……俺?」
想像してみるが、ぴんとこなかった。一年前といえば、分家派当主としての全ての修行を終え、父から巫市の潜入任務を言い渡された頃である。
確かにあのときも父と対面し、色々と話し合った覚えがあるが、特段澄男のようなことを語った覚えは―――。
「ああ、そういえば父さんに聞かれたな。お前はこれからどうしたいんだ、って」
是空がうんうんと強く頷く。
滅多に心中を語ることがないからなのだろうが、当時も父は澄男に聞いたのと似たような質問を投げかけていた。
お前はこれからどうしたいのか。どうありたいのか。ただ漫然と修行した内容を反復するのか。父は必ず信念というものを聞きたがる。
芯がなければいざというときにロクな働きなんざできやしない、能力がいくら高くてもな。修行の傍ら、父がよく言っていた言葉だ。
無論、何も考えずただ漫然と修行していたわけではない。潜入任務という実地訓練の前日、父に呼び出されて投げかけられたその問いに、誠心誠意答えたつもりである。でなければ、巫市の潜入任務など任せてもらえなかっただろうから。
「あのときの弥平の目……とっても強くて、凛々しくて、輝いていたわ。ああ、本気なんだなって、すぐに分かったの」
首を傾げながら、自分の指と指を絡め、こちらを見つめてくる。
全く自覚がないだけに、是空の述べている症状が説明可能な現象なのかはわからない。でもあのとき確か、父にこう言った気がする。
『恐れながら私は、本家派当主様、そしてその同士たちと対等でありたいと存じます。そのためならば、この命賭する覚悟です』
理想は長く語るまい。短く端的に、本質のみを一切飾ることなく伝えた。
父に虚飾など通じない。たとえ嗤われ、馬鹿げていると罵られるような内容だとしても、ありのままを伝えたのだ。
その内容は、本家派当主と分家派当主の関係を覆すような内容だったはずだが、それを聞いた父は腹を抱えて大笑いしていたものだ。
今日、澄男の信念を聞いたときと同じように。
「私は澄男様を信じます。一億人もの命を殺めたことは事実ですが、それでもあのとき瞳に宿った炎のごとき輝きに、偽りがあると思えません。凰戟様もきっと、澄男様の眼の光を見てお認めになったのだと、私は思っております」
是空は胸に手を当て、ライトグリーンの瞳を輝かせて強く見つめてきた。その姿に思わず微笑みが溢れる。
流川家の者は、想いを口にすると、その想いの強さが瞳に映る。一瞬、流川家特有の身体能力の一部なのかと愚かにも考えてしまった自分が浅ましい。
全くそんなことはない。瞳を輝かせ、己の想いを強く主張する者が、目の前にもいるのだから。
「さて俺も寝るとしよう。お前も早く寝ろ。夜更かしは美容の敵だぞ」
「だいじょーぶですー! 日々のケアは欠かしてませんから、大きなお世話ですー!」
「なら詰めが甘いな。いくら対策を施していようと、私情で仕上げを疎かにしていては効果も薄い。仕事にも響くぞ」
「もうっ。どうしてそんなに仕事人間なの? 少しくらい良いじゃない! 弥平だって人間なんだから、今日くらいハメを外さなきゃ!」
「悪いな、明日も早いんだ」
調整を終えた武器を武器庫にしまい、テーブルを部屋の隅に持っていく。
今日の是空はやけに強情だ。いつもなら寝ているはずなのに、自分の武器のメンテナンスを終えても部屋から出て行こうとしない。
身体を小刻みに振るわせ、何故か顔を赤らめてこちらを見てくる。待てよ、まさかこれは。
「是空。話があ」
「嫌」
まだ話が始まっていないのに断られた。これはマズイ流れ、早急に変えて彼女を冷静にさせなくてはならない。
推測が正しければ、彼女がやろうとしていることはただ一つ。
「今日は……弥平の部屋で寝る」
