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愚弟怨讐編 上

再会、破滅の父

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 翌日。水守すもり邸で休息を取ったのち、少し遅い朝食を食べると、先日拠点に帰ると決めた座標へ再び転移した。


 教会の場所は二十五キロメト先。


 徒歩で六時間以上かかる距離だが、行ったことがない場所には転移で移動できない以上、致し方ない。


 澄男すみおは歩きばかりで肩を竦めるが、昨日と同じく拡張視覚野を装備している御玲みれいの背中を見ながら、歩を進める。


 御玲みれいからは朝五時に出立と言われたが、正直朝の五時に起きるなんざやったこともないし、やりたくもないので、夜寝る前に色々話し合った結果、朝の九時ということになった。


 それでも個人的に早くてまだ眠いぐらいだが、徒歩六時間を考えると、そうも言ってられないのは火を見るより明らかだった。


 もはや砂塵と化したコンクリの残骸と、壊れかけの木造家屋しかない平地を、とぼとぼと歩き続ける。


 文明が滅んでいるだけあって、人の気配がまるでない。エスパーダの話だとまだ生きているようだが、未だ竜人と思える存在とはすれ違ってすらいない。本当に生きているのか、怪しくなってくる。


 あのデカブツ野郎が、ここにきてブラフかましてくるとは思えないが。


「しかし好都合ですね。人がいないのは」


「なんで。気味悪いだろ」


「周囲に気配がしないということは、私たちに敵対反応を示す生命体が存在しないということ。私たちの目的はヴァルヴァリオンにまつわる謎の解明。無駄な戦闘は避けるに越したことはありませんからね」


「そりゃそうだけどさ。こうも閑散としてっと気持ち悪くねぇか」


「全く」


 あっそ、とため息混じりに会話をブチ切る。


 裏鏡りきょうほどじゃないにしても、コイツもコイツで大概に共感しない奴だ。


 裏鏡りきょうみたく野郎だったらノリがクソ悪くて腹立つ以外特に何の感情も無いが、相手が女だと可愛げが無さすぎて、より一層腹立つ。


 こんな女を好きになる野郎がいたとしたら、ソイツの気が知れないのは自分だけじゃないはずだ。


 澄男すみおの心の声が彼女に届くことはなく、彼の胸の中で虚しく霧となって消える中、二人は再び、終始無言で痩せこけた土しかない平地を歩き続けた。



 時は過ぎ、澄男すみおは空を見上げた。


 太陽が既にほんの少し西に傾きつつある事に気づき、初めて時間の経過を肌で感じる。


澄男すみおさま、あの建物です」


 御玲みれいが指差した先に、一回り小さい城のような建物が、何も無い平地にぽつんと立っている。建物の色は綺麗な白太陽の光を反射し、更に白色が際立つ。


 もはや砂と同化した高層ビルの残骸や、風化寸前の木造家屋とは裏腹に、その建物は綺麗に外面の掃除が行き届いており、装飾がなされたガラス窓も土一つついていないように見える。