予想は見事的中。外れて欲しかったが、こういう場面の予想は大体外れないものだ。
確かに幼少の頃はよく二人同じ部屋で寝ていた頃もあったが、それはまだお互い年齢が一桁台のときの話。今はもうお互い当主として一人前の力を持つ同士である。
むしろ何故今になって一緒に寝たがるのだろう。是空だって内心羞恥で死にそうになっているだろうに、何故なのだ。
熟れた林檎のように頬を真っ赤に染めて、どこからともなく服を取り出した。寝巻きである。
「おい、待て。本気か? 本気なのか? まさかここで着替えるつもりじゃ……」
「そうだよ? あ、見ちゃダメだからね。よそ向いてて。部屋から出なくてもいいけど、私が良いよって言うまで後ろ向いてて!」
「いや待てって、なんでそうなる。俺もお前も歳だ、お互い同じ部屋で寝るなど……」
「失礼ね、まだ十四よ! ピッチピチの十四なんだけど!」
「だから言ってるんだ! ふざけてないで、自分の部屋に帰れ!」
「だったら大声で弥平に襲われたって叫んでやるっ。私って本気出したらすんごい大声出せること、知ってるでしょ?」
「待て待て待て待て、それやったらお前ここで寝れなくなるし、第一、父さんに半殺しにされてしまうぞ。なんのメリットがあるっていうんだ」
「弥平が凰戟様にシバかれるメリットがある」
ダメだ。排除不可能。
白鳥家当主兼分家派当主代理として優秀な同士であるが、その本性はわがままである。一度意固地になると絶対に譲らない。たとえ己も傷つくことになろうとも、道連れにしていく勢いで離さない。この世において、親以外でままならない存在を挙げるなら、まさしく是空だろう。
密偵として角が立つ発言をしないモットーなので、あくまで心中のみの言葉になるが、誰も聞こえないからと身勝手に述べるなら、意固地になった是空は女性版澄男だ。むしろ澄男よりも理性的に執念深いと言えるかもしれない。
とにかく、お互い十四にもなって同じ部屋で寝るのはダメだ。第一、今日は分家邸に澄男たちもいる。今は二人しかいないから久しぶりのオフタイムと洒落込んでいるが、澄男が起きれば一公人として動かなければならない。ここで幼少の頃のように振る舞うわけには。
「着替え終わったわ。さあ寝ましょう」
もうこっち向いていいよ、と声をかけてくる是空。気がつけば彼女のペースに呑まれ、後ろを向いて着替え終わるのを待っている自分がいた。
諦めるにはまだ早い。技の分家派当主と名高いこの``攬災``が、この程度の災厄を治められなくてなんとする。諦めてしまったら、分家派当主の名折れなのだ。
「ほら、早く着替えて。いつまで執事服着てるのよ」
無駄のない縮地。回避しようとしたが、思ったよりも早く間合いを詰められて身動きが取れなくなる。
いつのまにか縮地の精度が格段に上がっている。昔なら不意を突かれても間合いに入り込ませない余裕があったのに、完全に間合いを制圧されてしまった。
こちらの思考判断能力でも鈍っているのだろうか。物事の流動があまりに早すぎる。佳霖討伐のために働いていたときの方が、まだ余力があったくらいだ。
「ま、待て! 自分で、自分で着替える! だからお前もよそを向いてろ!」
「私は大丈夫だよ?」
「お前は何を言っている!? 大丈夫なわけあるか! ダメだ、よそを向いてろ。向かぬなら俺が外で着替える!」
「それはダメ!」
「何故!?」
「なんでって……弥平のバカ……!! そんなの、私が一緒にいたいからに決まってるでしょ!!」
唐突の切実な叫びに、思わず羞恥心が吹き飛んだ。静まり返る室内。気兼ねなく会話を投げ合う雰囲気から一転、限界まで張った糸のような緊張が走る。
どうした、と声をかけようとした刹那、突然胸ぐらを強く掴まれる。執事服が歪むが、それを指摘する隙を与えない剣幕で、こちらを睨んできた。
「やっと……やっと二人っきりになれたんだよ? お仕事も一段落して、やっとできた二人だけの時間なのに……また離れ離れだなんて……そんなのやだよ!」
「是空……」
「明日も早いのは知ってる。澄男様も今度は出奔なされるとのことだし、またしばらく外回りで忙しくなるんでしょ? ……だから……今夜だけでも……」
胸ぐらにかけた握力を緩め、細い両腕を背中に絡めてきて優しく抱きついてきた。だが、その力は強い。
思えば、是空は小さい頃から腰巾着のように離れようとせず、少しでも離れると寂しいのか、頻繁に泣きじゃくっていた。だからこそ修行も常に一緒、ご飯も一緒、しまいには風呂まで割り込んでくる始末。
流石に風呂に割り込まれたときは親に叱られ、それからは割り込まなくなったが、とかく一日のほとんどは是空とともに過ごしていた。
その反動というべきだろうか。一年前、巫市の潜入任務に出立するときは、私もお供する!! とギリギリまで駄々を捏ね、決死の説得と父からの忠言により、渋々分家派当主代理の立場を受け入れたのが記憶に新しい。
もう自分一人で色々できるだけの実力をもっているのだが、異様なまでに自立していないのが玉に瑕。やはり彼女のためを思うのならば、自立を促すために振り解くべきなのだろうか。
だが是空の言うとおり、夜が終わればすぐに分家邸を発たねばならない。
澄男たちが行動を始めるのと同じく、本家派当主の影としての活動を始めなければならないからだ。そうなると、今夜のように是空と気兼ねなく話せる時間はないだろう。有事のときはその限りでないが、それはあくまで分家派当主とその側近という形になってしまうし、オフタイムのように接することはできない。
是空は己の立場を理解した上で、全てを悟っているのだ。ならば、たとえどんな手段を使おうと離れまい。今夜だけはと、羞恥を隠し、寝巻きまで持ち込んだのだからその覚悟は相当なものである。それに―――。
是空の両肩を優しく掴む。顔を上げ、ライトグリーンの瞳を潤わせて見上げてくる是空。拒まれると思っているのか、ライトグリーンの瞳が激しく揺れていた。
女性という生物は全く卑怯なものである。虹彩の輪郭が揺れ動くほどに潤む瞳を見せられて、力づくというわけにはいかない。相手が近親者ならば、尚更。
大きく深呼吸し、意を決する。少し迷ったが、答えは出た。
「そうだな。俺は同士と決めた者とは常に対等にあろうと心に……いや、魂に刻んだのだ。それは澄男様たちだけじゃない、お前だって同じだ」
是空の表情がどんどん晴れていく。小雨が降り暗雲漂う空が裂け、その隙間から穢れなき太陽光が、全地上を明るく照らすように。
「確かに今夜しかないからな。今後、お前のために時間を作る余裕があるか分からない」
「じゃ、じゃあ……!」
「一夜限りのこの今を、大切にするとしよう」
次の瞬間、胸に頭突きする勢いで顔を埋めてきた。衝撃が臓腑に響き、思わずぐふ、と嗚咽を漏らしてしまう。
全く、敵わない。これほどまでに喜ばれると、もはや感無量というものだ。拒むのも馬鹿らしくなってくるものである。
いつか色々とやることが一段落して、余裕ができたら是空と過ごす時間を増やそう。澄男たちと相談する必要はあるが、いつか是空と過ごせる時間も割り振れるときが来るだろう。そのときまで暫しの我慢だが、今夜だけは、我ら分家派も甘えてしまってもいいはずだ。
物事に区切りがついたことで生まれた、一夜限りの逢瀬。次はいつ実現できるだろうか。
是空は澄男たちと天秤にかけられるような存在ではなく、対等なのだ。寂しい思いばかりかけてはいられない。彼女の想いは悟っている。