 澄男すみお達は教会の前に立ち、建物を見上げる。


 建物の形状だけを見るなら、確かに教会だ。建物の上の方に金色のドラゴンの紋章があるあたり、ドラゴンを信仰している種族だったのは、間違いない。


 あんな不定期で空からやってくる蜥蜴を信仰するとか、気がしれないが。


「侵入しますか。澄男すみおさま、``隠匿ラテブラ``の技能球スキルボールの用意を」


 ほいさっさ、と肩に掛けている魔導鞄からいつもの技能球スキルボールをとりだす。


 外装の清掃が行き届いているところを見ると、この建物には間違いなく何者かがいる。それも、魔生物とかではなく、掃除ができるだけの能を持った奴らが。


 竜人というのがどんなのか分からない以上、とかく先手を打てるように、常に透明人間として潜入する。


 これなら物理的な方法で、相手がこっちに先手を打つ事はできなくなる。


「行きましょう」


 御玲みれいの合図で、澄男すみおも教会と思わしき建物に入る。


 御玲みれいは建物内に生命反応が二つあると言っていた。だが周りには何の気配もない。平地を歩いていたときと同じく、人っ子一人いやしない。


 御玲みれいは好都合だと言っていた。でもこの静けさは、あまりに異質だ。


 教会の中は灯という灯全てに火は灯っていなかったが、よく分からんドラゴンの絵が描かれたステンドグラスの窓から入ってくる日照が、閑散とした渡り廊下を照らしてくれる。


「おい御玲みれい


「何でしょう」


「宛てもなく歩くより、どっか目星つけて行こうぜ」


「というと」


「例えばそうだな……ゼヴルエーレはかなり昔に地上に降りたドラゴンらしいし、本とかに歴史が書かれってかもしれねぇ。行くならまず本が沢山ある部屋にしようぜ」


「なるほど。書斎ですか。分かりました」


 一人で探させると効率が悪いので、自分も捜索に加わる。


 御玲みれいはまず本堂に行こうとしていたんだろうが、本堂は敵と鉢合わせする可能性が高い。


 色々調べる前に敵と鉢合わせして無駄な戦闘を繰り広げ、気がついたら夜になってた、とかいう体たらくは避けたい。


 転移で移動しているから手間はほとんどかからないとはいえ、それでもモチベ的に行き来するのは面倒極まりないんだ。


 二人は何かがいるであろう大本堂は避け、渡り廊下にある部屋から順に、書斎らしき部屋を探す。


「っ痛ぇ……おいッ。急に立ち止まんな」


 何故か御玲みれいが足を止め、彼女の後頭部に鼻を打ちつける。そんな彼を無視し、その場でしゃがみ込むと、床をじっと見つめた。


「これは……血痕」


 打ちつけた鼻を摩りながら、澄男すみお御玲みれいと同じ場所にしゃがみ込む。


 床に染みついていたのは、大きさ二十センチぐらいの赤い痕。カーペットも赤色だからやや分かりにくいが、黒い血肉みたいなものもこびりついている。


「まだ新しい」


「どれくらい」


「まだ一週間経っていません」


「つーことはクソ最近、ここで殺し合いがあったってことか」


「それだけではありません。この建物には、二つの生命反応があります」


「そいつらが殺った可能性が高いな」


 顎に手を当てる。


 だとしたらウダウダしていられない。とっとと書斎的な場所を探して、ゼヴルエーレや竜位魔法ドラゴマジアンについて調べないと、その二つに見つかる。


 今は技能球スキルボールの影響で透明人間と化してるから悟られてないにしても、さっさと終わらせるに越したことはな―――――。


「はぁーい。お二人さーん。そこまで~」


 越した事はない、そう結論づけようとした、そのときだった。


 どこからともなく聞こえた男の声。反射的に身構える。


 澄男すみおは右に携えた剣に。御玲みれいは腰に担いだ槍に。お互い背中で向かい合い、前と後ろどちらから襲撃を受けていいように対応する。


 どういうことだ。おかしいぞ。


 今は``隠匿ラテブラ``の技能球スキルボールで完全な透明人間と化ているはず。なのに、なんでバレる。


 相手は的確に人数を言い当てた。つまり、他の誰でもない。見えてるってことだ。


 ``隠匿ラテブラ``は、その名のとおり、相手から見えなくなるんじゃなかったのか。


 なんで見える。どういう理屈だ。やっぱり、考えても分かんない。魔法には詳しくないせいだ。


 それに、あんまりにもナチュラルに声をかけられたせいで、身体の反射能力が鈍ってやがる。


「``隠匿ラテブラ``で文字どおり隠れてるみたいだけどさ~……君達、ニワカすぎね? バレバレだから」


 目に見えない誰かは、どこからかそんな舐めた口を叩いてくる。


 この腹の底から不快感しか湧いてこねぇような甲高い声音。何もかもをとことん舐め腐って見下してるような態度。


 どこかで聞いた事がある声だ。それもものすごく最近。忘れようにも絶対に忘れる事のできない声音。


 間違いない、間違えるはずがない。コイツは、コイツは―――。


「うるせぇ黙れ!! 御託はいい!! とっととワレろやクソ寺!!」


 どこに隠れてるのか分からねぇがンなことどうでもいい。今はあのクソ野郎を引きずり出し徹底的にブッ殺すただそれだけが重要だ。


 言い訳も抗弁も聞く気はサラサラねぇ。ンなもんウダウダ言う前に顔面カチ割ってやらぁ。


「はいはいまず落ち着こうか澄男すみおちゃーん。熱くなっちゃダメダメ~」


 澄男すみおの殺意は、ものの見事に奴のクソみたく舐め切ってる態度に中和され、空しくも大気に馴染んでいく。こうも罵詈雑言が空を裂いたのは初めてだ。


「いいからとっととワレろっつってんだよゴミカス!! その後俺の視界に二度と入れねぇぐれぇブッ殺してやっからさァ!!」


「血気盛んすぎぃ!! 出会い頭にブッ殺すはなくない?」


「ざけんなよ……? 澪華れいかをあんなんにしやがってよくもまあ俺の前にその薄汚ねぇツラァ出せたな今度こそ八つ裂きにしてやらァ!!」


澄男すみおちゃんマジギレすぎ大草原。別にどこで姿現そうと勝手じゃんね~。それとも何ィ? 天下の往来歩くのに君の許可が要るんですかぁ~?」


「別にテメェがどこブラつこうが知らねぇただ俺の前にのうのうと姿を現せてる今を言ってんだよその程度も理解する能もねぇのかテメェにはよォ!!」


 罵り合う二人。御玲みれい澄男すみおの腕を掴むが、彼は強く振り解く。


「うーんこのままじゃキリないね。分かった分かったよ、ワレますワレますワレりゃいいんですねはいはい」


 とす、という軽く床を叩く音がして、赤色の絨毯しかないはずの渡り廊下から、ふっと一人の男が何か透明な服を脱ぎ捨てて姿を現す。


 白い学ランのような服を着こなす茶髪の少年。


 年齢は澄男すみおと同じくらいで、背丈もほぼ一緒くらいだが、その少年の目つきは悪く、瞼の下には隈ができ、瞳も黒く濁りとぐろを巻いている。


 澄男すみおもツリ目で存外に目つきが悪いが、茶髪の少年は、また違う目つきの悪さだ。


 それはまるで、ゴミ捨て場に打ち捨てられたゴミ袋が、カラスに突かれて中身が飛び出し、そのまま腐ってしまった生ゴミでも見ているかのような、腐り切った瞳。


 何もかもを見下し、現実の全てに絶望し切った双眸。同年代とは思えない、虚ろな瞳が御玲みれいを貫く。


「まずね~……」


水守すもり槍術そうじゅつ氷槍凍擲ひょうそうとうてき!!」


「やめろ!! ソイツは俺が殺す!!」


 突如、御玲みれいの周囲が凍った。


 澄男すみおの怒号すら搔き消す猛烈な吹雪が彼女の足元から吹き荒れ、渡り廊下を氷雪が目にも止まらぬ速さで蝕んでいく。


 彼女の右手に掲げられた一本の槍。切っ先から氷雪が渦を巻く。


 まるでロケットのように噴き出すそれは、猛々しいブリザードをそのままに、彼女の右手から放たれた。


 氷槍凍擲ひょうそうとうてき。周囲を凍らせ敵の足を封じた後、発生させたブリザードの勢いに腕力を加え、敵に向かって槍を投げる技。


 単純な技だが、ブリザードの勢いは強く、最大瞬間風速は台風をも凌ぐ。


 氷点下を軽く下回る冷風と氷雪は、一定範囲内の敵の体力を一瞬にして奪い取るだけでなく、遥か彼方へ吹き飛ばす効果を有し、投擲された槍からも吹き荒れるブリザードは敵の軍を一方的に薙ぎ倒す。


 そして槍そのものが、敵中枢を抉り壊すのだ。


 上手く使えば、この技で敵軍を一気に壊滅させるだけでなく、戦場を使用不能にしてしまえる大技の一つである。


 当然だ。この技によって放たれる彼女の槍は、もはや槍にあらず。周囲の兵もろとも、主力戦車ですら粉塵に帰する対戦車ミサイル弾に他ならない。


 水守すもり家でしつこいほど言われてきた。殺られる前に殺れ。敵が何か話し始めたら、それを隙とみて殺れ。


 卑怯だろうと言われようが関係なし。


 殺られた者は土に還り殺った者は生き残る。ただそれだけの事であり、そしてそれが戦いの本懐の一つである、と。


 今回がそれだ。相手は誰だろうと敵性因子なのは明白。ではどうするか。


 ``殺す``。ただ、それだけの事―――。


「はいざんねんッ」


「がッ!?」


 勝利を確信した刹那、右頬に熾烈な鈍痛が響き、視界が大きく右へ逸れた何が起こったのか分からないまま、空かさず何かに首を絞められたような苦しさが襲いかかる。


 認識速度がようやく現実に追いついた。客観的に己を俯瞰したとき、己の首がキメられている事を、そこで悟ったのだ。


「どう……して……ぐぅッ」


 十寺じてらの腕を掴みながら首を締めつけられながら問いかける。


「人の話はちゃんと聞かないとさァ~。まず一つ、``隠匿ラテブラ``は万能ではありませーん。``魔法探知マジア・デプレエンシオ``で簡単に見破れる魔法でーす」


「``魔法探知マジア・デプレエンシオ``……ですって……?」


「だからねぇ、``隠匿ラテブラ``を使うときはぁ、見破られてる場合を考慮してぇ、``魔法探知マジア・デプレエンシオ``を併用してないとぉ、ダメなんだぞッ」


 御玲みれいは落胆した。


 知らなかった、とは言えない。魔法には素養が無く、使ったことがあるのは下位互換の魔術しかないからだが、そんなものは言い訳だ。


「そんで二つ。今の僕は薬で肉体性能強化してまーす。利発化剤・乙型と、敏捷能度強化薬・乙型ぁ~」


 だからか、と苦し紛れに首肯する。


 利発化剤は大脳皮質のニューロンを活性化させ、思考速度、五感の先鋭化を可能にする薬剤。主に回避能力を底上げするのに使われるアイテムだ。


 敏捷能度強化薬は言うまでもない。


 氷槍凍擲ひょうそうとうてきは猛烈な吹雪で一帯を凍らせ、相手の意識が撹乱している隙に敵中枢を貫くシンプルにして強力無比の大技だが、投げる槍は一本だと、狙える的は一つだけ。


 回避と敏捷能力が底上げされている場合、見切られれば高確率で避けられてしまう。


 足場を凍らせて敏捷や回避を妨げる効果もあるが、十寺じてらとの距離はやや離れていた。十寺じてらの足を止めるまでに、タイムラグが発生してしまったのだ。


 利発化剤を飲んでいるなら、動体視力も漏れなく強化されている。見切るのは難しくない。


 くっ、と唇を強く噛む。


「テメェ、ブチ殺してや」


「はいはい絶賛マジギレ中の澄男すみおちゃーん。僕を殺しにかかるのは結構だけどさ、僕の右手に注目した方がいいんじゃないかなぁ?」


「……ッ!!」


 既に身体からどす黒い鱗を現し、血のように紅く光る瞳から尋常ならざる殺気を放つ澄男すみおは、嫌な予感が体内をかけ巡るのを感じ、踏み出そうとした足を本能的に止めた。


 十寺じてらの左腕で首を完全にキメられている御玲みれいと、そして奴の右手に握られた一本の注射器が、視界に飛び込んでくる。


 野郎が持ってる注射器。何の注射かは知らん、でもその注射器が何なのか、説明されなくてもなんとなく察しがついた。


 そういえば、澪華れいかがブッ壊れたときも似たようなものを―――。


「こォのカス野郎がアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 咆哮とも言える怒号が、教会の渡り廊下を震撼させる。