分家派当主として、いや、一人の兄貴分として、妹分の想いに応えてやらねば。
「さて、じゃあ着替えてくる。その間に二人分の布団を敷いておいてくれ」
「添い寝は?」
「ダメだ。そんな淫らな関係じゃないだろ」
「淫ら…………私は構わないのに」
「何か言ったか?」
「いいえっ、なんでもっ」
さっきまでの喜びはどこへやら。途端に機嫌が悪くなり、そっぽを向いてしまった。
何を言ったのか本当に聞き取れず、でも聞き返せる雰囲気でもないので困りつつも、是空が頬を膨らませながら二人分の寝床を作り始めたのを確認する。
明日からの予定を頭の中で反芻しつつ、あらためて外の廊下で寝巻きに着替え始めるのだった。
明日以降の活動に備えるべく、流川弥平は私室で佳霖関係の最後の資料を整理し、装備などの最終調整を行なっていた。
話し合いから今まで、分家邸の大広間で澄男たちと宴会を楽しんでいたが、騒ぎ疲れたのか、宴会場から臨時の寝室になっている大広間で、澄男を筆頭に全員が眠ってしまった。
話し合いが終わってから深夜一時頃まで、軽く六時間は全身全霊で騒いでいたのだ。休息をと思ったのだが、宴会で騒ぎ疲れるとは少し予想外である。
それだけ復讐に気を張っていたということだろう。カエルたちとどんちゃん騒ぎをする澄男の顔は微笑みに満ちていて、肩の荷が完全に降りたように伺えた。それが分かるだけでなによりというものである。
「お前も寝ていいんだぞ」
テーブルの向かい側で、同じく武器のメンテナンスをする白髪の少女に視線を投げる。ライトグリーンの瞳がこちらを見つめると、少女は小さく頬を膨らませた。
「私だって武器のメンテしなきゃだもん」
白髪の少女―――白鳥是空は手に持った銃器を丁寧に点検し、不具合がないかを入念に確かめる。
彼女が扱う武器は主に銃器だが、彼女の仕事は、有事でも起きない限りは分家派当主代理だ。
本来は白鳥家の当主として分家派当主の下で活動するのだが、分家派当主が命令しなければ、彼女はこの分家邸より動くことはできない。
武器をメンテしているあたり、私も働かせろとアピールしているのだろうが、今は彼女に出張ってもらうつもりはないのである。
「佳霖の始末は終えたが、お前の役割は今のところ変わらない。そう焦るな」
「焦ってない。私だって弥平の役に立ちたいの」
「気持ちはありがたいがダメだ。お前の力が必要になったら、そのときに連絡するから」
是空はライトグリーンの瞳を細め、如実に不満げな顔で睨みつけてくる。
是空を外に出してしまうと分家派当主の仕事が滞ってしまう。久三男が入手した大量の情報を捌く要員が必要な以上、分家派当主の代理を務められる者が分家邸にいなければならない。
現状、代理を務められると太鼓判を押せるのは両親を除いて是空のみ。幼少の頃から情報に関するいろはを叩き込んであるので、実力的に最も信頼できるのだ。
常に密偵として諜報活動に勤しんでいる分家派当主本人としては非常に喜ばしいことなのだが、何故かその評価を快く思っていないらしい。昔から、一緒に活動したいと言い張って聞かないのだ。
我先にメンテを終え、銃をホルダーへしまいこむと、突然机に突っ伏して背伸びをし始める。眠たいなら自分の部屋で寝ろと言おうとしたとき、是空が先に投げかけてきた。
「弥平は澄男様のこと、どう思ってるの?」
さっきまでの明るい声音とは一転、重く思い詰めたような声色。
突然問いかけられて言葉に困ったが、ほんの僅かに身を震わせているその姿を見て、言わんとする意図はすぐに図れた。
是空は澄男のことをよく知らない。立場の差や仕事量の差など、環境の違いで是空が澄男とともにいられた時間はほとんどなかった。