 ステンドガラスにヒビが入り、所々砕け始めるほどの気迫。それでもなお、十寺じてらの不気味な笑みは消える気配はない。


 十寺じてらを強く、強く睨みつける。猛々しい獣の如く。全てを食い尽くす鬼の如く。


 それでもなお、十寺じてらの態度に変化はない。いつもどおり、死んだ瞳と舐め腐った態度で、発狂寸前の澄男すみおを見つめる。


「喚かない喚かない。澄男すみおちゃんのお察しのとおり、これは催淫剤入りのお注射。ただし、澪華れいかに使ったのより十倍効き目がキツいヤツ」


 針の先から雫が膨らむ。ヒビの入ったステンドグラスの隙間から入る日光で、その雫は怪しげに輝いた。


「これブチこんだらこんな子猫みたいな子、数秒でパーになっちゃうだろうねぇ。下のお口か上のお口に何か入れないと、狂って死んじゃうかもしんなぁい」


「……クソが……!」


「あっれれぇ~? どしたの澄男すみおちゃ~ん。さっきまでの威勢が消えちゃってるよ~。僕の事ブッ殺すんじゃなかったんですかぁ~?」


 殺意を扇動してくる十寺じてらに、ただただ歯噛みするのみ。


 何故だか、身体が動かない。やることはただ一つ。勢いに任せて踏み出し、アイツの薄汚え顔面を殴り、粉々に、ぐちゃぐちゃに砕く。ただそれだけ。


 でもそのただそれだけの簡単なことが、できない。


 まるで、金縛りにでもあったみたいな感覚だ。身体が金属みたいにガッタガタになってやがる。ブチ殺すべき相手は目と鼻の先にいやがるのに、なんで踏み出せねえ。


 もしかして怖いのか。相手はただの腐り切った三下だ。そんな雑魚に怯えてどうする。


 早く踏み出せ。足を踏み出せさえすれば全ては一瞬で終わる。くそ、頭では分かってるのに。なんで、どうして。


 注射器を見る。刹那、三月十六日に見た、変わり果てたアレが頭ん中に浮かび上がる。


 思わず頭を左右に振る。脳味噌にこびりついたソレを振り解くように。


 情けない。たかが三下の雑魚に、それもそんなのが片手にしてる注射器ごときに、手も足も出ない自分が。


 でもだめだ。注射器を見ると、もはや別物に変わり果てたアレが、頭の中を何度も何度も何度も何度も駆け巡りやがる。振りほどいても振り切れない、悪夢が迫ってくるんだ。


「……結局口だけかー、つまんない。まあいいや。とりあえず肩に下げてる魔導鞄下ろして、こっちに蹴りな」


 一向に踏み出そうとせず、まるで見えない壁に阻まれているかのような澄男すみおに、十寺じてらは肩を竦める。より一層腐ったかのように、彼を見つめる視線は更に冷ややかなものになった。


澄男すみおさま……! 私の事は……ぐぅ!!」


「はいアンタは余計なこと言わない。次なんか言ったら舌引きちぎるよ?」


 澄男すみおは黙ったまま、肩に下げていた魔導鞄を絨毯に下ろし、十寺じてらの方に蹴る。それを、十寺じてらは足で受け止める。


「んじゃ次にィ……手に持ってる技能球スキルボールは邪魔だからその場で割って。使われるとうざったいし」


 澄男すみおは左手に持っていた技能球スキルボールを地面に叩きつけた。ばりん、という甲高い音とともに、隠匿ラテブラ技能球スキルボールは影も形もなく砕け散る。


「じゃ最後に、その腰に携えてる剣をこっちに蹴ってもらえる~? あ、ちなみに余計な真似したらこの子廃人にすっからそのつもりでねん」


 腰に携えていた焔剣ディセクタムを取り外し、無造作に放り投げる。


「テメェの言う事には従った。御玲みれいを離せ」


「なんで?」


「は? 従ったじゃねぇか離せや」


「いやぁ……従ったから何? 誰も従ったら御玲みれいを離してやるなんて言ってないけど」


「テメェ……!!」


「いやそんな殺気立ててテメェとか言われても。実際そうだし。君が勝手にそう思い込んでただけだし……まあ、いいや」


 御玲みれいの首を締めたまま、注射器を片手に、魔導鞄と澄男すみおの武器を右手に持つ。


 器用に注射器を左手に持ち替え、尚も切っ先を御玲みれいの頚動脈に当てながら、十寺じてらは身を翻した。


澄男すみおちゃんに会わせたい人がいるんだ。ついてきて」


「寝ぼけんな。こんなクソ教会にダチなんかいねぇよ」


「ダチじゃないよ~。でも多分、君が今いっちばん会いたい人だよきっと」


「チッ……もういい面倒くせぇとっとと案内しやがれ」


 はいはい、と十寺じてらは涼しい顔で血のように赤い絨毯の往来を堂々と闊歩する。


 御玲みれいが拘束されている以上、どうにもできない。抵抗すれば奴の注射器が物を言う。そうなれば地獄だ。


 御玲みれいはどうなろうとどうでもいいし、澪華れいかに抱いてたような感情は一切持ってないにせよ、やはり三月十六日の惨劇と似たようなものを見せられると思うと正直あまりにも辛い。


 ヘタレなのは分かってる。三下にまんまと手玉にされてる自覚もある。でも澪華れいかが堕ちていった過程を、一から改めて見せられるなんざ、マトモでいられる自信がねぇんだ。


 重苦しくも刺々しい沈黙が躍起になる中、三人は渡り廊下を黙々と歩く。彼が目指すは大聖堂。この教会の中枢だ。


 自分があえて行くのを避けようとした場所に連れて行かされているのを悟り、歯噛みする。


 十寺じてらが足で大聖堂に続く扉を蹴り開く。彼は割と大きい声で、大聖堂内にいるであろう``何者か``に話しかけた。


佳霖かりん様ぁー!! お客様でございますよー!! 水守すもり家現当主と流川るせん本家派現当主、ぶいあいぴー二名のご到着でぇーす!!」


「か、りん……だと?」 


 ふざけた態度で話しかける十寺じてらだったが、彼が発した台詞の一部を、決して聞き逃しはしなかった。


 今、十寺じてらは言った。


 カリン様、だと。自分が知っているカリンとは、一人しかいない。そんな特徴的でそれ以上に絶対忘れることのできないその名を、分からないはずないんだ。


 もしかして、もしかしなくても。


「騒ぐな。聞こえている」


 大本堂の奥から聞こえる、野太い荘厳な声音。年は既に晩年の真っ只中だが、どこか凛々しさを漂わせるその声に、憎悪と同時に懐かしさを感じた。


 大聖堂へ入る。だがそこは、もはや神に祈りを捧げる場所とは到底思えない空間に成り果てていた。


 床や壁、木造の椅子にべったりとついた血飛沫と肉片。そしてゴミのように部屋の端へ追いやられた死体の山。


 死体の山からは血が滴り、山の周囲は既に真っ赤な血溜まりと化している。邪魔な椅子をブチ抜いて、なにやらよく分からない実験装置のような機械と、魔法陣が張られ、大本堂の中は物々しい雰囲気に包まれていた。