裏鏡水月を誘き出す作戦時に顔合わせをして以来、今日分家邸で話し合いをすることになるまでは一切関わっていないのだから、彼女が澄男の人となりを誤解するのは、考えるまでもない当然の帰結である。
彼女にとって澄男は、経緯はどうあれ一億もの人間を虐殺した、歴史に名を刻んでもおかしくない、血に飢えた大悪党か独裁者に見えていることだろう。
彼女が澄男という人物像に疑念を抱くのは、裏鏡との戦いの折、彼が大都市を粉微塵にしてしまった時点で予想していたことだが、本音を言うなら外れて欲しかったものだ。
少し考えるフリをして、是空に視線を向けた。
「お前こそ、澄男様をどう思っているんだ」
「そんなの、私の口から言えるわけないでしょ」
「案ずるな。味方には慈悲深い御方だ」
「……もう、分かったよ。責任、とってよね……? じゃあ言うよ?」
是空は腕を枕にしながら、僅かに身を縮ませた。まるで自分で自分を守るように、小刻みに震える自分の二の腕を隠すように強く握る。
「……正直、怖いなって思った……かな。確かにお父さんに全てを狂わされて憎むのは無理もないことだけど、それだけであんなにたくさんの破壊をばらまいて平然としていられるのは、なんだかものすごく、怖くて……」
「同じ人間とは思えない?」
「そんな……!! こと……は」
「構わないさ、思ったことを言うといい」
「……うん。弥平には悪いけど、もしかしたら人間じゃないのかなって……」
是空が抱えている感情は、相当に強いようだ。身を縮ませているせいか、肉食動物に追い詰められた小動物に見えてしまう。
是空曰く父の部屋で対面した際、澄男が一見普通の人間のように振る舞っていたことに戦慄したとのこと。
一億もの人間を殺した人が、まるで他の人間と変わらないくらい平然としている。それがかえって不気味に思え、内側に秘めていた恐怖がさらに濃くなってしまったようだ。
彼の前で怖がってはいられないため全力で誤魔化していたそうだが、耐えるのに苦労したとのことである。普通に考えれば、一億もの人間を復讐という名目のみで殺害でき、そのためならば大都市を更地に変えるほどの大破壊をばら撒けるのだから、下手に機嫌を損ねれば、ただそれだけで処刑されかねない。そう考えるのも、無理もない話だった。
「でも凰戟様に己の想いを具申したとき、その恐怖は感じなくなったの」
それは今日に至るまでの澄男を知らぬがゆえの誤解。どう解こうか、と返事を考えていた矢先、是空が顔を上げた。
予想から外れた感情の動きに、思考の再演算が静かに行われる。そんな中、是空の語りは続く。
「別に澄男様の想いに感動したわけじゃないの。あのときの澄男様が、なんだか一年くらい前の弥平にそっくりで……」
「一年前の……俺?」
想像してみるが、ぴんとこなかった。一年前といえば、分家派当主としての全ての修行を終え、父から巫市の潜入任務を言い渡された頃である。
確かにあのときも父と対面し、色々と話し合った覚えがあるが、特段澄男のようなことを語った覚えは―――。
「ああ、そういえば父さんに聞かれたな。お前はこれからどうしたいんだ、って」
是空がうんうんと強く頷く。
滅多に心中を語ることがないからなのだろうが、当時も父は澄男に聞いたのと似たような質問を投げかけていた。
お前はこれからどうしたいのか。どうありたいのか。ただ漫然と修行した内容を反復するのか。父は必ず信念というものを聞きたがる。
芯がなければいざというときにロクな働きなんざできやしない、能力がいくら高くてもな。修行の傍ら、父がよく言っていた言葉だ。