 部屋の匂いに眉をひそめる。


 血の匂い。間違いなく、ここの教会の奴らを殺したのはこいつらだ。まだこんな匂いが漂ってるということは、最近ここで殺し合いがあったってこと。


 手で鼻を覆いながら、大本堂の中央を歩く。


 大本堂の奥、本来なら神父が立っているであろう場所に、神父服を着た一人の中年男が立っていた。


 やや長い黒髪と、隈ができた不健康そうな瞼。そして死んだ魚みたいな濁りきった瞳。


 十寺じてらと同じ目をしてやがる。間違いない。コイツはこの世でよく知ってる奴の一人。


「親父ィ……!!」


 己の歯を砕く勢いで食いしばりながら、慣れ親しんできたその呼び名を恨めしく呼んだ。


 神父服を着た男、その名も流川佳霖るせんかりん


 ソイツは見下すような笑みを浮かべ、主教座からゆっくりと足を踏みだした。


「久しいな。我が息子よ」


「テメェなんざもう親父でもなんでもねぇ……!! ただのクズだクソッタレ!!」


「相変わらず口の悪さは健在のようでなによりだ」


「うるせぇ黙れ駄弁んな!! 生ゴミみてぇな目つきしやがってよォ……!!」


「お前に目つきの悪さを指摘されるとは、神父として由々しき問題だな。克服に尽力しよう」


 痛烈な反論をぶつけてなお、奴の態度は軽い。一人熱くなっているのに対し、不気味な冷笑を浮かべたままだ。


「クソが……テメェのそういうところが大嫌いだったんだ。最後の最後まで俺を舐め腐りやがって」


「それは誤解だぞ息子よ。私はな。人間に対し、その人間に相応しい態度で接しているにすぎない。舐めていると解釈されるのは、心外というものだ」


「ハッ……! どの口がほざいてやがる。そんな死んだ目で俺を見下してんのが、他ならん事実じゃねぇか!!」


 大聖堂に怒号が響く。


 分かってる。コイツがこういう笑みを浮かべているのは、笑ってるんじゃない。嗤ってるんだ。


 流川佳霖るせんかりんとかいう奴は、昔っからそんな奴だった。自分より格下の奴をとことん見下す割に、自分より格上の奴にはプライドが無いのかってくらい媚を売るクズの中のクズ。


 ホント。ほんっとうに大嫌いだ畜生。家庭の何もかもをババアに押しつけ、ロクに子育てもせず、ロクに親としての責務を果たさなかった結果がこのザマ。


 今まで気に食わねぇ奴なんざ腐るほどいたが、コイツは人生史上最大のクソ野郎っていう烙印を押してもいい。いやむしろ押させろ。


 己の中に湧き上がる憎悪を抑え込むように、大きく深呼吸をする。そして、改めて佳霖かりんを見上げた。


「もう全部分かってんだよ……お前だろ? 母さんを……澪華れいかを殺ったのは」


 胸の奥底からぐつぐつと煮詰まった殺意を堪えながら、震えた声音で問いかける。


 三月十六日。突如として大事なもんが二つ、一瞬で消えた。まるで手から滑り落ちるような感覚で。


 悪夢か何かだと思いたかった。でも違った。


 目の前に広がっている悪夢は、紛れもない現実だった。拭い去りようのない、確固たる現実。


 生まれてから今まで、数えきれない魔生物を蹂躙できても、どうしようもなかった。


 そして今、その現実を容赦なく突きつけ、己の人生を狂わせた張本人が、ここにいる。


 ようやく聞けるのだ、なぜそんなことをしでかしたのか。その真実を。


 佳霖かりんは息を吸い、まるで煙草の煙でも吐くかのように、大きく息を吐いた。


「そうだ。私が殺した。澪華れいかに関しては、実行犯は十寺じてらだがね」


「やだなぁ、澪華れいかは死んでませんよぉ。僕専用のダッチワイフに転向したんですって」


 一人悶々としている中、軽い態度で事実を淡々と伝える佳霖かりんと、ふざけた態度で話を付け加える十寺じてら


 人から大事なもんを奪って、人生狂わせておいて、この態度。もう人がとるべき態度じゃない。


 だがまあいい。コイツらの態度に一々ツッこんでたらこっちが滅入ってしまう。単刀直入に、そう、ここにくるにあたって、知りたかった事を淡々と聞きだすんだ。


「…………じゃあ最後に息子として聞かせてくれや親父。なんで流川るせんを……俺たち家族を裏切ったんだ!!」


 十寺じてら佳霖かりんの煩わしい態度を吹き飛ばすように、大聖堂で怒号を張り上げた。二人の北叟笑む態度が一気に消え、聖堂の中は静かになる。


「……それを語るのなら、事の出自から語らねばならぬ」


 主教座に立ち、禍々しい眼光を実の息子に向けるクソ親父は、息子の顔色を見下げながら、淡々と言葉を紡ぎ始めた。


「我が息子よ。このヴァルヴァリオンが、何故滅びたか……知っているか」


「知るかよ」


「だろうな。ならばここまで来る道中、石碑を見ただろう?」


「あ、ああ……。あの殴り書きしたみたいな、すっげぇ物悲しげだった……」


「あれはな。ヴァルヴァリオンが滅びた経緯と、次の時代への希望が書かれた石碑なのだ」


 佳霖かりんの薄ら笑いが光る。その嗤いはやめろ。ぶん殴りたくなる。


「かつてヴァルヴァリオンには、七つの宗派があった。どれも``天空竜神エラドール``を祭ることに変わりなかったのだが、いずれも宗教観に違いがあった」


「それってつまり……祭り方とか思想とかそんなのか?」


「ほう。お前でもその程度の理解はできたのだな。驚きだ」


「…………テメェマジでいい加減にしろや……?」


「最初の頃はお互い理解しあっていたのだが、時を重ねるうち、世代が代わっていくと宗派間の相互理解は薄くなっていってな。天災竜王の襲来を境に、奴らは本格的に拗れ始めた」


 無視かよ。ふざけやがって。まあいい。ここでキレてもさらに揚げ足を取られるだけだ。耐えろ、俺。


「何故だか予想はつくだろう? 天災竜王の襲来は、七つの宗派のうちのどれかが、祖神エラドールに対し不信を抱いたから起こったのだと、誰もが思い始めたからだ」


 澄男すみおは鼻で嗤った。


 天災竜王の存在は、まさしく災害。相互理解ができてなきゃ、仲間を疑い始めるのは道理。だったら簡単だ。ソイツらが次に起こす行動は。


「疑心暗鬼の末、彼らは不信を抱いたと疑わしいと思う宗派を潰し始めた。最初はただの宗教紛争にすぎなかったが、ヴァルヴァリオンは宗教国家。各宗派が治める教会こそが最高権威であり、国民はそれに逆らう事はできなかった」


「だろうな……それで、国を巻き込んだ大戦争に発展した、と」


「ときに教会は国民を強制的に働かせ、ときに強制的に徴兵し……そして敵となる宗派に治められている国民を、教会構成員ごと皆殺しにすることまでも強要するようになったのだ」


 はは、と乾いた笑みをこぼす。


 正直当時の時代背景なんざしったこっちゃないし、だからなんだと言いたいところだが、このクソ親父の話を聞いて思ったことを率直に述べるなら―――。


 くだらない。


 祖神だか天空竜神だかなんだか知らんが、そんないるのかいないのかはっきりしない存在のために、本来国を良くするための存在が、身勝手に国を破壊するなんて。


 当然そんな綺麗事、言えた義理じゃないのは分かってる。


 でもあまりにもくだらなすぎるだろ。


 だったら天災竜王を命がけで退けて、国民や国を守った勇者たちはなんなんだ。あいつらの死に物狂いの努力はなんなんだ。


 教会の奴らは、その死に物狂いで偉業を成し遂げた奴の努力を、平気で踏み躙ったワケだ。ただ権力を傘に着て、踏ん反り返るしか能の無い雑魚の分際で。


 擁護する気なんてない。善人ぶる気も毛頭ない。勇者のためを思うなら、権力に逆らえなかった弱い国民もただただロクに動けなかったグズのノロマだと、胸を張って言えるが。


 ただただ、気にくわねえ。


 命がけで偉業を成した奴らがようやく掴んだ世界を、平然と壊す出来損ないどもが、ただただ、気にくわねえ―――。


 気がつけば、歯軋りの音が大聖堂をしつこく反響していた。胸の奥底から湧いてくる、黒くて粘ってて熱い何か。もう感じ慣れた、なじみのある感情だ。


 そう、``怒り``である。


「おもしろい。実におもしろいぞ我が息子よ。お前の歯軋りから、並々ならぬ憤怒と憎悪が、呪詛となって伝わってくるわ」


「うるせぇ黙れ……! それ以上煽ったらブッ殺す……! 八つ裂きにして、粉々にして、跡形も残らず消し炭にしてやる……!」


「父と子、久しく対面したのだ。仲睦まじくいこうではないか」


 実の息子を見下し、嘲り笑って、馬鹿にしながら話すのが仲睦まじくする家族の会話かよ。


 そんな``仲睦まじさ``、初めて聞いたぜ。


「話を戻そう。結局その大戦争は一千万年の戦国時代を経て、七つの宗派は長期に渡る戦いに疲弊し散り散りとなり、ヴァルヴァリオン文明は滅びた。かつて大陸全土を統一するほどの超大国であったヴァルヴァリオンも、最期はただの残骸と戦火に焼けた死体のみが残る死の大地へと姿を変えてしまったわけだ」