無論、何も考えずただ漫然と修行していたわけではない。潜入任務という実地訓練の前日、父に呼び出されて投げかけられたその問いに、誠心誠意答えたつもりである。でなければ、巫市の潜入任務など任せてもらえなかっただろうから。
「あのときの弥平の目……とっても強くて、凛々しくて、輝いていたわ。ああ、本気なんだなって、すぐに分かったの」
首を傾げながら、自分の指と指を絡め、こちらを見つめてくる。
全く自覚がないだけに、是空の述べている症状が説明可能な現象なのかはわからない。でもあのとき確か、父にこう言った気がする。
『恐れながら私は、本家派当主様、そしてその同士たちと対等でありたいと存じます。そのためならば、この命賭する覚悟です』
理想は長く語るまい。短く端的に、本質のみを一切飾ることなく伝えた。
父に虚飾など通じない。たとえ嗤われ、馬鹿げていると罵られるような内容だとしても、ありのままを伝えたのだ。
その内容は、本家派当主と分家派当主の関係を覆すような内容だったはずだが、それを聞いた父は腹を抱えて大笑いしていたものだ。
今日、澄男の信念を聞いたときと同じように。
「私は澄男様を信じます。一億人もの命を殺めたことは事実ですが、それでもあのとき瞳に宿った炎のごとき輝きに、偽りがあると思えません。凰戟様もきっと、澄男様の眼の光を見てお認めになったのだと、私は思っております」
是空は胸に手を当て、ライトグリーンの瞳を輝かせて強く見つめてきた。その姿に思わず微笑みが溢れる。
流川家の者は、想いを口にすると、その想いの強さが瞳に映る。一瞬、流川家特有の身体能力の一部なのかと愚かにも考えてしまった自分が浅ましい。
全くそんなことはない。瞳を輝かせ、己の想いを強く主張する者が、目の前にもいるのだから。
「さて俺も寝るとしよう。お前も早く寝ろ。夜更かしは美容の敵だぞ」
「だいじょーぶですー! 日々のケアは欠かしてませんから、大きなお世話ですー!」
「なら詰めが甘いな。いくら対策を施していようと、私情で仕上げを疎かにしていては効果も薄い。仕事にも響くぞ」
「もうっ。どうしてそんなに仕事人間なの? 少しくらい良いじゃない! 弥平だって人間なんだから、今日くらいハメを外さなきゃ!」
「悪いな、明日も早いんだ」
調整を終えた武器を武器庫にしまい、テーブルを部屋の隅に持っていく。
今日の是空はやけに強情だ。いつもなら寝ているはずなのに、自分の武器のメンテナンスを終えても部屋から出て行こうとしない。
身体を小刻みに振るわせ、何故か顔を赤らめてこちらを見てくる。待てよ、まさかこれは。
「是空。話があ」
「嫌」
まだ話が始まっていないのに断られた。これはマズイ流れ、早急に変えて彼女を冷静にさせなくてはならない。
推測が正しければ、彼女がやろうとしていることはただ一つ。
「今日は……弥平の部屋で寝る」
予想は見事的中。外れて欲しかったが、こういう場面の予想は大体外れないものだ。
確かに幼少の頃はよく二人同じ部屋で寝ていた頃もあったが、それはまだお互い年齢が一桁台のときの話。今はもうお互い当主として一人前の力を持つ同士である。
むしろ何故今になって一緒に寝たがるのだろう。是空だって内心羞恥で死にそうになっているだろうに、何故なのだ。
熟れた林檎のように頬を真っ赤に染めて、どこからともなく服を取り出した。寝巻きである。
「おい、待て。本気か? 本気なのか? まさかここで着替えるつもりじゃ……」
「そうだよ? あ、見ちゃダメだからね。よそ向いてて。部屋から出なくてもいいけど、私が良いよって言うまで後ろ向いてて!」
「いや待てって、なんでそうなる。俺もお前も歳だ、お互い同じ部屋で寝るなど……」
「失礼ね、まだ十四よ! ピッチピチの十四なんだけど!」