「ハッ……クソ間抜けな話だ。そりゃそうだろうよ」


「あの石碑は、今わの際の彫師が彫ったものなのだが、そいつは滅びゆく自国の惨状を憂い、己が踏み入ること叶わぬ次なる時代の世には、くだらぬ宗教観の争いが決して無い平和で平穏な世界でありますようにという願いを、最後の一文として綴ったものなのだよ」


「……そう、なのか」


 胸の奥から、生暖かい何かが滲み出た。同時に胸がしめつけられるような感覚に襲われる。


 やっぱりそういう奴もいたんだ。


 自分の国が滅ぼうとしている。そんなところを見せつけられたら、誰だってそう思う。


 自分はもう新しい時代に生きることは叶わないけれど、もしそんな時代があるなら、もうこんなクソみたいな戦いの無い、平和な世界であってほしいって。


 あの石碑には、そういう意味合いが込められていたのか。書き殴った感じだったのは、滅びた経緯に恨み言を添えて彫ったからで、石碑全体から漂う悲壮感の正体は―――。


 彫った奴が抱いた、悲しみとむなしさそのものだったのか―――。


「どうした、我が息子よ。それほど身を震わせて……もしやお前、この話を聞いて``悲しい``などという感情を抱いたのか?」


「……は、はあ? な、なんで俺がそんなクソカッコわりい感情なんざ……」


「はは!! これは実におもしろいな!! 根っからの傍若無人、悪鬼羅刹のお前にも、人や時代を憂う心があったとは!! お前もやはり人の子なのだなァ!!」


「……何が言いてえ。俺は別に悲しんでねぇしむしろ何も感じてねぇぐれぇだし滅びて当然じゃねそんな国って思ってるくらいだしつーかそんなもん掘ってる暇があんなら病院行けよってハナシなんだけど、そんな話聞いたら悲しんだりするのが普通じゃねぇのか」


「普通、か。ハッ……くだらぬ」


 佳霖かりんは顔を陰らせた。澄男すみおを見つめる視線を、より一層冷徹にして。


「まさに、有象無象の凡愚がよくほざく単語だ。反吐が出る」


「……それ、俺に言ってんの?」


「ふん。自分の胸に手を当てて考えるのだな。私は、お前の母と会う以前、その石碑を独自に解読したが……嗤えたぞ」


「……何?」


 佳霖かりんは嗤った。高らかに、胸を張り、堂々と。


「悲しむ? 馬鹿め。私がその彫師と対面していたなら、愚かだと嘲り、息の根を止めてやったところだ」


 己の発言に一切悪びれる様子などない。まさに自分の発した言の葉が、正しいと言わんばかりに。


「平和で平穏な世界など、体現できるわけがないだろう!! この世に``人間``などという、ただ数を増やしつまらん言の葉を奏でるしか能の無い出来損ないの生物が跋扈する限り!!」


 佳霖かりんの顔を見て、思わずたじろぐ。奴の顔は、見たことのないほど歪んでいたのだ。いつぞやの十寺じてらのように、醜く、ぐちゃぐちゃに。


 それでもなお、佳霖かりんは言葉を吐き散らすのをやめない。罵詈雑言の濁流が、牙をむく。


「お前も知っているだろう? 戦いを捨て、力を捨て、平穏だの平等だの、そんなくだらん概念に捕らわれ、のうのうと生きている弱小な無能どもからの無理解さを!!」


 く、と歯を食いしばる。


 まだ学校に通わされてたときに味わった疎外感。戦いに理解がなく、戦って強くなる事にすら理解がない。


 常識だのルールだの、そんなつまらないものに従って生きて、それに従おうとしない存在を排除する奴ら。


 先生はこう言った。暴力は悪い事だ。喧嘩はやってはいけないことだ。授業はサボってはいけないのだ、と。


 生徒どもはこう言った。喧嘩をして騒ぐ奴はただのキチガイだ。戦うより遊んでいる方が楽しいのだ。強くなるより勉強してマトモに生きた方が長生きできる、と。


 間違っていると言う気はない。だがただレールに乗っかってるだけの生き方に、何の意味があろうか。学校に通っている間、そんな考えをずっと巡らせていた。


 戦う事もなく、戦って強くなる事もなく、大事なものを背中に背負う事もない。ただただ目の前に与えられた最低限をこなし、最低限を遵守し、最低限に生きる。


 確かにそれなら下手な障害なんて起こらないだろう。枠から外れないのだから誰も困ることはないし、困って損をする奴もいない。


 余計な事をして、余計な事を言って、余計な暴力を振るって、余計な問題を増やすこともない。最低限のストレスだけで、生きていられる。


 理想的、というよりも、人として``合理的``な生き方と言えるものだろう。でも、そんな生き方、あえて本音をぶちまけて言うなら―――。


 つまらない。ただただ、つまらない。


 誰がなんと言おうと、結論はこうだ。そんな生き方に意味も価値も無い。むしろ死んでるのと同じようなものだ。


 人生の大半を土ン中ですごし、成虫になって交尾したらさっさと死んでしまうセミと何が違う。


 そしてそんなセミと同等の奴らが、世界の大半を占めようとしている。せっかくババアたちが作り上げた世界を、貶そうとしている。


 さっきのヴァルヴァリオンの話だって同じだ。力が無い割に踏ん反りかえる以外芸の無い無能のせいで、世界は滅びた。


 せっかく勇者が国と民を守ったのに、後からぽっと出てきた無能が、全部踏み荒らして壊していったんだ。


 戦う力も無い、強くなろうという気も無い、ただただその日を凌ぐぐらいしか能の無い出来損ないの有象無象のせいで―――。


「だから私は思ったのだ。かつてのように神を崇めるのではなく、私自身が神となり、その``有象無象``を根絶やしにしてやろうとな」


 心の中に浮かぶ怨嗟を切り裂くように、佳霖かりんが口ずさんだ。その言葉に、思わず顔を上げる。


「そのために、私は全てを手に入れる。世界に蔓延る森羅万象を。それらを生み出し壊しうる、``天変地異``を!!」


 佳霖かりんは天井を見上げ、狂ったように笑い出した。歓喜してるんじゃない。その喜ぶさまは、もはや狂喜。


「そして有象無象を絶滅させ、``完全な人類による社会``を創造する!! 知能、肉体性能ともに、一定水準を満たした生物だけで構成された完全完璧な世界をな……!」


 頭がおかしくなった狂人と化したように、佳霖かりんは天を仰いだ。俺は心中に湧き上がる激情のあまり、苦虫を噛み砕く。


 確かにその有象無象の無理解さは痛いほど共感できる。それで実際、学校じゃあハミゴにされた上に、ただのチンピラどもと喧嘩するクソつまらん生活を強いられた。


 でも、目の前に立つこの父親は、その有象無象なんかよりもずっと醜い。ただただ醜い。


 こんな奴が自分の父親で、自分の体ン中にコイツの血が混じってると思うと反吐が出てくる。


 有象無象が雑魚で無能でわずらわしくたって、そんな奴らのためだけに家族や流川るせんを裏切り、況してや実の息子の人生を改悪して大切なものまでも破壊するなんてことが許されるワケがない。


 もしもその筋書きが有象無象をぶっ壊すための尊い犠牲だってんなら、そんな理想、クッソくだらねぇ。


 何が完全な人類による社会の創造だ。何が世界に蔓延る森羅万象と、それらを生み出し壊しうる``天変地異``だ。どれもこれもくだらねぇしアホらしい。


 だったらさ。そんなもののために、何もかも壊された奴は、めちゃくちゃにされた奴は、実の息子である``流川澄男るせんすみお``は、どうなるんだ。


 やっぱりただの尊い犠牲ってか。舐めんじゃねぇ。


 誰もテメェのために生きてるんじゃねぇんだよ。自分の人生を自分で描くために生きてんだよ。勝手に人の人生を自分色で塗り潰すな。


 親だからって、自分より格下だからって、踏み躙るな。


 そんなんが許されるんなら、有象無象だけじゃねえ。その有象無象を根絶やしにするために犠牲や裏切りを平気でやってのけるテメェもクソだ。


 人の心を、人生を、想いを、何もかも黒く塗り潰しやがって―――。


 ふつふつと無限に湧き上がる怨嗟。今すぐにでもこれらを全部あらいざらいブチまけて楽になりたい。


 でもダメだ。ここで感情的になったら、それこそ奴の思うツボ。


 そのツボに、まんまとハマるわけにはいかねぇ。


「……つまりテメェは、有象無象を虐殺するために、俺にゼヴルエーレとかいうゲテモノを植えつけたってワケか。でもおかしいだろ」


「何がだ。我が息子よ」


「そもゼヴルエーレってのは、大昔の勇者にブッ殺されたって話だったろうが。なんでソイツは生きてんだよ。なんで死んだ蜥蜴野郎が俺ン中に……」


 己の胸に手を当て高らかに野望を宣言する父に、俺は尚も食い下がる。


 粗方の経緯は分かったが、結局なんでゼヴルエーレと結びつくのかが分からない。


 さっきの話とエスパーダから聞いた伝説を合わせても、ゼヴルエーレは太古の昔の勇者に討ち取られた存在って事に変わりはない。


 つまり、もう死んでこの世にいないドラゴンなワケだ。なのに、なんでソイツの力が使えるばかりでなく、ソイツと対話もできるのか。


 その答えには、全くなっていない。だったら今まで話してきた、ゼヴルエーレってのは一体なんなんだ。


「……何を言い出すかと思えば、そんなつまらんことか。簡単な事だろう」


 食い下がる澄男すみおを、佳霖かりんは鼻で嗤ってあしらう。理解の及ばない奴を蔑むような表情で。


「天災竜王の血肉を、お前の心臓に移植した。ただ、それだけの事だ」


「は……? 今、なん、て……?」


 コイツ、何を言ってやがる。天災竜王を移植。意味が分かんない。


「言葉のとおりだぞ? お前の心臓に、天災竜王を移植したのだ」


 眉をひそめ、首をかしげる仕草に、佳霖かりんは更に付け加える。


「確かに天災竜王は、かつての勇者どもに討ち取られた。だが竜王は``ドラゴン``だ。死の間際、魂をミクロの単位まで分割し、それらを己の心臓の細胞組織一つ一つに封じ込め、寸前で死を免れるという離れ業をやってのけた」


 俺は目を見開く。


 魂を細胞組織一つ一つに分離。一回聞いただけじゃ理解に苦しむ言葉だ。まずンなことが物理的に可能なのかどうかも怪しいくらいに、現実離れが過ぎてやがる。


 ``ドラゴン``だから。たったそれだけの理由で、そんな無法が許されるってのか。``ドラゴン``ってのは、ただのデカイ蜥蜴なんじゃなかったのかよ。


 困惑する俺など意に介さず、佳霖かりんは説明を続ける。


「勇者を管理していた当時の教会勢力は、民衆に天災竜王の心臓の存在を隠すため、それを地下の奥深くに封印し、天災竜王の復活が二度と起こらないように企てた」


「バレたら大パニックですもんね~。そんな物騒なもんがあったら、僕なんか逃げ出してますよ」


「そしてそれから数十億の時が経ち、地下の奥深くで深い眠りにつきながら、龍脈を利用して着々と回復。この現代までを生きながらえていたというわけだ」


「心臓のまま数十億。ドラゴンの生命力って、やっぱ次元が違いますね」


「当然だ。ドラゴンだからな」


ドラゴンですもんね」


 唖然とする最中、勝手に話に割り込んでくる十寺じてらは、勝手に佳霖かりんと打ち解け合う。その軽々しい態度に、顔を歪める。


「文明が滅び、もはやただの黒魔術集団に成り下がった新設大教会の神官に属していた私は、その地位を最大限利用し、ここまでの事実を突きとめた。これはどの歴史書にも載っていない、私だけが知る本当の真実だ」


「……つまり、テメェは歴史書で天災竜王の事を知って歴史を調べ直し、地位を悪用して天災竜王の心臓から細胞組織を盗んだ、と」


「そうだ。まあ最初はただの興味本位だったのだよ。こう見えて、私は勤勉な身でね。だが奴の心臓と出会ったとき、奴のあまりに強大な力に感動さえ覚えた。取引を持ちかけられたが、あまりに最良な条件に、二つ返事で了承してしまったよ」


「取引……?」


 佳霖かりんの顔が、再び醜く歪んだ。恍惚に嗤い、澄男すみおを見下すように。


「ゼヴルエーレは``いかなる竜人族、人類族に負けぬ力``を私に提供してくれる代わりに、私は全てを捧げてでも奴を完全復活させることを約束した。それが私の理想の、全ての始まりなのだ」


 天災竜王の復活。


 じゃあ何だ。一体、一体俺は―――。


「私が理想とする完成された人類における社会と、有象無象の淘汰には、天災竜王の力が必須なのだ。お前の扱う、``焉世えんせい魔法ゼヴルード``の力がな」


 一生懸命に、左右に首を全力で振る。


 もうなんとなく分かる。親父が言わんとしてることが。でも分かりたくない。言われたくない。面と向かって、堂々と、宣言されたくない。


 だって、だって。それなら、``流川澄男るせんすみお``っていう存在は―――。


「天災竜王の復活には、復活するための器……つまり生物の生身の肉体が必要なのだが、天災竜王の力はあまりに強大でな。細胞組織一欠片だろうと、人間が耐えられたものではなかった」


「……やめろ」


「そこで私は考えた。武力統一大戦などという戦いに身を投じる、``流川るせん``と名乗る最大最強の武力集団の中に、もしかしたら耐えうる被検体がいるのではな」


「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!」


 腹の奥底から、何もかも全部ブチまける勢いで、声帯なんかブッ壊すぐらいの勢いで、叫んだ。


 大聖堂に怒号が震撼する。ステンドグラスが揺れる音が、空間に滲んだ。


 コイツは、こともあろうにコイツは、家族を裏切ったんじゃない。最初から俺たちのことなんて、家族とか思ってなかったんだ。


 母さんも、分家の奴らも、仲間だなんてこれっぽっちも思ってなかったんだ。


 ただ単に、ゼヴルエーレに見合う実験体が欲しかっただけ。ただ、それだけ。


 それなのに、家族を裏切っただとか。澪華れいかをなんで殺しただとか。聞いた自分が馬鹿みたいじゃねぇか。


「だが流石は連戦無敗と名高い流川るせんの末裔だな。今まで誰も耐えられず、その身を砕いてきた細胞組織に適応できたのは、我が息子澄男すみおよ。お前が初めてだ。誇るがいい」


「ざけんな……! クソほど嬉しくねぇよンなもん……俺をこんな紛い物にしやがって……!」


 クソ親父に対する嫌悪が更に増す中、その嫌悪を嫌悪で上乗せしてくるように、親父はあおりをやめない。追い討ちにも程がある。


「余談も添えてやろう。天災竜王の復活には、憎悪、憤怒、悲哀、絶望といった負の感情を想起させ、敵性対象を破壊したいという衝動を引き起こさせる必要があってな。元々感受性豊かだったお前は、精神構造的にも、実験体に相応しい個体だったよ」