「だから言ってるんだ! ふざけてないで、自分の部屋に帰れ!」
「だったら大声で弥平に襲われたって叫んでやるっ。私って本気出したらすんごい大声出せること、知ってるでしょ?」
「待て待て待て待て、それやったらお前ここで寝れなくなるし、第一、父さんに半殺しにされてしまうぞ。なんのメリットがあるっていうんだ」
「弥平が凰戟様にシバかれるメリットがある」
ダメだ。排除不可能。
白鳥家当主兼分家派当主代理として優秀な同士であるが、その本性はわがままである。一度意固地になると絶対に譲らない。たとえ己も傷つくことになろうとも、道連れにしていく勢いで離さない。この世において、親以外でままならない存在を挙げるなら、まさしく是空だろう。
密偵として角が立つ発言をしないモットーなので、あくまで心中のみの言葉になるが、誰も聞こえないからと身勝手に述べるなら、意固地になった是空は女性版澄男だ。むしろ澄男よりも理性的に執念深いと言えるかもしれない。
とにかく、お互い十四にもなって同じ部屋で寝るのはダメだ。第一、今日は分家邸に澄男たちもいる。今は二人しかいないから久しぶりのオフタイムと洒落込んでいるが、澄男が起きれば一公人として動かなければならない。ここで幼少の頃のように振る舞うわけには。
「着替え終わったわ。さあ寝ましょう」
もうこっち向いていいよ、と声をかけてくる是空。気がつけば彼女のペースに呑まれ、後ろを向いて着替え終わるのを待っている自分がいた。
諦めるにはまだ早い。技の分家派当主と名高いこの``攬災``が、この程度の災厄を治められなくてなんとする。諦めてしまったら、分家派当主の名折れなのだ。
「ほら、早く着替えて。いつまで執事服着てるのよ」
無駄のない縮地。回避しようとしたが、思ったよりも早く間合いを詰められて身動きが取れなくなる。
いつのまにか縮地の精度が格段に上がっている。昔なら不意を突かれても間合いに入り込ませない余裕があったのに、完全に間合いを制圧されてしまった。
こちらの思考判断能力でも鈍っているのだろうか。物事の流動があまりに早すぎる。佳霖討伐のために働いていたときの方が、まだ余力があったくらいだ。
「ま、待て! 自分で、自分で着替える! だからお前もよそを向いてろ!」
「私は大丈夫だよ?」
「お前は何を言っている!? 大丈夫なわけあるか! ダメだ、よそを向いてろ。向かぬなら俺が外で着替える!」
「それはダメ!」
「何故!?」
「なんでって……弥平のバカ……!! そんなの、私が一緒にいたいからに決まってるでしょ!!」
唐突の切実な叫びに、思わず羞恥心が吹き飛んだ。静まり返る室内。気兼ねなく会話を投げ合う雰囲気から一転、限界まで張った糸のような緊張が走る。
どうした、と声をかけようとした刹那、突然胸ぐらを強く掴まれる。執事服が歪むが、それを指摘する隙を与えない剣幕で、こちらを睨んできた。
「やっと……やっと二人っきりになれたんだよ? お仕事も一段落して、やっとできた二人だけの時間なのに……また離れ離れだなんて……そんなのやだよ!」
「是空……」
「明日も早いのは知ってる。澄男様も今度は出奔なされるとのことだし、またしばらく外回りで忙しくなるんでしょ? ……だから……今夜だけでも……」
胸ぐらにかけた握力を緩め、細い両腕を背中に絡めてきて優しく抱きついてきた。だが、その力は強い。
思えば、是空は小さい頃から腰巾着のように離れようとせず、少しでも離れると寂しいのか、頻繁に泣きじゃくっていた。だからこそ修行も常に一緒、ご飯も一緒、しまいには風呂まで割り込んでくる始末。
流石に風呂に割り込まれたときは親に叱られ、それからは割り込まなくなったが、とかく一日のほとんどは是空とともに過ごしていた。
その反動というべきだろうか。一年前、巫市の潜入任務に出立するときは、私もお供する!! とギリギリまで駄々を捏ね、決死の説得と父からの忠言により、渋々分家派当主代理の立場を受け入れたのが記憶に新しい。
もう自分一人で色々できるだけの実力をもっているのだが、異様なまでに自立していないのが玉に瑕。やはり彼女のためを思うのならば、自立を促すために振り解くべきなのだろうか。
だが是空の言うとおり、夜が終わればすぐに分家邸を発たねばならない。
澄男たちが行動を始めるのと同じく、本家派当主の影としての活動を始めなければならないからだ。そうなると、今夜のように是空と気兼ねなく話せる時間はないだろう。有事のときはその限りでないが、それはあくまで分家派当主とその側近という形になってしまうし、オフタイムのように接することはできない。
是空は己の立場を理解した上で、全てを悟っているのだ。ならば、たとえどんな手段を使おうと離れまい。今夜だけはと、羞恥を隠し、寝巻きまで持ち込んだのだからその覚悟は相当なものである。それに―――。
是空の両肩を優しく掴む。顔を上げ、ライトグリーンの瞳を潤わせて見上げてくる是空。拒まれると思っているのか、ライトグリーンの瞳が激しく揺れていた。
女性という生物は全く卑怯なものである。虹彩の輪郭が揺れ動くほどに潤む瞳を見せられて、力づくというわけにはいかない。相手が近親者ならば、尚更。
大きく深呼吸し、意を決する。少し迷ったが、答えは出た。
「そうだな。俺は同士と決めた者とは常に対等にあろうと心に……いや、魂に刻んだのだ。それは澄男様たちだけじゃない、お前だって同じだ」
是空の表情がどんどん晴れていく。小雨が降り暗雲漂う空が裂け、その隙間から穢れなき太陽光が、全地上を明るく照らすように。
「確かに今夜しかないからな。今後、お前のために時間を作る余裕があるか分からない」
「じゃ、じゃあ……!」
「一夜限りのこの今を、大切にするとしよう」
次の瞬間、胸に頭突きする勢いで顔を埋めてきた。衝撃が臓腑に響き、思わずぐふ、と嗚咽を漏らしてしまう。
全く、敵わない。これほどまでに喜ばれると、もはや感無量というものだ。拒むのも馬鹿らしくなってくるものである。
いつか色々とやることが一段落して、余裕ができたら是空と過ごす時間を増やそう。澄男たちと相談する必要はあるが、いつか是空と過ごせる時間も割り振れるときが来るだろう。そのときまで暫しの我慢だが、今夜だけは、我ら分家派も甘えてしまってもいいはずだ。
物事に区切りがついたことで生まれた、一夜限りの逢瀬。次はいつ実現できるだろうか。
是空は澄男たちと天秤にかけられるような存在ではなく、対等なのだ。寂しい思いばかりかけてはいられない。彼女の想いは悟っている。
分家派当主として、いや、一人の兄貴分として、妹分の想いに応えてやらねば。
「さて、じゃあ着替えてくる。その間に二人分の布団を敷いておいてくれ」
「添い寝は?」
「ダメだ。そんな淫らな関係じゃないだろ」
「淫ら…………私は構わないのに」
「何か言ったか?」
「いいえっ、なんでもっ」
さっきまでの喜びはどこへやら。途端に機嫌が悪くなり、そっぽを向いてしまった。
何を言ったのか本当に聞き取れず、でも聞き返せる雰囲気でもないので困りつつも、是空が頬を膨らませながら二人分の寝床を作り始めたのを確認する。
明日からの予定を頭の中で反芻しつつ、あらためて外の廊下で寝巻きに着替え始めるのだった。
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