「だから母さんを……澪華れいかを……!」


「そう悲観するな。お前は母親と恋人を引き換えに、人知を超えた竜族の力を手にできるのだぞ。そうなれば、何もかもが思いのままだ」


「金も地位も名誉も人も資材も何もかもが思いのままですね~。まさに逆らう奴はいなくなるってわけだ」


「仮に出てきたとしても、天災の前に羽虫が集るようなもの。全て、消してしまえばよい」


 あまりに薄汚い二人を、冷えきった表情で睥睨する。


 目の前にいるのは、もう父親でもなんでもない。ただの血に飢えた独裁者と、その手下。


 そしてそんなクズ野郎どもから明かされた、``流川澄男るせんすみお``という存在。


 あの独裁者にとって、実の息子``流川澄男るせんすみお``は、ただの大量破壊兵器でしかないんだ。


 要はそういうことじゃないか。じゃあ母さんの腹から生まれてきた自分は、一体何なんだ。


 ``流川澄男るせんすみお``が破壊兵器だってんなら、このズキズキと痛む胸はなんなんだ。膝をついて俯いて、目頭を熱くさせている自分はなんなんだ。自分は何のために、この世界に生まれ落ちたんだ―――。


 クソが。クソがクソがクソがクソが。


 なにもかもむなしい。悲しいだとか、憎悪だとか、怒りだとか、そんなもん通り越してただただ、むなしい。


 ただ全てを破壊するために``流川澄男るせんすみお``という奴は存在してる。だったら心なんていらねぇよ。そこまでするんなら心まで無くせよ。なんで心があんだよ。


 なんでなんだよ、酷い、ひどいひどいひどいひどい、あんまりだ、ふざけんな、ちくしょう、もういやだ。


 いっそのこと自分が壊れてしまいたい。こんな思いするくらいなら、自分が消えてしまいたい。


 何やってもぶっ壊してしまうんなら、これから生きていたって周りのものが壊れて消えていくだけだっていうんなら、生きてる意味も、価値も無い。そんなむなしくて寂しい人生なんて、要らない――――。


「どうした我が息子よ。何を俯いている」


 かっかっ、と甲高い靴の音をたてながら、主教座から降りる。俺の髪の毛をぐっと鷲掴み、無理やり顔を上げさせた。


「何を泣いている? 何が悲しい? 父に相談してみるがいい」


 尚も薄ら笑いを浮かべ、腐った双眸を向けてくる。


 その表情にタカが外れたのか。胸底からぐつぐつとこみあげてくる何かが、口から放たれる。


 佳霖かりんの顔にべちゃ、っと透明な液体がへばりついた。


「……実の父に唾を飛ばすとは、相変わらず無礼な奴だな」


 鼻で嗤う佳霖かりんに対し、悔し紛れに言葉を紡ぐ。目からとめどなく溢れ出てくる滝のような水の流れを、頬で感じながら。


「お前は……俺が出会った中で……最高のクソ野郎だ……! 俺の人生を……滅茶苦茶にしやがって……! ぜってぇ許さねぇ……! ぜってぇブッ殺してやる……! ブッ殺してやる……!!」


「ほう。面白い事を言うな」


 更に髪の毛を引っ張り上げる。頭皮が引っ張られる痛みに顔を歪めるが、尚も佳霖かりんを睨む。


「なら殺ってみるがいい。たかがメイドごときに注射を突きつけただけで過去のトラウマが想起され手も足も出なかったお前に、果たしてこの私の首がとれるかな」


 俺の頭を地面に叩きつけ、ゴミのように踏みつける。強く、地面に擦りつけるように。


「我が息子よ。これでも私は高く評価しているのだぞ。あの天災竜王の血肉に適応した唯一無二の存在。私はお前を息子として、父の理想を叶えてくれると心から信じている」


 ぐりぐりと押さえつけられる痛みに耐えながら、それでも佳霖かりんを睨もうと視線を向ける。


 誰がテメェの期待になんか応えるか。ぜってぇブッ殺してやる。この世から肉片すら残さねぇぐらいめっちゃくちゃに。


 人の人生を滅茶苦茶に踏みにじったように、次はテメェが滅茶苦茶に踏みにじられる番だ。お前は人の人生を壊した、だったらこっちもテメェの薄汚い理想とやらを影も形もないくらいにブッ壊す。


 テメェも流川るせんに少しでも仕えてたなら知らねぇはずがねぇはずだ。


 流川るせんってのは、やられたらやりかえす。それも倍倍倍にして返す奴らだって事を。


 破壊兵器は破壊兵器らしく、文字どおり何もかもブッ壊してやるよ。首長くして待ってやがれ。その長く伸びきった首を実の息子がブチ切りに来っからよ。


「ああ……言い忘れていたな」


「……く、ぐ……」


「私たちが何故ここにいて、お前たちの侵入に気づけたと思う?」


「あ、あぁ……? 知るか……ンなもん……どうでも……」


「私たちはな、実は数日くらい前からここにいたのだよ」


「……あ?」


 どういう意味だ。


 数日前からいた。じゃあその日から鉢合わせするまで、ずっとこんな死体しかないような場所で燻ってたってのか。


 何でそんな事をする必要がある。明らかに無駄だ。こんな教会に長居する理由が見当たらないし、用が終わればとっとと帰ればいいだけのこと。


 そうじゃないとすれば、帰る前にやるべきことがあった。つまり本目的とは別にサブ的な目的があった。


 じゃあそのサブの目的は何だ。数日前からコイツらはいた。そしてそこに鉢合わせした俺ら。


 これは、偶然か。


「いくら先の読めんお前でも分かるだろう。私達はな、お前達がここに来る事を知っていたのだよ」


「う、そ……!? なん……で……?」


 考えていたが避けていた事実が、佳霖かりんによって無理矢理つまびらかにされる。顔面を地面に押さえつけられながらも、全力で抗議する。


 今までの恨みも、同時に吐き散らかすように。


「あり……えるかぁ!! 俺と御玲みれいが……ここに来ることは……御玲みれいと俺……弥平みつひらしか……知らねぇはず……!! なんで!!」


「確かに、もはや裏切り者として流川るせんから破門された私は、お前達の動向全てを知ることはできん。たとえ十寺じてらを遣っても不可能だ」


「だったら……!!」


「お前は見落としているぞ。お前達の動向……その全てを知っている人物は、もう一人いるということを」


「はぁ……!? そんなのいるわけ……!!」


 ―――いや、いる。


 御玲みれい弥平みつひら、そいつら以外で知っているであろう人物。


 でも一切話し合いに参加させたことはないし、こっちから現状を話したことはない。


 だから全てを知るなんてできないはずだし、知ってたとして何もできないはず。


 いや、まさか。ありえない。違う。そんなはずはない。嫌だ。違う。誰か、誰か違うと言ってくれ。


「ソイツは親切な事に、三月十六日からのお前らの動向を、全てつまびらかに話してくれたよ。元々利害がかなり一致していたのもあって、私が求めていた``情報改ざん``も、わざわざやってくれたのだ。いやはや、そうでなければお前達とは会えなかったかもしれんなぁ?」


「ぢがう!! そんなの……ぢがう!!」


「どうした? 何が違う。言ってみろ」


「ぞんなごど……いやだ……おれは……だったら……もう……だれをじんじだらいいんだぁ……!!」


「なら代わりに言ってやろうか。この父自ら」


「やめろぉ……!! やめてくれぇ!! いやだぁ……!! ほんとにやめてくれよぉ……もうやだよぉ……!」


「お前の実の弟……流川久三男るせんくみおだ」


 刹那、体の中で何かが弾けた。


 意識が、呑まれていく。どす黒い何かに。視界も、聴覚も、どんどん、遠ク。


 遠ク、遠ク、黒ク、黒ク、染マッテイク――――――――――――。



「AAAAAAAAAAA!!」―――――――――――――――――――――



 澄男すみおから吹き出す禍々しい霊力。それは何物よりも紅く、そして黒い。


 まるで太陽から吹き出すプロミネンスのように、大聖堂の中を膨大な熱量が包み込んでいく。


「ちょーちょちょちょ!! 佳霖かりん様やりすぎですよ~、やばいですってこれ!! どうするんですかぁ!!」


 悲壮に満ちているように思わせながらも軽々しさを禁じえない十寺じてらの台詞は、大聖堂を覆いつくさんとする熱の濁流に呑まれ、誰に鼓膜を叩くことなく霧散する。


「こ、これは……一体……!?」


 未だ十寺じてらに拘束されている御玲みれいは、事態の急変についてこれずにいた。


 佳霖かりんに足蹴にされていた澄男すみおから、突然凄まじい霊力の波が発したと思いきや、青黒く禍々しい炎が噴出し、己の視界を、大聖堂内を、目にも留まらぬ速さで呑みこんでいく。


「あ、あれは……!」


 御玲みれいは思わず、呆気に取られた。目の前に現れた、禍々しい存在に。


 燃え盛り全てを焼き尽くす炎の中に立つ人影。荒れ狂う獄炎ですら、その存在を隠し切ることはできないほど、その存在は色濃く御玲みれいの視覚を支配する。


 彼女の視界に映ったのは、暗黒の鱗に覆われた、二足直立の蜥蜴であった。しかしながら、蜥蜴というからには、未だ人間味が残っているように思える。


 それもそのはず。その蜥蜴紛いの生物は、流川るせん本家派当主にして己が仕える主人、流川澄男るせんすみおそのものなのだから。


 身体中を覆う漆黒の鱗が、周囲の炎にあてられて妖しげに輝く。彼の姿をただ眺めるだけならば、澄男すみおだと思えなかったかもしれない。だがあれは間違いなく澄男すみおだ。


 禍々しい黒い鱗に身を包もうとも、血のように紅く光る眼光を見誤るわけがない。


 心臓が締めつけられるような感覚が走る。いつも以上に輝く紅い眼は、今まで感じたことのない殺気を放ち、それは重圧となって、自分に重く、重くのしかかる。


 これが、天災竜王ゼヴルエーレの力を解放した、流川澄男るせんすみおの姿。エスパーダや裏鏡水月りきょうみづきなどの化物と渡り合った存在の正体―――。


「NNNNNN…………!!」


 激しく沸騰する恒星の中枢。無際限に吹き上げる紅炎が口に収束し、それは球状の光源を描く。


十寺じてら、退避しておれ。邪魔だ」


「言われなくてもずらかりますって!! やばいやばいやばい!!」


 常に余裕ぶっていた十寺じてらの額に汗が滲んでいた。かくいう御玲みれいも、全身から吹き出る脂汗でぐっしょりだ。


 戦いに素養のない素人でも分かる。澄男すみおの口元から放たれようとしている光球が何なのか。詳しく説明するまでもないだろう。


 視認できるくらい高純度の霊力を、無理矢理に高圧かつ高密度に濃縮した塊。


 ただそれだけの球である。だが、その球が持つエネルギーは、もはや人間の感覚で推し量る事はできない。


 炸裂すれば、どうなるか。想像するまでもないだろう。


 しかし今、その光球が容赦なく放たれようとしているのだった。


「KONAGONANIIIIIIII……!! NARIYAGAREEEEEEEEEEE!!」


 獄炎が全てを呑みこみつくした大聖堂の中に、一際響く禍々しい怒号。


 その直後、この場にいる者全てに牙をむいたのは熾烈な熱量を発するとともに、大聖堂の周囲全てを融かし尽くし跡形もなく消し去るほどの熱であった。


 ありとあらゆるものが、白い何かに飲み込まれていく。もはや目を開ける事も許されない灼熱の閃光が、この場にいる全ての者の視覚を蝕む。


 鼓膜を目一杯揺るがす爆音と轟音。もはや天と地、その感覚すらもあやふやになってしまうほどの衝撃が、この場いる全ての者と物に襲いかかった。


 だが、しかし。


 その中でも消えることのない、ただ一つの黒体が、彼の前に大きく立ち塞がっている。


「愚か!! ``流川澄男るせんすみお``という存在を創り上げたこの私を、誰だと思っておるか!! 小賢しい暴走ごときで、父たる私を消し炭にできると思うでないわ!!」


 その男は、流川佳霖るせんかりんにあらず。竜人ユダ・カイン・ツェペシュ・ドラクル。


 新設大教会``五大神官``の一人にして、ヴァルヴァリオンの隠された真実を暴き、そして``流川澄男るせんすみお``という、天災竜王の血をひく災害を創り出した破滅の父。


 黒光りする鱗が、ドラゴンのそれを彷彿とさせる。


「我が息子よ。父からの、最初で最後のプレゼントだ!! 私が丹精こめてお前のために作った``聖水``を、その身を以って受け取るがいい!!」


 左手に注射器をすばやく取り出した。それは、真っ赤な液体が入った注射器。


 だがその液体は禍々しい赤色ではなく、ルビーのように透き通った赤色であった。青黒い炎に照らされながらも、場に充満する禍々しさに唯一呑まれることはなく、凛然と宝石のように輝いている。


 右手で澄男すみおの口を光源ごと塞ぎこむ。そして、目にも止まらぬ手際で彼の頚動脈に注射針を打ち込んだ。


「GURYUAAAAAAAA!? AAAAAAAAA……!」


 甲高い奇声が壊れかけの大聖堂を震撼させる。それは猛々しい咆哮ではなく、凄まじい痛みに悶え苦しむ悲鳴の如く。


 だがその悲鳴すら、大聖堂含め、教会そのものを破壊するに足りるものであった。全てが、粉々に、砂塵のように、消えてなくなっていく。


 その日、痩せこけた土壌のみの平原に生えた純白の大聖堂は、超新星爆発の如き超常現象によって、教会そのものと、周囲の草木もろとも、なにもかも跡形もなく消えて無くなってしまったのだった。



 寸前に十寺じてら御玲みれいとともにステンドグラスの窓を破って脱出し、地面に伏して爆風を凌ぐ。


 十寺じてらはあたりを見渡した。砂埃で完全に視界が効かない。相変わらずの破壊力とものすごさである。


 やはり、あの父にして、あの息子あり、といったところか。


「済まん十寺じてら。遅くなった」


 ただの焦土と化した場所から、砂埃やまない状況で、まるで何も無かったかのようにきっちりとした神父服に身を包んででてきたのは、彼の父、流川佳霖るせんかりんであった。


「良かったんです? 一応、故郷の……」


「構わん。所詮もぬけの殻だ」


「そうですか。それで、この子どうしましょう」


 十寺じてらの左腕に、未だ首をキメられたままの御玲みれいがいた。彼女をみるやいなや、佳霖かりんは冷めたような視線を浴びせ、すぐにそっぽを向く。


「捨ておけ。そのような三下の小娘、放っておいて何の問題にもなりはしない」


「持ち帰っちゃだめですかね~?」


「ダメだ。それを持ち帰ると、今の澄男すみおを誰が連れ帰る?」


「そういやそうですね。澄男すみおちゃんに死なれちゃ困りますし」


 十寺じてら御玲みれいを解放するやいなや、御玲みれいの背中を蹴り飛ばす。蹴られた勢いで、御玲みれいは地べたに顔面をこすりつけてしまう。


水守すもりの娘よ。流川るせんに伝えよ。我、流川佳霖るせんかりんは、ようやくお前らとの戦争準備が整った。いつでも歓迎してやろう、とな。お前らも準備ができ次第、足早に攻めに来るがいい。以上だ」


 地べたにへたりこむ御玲みれいを見下すように、佳霖かりん十寺じてらは終始薄ら笑いを浮かべながら、身を翻した。その直後、彼らの姿は虚空へと消え去ったのだった。
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